第6話 いつかシュトレンをあなたと食べたい-前編

 甘い匂いが漂うキッチンの隣の部屋に、ロイクはソファに座ってイメルダお嬢様を待っていた。


 キッチンからお嬢様のシュトレンを作りたいと言う声が聴こえ、ロイクは神妙な面持ちになる。


「シュトレンを食べられるのは嬉しいですが……」


 シュトレンはロイクの好物だが、苦々しい思い出があるのだ――



 十二月某日。町はクリスマスのムード一色で、あちらこちらにクリスマスツリーやクリスマスリースが飾られている。


 この町で一番有名で高級なケーキ屋「木の帽子」の店主は店の中で慌ただしく動き回る。客からのシュトレンの注文を捌き、電話をかけて急ぎ配達を手配する。


 少し待てば配達員が来たようで、勢い良く店のドアが開いた。


「こんにちは。配達員のロイクです。お荷物を受け取りにまいりました」


 店主は背丈の小さな少年が入り口でお辞儀をしたのを見て、がっかりする。

 こんな小さな子どもに、お貴族様へ配達を任せなければいけないのかと。


「こんにちは。君しか空いていなかったのかな? 貴族様のお家にシュトレンの配達なんだけど、失礼のない様に頼むよ」


 若い配達員がきた事で不機嫌な店主を、ロイクは気にしないように返事をする。


「分かっています。お任せください」


 店主からクリスマスツリーとスノウマンが描かれた可愛らしい紙袋を、ロイクは受け取った。


 ケーキ屋エドワードを出てロイクは渡されたメモを元に配達に向かう。


 ハワード男爵家 ガザル領ノーツィ16番街1号 マリア様へ (シュトレン1、半分だけカット済み)とメモに書かれている。


「うう……寒い。配達場所はあのでかいお屋敷かぁ」


 エドワード男爵のお屋敷は町の中央に近い所にある。当主は騎士団の副隊長で、戦争で大きく活躍しているらしい。


 外は道に薄っすら雪が積もり、風が冷たく吹いている。風避けと近道も兼ねて、ロイクは店と店の間の裏路地には入る。


 裏路地は人気がなく、風も吹いてこない。先程は感じなかったが、紙袋から甘い誘惑の香りが漂ってくる。


「ううん。なんて美味しそうな匂い……」


 ロイクはシュトレンが大好物だ。

 しかもケーキ屋「木の帽子」の王室でも食べられるという、シュトレンならなおさら食べてみたい。


 こんなに美味しい物を食べる貴族とは、何と羨ましい生活をしているのだろう。そうロイクは羨む。


「今なら、誰も見ていないし……」


 ロイクは誘惑に負けて、箱をそっと開き端から二番目の小さな一切れを口に運んだ。


「んん……! おいしい!」


 盗み食べたシュトレンは、甘くて心にずしりと何かが刺さる味だった。


 中にはドライフルーツやナッツがたっぷり入っている。それがかみごたえの生地と合わさり、とても美味しかった。


 ロイクは食べ終わると、急いで包みを元に戻し、袋に綺麗に入れ直す。

 そして配達先へと急いだ。


 ハワード男爵家のお屋敷に着き、ロイクは鉄の門を潜り抜けて玄関まで入る。

 貴族のお屋敷というだけあり、値段の高そうな絵画や彫刻が玄関に置かれていた。


「配達ご苦労様です、こちら代金ね」


 ロイクは入り口付近で掃除をしていたメイドに紙袋を渡して、代わりに配達料金を受け取る。


「確かに受け取りました」


 そう返事をしてロイクはお金を斜めがけの小さなカバンに入れ、屋敷から出ようとした所でメイドは紙袋の中身を確認して呟いた。


「あら……? 包みが開いているわ」


 ロイクはサッと血の気が引いていくのを感じた。


――盗み食いが見つかった――


 ロイクは玄関のドアを素早く閉めて、走って逃げた。


 何故あんな愚かな事をしたのだろう。しかし後悔しても遅かった。ロイクは屋敷の外に出てすぐに、鎧を着た屈強な騎士に捕まってしまったのだった。



 ハワード家の屋敷の玄関とは、反対に回り込んだ場所にロイクはいた。


 どうやらここは騎士達が訓練をする場所らしい。その場にいる甲冑を着た騎士達はロイクを蔑んだ目つきで睨んで囲んでいた。


 先程ロイクは騎士に腕を引っ張られ、体を引きずる様に連れて来られた。そのため、ロイクは引っ張られた腕が痛かった。


「お前、ウチの家の物を盗み食いしたらしいな」


 ロイクの腕を掴んでいる金髪の騎士は、この家の人らしい。


「違います、やっていません!」


 勿論嘘だが、正直に答えようものならば、この身に何が起こるか。考えただけでロイクは縮み上がる。

 平民の僕が、貴族様の物を盗むなんて……ロイクは斬り殺されても文句は言えない。


「包みが開いていたのだぞ? 我々貴族も利用する店があんなミスをするわけない」


 ロイクを見る騎士の目は冷たく、自分の腕を掴む反対の手で剣を取ろうとしている。


「なぁ、少年。泥棒はどういう罰が与えられるか知っているか?」


 騎士はロイクの腕を勢いよく引っ張り、腕を前に突き出させる様にすると、握っていた剣を抜いた。


 それが腕を切り落とそうとしている事だとロイクは理解する。


「辞めて! 嫌だ……お許しください!! 弁償いたしますから、どうか!!」



 腕を切り落とされたら、配達の仕事ができなくなってしまう。必死にロイクが懇願するが、無情にも騎士は剣を振りかぶる。


 もうダメだ――!


