第4話
美奈子にはハローワークに日参とは言ったが、実際は四日に一回くらいだった。そんなに急いで仕事を探しているわけではない。のんびりとしている。すぐに食うに困るというほどでもないからだ。
小さい犬から剥いだ毛皮はそんなに分量がなかった。先に作ったポーチと小銭入れの他には小さい巾着のような物が一つ作れたのだが、あのるりかとお揃いなんて美奈子が嫌かもしれない。それにまた取り上げられるかもしれないなぁ。
美里はそんな事を考えながら、自転車を走らせていた。
手芸用品を買いに近所のショッピングセンターまで来たのだ。次は何を作ろうかなと考えるのは楽しいが、白い犬の毛皮が品切れだ。残念、綺麗な毛皮だったのに。
手芸用品店と日曜大工店をひやかして、夕食の食材をスーパーコーナーで買った。店の外へ出た時に一階にケーキ屋があるのを発見した。
「これは、買ってみなくちゃ」
美里はチョコレートには目がないので、さっそくケーキ屋に入る。
店舗内ではショーケースの中にチョコレート系のケーキがたくさん並んでいたし、生チョコや、一粒三百円もするような高級チョコレートの詰め合わせも販売していた。
奥には喫茶室もあり、ティータイムも楽しめるらしい。
チョコ以外のケーキも種類多く販売していたが、ガトーショコラと、チョコレートムースを一個ずつ買った。販売員の女の子に注文を告げ、お金を払っていると、
「あら、美里さん」
は? と顔を上げると美奈子が奥の喫茶室から出てきた。可愛らしいメイドさんのような制服を着ている。
「あら、ここで働いてるの?」
「ええ、バイト」
「働き者ねえ」
と美里が言ったので、美奈子はばつの悪そうな顔になった。というのは、美里の情報収集によると、大家宅では、若奥様の美奈子が料理を、その他の家事を大家の奥様、つまり姑がやっているらしい。美奈子の夫は家業の貸しビルとかアパート経営を父親から教えてもらっている最中。とはいえ、自分たちの洗濯や住居の掃除は自分たちでやるだろうから、美奈子はほとんどフルで家事をこなしていると言えるだろう。あのるりかの食事も作っているらしいし。その上、まだ外でバイトまでしているのか。だが、その方が気晴らしになっていいかもしれない。
「ええ」
「こんなおいしそうな職場、いいわね」
美里はケーキの箱をもらってからじゃあねと店を出た。自転車のかごにケーキの箱を入れてからゆっくりと歩き始めた。ケーキが箱の中で飛び跳ねて破損しないように。
無職の日々の楽しみは食べる事だ。美里はチョコレートに目がない。それ以外の菓子は食べないのだが、チョコレートだけは我慢できない。目についたら片っ端から買う、そして食べる。素晴らしく甘く、苦いチョコレートは芸術だとも思う。実は一粒で五百円もするチョコレートの二十個入りを買い置きしてある。何かの時にご褒美として食べるつもりなのだが、今日はハローワークへ行ったから、とか、今日は履歴書を出したから、とかしょうもない理由で衝動食いしては猛烈に反省する日々だ。
「美里さん」
振り返ると美里服に着替えた美奈子が駆け寄ってきた。
「あら、仕事終わったの?」
「ええ」
美里は美奈子の手に持った大きなケーキ箱を見た。
「たくさん買ったのね」
「ええ、これが目当てであそこで働かされてるんだもん」
美奈子は大きなため息をつきながらそう答えた。
「働かされてるの?」
「そう……毎日ケーキを買って帰る為に働いてるの」
「へえ、そんなにおいしいの?」
「ええ、とってもおいしいわよ……でもあの人にはどこでも味なんて関係なさそうだけどね。店の定休日にはコンビニのケーキを十個でもいいんだから」
「あの人ってもしかして旦那さんのお姉さん?」
美里はるりかの容姿を思い浮かべた。確かに甘党っぽくは見える。
「そう」
美奈子は嫌そうな顔をしてまたため息をついた。
「毎日十個も食べるの?」
「ええ、そうよ。その為に美里にあの店で働けって言うんだもん」
「え? 本当? お義姉さんがあなたの働く場所まで決めるの?」
「そうなの。でも、まあ私も働く場所としては文句ないのよ。いい店よ。ケーキも安くしてもらえるし。余ったのはもらえるしね。ケーキをたくさん持って帰ると義姉の機嫌もいいし。それに一日中家にいて、あの人と顔を合わせてたら気が滅入っちゃうし。外で働く方がましよ」
「確かに、気分転換になるわね。私も早く仕事みつけなくっちゃ」
