第17話
この街に引っ越してきたのは夏の初めだったのに、決行に至る時にはクリスマスも直前の寒い冬になっていた。美里は変わらず、チョコレート・ハウスの喫茶部でコーヒーとケーキを運んでいる。美奈子はいつまでも帰らないるりかの事でお姑さんと険悪になっていたらしいが、美奈子の妊娠が分かったので次の溺愛するターゲットを見つけた姑と別の意味で揉めているらしい。
藤堂も相変わらず美里を口説き、クリスマスにはディナーの約束もした。
クリスマスは特別だから、特別な客に大盤振る舞いをしたいだろう。だから笹本は高価な値で引き取ってくれるに違いないと皮算用をして、決行はクリスマス前にした。
チョコレート・ハウスも他のケーキ屋と同様、十二月に入るとめちゃくちゃ忙しい。
クリスマスケーキの予約が次々と入るのだ。店先でも売らなければならないし、その準備の手配に藤堂は寝る暇もなさそうだった。
クリスマスソングが街で流れると何故だが気ぜわしくなり、意味もなく足早になる人が多い。クリスマスもそうだが、お正月の準備も始まる。
藤堂が美里を口説く暇もなく、閉店後のお茶会もする時間がなくなった頃、美里は選びに選んだ道具を持って、街へ出る。
あと一週間でクリスマスイブという週末。念入りに化粧をして、ウイッグをかぶり、ちょっとばかり身体の線を露出した服を着る。がらがらと小型のスーツケースをひきずりながら、美里は市長の息子がたむろしている店へ入った。
クラブと呼ばれているが、さびれた店だった。
店内は暗く、派手な音響が鳴っていて、やたらとカラーのライトがくるくると回っていたが、客は少ない。確かに正常な人間なら市長の息子が出入りする店へなんか来ないだろう。市長の息子はちょっとイケメンだった。テレビに出ている若いアイドルのようだった。
甘いマスクに舌っ足らずなしゃべり方。みるからに頭は悪そうだが、センスのよい服を着ている。いかにも金持ちのような感じがする。
驚いたのはその周囲にいたのが新井だった事だ。新井は見るからに市長の息子の手下で使いっ走りのような存在だった。息子が煙草をくわえると急いで火をつけ、グラスが空くと慌てて代わりをもらいに走る。犬みたい。
新井は市長の息子の機嫌取りに忙しく、美里には気がつかなかった。
市長の息子が美里に声をかけ同じテーブルに加わっても、新井は市長の息子しか見ていなかった。
「そのスーツケース、何が入ってんの?」
と聞かれ、
「着替えよ。あたし、今プチ家出中なんだ」
と答える。
「へえ」
市長の息子が舌なめずりをした。
その舌をよく磨いだキッチンバサミでちょんぎってやったら気持ちいいだろうな、と思った。笹本さんならタンシチューにするのかしら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます