第3話 復讐の剣は血に濡れない

 金属のぶつかり合う音が、ハワード家の屋敷の庭で響く。


「イメルダ、もっと足のステップを素早く」


 ここは庭と兼用している、屋外訓練場だ。騎士の家系であるハワード家は普段ここで剣の鍛錬を行う。


「飛び跳ねたり、一歩で大きく移動しようとすると隙ができるぞっ」


「はいっ! お父様!」


 イメルダは細い腕で何とか訓練用の片手剣を構えて、父であるハワード家当主、ボザックに剣を打ち込んでいた。


「きゃあ!」


「お嬢様!?」


ボザックが打ち返した剣を、イメルダが剣で受け、その反動で後ろに尻餅をつく。ロイクは慌ててイメルダに駆け寄った。


「大丈夫です。ロイク、ありがとう」


「イメルダは才能があるな。手加減してはいるが、この俺の剣を受けても剣を離さなかった。息子なら立派な騎士になれたのに……さすが俺の娘だ!」


 ボザックは豪快に、がははと笑う。そして、休憩にしようと屋敷へ入っていった。

 ロイクは尻餅をついたイメルダに呆れたように話しかける。


「お嬢様が剣の訓練などして、お怪我でもされたらどうするのですか」


 本来、男爵令嬢であるイメルダは剣の扱いなどは無用だ。

 むしろ執事でイメルダの執事兼、護衛のロイクこそ、普段から鍛錬をつけねばいけないのだ。


 勿論、ロイクにはイメルダが剣の鍛錬をする理由も分かっているが。


「復讐のため、弱い自分を捨てる為です。怪我の一つや二つ。構いません。わたくしの手で、あの女を殺す……」


 そう言ってイメルダは剣を握りしめ、一人で立ち上がった。


「お嬢様……復讐などどうかお辞めください。私は……」


 そこまで言い掛けて、イメルダの母であるマリアが鬼気迫った様子で、駆け寄ってきている事に気がつく。


「イメルダ! どういう事です? 剣の訓練など、女の子のする事ではありません!」


 母マリアは、イメルダそっくりの顔立ちで美しい金髪の女性だ。


「さぁ、剣など置いて。お母様とピアノのレッスンをしましょう」


 マリアは、全く仕方のない子、と慈愛の眼差しでイメルダを見つめて優しく語りかける。

 目が吊り上がっているイメルダと違い、マリアは垂れ目で優しい印象の女性である。


「お母様……わたくしの好きにさせて。どうか邪魔しないで」


 そう言って、イメルダはマリアを見つめた。イメルダの目が怪しく光り、黒いオーラが一瞬イメルダから放たれる。


「……わかったわ。頑張りなさい」


 先程までの気迫はなく、あっさりマリアは屋敷へ引き返していった。

 ロイクは一体何が起こったのか、疑問を浮かべる。しかし、思い当たる事があったので、すぐにイメルダに問いかけた。


「もしかして人を惑わす力とやらでしょうか?」


 イメルダが処刑時に、人を惑わす力と言っていた事をロイクは思い出す。


「そうです。この力を使えば、あの女も……おーっホッホッホ!!」


 そう黒い笑顔を浮かべてイメルダは高笑いした。


 それからイメルダは、毎日剣の鍛錬に励む。ロイクも負けじと鍛錬に励んだが、剣の才能溢れたイメルダに追いつかれつつあるのを自覚した。


 情け無い、お嬢様をお守りすると誓ったこの剣。それなのにお嬢様に剣を習わせる等、執事失格ではないか。そうロイクは釈然としない気持ちでいた。



 雷が鳴り、雨が激しく降る朝。イメルダはいつもの様に朝食を終えて、自室で紅茶を飲んでいた。


「ロイク、少し天気が悪いけれど。本日あれを決行します」


 イメルダはロイクにそう告げ、持っていたカップをテーブルの上に置いた。


 六月の今日。王都とイメルダとロイクの住むガザル領の、境目辺りにある廃教会に聖女セイラが召喚されるそうだ。


 イメルダは今日、聖女セイラを殺すつもりだった。