と美里が言うと、美奈子は目を輝かせて美里を見た。
「ねえ、美里さん、あなたもまだ仕事が決まらないなら、バイトしない? うちの店で」
「ええ? ケーキ屋さんで?」
「そう、一人やめちゃってね、募集してるの。早く決まらないと困るんだ」
「そんなに忙しいの? 私、飲食系で働いたことないからなぁ」
「そうじゃないのよ。お店の仕事は簡単よ。働いてる人はみんないい人ばかりだし。オーナーもとっても優しいし、それにね、格好いいの」
「へえ」
「ね、お願い」
「え……」
「一日三時間からでいいの、ね?」
美里は歩みを止めて美奈子を見た。
「何かわけありなの?」
「……」
美奈子は美里から視線を外して、うつむいた。
「うん……誰にも言わないでくれる?」
と言った。誰にも言われたくない事は言わないほうがいいんじゃない、と思ったが、美里はうなずいた。もっともこの町にはまだ美奈子くらいしかしゃべる友達もいない美里だった。美奈子は、
「お義姉さんがね……あの店で働きたがってるの」
と衝撃的な発言をした。
「あら……そう」
とだけ答えたが、それはちょっと無理なんじゃない、とも思った。
「ね? 美里さんも無理だと思うでしょ?」
「そ、そんな事ないんじゃない……」
美奈子はきっと美里を見た。
「そんな事あるって美里さんの顔に書いてあるわよ……」
「あ、あら」
「どっから見たって無理でしょ? 分かってないのは義姉とお姑さんくらいよ。バイトに空きが出たらすぐに教えるように言われてるの。でも絶対無理。雇ってもらえっこない」
「でも……もう少し身綺麗にしたらどうなの? 体型はともかく、清潔感あふれる服装と髪型とお化粧で……なんとか……」
「無理よ。あの妖怪」
「み、美奈子さん、そんなばっさりと……」
美里は吹き出してしまった。
「それに、それだけじゃないの。あの人がうちで働きたがってるのは、オーナー目当てなの」
「オーナー?」
「うん、うちのオーナー、ちょっといい男なんだ。店もうまくいってるしね。いわゆる青年実業家でしょ。だからお義姉さんの結婚相手にふさわしいんだって」
「ふさわしいって……」
「美里さんもそこつっこむでしょ? どれだけ上から目線なのよって。いろいろやらかしてさ、義姉はあの店に出入禁止にされてるのよ? それなのに私に仲を取り持てっていうのよ?」
「出入禁止って……」
「そうなのよ。全く恥ずかしいったら。あのショッピングセンターの土地、元は主人のお祖父さんの土地でね。あっちこっちに知り合いとかいるじゃない? オーナーにお義姉との見合いとか持ち込んだりしてるらしいんだけど、もちろんオーナーはいっさい無視。当然よ」
「へえ……そんな話、実際にあるんだぁ」
美里はお気楽に笑ったが、美奈子は肩をすくめた。
「でも義姉はあきらめない。バイトの空きがでる度に応募するけど、当然断られる。でもしつこくバイトの空きが出るのを待ってる。若い子がつとめると横やりを入れて自分からやめるようにしたりもするから……人手不足なの。ケーキはおいしいし、喫茶部の方もはやってるんだけど、なかなかバイトが見つからないの」
「大変ねえ」
「そう、だからお願い! ね、うちでバイトしない?」
美奈子は両手を合わせて美里に頭を下げた。
「そうねえ、面白そうだから応募してもいいわ。でも雇ってもらえるかどうか、経験ないし」
「大丈夫!」
と言うと、美奈子は早速バッグから携帯電話を取りだした。
「もしもし! オーナー、酒井です。はい、バイト希望の人がいて……私の友達で、はい、名前は西条美里さん……二十六歳です。はい……」
ここで美奈子は美里を振りかえって、「明日、面接大丈夫?」と小声で聞いた。美里がうなずくと、
「はい、大丈夫です。分かりました……はい、失礼します!」
と電話を切った。
「よかった~~、美里さんとなら楽しく働けそうだわ!」
と美奈子は笑顔になった。
「本当、楽しみだわ。雇ってもらえればいいけど」
と美里は答えた。
美里がバイトに通れば、あの妖怪……いや、るりかは美里に何か仕掛けてくるだろうか。美里は密かにそれが楽しみだ。るりかが期待を裏切らないでくれればいいのに、とその夜、美里はわくわくしてなかなか眠れなかった。
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