第9話 ケロベロス伯爵公との婚約

 天井に大きなシャンデリアがいくつも並んでいる王宮のダンスホールでは、舞踏会で賑わっている。

 ロイクがイメルダと何度も足を運び見慣れた光景がそこに広がっていた。


 白い大理石の壁と床に反響する重厚なオーケストラの音楽に合わせて、貴族を始めとする招待客はダンスを踊っている。


 今日ここでセイラとザーグベルトの婚約発表が行われる。

 そしてロイクが今見守っている、イメルダとその側にいる40歳くらいの男性との婚約発表も。


「はじめまして。ミス・イメルダ。本日はよろしくお願いいたします」


 ケロベロス伯爵公は前髪を額の上に撫で上げた髪型で、背の高い真面目そうな壮年の男性だった。


「こちらこそ。今回のお話をお受けしていただけて、とても光栄ですわ」


 イメルダは18歳なので、大分歳が離れている。だが、貴族間の結婚でそれは珍しい事ではない。

 二人のように、父と娘ほどの年の差ならまだいい方だろう。


 平民と婚姻を結べない貴族は、貴族同士の結婚を第一として考える。

 その為、中々結婚できない令嬢には、祖父と孫のような都市の差の結婚も執り行われるくらいだ。


「ミス・イメルダ、わたしも光栄です」


 そう言った所でケロベロス伯爵公は、自分に挨拶に来た貴族が近くにいる事に気がつく。

 その人に挨拶するため、イメルダにまた後でと言ってケロベロスは去っていった。


「お優しそうなお方でしたね。これでお嬢様も幸せになれます」


 ケロベロス伯爵は落ち着いた人で、気位の高いイメルダお嬢様と相性が良さそうだ。

 ロイクはそう安心した。


「そう、ね」


 しかし、ロイクが見るにイメルダはどこか不安気だった。

 先程のザーグベルトとの話し合いを終えてから、ずっと落ち込んでいるようだ。


 毒殺に失敗したのがそんなにショックだったのだろうか。

 イメルダは、ザーグベルトに殺す価値は無いと強がっていたが、ロイクは大方食べさせるまでに至らなかったのだと予想した。


「ああ……真っ赤なドレスに身を包む貴女。私の心は焦がれて仕方ない。どうか一曲踊っていただけないでしょうか」


 どこかで聞いた臭い台詞。声のする方をロイクは振り返る。

 そこには小太りで鼻の下に髭が生えた、背の低い男性がイメルダにお辞儀をしていた。


 ああ、そういえば時を遡る前にもこの方には一度会ったなとロイクは思い出す。

 確かエドワード様だ。実業家でアーステイル王国全土に渡って何軒も店を経営しているとか。


「申し訳ございません、お嬢様はお断りしたいと」


 ロイクは、エドワードにさっさと断りを入れた。


「何! 貴様、確認もしとらんだろうが! 男爵御令嬢のイメルダ様! どうか!」


 エドワードはロイクの雑な扱いに腹を立て、無理矢理イメルダの手を取ろうと近づいた。


 ロイクは素早くエドワードの手を持って、思い切り捻ろうとした。

 しかし、その前にイメルダに制止される。


「エドワード殿。わたくし、もうお相手がおりますの。成り上がりの為の結婚相手をお探しでしたら、他をお当たりなさいませ」


 イメルダのあまりにストレートな物言いに、エドワードは顔を真っ赤にして怒る。

 だが貴族相手に揉め事を平民が起こす訳にもいかず、エドワードは少し遠くにいる長身の女性の元へと去っていった。


「静粛に!」


 ホールの演奏が切りよく終わり、次の曲が始まる前に低く威厳のある声がホールに響き渡る。

 ロイクはこの光景も見覚えがあった。だが、イメルダお嬢様の屈辱的な婚約破棄の記憶も蘇る。


 ホールのニ階の正面に立つ、国王とザーグベルト王子をロイクは睨みつけた。


 記憶にある通り、王国の使用人がイメルダを迎えにくる。

 ロイクもそれに一緒に着いて行くと、ホールの二階に案内される。


「これより、我が息子ザーグベルトの婚約発表を執り行う」


 舞踏会ホールは国王の発表で歓声に溢れた。

 なんだか懐かしい光景だ。ロイクは感傷に浸る。


 以前は、これからお嬢様とザーグベルト王子の婚約破棄を告げられた。

 お嬢様が壊れる原因となった光景。