「き、今日は……天気も悪いですし、お辞めになった方が……」


 ロイクはカップを片付けながら窓を見る。

 一瞬窓から見える雲が光り、直後雷が落ちる轟音が鳴り響いた。


「ほう……そうですか。ではわたくし一人で参ります。剣の腕も、ロイクよりも上達していますもの。貴方はそこで、雷に怯えて待っているがいいわ」


 彼女はそう言って今日着る予定の、乗馬服をクローゼットから取り出す。

 それを見て慌ててロイクは立ち上がる。お嬢様に支度をさせるなど、執事にあってはならない。


「あああ! 準備は私が……いえ、お嬢様がやはり心配でございます。ロイクもお供させてください」


 処刑台に送るのに、どうせ何か証拠が必要なのだ。聖女殺しなど、例え未遂でも極刑。


 自分が国王に申し伝えれば、すぐにこの悪女は処されるだろう。そうロイクは思い、不本意ながらイメルダに着いていく事にした。


 聖女が召喚されるという廃教会の近くまで、ロイクとイメルダは馬を走らせる。

 廃教会の近くには自然豊かな森があり、普段なら狐狩りなどを楽しむスポットだ。


 しかし、今日は大雨。日が差し込めば散歩に最適な森も、今日は暗く鬱蒼としている。

 地面はぬかるみ、乗ってきた馬も走らせるのに苦労した。


 この大雨で、外出など屋敷の者に知られたら止められるだろう。しかし、イメルダは屋敷の者全員に術をかけた。今日は一日部屋に閉じこもるから、私を探すなと。


 そして移動中は顔を見られないように、防水のローブを頭から被り、堂々と屋敷から町に出て廃教会まで来たのであった。


 教会の白い壁は蔦がからみ、鉄製の扉まで這っていた。

 扉には大きな錠前がかかっている。それを見て、イメルダは馬を再び蹴って歩かせた。


「ここからは中に入れそうにないわ」


「お嬢様の黒魔法とやらでは壊せないのですか?」


 処刑の時のギロチンを破壊した光景を、ロイクは思い出しながらイメルダに聞いた。


「それがね、あの時はなぜ壊せたか分からないのよ。わたくし、破壊魔法は残念ながら使いこなせないみたい」


 イメルダは残念そうに呟く。それを聞きロイクは別の方法を提案した。


「それでは裏口がないか、回り込んでみましょう」


 森に半分食い込むように建つ教会をぐるりと周る。建物の裏側までくると、裏側の壁が壊れて、中が剥き出しの状態であることに気がついた。


 激しい雨音で先程は聞こえなかったが、何やら話し声が聞こえる。


「やめて! 離して!」


「おい、抵抗するな、痛いことはイヤだろぉ? オレと楽しもうぜぇ!」


「いやぁ! 誰かぁ!!」


 その声を聞き、イメルダは急いで馬を降りて近くの木に結ぶ。


「何やら様子が変です、行きますよ」


「ああ、お嬢様! ロイクより先に行っては危険でございます!!」


 ロイクの静止も聞かずに、イメルダは壁の穴から教会の中へ入ろうとしている。ロイクも慌てて同じように馬から降りて追いかける。


 イメルダとロイクが教会の中を見ると、山賊のような柄の悪い男が女性に覆い被さっていた。


 イメルダはその下劣な光景に、激昂して言った。


「貴様、何をしている!? 今すぐその女性から離れなさい、殺すわよ!!」


 そのまま腰にぶら下げた、聖女を殺す為の物だった剣を抜き、イメルダは男に斬りかかる。


「ヒィ!! クソっ、ついてねぇ」


 男は斬りかかってきたイメルダの剣を、地面を転がって避ける。剣が空振り、ヒュンと空気を切り裂く音が鳴った。


「貴女! 怪我は?」


 そう言ってイメルダが女性を見ると、女性は起き上がって泣きながら呟く。


「ふええん!! 怖かったですぅ……」


 イメルダは固まった。目の前に泥で汚れた聖女セイラが泣いていたからだ。


 まさか、わたくしがこの憎き悪女セイラを……助けてしまったというの?


