┗いつかシュトレンをあなたと食べたい-後編

 屋敷に入り、ロイクは暖かい客間の椅子に座らされ、メイドがテーブルの上にお茶を出して去っていくのを黙って見ていた。


 マリアはロイクの目の前にシュトレンを置く。

 隣に座っているイメルダの目の前には置かれていない。


「イメルダは先程食べたからいらないわよね」


 そうマリアは言った。


 ロイクはその言葉を聞いて、罪悪感から泣きだしてしまう。

 イメルダの分が自分の所為で無くなってしまったのだ。


「マリア様、あのっ……無くなったシュトレンは、僕がほんとうは食べたのです……」


 ロイクは涙を目から零しながら、途切れ途切れに罪を告白する。

 そして震える手でイメルダの前にシュトレンの皿を置き、ロイクはテーブルの上に腕を置いて、マリアに差し出した。


「ごめんなさい、弁償いたします。そして罰を受けるのは僕です……この腕を……切り落としてください」


 しかし、そんなロイクにマリアは優しく語りかけた。


「ロイク、勇気ある子です。貴方は正直に言えましたね」


 マリアはロイクの腕をそっとテーブルから降ろすと、優しくロイクを抱きしめ囁いた。


「罪を犯したとされる人をすぐに罰するのは、わたくしは反対です。無実であるかもしれない。また、それが被害者に許される事もあります。それならば、大きな罰は必要ないと思うのです。


 マリアの慈悲深い言葉を聞き、ロイクは深く反省した。もう二度とこのような事はしないと。


「わたくしは貴方を許しましょう」


「……っ……マリアさ……ま。ぼくをお許しいただけるのですか……」


 震えながら話すロイクの背中をマリア優しく叩く。


「そして、罰は先程のバレンのように、誰かが勝手に与えてはいけない。貴方もどうか罰を与える事を目的に生きたりはしないでね」


 マリアはロイクから体を離して、ハンカチでロイクの涙を拭った。


「さぁ、そのシュトレンは息子の無礼のお詫びですよ。貴方が食べてね。それに……イメルダは病気で食べられないのよ」


 マリアは最後に涙声でそう言って立ち上がる。イメルダの薬をとってくるとロイクに言って、マリアは部屋から出て行った。


 ロイクは部屋でイメルダと二人きりになってしまい、なんだか落ち着かなかった。


 病気で食べられないとは、どういう意味だろうか。イメルダはどうみても痩せすぎで、今すぐにでも何か食べる必要がある様にしか見えない。


「わたくし、太っているでしょう?」


「へ……?」


 イメルダに突然話しかけられ、その内容にロイクは間抜けな声を出した。


「少し前の貴族の集まりの時に言われたの。お父様にそっくり。肩幅広くて、太って見えるって」


 ロイクが聞いても、それは妬みからくる悪口だとしか思えなかった。

 イメルダは頬が痩せこけてはいるが、少なくとも庶民にはいないようなとても可愛い顔の女の子だったからだ。


「だから食べ物を口にしたくないのです。先程、貴方を運動中に見かけて思わず声をかけましたわ。腕を切り落とされるなんて羨ましいと思ったの」


「羨ま……しい? な、なん……で……」


 イメルダにあまりに自分とはかけ離れた思考を話されて、ロイクの思考はついていけなかった。


「なぜって、体重が軽くなるもの……」


 虚な目で話すイメルダ。ロイクは窓から冷気が入ってきているのかと思い、身震いをした。


「そ、そうですか……。腕がなくなるのは色々不便だと思いますが……少なくとも僕は仕事が出来なくなるし」


 ロイクはとりあえずやんわり否定する。

 もし強く言い返して、イメルダに逆上されて何か事が起きれば……今度こそ僕の腕は無くなるのではと、ロイクは恐れていた。


「……あのね、わたくしはお母様の言う通り病気なの。太るのが怖い病気。わたくしだっておかしい事は分かっているの」


 太るのが怖い病気と聞き、ロイクは何も言えない。


 貴族はさぞ羨ましい生活をしているのかと思えば、こんな風に病気になってしまう子もいるのかと。

 ロイクは不思議に思った。


 ロイクはいつもシュトレンを食べたくてたまらないのに、滅多に食べられない。

 しかしイメルダはいつでも食べられるのに、食べる事をしないのだ。


 彼女が太っていると言われて何も食べられなくなってしまったのを、ロイクは同情した。


「あの、貴女は僕の恩人なので。何か僕にできる事はありますか? お礼をしたいのです」


 とりあえずロイクはイメルダが前向きになれる様に、話題を変える。

 すると、イメルダは自分の目の前に置かれたシュトレンがのった皿を、ロイクの前に細い腕で押し避けた。


「とりあえず、このシュトレンを食べてくれる? わたくしの目の前に食べ物が置かれていると、食べろ。そう言われているようで怖いの」


 棒切れのような細い腕は震えながらイメルダの元に帰っていく。

 彼女はとても辛そうで、ロイクは早く何とかしなければと感じた。


「わかりました」


 一言返事をして、ロイクは急いでシュトレンに齧り付く。味わっている暇などない。

 とにかく目の前の、シュトレンを。イメルダの苦しみを取り除いてあげたい。


 その一心でロイクは硬い食感のシュトレンを急いで咀嚼し、お茶で流し込んで完食した。


「……ふふっ」


 その様子を見て、ロイクの何かがおかしかったのか、イメルダは初めて笑った。もしかして食べ方が下品だっただろうかとロイクは慌てる。


「わたくしに無理矢理食べさせないで、素直に言うこと聞くなんて。貴方、いいわね」


「えっと……あの」


 それが本心なのか、シュトレンが無くなったからなのか。

 とにかく初めて見た彼女の笑顔。ロイクは自分の体が熱くなり、頬が紅潮する感覚を覚える。


 ロイクがイメルダに見とれていると、ドアが開きマリアが戻ってきた。


「ロイク、ケーキ屋と配達会社から連絡があって。今回の事で貴方を解雇するって……」


 ロイクはイメルダに見惚れていたが、マリアの言葉で我に返る。


「そう、ですか。ご迷惑をおかけしてすみませんでした……」


 ああ、明日からの生活はどうしよう。父と母だけの稼ぎでは、ロイクの一家は生活できない。

 ましてや、自分の行いで仕事をクビになった為、次の仕事を見つけるのは難しいかもしれない。


 ロイクは肩を落とし、落ち込んでいた。するとイメルダが、マリアに語りかける。


「お母さま、ロイクをわたくしの召使いにしてあげて」


 ロイクは心臓が飛び跳ねた。僕がこの人の召使い? イメルダからそんな提案をされるとは、ロイクは思ってもいなかった。


「……イメルダ、本気ですか?」


 マリアはイメルダの突然の提案に動揺する。


「先程、ロイクがあまりにも美味しそうにシュトレンを食べたから、それをみて少しだけ何か食べたくなったのです。彼がいたら病気も治るかもしれませんわ。 お願い。ロイク、わたくしを助けてくださらない?」


 それを聞いて、マリアは笑顔になる。そして、ロイクの方を見て問いかけた。


「わたくしからもお願いします、ロイク。うちで働いていただけませんこと?」



――それ以降、ロイクはハワード家で貴族に仕える勉強をしながら働き、イメルダ専用の執事になった。


「ロイク、クッキーが焼き上がりましたよ。お食べなさい!」


 メラン先生の自宅のキッチンのドアが、勢いよく開く。イメルダがソフトに腰かけているロイクの隣に座り、近くのテーブルにクッキーの入った皿を置く。


「恐れ入ります、お嬢様……随分と沢山焼き上がったのですね」


 皿にはさまざまな形のクッキーが山盛りになっていた。

 スパイスがふんだんに入れられているのか、甘い香りに混じって刺激的で独特な匂いもする。


「今日もイメルダお嬢様は、お上手に作られていました」


「先生もそう仰っております通り、美味しいのです! 早くお食べなさい!」


 そう話しながらメラン先生がお茶を持ってきた所で、イメルダに早く食べろと急かされる。


「それでは、いただきます」


 一口サイズのクッキーをロイクが口に入れると、サクッとした軽い食感が口に広がる。


「ぐっ……」


 しかし、強烈なスパイスの香りと、舌先が痺れる感覚にロイクは顔を硬らせた。


「お嬢様ったら、張り切ってスパイスを沢山入れていたから……もしかしたら少しだけ辛いかもしれないです」


 メラン先生は片目を瞑り、眉を下げて申し訳なさそうにロイクに言った。


「それは、それは……」


 ロイクは苦笑した。痺れる舌先を我慢しつつ、ロイクがイメルダを見ると彼女は不敵に笑っていた。


 また何か悪事を企んでいるのだろうとロイクは予想する。例えば、スパイスの味に見せかけた毒入りクッキーとか……。


「イメルダお嬢様もおひとつ味見されては?」


 ロイクははっきり言ってあまり美味しくないクッキーをイメルダに勧めてみた。


「そ、そうね。確認も兼ねて食べてみようかしら」


 イメルダは震える手でクッキーを摘む。彼女の手の震えは、不味いクッキーを食べるからでは無い。


 イメルダは最低限の食事はどうにか取れるが、食べる事が未だに怖いのだ。

 口元にクッキーを少しあてた所で、イメルダはすぐにクッキーを離す。


「――っ! だめ。ごめんなさい……食べられないわ」


 そう言ってイメルダは手に持っていたクッキーをそのままロイクの口に押し込む。


「ああ! お嬢さ……ぐ! ううっー!」


 イメルダの細い指が唇に触れた事、そして彼女の口元に当たったクッキーが自分の口の中に入って来た事にロイクは動揺した。

 しかし、すぐにクッキーの辛さが口の中に広がる。


「か、辛い……」


 ロイクは思わずマイナスな感想を言ってしまう。それを聞いてイメルダは少し悲しそうな表情になった。


「ですが、美味しいです」


 ロイクは慌てて取り成す為そう言って、辛いのを我慢して皿に盛られたクッキーをどんどん食べていく。


「……ロイク、ありがとう」


 そう言って安心したようにイメルダはお茶に口をつけた。


 イメルダの目の前にある食べ物は、彼女にとってつらい物なのだ。だから、お嬢様の執事である自分が片付ける。


 いつか、笑ってお嬢様が何でも食べる事が出来ます様に。


 ロイクは、ありし日のシュトレンの辛い記憶が、いつか自分とお嬢様の素敵な思い出となる事を願った――。


 いつか、あなたとシュトレンを笑って食べられますように。

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