第57話 復讐編

「もう飽きちゃったわ」

 と美里は言った。

 それを言うのに一ヶ月は悩んだ。

 けどやはり美里は行かなくてはならなかったので、勇気を出して言った。

「え? 何に飽きたって?」

 と藤堂が聞き返したので

「ケーキ屋さんの奥さん」

 と答えた。

「え?」

 と藤堂がもう一度言った。

「ごめんなさい、やっぱり向いてないみたい。奥さんとか」

「…」

 

 美里達の新婚生活は一年を待たずに破綻した。いや、美里が破綻させる。

 美里は甘いはずの新婚生活すら破壊する。



 誰が一番罪深いのかと考えると、それは美里だ。笹本も藤堂も死んだ動物の肉を使って調理するというだけだ。牛の肉も人間も肉も同じ死体の肉だ。だけど牛を肉用に潰すのと、人間を殺すのでは違う。それは分かっている。

 藤堂はケーキを作り、チョコレートを作る。それが本業。

 おまけの人肉デザートは笹本に頼まれて作っているだけだ。由美の願いだったとも聞いた。藤堂にとっては大事な妹の遺言でもあるだろう。

 けれど彼自身は何も人肉デザートを作らなければならないわけではない。

 チョコレートやケーキを作るのが好きなのだ。

 人肉デザートを考案する時間があれば、新しいケーキを考えたいのに決まっている。


 だけど、美里はそうしなければ生きていけない。

 美里は根っからの殺人者で、殺さなければ生きていけない。

 忌み嫌われるべき人間だ。

 美里はケーキ屋の奥さんなんて可愛い位置にいるべきではなかった。


 最近、近所の奥様方に赤ちゃんはまだか、というような言葉をよく言われる。

 誠にもってお節介な話だし、美里は子供を持つべきではない。いらない。

 でも、藤堂はいつか子供が欲しいと思うんじゃないかしら? と考えると、美里はここにはいられない。彼は本物の可愛い奥さんをもらって、可愛い赤ちゃんを産んでもらうべきだ。藤堂は人肉を食すこともないし、人肉デザートを作らなくても困ることは何一つない。よく考えてみれば藤堂は普通の人だった。

 美里が妹の敵をとったと思っているのかもしれないけれど、もうその事への感謝は十分だ。何も藤堂の一生をかける事はない。


 美里がそれを決心するまでに時間がかかった。

 この街はとても素敵で、住んでる人も優しくていい人ばかりだ。

 一時はこのままでいいと思っていた。

 この街は居心地が良すぎて、復讐なんて言葉すら忘れかけていたのだ。

 だけどあの男を再び見てしまったので、美里は行かなければならなくなった。

 美里は復讐しなければならなかったという事を思い出した。


 何も言わずに出て行こうとも思ったのだけど、それは卑怯かもしれない。

 美里は自分の裏切りを彼にはっきりと伝えて、嫌わなければならないと思った。

 美里は二度とこの素敵な街に戻りたいなんて思わないように、自分にとどめを刺さなければならなかった。

 戻りたくても、戻れないように。

 藤堂が美里を忘れて、いつか素敵なお嫁さんを迎えられるように。

 

「ごめんなさい。こういう人間だから、一カ所に止まっていられない質なのね。この街はもう飽きちゃったわ。お楽しみもマンネリになるし」

 藤堂はあっけにとられたような顔で美里を見つめていた。

「な、何を言ってるんだ?」

 時計は午後九時。

 店じまいをして、二階に上がってきて、お風呂に入り、そしてくつろいで食卓についた。

 美里は藤堂が手に持ったグラスにビールを注ぎながら、その話を切り出した。

 藤堂はグラスを持ったまま固まっている。

「だからもう出て行こうと思うの」

「……」

 少しの沈黙の後、

「俺は君のやる事を制限した事も反対した事もないだろう?」

「ええ」

「……」

 藤堂はビールの入ったグラスを口もつけずにそのままテーブルに置いた。

「ごめんなさい、としか言いようがないわ。ずっとこういう風に街から街へ移動して暮らしていたんだもの。同じ場所にはずっといられないのよ。だから離婚してください」

「駄目だ」

 美里は用意してあった離婚届をテーブルの上へ置いた。自分の名前欄にはもう記入してあるし、判もついてある。

「記入してください」

「駄目だと言ってるだろ」

「役所には美里が出しに行きます」

「駄目だ!」

 藤堂はそう強く言ってから、離婚届を破った。そしてその紙をくしゃくしゃに丸めてからシンク横のゴミ箱に投げいれた。

「君がどこかへ気晴らしに行くのならそれもいい。けど、離婚はしない」

「でも、もう決めたの」

 藤堂は頭を左右に振って、

「嫌だ」

 と言った。

「ごめんなさい。こういう人間なの」


 その夜、遅くまで言い争いをした。朝早くから一日中働いている藤堂は疲れていたので、美里は彼に眠るように言った。藤堂は自分が眠ってしまったら、美里が出て行くつもりだろうと言うので、あなたが納得しないうちは出て行かないと言った。

 が、それはもちろん嘘だ。

 美里はいつだって自分の痕跡を残さないように心がけている。この街を出ると決めた日から荷物は少しずつ減らしてあるので、今夜持って出る物は財布と携帯電話の入ったバッグ一つだ。自分のコレクションルームは鍵付きなので、そこがすでに空っぽだっていう事に藤堂は気がついていない。

 とはいえ、目指す相手は隣の県だ。一時間もあれば行けてしまう。

 美里はすでにその場所に部屋を借りて荷物を運んでいるので、身一つで今からそこで生活出来るようになっていた。

 美里はもう一枚記入済みの離婚届をテーブルの上に置いて、チョコレート・ハウスを出た。

 この街へ来た時にはほとんど無かった銀行の残高も、笹本が引き取ってくれた五人分の食材で潤っている。市長の息子を他の三倍の値段で買い取ってくれたのは、由美の敵討ち代金だろうと思う。つつましく暮らせば二年は大丈夫そうだ。

 美里には目的があるので、その為に行動する資金にする予定だ。

 目指す相手の居場所も分かっている。

 あとは殺すだけだ。

 この世に生まれて来た事を後悔するように、殺してやるわ。


 忘れていたのは何故だろう。

 チョコレート・ハウスのある街に来てからすっかり忘れていたのは何故だろう。

 美奈子と友達になって、藤堂と出会った。

 るりかを殺して笹本を知った。

 市長の息子達を殺して、藤堂にプロポーズされた。

 新婚旅行で生まれて始めて外国に行って、アメリカ人を三人殺した。

 小生意気なハワイっ娘がいて、アメリカ人の殺し屋とトミーを殺した。


 藤堂と出会ってから、幸せだったのだろうか。


 だけど、笹本の店であの男を見た。十五年たっていたけど、すぐに分かった。

 威圧的な態度は全然変わらない。

 周囲を見下し、己の存在を押しつけ、醜悪な男だ。

 金だけが価値があり、美も愛も平和も優しさもすべて否定するような人間。

 金があれば何をしてもいいと思っている人間はわりといる。

 それが彼らの価値観なのだからしょうがない。

 それを変えさせるなんて誰にも出来やしないのだ。

 だから十五年たって復讐されても彼にとってもそれは仕方がない事だ。

 自業自得なんだから。

 どうしてこんな楽しみを忘れていたのかしら?

 美里はもう幼く力のない少女ではないのに。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チョコレート・ハウス 竜月 @kasai325

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