 イメルダがセイラに気を取られている隙を着いて、セイラを襲っていた男は刃渡りの長いナイフを取り出してイメルダに斬りかかる。


「死ねぇ!! おらああぁぁ……あ……」


 イメルダが男に気がついた時、ナイフがイメルダのすぐ側まで自分に向けられていた。しかし男は血を口から吹き出して床に倒れてしまう。


「お嬢様、やはり実践は私の方が上ですね」


 ロイクが顔と眼鏡に付いた血をハンカチで拭いながら、イメルダに言う。


 イメルダは状況をやっと飲み込み、ロイクが背後から男を剣で刺し殺していた事に気が付いた。


「……なっ! 仕方ないでしょう、だって……」


 そう顔を赤らめながら言って、イメルダは未だ泣き続けるセイラを見る。

 暗がりで見えなかったとはいえ、憎きこの女を助けてしまうなんて。


「ありがとうございますううう! 命の恩人さまぁー好き!」


 そう言ってセイラはイメルダに抱きつく。

 相変わらず言動は変、行動も謎な女だ。イメルダはそう困惑しながら、殺し方なんとか考える。


 そうだ、あれを使えばいい。イメルダは自分の手を汚さずにセイラを殺す方法を思いつき、邪悪な笑みを浮かべる。


「ねえ、貴女」


 イメルダは抱きつくセイラを剥がし、持っていた剣の持ち手を差し出す。


「ふぇ?」


 ロイクはイメルダの邪悪な笑みに気がつき、慌てた。イメルダはセイラを殺す気だ、止めなければ。


 しかし、ロイクがイメルダに向かって走り出す前に、イメルダは怪しく赤い目を光らせる。


「セイラ、自害しなさい」


 その瞬間、ピカッと辺りが光に包まれ、ほぼ同時に雷の轟音が鳴り響く。

 そして直後にイメルダから黒いオーラが出てセイラが包まれた。


 ロイクは呆然とする。ついにやってしまった。お嬢様は、何の罪もない人を殺したのだ。


「きゃあああん! 雷怖いよおおぅ! ここどこぉ? お家帰りたいよおぅ!」


 セイラはイメルダに差し出された剣を取らなかった。それどころかくねくねと体を振り、甘ったるい声で叫んでいる。


「……そんな……? わたくしの術が効かないというの? セイラ、死になさい!!」


 また雷が鳴り響いた。状況は変わらない。

 イメルダは、意気消沈して持っていた剣を落とした。カランと音が鳴り、割れた石の床に剣が落ちる。


 セイラは、今度は穴が空いた壁近くに立ち尽くすロイクに近づき話し出す。


「あたしぃ、気がついたらここにいて……本当は東京っていうところにいたんですよぉ。ここ外国ですかぁ?」


「は、はぁ。ここはアーステイル王国のガザル領地……あっこの音は……」


 ロイクはセイラとの会話を途中で切り、雨音に混じって、沢山の馬の足音が近づいている事に気がつく。


 ロイクは慌てて放心しているイメルダに声をかけた。


「お嬢様……!」


 しかしロイクの声はイメルダの耳には届かないようだった。


 イメルダは以前聖女について調べた、本の内容を思い出していた。

 聖女は聖なる加護により、魔法やその他の術が効かないとされる。


 どうやら本当の事だったようだ――。


「いたぞ、聖女様だ! ……あれ? イメルダ!? こんな所で何をしている??」


ロイクがもう一度イメルダに声をかけた時には、騎士団長であるイメルダの父ボザックが、沢山の騎士を連れて廃教会の周りを囲んでいた。

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