「その前に、もう一つ目出たい知らせを発表しよう」


 だが、今回は違う。今度こそイメルダお嬢様は婚約をして、幸せに結婚するのだ。

 希望溢れた未来を思い、ロイクは目を細める。


「ケロベロス伯爵公とハワード男爵令嬢イメルダは、この度婚約する事となった」


 国王の口からハワード男爵令嬢、と聞いて舞踏会ホールは一瞬静まり返った。

ハワード男爵家ってあの成り上がりのお家でしょ。そんな声まで聞こえてくる。


 しかし、パラパラとまばらに拍手が起こり、観衆はしばらくしてから祝福の意を示した。

 ケロベロス伯爵は身分も血筋も高名である為、祝福しないと報復される。

 そう考えたからだろう。


拍手を受けてから、イメルダとケロベロスは前に出てお辞儀する。


「わたしケロベロスとハワード男爵令嬢イメルダは婚約を宣言しま……」


「ちょっと待ったぁああ!」


 ケロベロス伯爵公が婚約を宣言し終わる寸前、ホールに甘ったるい声響く。

 直後、2階のホールのケロベロス伯爵公の頭上に白く清らかな光が出現する。


その光が消え、空中に聖女セイラが現れた。


 セイラは一瞬空中に対空していたが、すぐに重力で落下し始める。

 そのままケロベロス伯爵公を押し潰すようにして地面にどしん、とセイラは尻餅を着いた。


 ケロベロス伯爵公は、セイラを受け止めた衝撃で床に倒れてしまう。


「はわわ! ごめんなさぁい! あたしったら、瞬間移動魔法とやらをうっかり失敗しちゃいましたぁ!」


 セイラはいつものように奇声を発しながら、ケロベロスの身体から降りた。


 ケロベロスは打った頭を押さえながらなんとか立ち上がる。

 会場の観衆は突然目の前で起こった行動にざわめいた。


「皆のもの! 静粛に! ザーグベルト、来なさい!」


 国王は慌てて場を鎮め、ザーグベルトを呼ぶ。


「少し慌ただしくなったが、彼女はセイラ。なんと聖女がこのアーステイル王国に現れたのだ。セイラはザーグベルトと婚約する」


 セイラは国王から紹介を受けると、不服そうな顔をして話し出す。


「あのぉ、勝手に婚約しないでもらえますぅ?」


 そう言ってセイラは、人差し指以外を握った手を顔の前でリズム良く降り出す。


「チッチッチー。 あたし、運命の人見つけたんですぅ! ケロベロス様ぁ、婚約しましょ!!!」


セイラはあろう事か、イメルダとたった今婚約宣言したケロベロス伯爵公に抱きついて叫んだ。


「は………????」


ロイク、イメルダ、ザーグベルト、国王はセイラのとんでもない行動に絶句する。


「セイラ……わたしも君と運命を感じた……わたしと婚約しよう」


 しかし、セイラに抱きつかれたケロベロス伯爵公だけは、顔が緩み満面の笑顔を見せ応えた。


 ロイクは素早くイメルダに近づく。

 今度こそイメルダが暴れまわって殺戮マシーンと化してはいけない、その前に止めなければ。

 そう考えた為だ。


「ああ……ロイク……わたくし……もう……」


 しかし、イメルダは白目を剥いて気絶してしまった。

 ロイクはそれをそっと受け止める。


 セイラにまたしても婚約者を奪われた事が、余程ショックだったのだろう。


 イメルダを介抱しながら、ロイクが一階の舞踏会ホールに目をやると、人々が大混乱に陥っていた。

 無理もない、婚約宣言が3回も行われたのだ。


「静粛に! 静粛にせんか! ええい!」


 国王は低く唸るが、観衆のどよめきが収まらない。


「とにかく、今日の舞踏会はもうお開きだ! 聖女セイラは少し気分屋でな! 皆も驚いた事であろう。今回の婚約についての発表は全て白紙に戻す、以上!!!」


 国王がそう吠えて、舞踏会は慌ただしく終わる。


 ロイクと倒れたイメルダの目の前で、うっとりと恋人のように見つめ合うセイラとケロベロス伯爵公は、自分達だけの世界にいた。


 また一波乱ありそうだ。


 その光景にロイクは溜息をついて、イメルダを静かに抱き上げて舞踏会ホールを去った。

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