「バレンお兄様、どうかされまして?」


 ロイクが目を瞑り、罰が与えられる直前。

 か細い声で騎士が呼ばれ、騎士は慌てて剣を下ろす。


 ロイクが声の主を見ると、随分とたくさん服を着込んだ金髪の少女が立っている。

 少女はぶかぶかのドレスと何枚ものコートを着込んで、寒そうに震えていた。


「イ、イメルダじゃないか。配達屋のこいつが、我が家のシュトレンを盗み食べたのだ! ……分かったら、お前は病気なのだから早く屋敷に戻りなさい」


 バレンはイメルダと呼んだ少女にそう言うが、少女は虚ろな目でロイクを見ているだけだ。


「……そうだ、これから兄様とシュトレンでも食べようじゃないか。イメルダはもっと沢山食べないといけないぞ!」


 バレンが笑ってイメルダに話しかける。

 しかしイメルダはバレンの言葉が気に入らなかったのか、釣り上がった目で睨みつけていた。


「シュトレンの包みが開いていた事でしたら、わたくしよ。さっき運動中にその子に会った時に食べたの」


 イメルダはそう言って片手で服の袖を摘んで、反対側の腕をバレンに差し出した。


 ロイクは驚いた。よく見れば彼女の頬はげっそりこけている。更に驚いたのは、彼女の腕は骨と皮しかなく異常に細かった事だ。


「その子、離してあげて。代わりにわたくしの腕を切り落として頂戴。ふふ、体重はどれだけ軽くなるかしら」


 そう言って口元だけの笑みを浮かべながら、イメルダはどんどん騎士に近づいてきた。


「い、イメルダ。兄様が悪かった……頼むからそんな事言わないでおくれ。俺、母上に叱られる!」


 バレンはイメルダの圧をかけるような振る舞いに動揺しているようだった。


「イメルダ! 見つけたわよ」


 突如済んだ声が響き、イメルダによく似た女性が走ってやって来た。


「ああ、また外に出ていたのね! お願いだからお医者様に言われた通り、寝ていて頂戴……!」


 そう言って女性はイメルダを抱きしめた。


「お母様、わたくし先程勝手にシュトレンを食べましたの。それが悪い事だったようですわ。あの子がやったのではないの。わたくし、お兄様に腕を切り落とされる罰を受けないと」


 イメルダはそう言った後、剣を握り、ロイクの腕を掴むバレンを指さした。


 イメルダの母は場の状況を見て、何が行われようとしていたのかを察したようだった。

 そして、垂れた目を釣り上げバレンに近づき、先程の澄んだ声とは違う恐ろしい声で話し出した。


「お前達騎士ともあろう者が……鍛錬を怠り子どもの腕を切り落とそうとするとは何事です?」


 それを聞き、ロイクの腕を慌ててバレンは離す。その他の周りの騎士も震え上がった様に顔を青ざめている。


バレンはイメルダが庇い立てしたが、シュトレンは明らかにこの少年が食べた。罰を与えるに相応しいと、イメルダの母に反論したのだが――


「黙りなさい!!」


 パアンッと乾いた音が鳴る。イメルダの母は騎士の顔を思い切りひっぱたいていた。

 顔を叩かれた騎士はよろめき、口の中が切れたのか唇から血が垂れている。


「シュトレンはこの母が注文したもの。この子が、やっていないと言うのならわたくしは信じましょう。まさか、お前は自らの判断のみで罰を与えようとしたのですか?」


「ももも、申し訳ございません、母上……」


 自分が間違っていると判断したのか、この女性に逆らってはいけないと感じたのかは分からないが、バレンは非を認める。


「鍛錬を怠った事は遠征から帰ってきた父上に言いつけます。きつい修正を貰いなさい」


 そう言って、マリアはロイクの手を取り引いて優しく話しかける。


「ぼうや、お名前は? わたくしはマリア。この家の主人の妻です。息子が酷い事をしてごめんなさいね」


「ロイクです、あの……」


 ロイクは自責の念に駆られており、今すぐここから逃げ出したかった。シュトレンを盗み食べたのはロイクなのだ。

 しかし、マリアはお詫びにお茶をご馳走すると手を引いて歩き出す。

ロイクはイメルダと共に屋敷に連れられてしまった。

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