第14話

「ゴミ、捨ててきますね」

 ショッピングセンターの裏口のゴミ捨て場にゴミを放り込んで、また店に戻ると先ほどよりも濃いコーヒーの香りがした。センター内から入る店内への扉を開けようとして、話し声に気がついた。

 いつの間に来たのか、あの警官がいた。いつも笹本の影のように従っているだけで、話をした事はない。交番の前を通る時に気がつけばお互いに会釈するくらいだ。

 制帽を脱いだ顔はまだ若そうに見えた。

「それで、西……条さんは引き受けてくれるんですか?」

 と警官が言った。

「まだそんな話はしてない」

 藤堂はそっけなく言い返したが、警官はいらついたように、

「何故ですか? このチャンスを逃しては!」

 と言った。

「彼女に頼んだとしても引き受けるとは限らないし、彼女が嫌なら無理強いするつもりはない」

「由美さんの仇はどうなるんですか!」

「やりたきゃ、自分でやれよ」

「……あなたの妹ですよ! あんな……あんな死に方をして……くやしくないんですか? 笹本さんだって……」

「だったら自分で頼んでみればいい」

 藤堂がいらいらとした口調で言った。

 美里はそっとその場を離れた。藤堂や警官がスパイ並の聴覚でもない限り、めいっぱい消した気配には気がつかなかっただろう。

 再びゴミ捨て場に行き、そこでしばらくしゃがんで過ごした。

 夏休みがそろそろ終わる季節だが、まだまだ暑い。

 外灯に蛾が寄ってはばちっばちっと当たっている。

 二人の会話から多少の予測はつく、頼みたい事とは誰かを殺して欲しいという事で、それは藤堂の妹を殺した憎いやつというわけだ。

 警官と妹は恋人同士だったのかもしれない。彼女を殺されても警官である彼は敵討ちも出来ない。もんもんと悩んでいた所へ、美里が引っ越してきた。幸運な事に人を殺す事を何とも思っていないような女がやってきた! というところか。

「人肉料理を嬉々として食ってたくせに、今更警察官でございなんてきれい事言うなっつうの」

 と美里はつぶやいてみた。

 それでもって、現場に踏み込んで美里を逮捕すれば警官の手柄ってわけだ。

 彼らが人肉料理を食っていたなんて、美里がいくら叫んだところで握りつぶされて終わりだろう。向こうには市長がついてるんだから。

 不自然なほどの藤堂の恋人役もそれが目当てだったのだと思うと、つくづく美里はこの街では都合のいい部外者なんだと思い知らされた。

 今、るりかの母親がお金を払うから藤堂と別れてくれって言ってきたら、一千万円くらいふっかけて逃げてやるのに。しかし、そのるりかも自分でやってまったからどうしようもない。

「いや別に、オーナーの事なんて何とも思ってませんけど? ちょっと口説かれたからって、すぐに惚れたりしませんけど。そんなにケツ軽くないですけど?」

 自分に言い聞かせるように言い訳をしていると、鼻の奥がつーんとなって、不覚にも目先がうるうるとなりそうになった。

 自分は確かに人間の……というよりは人間以下のような存在だが、傷つかないわけじゃないのだ。

 耳の遠くの方で自転車が去っていく音を確認した。きっとあの警官が帰ったのだろう。

 美里は鉛を飲み込んだように重くなった身体で歩き出した。

 店内へ戻る道がやけに遠く、いますぐにでも走って逃げたいような気持ちだった。

 店へ戻ると藤堂が形の良いコーヒーカップを差しだした。美里はそれを受け取り、一口飲んだ。早くそれを飲み干してしまってアパートへ帰ろうと思ったが、入れたてのコーヒーは熱かった。

 藤堂に妹の敵討ちを頼まれたらどうするのか、答えがでなかった。次の瞬間にでも藤堂の口からそれが出るかもしれないのに。

 いっその事もっと早くに食事にでも誘うような口調で依頼してくれればよかったのにと思う。こんな風に「口説いてる最中」のような中途半端な関係で頼まれても困る。断ったら、嫌われると思う自分が弱い。藤堂は自分を利用するだけで、本当はこれっぽっちも恋心なんてないのに、と思う自分が弱すぎて、自分を抹殺してやりたいくらいだ。

 何とかコーヒーを飲み干してから、

「帰ります。お疲れ様でした」

 と言った。

 更衣室の方へ行こうとして、後ろから手を引っ張られた。身体ごと振り返った瞬間にぎゅうと抱きしめられた。藤堂の大きな身体は温かくて、チョコレートの甘い匂いがした。

 ぎゅうとなった力の加減がよく、安心できるような、しばらくこのままでチョコのいい匂いを嗅いでいたいなぁと思った。

 今この状態で妹の敵をとってくれと言われればうなずくしか出来ない。

 だけどそれでは美里の心はずたずただ。

 ガラスのハートとは言わないが、一応女の子なんだ。

「本気でつきあってもらえないかな」

 と藤堂が言った。

「でも……私、こんなだし。普通の恋愛とか無理っていうか」

「いいよ、誰を殺しても」

「オーナー」

「俺さえ、殺さないでいてくれたら」

「……」

「君がいると食材が手に入るとかそういう理由でもない。その気になれば食材はどこででも手に入るからね。世の中、金さえ払えばたいていの事はどうにでもなるんだ。笹本さんはそれだけの金を持ってるし。今まではそうやって来たんだし」

「……」

「もちろん、君の方が俺たちの趣味が嫌だと言われればどうしようもないけどね」 

 警官の話を聞いてなかったら、美里はこの場でうなずいていただろう。藤堂の理由が食材なんかじゃないというのはもう分かっている。

 目的はただ一つ妹の敵討ちなんだもの。

「少し考えさせてください」

 と言って、美里は藤堂から離れた。顔も見ずにその場から走り去った。

 劇的な夜だった。

 こんな風に甘い香りに囲まれて愛を告白されるなんて事が、自分の生涯に起こるなんて。

 奇跡だ。

 誰かに愛を囁かれ、誰かに愛を感じるなんて、この快楽殺人者の自分が。

私も恋が出来るんだ、という事に新鮮な驚きだった。 

 今夜の事は生涯忘れない。

 こんなロマンチックな思い出をありがとうと藤堂に言いたい。

 例え……それが美里を利用する為だとしても。

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