第3話

「あら、すてきなポーチね。真っ白」

 大家の若奥様である美奈子が声をかけてきたので、美里はポーチを持ち上げて見せた。

「そうでしょ? フェイクファーなんだけど、安い生地を見つけたから作ったんです。手縫いだから縫い目ががたがたで、よく見たら恥ずかしいんだけど」

 と答えた。

「あら、手作りなんてすごいわ」

 美奈子はポーチを触ってなでた。ふわふわの毛がよい手触りだ。

「でも、安物だから変な臭いがするでしょ? 外国から入ってきた安い布かも」

 と美里が言うと、美奈子はふんふんと匂うような素振りをしてから、

「そう? そんなに感じないけど」

「私、臭い駄目なんですよね。せっかく作ったんだけど、もう捨てようかなってレベル」

「あら、捨てるなんてもったいないわ」

「じゃあ、美奈子さん、いる? いらないでしょう?」

「あら、いるわ。もらえるの? いいの?」

「ええ、臭い、気にならないの? よかったら、小銭入れもあるけど」 

 美里はポーチの中から、がま口をぬいつけた小銭入れを出して見せた。

「あら、可愛い、いいの?」

 美奈子がうれしそうに二つを受け取ったので、美里は苦労が報われたような気がした。

 だって、皮をはぐのも、綺麗になめすのも結構大変だったのだから。

 美里達はその時、大家宅の玄関前で立ち話をしていた。

 美里は興味のなくなったポーチを誰かに押しつけようと相手を探していたのだ。たまたま美奈子が玄関から出てきて、うまい具合にポーチの話題になった。

 美里は無職で、毎日アパートの部屋でごろごろしている。家賃の滞納などはしないが、やはり無職というのは世間体が悪い。その上、愛想もない人間だったら誰だって警戒するだろう。なるべく、大家や美奈子には愛想よくしているつもりだ。

 無職の内訳は恋人と別れて、会社も辞めて心機一転するつもりでこの町へ来た。ここで仕事を見つける予定だ、という風な事を美奈子にそれとなく伝えているので、大家の耳にも入っているだろう。結婚するつもりだった恋人と別れて会社も退職、というのが彼女達の中では、婚約者の浮気、相手は会社内の若い新卒の女の子、そして古株の美里は彼女に負け捨てられた、という風に変換されているらしい。それで、美里の事情に興味津々で、美奈子は何かと声をかけてくる。野菜をもらったりする時もあるし、おかずを分けてくれる時もある。入居して二週間だが、すっかり仲良くなっている。

 美里がこの街に来たのは失恋のせいでも、退職のせいでもないが、好きなように想像して楽しんでくれればそれでいい。

「ちょっと、邪魔よ!」

 野太い声がした。美里は慌てて振りかえった。コンビニの袋を持った女がいた。

「るりかさん、お帰りなさい」

 と美奈子が言った。

「ふん」

 るりか嬢は美里と美奈子をにらんで玄関の中へ入っていった。

 美里は驚いて声が出なかった。

 あんなに太っている人間がいるんだ。一瞬、相撲取りかと思ったが、よく見ると女だった。無意味にのばした髪の毛は腰まである。ブラシを入れているのか、ごわごわしてくしゃくしゃだ。胸よりも腹が出ているし、ノーブラだという事が一目で分かる。毛玉だらけのTシャツの下のほうで大きな乳首が透けて見えるのだ。膝に穴のあいたジャージはどう見ても学生時代の体操服だ。分厚いたらこ唇に、浅黒い肌は月面よりもごつごつしている。目だけは小さく、引っ込んでいるが、銀縁の眼鏡のガラスにひびが入っているのにも驚いた。

「ご家族?」

 どうしてもどうしても好奇心に負けて聞いた。美奈子は恥ずかしそうに頷いた。

「旦那の姉なの」

「あら、そう」

「恥ずかしいんだけどニートってやつでね」

「ああ」

「働かなくてもいいと言われて育ったから……」

「ああ」

 確かに大家はアパートの家賃収入と他にも土地持ちだと聞いたし、貸しビルもしてるらしいので、お嬢様は働かなくてもいいのだろう。

「お嬢様なんだ。うらやましいわ」

 と美里が言うと、

「全くね。あんなお姉さんがついてるなんて聞いてなかったわ」

 と美奈子が少し馬鹿にしたような感じで答えた。

「美奈子はいつご結婚されたの?」

「去年」

「あら、まだ新婚さんなのね」

「でも同居だし」

「いいじゃない。こんな大きな家なんだもの。探して歩かなきゃ、人に会えないでしょ?」

「あははは、美里さんて面白いのね。探して歩くは大げさよ。大舅に大姑、舅に姑、そしてあの小姑がいるのよ。いくら大きな家でも、あちこちに人がいるわ。大きな家に嫁いで贅沢だって皆は言うけどね。最初くらいは二人で暮らしたかったわ。それなりに夢があるじゃない?」

「愚痴くらいなら聞くわよ。暇だから」

「ありがとう。仕事どう? 見つかりそう?」

 美里は肩をすくめた。

「駄目ね。ハローワークにも日参してるんだけど、なかなか。まあ、贅沢は言えないから。どこかで妥協しなくちゃね」

「そうね」

 ふと会話が途切れた瞬間に、玄関のドアががちゃっと開いて、るりかの声がした。扉から半分だけ顔を出して、こちらをにらんでいる。

「ちょっと! 美奈子! お腹がすいたって言ってるじゃない! 何か作りなさいよ!」

 美奈子は恥ずかしそうな顔で美里を見て、

「じゃあ」

 と言った。美奈子が家へ入ろうと体の向きを変えた時、

「あんた! 何持ってんのよ!」

 巨体の割に素早い動作で美奈子の手からファーのポーチを奪い取った。

「あ、それは!」

「もらったげるわ」

「それは美里さんにいただいたものだから……返してください」

 るりかは美里をじろっと睨んでから、

「こいつは財産目当ての卑しい女だから、相手にしない方がいいわよ。それとも、あんたも何かおこぼれでももらおうと思ってんの?」

 と言った。

 すぐにうまい返しが思いつかないのは悔しい事だ。しかしるりかのような女は次々に人を傷つける言葉が流れ出てくるらしい。

 美里がため息をついて、

「美奈子さん、まだ布は残ってるからまた作ってくるわ」

 と言うと、美奈子は半泣きのような顔で、

「ごめんなさい」

 と小声で言った。るりかはふんっと唸ってから奥へ消えた。

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