第28話 ロイクにシュトレンを

 イメルダの自室で、小柄なメイドのシラがお茶を注ぐ音が響く。シラは黒髪のツインテールが似合う、幼い印象のメイドだ。


 12月のある朝。暖炉をつけたばかりで、部屋が暖まりきらず寒い。暖かいお茶を注ぐと湯気がイメルダの周りに立ち込めた。

 ロイクの暇の間はシラがイメルダのお付きになっていた。


「お嬢様、お茶が入りました」


 シラは可愛らしくそう言うと、丸いテーブルの側の椅子に腰掛けるイメルダの前にお茶を置く。


「……ありがとう」


 イメルダは無表情でカップに入ったお茶に口をつけた。

 口に入ったお茶の違和感に、イメルダは眉間に皺を寄せる。


 お茶を口に含んだイメルダは、飲み込まずにハンカチを取り出してそれにお茶を吐き出した。


「甘っ……何これ、砂糖が入っているじゃない!?」


 シラはイメルダから言われた言葉に不満そうな顔をすると、イメルダに煩わしそうに言った。


「だって、シラはお嬢様に何か食べさせろと旦那様や奥様に言いつけられておりますから。もう何日もお嬢様はお食事を召し上がりませんもの。せめてお茶に砂糖を入れさせて頂きました」


「あらそう。貴方は気の利くメイドなのね。でもわたくしは何もいらないわ。食べる気にならないもの」


 シラの悪びれることのない態度にイメルダは少し苛立ち、冷たく突き放すようにイメルダは返事をする。


「お嬢様はもう立派なレディーでございますから。お食事をお召し上がりにならない事で、何かの抗議されるのもお辞めください。シラの仕事が増えるだけです」


 シラは拒食傾向にあるイメルダを非難して言い返してきた。

 イメルダは抗議のつもりなど無かったが、確かに拒食をする時は無意識に不満を訴えている事と同じかもしれない。そうイメルダは自嘲した。


 ロイクがイメルダの担当から外されて暫く経つ。もう2週間はロイクの顔を、声を聞いていない。

 早く会いたい。自分の傍にいて欲しいのは、ただ命令を聞く下僕などではない。ただ上辺だけの愛を囁く夫ではない。ロイクが一番自分の事を分かってくれている。


 ロイクであれば、食後のお茶に砂糖を入れるなどの小細工は絶対にしないのに。

 根気よくわたくしの食べられそうなものを少量ずつ皿に乗せて持ってきてくれるのに。


 イメルダは、目の前にいないロイクに思い焦がれた。


 目の前にいるシラから、早く何か食べろという圧力がイメルダは苦しかった。

 イメルダは、逃げる様に食べない言い訳を口に出す。


「……今日、お料理教室があるから。そこで食事をいたします。それでいいでしょう?」


「……はーい。それでいいでぇす」


 シラはイメルダの提案に気怠げに返事をすると、出かける支度をすると部屋から出て行ってしまった。


 今日のお料理教室は、メラン先生と約束していた通り、シュトレンを作る。

 シュトレンはロイクの好物だ。


 そして、今日はロイクが暇を終えて、実家から屋敷に戻ってくる。


 ロイクと会わなくなる直前、イメルダの幸せは貴族の誰かと結婚する事だと、ボザックからの問いにロイクは答えていた。


――違うって知っている癖に。


 イメルダの幸せは、ロイクといる事だ。王子と結婚する事も、歳の離れた胡散臭い男性と結婚する事も、最早どうでもよかった。


 ロイクが側にいれば、イメルダは他の事は諦めが着く。


 ロイクとあんな別れ方をして、今日そのまま会えばお互いに気まずい雰囲気となるだろう。


 でもシュトレンを渡せば、あの時自分を置いて部屋を出ていった罪悪感も和らいで、きっとロイクは喜んでくれる。

 そしていつも通り、ロイクとの日常を過ごせる。そう信じて、イメルダも出かける準備をする為部屋を出た。



 お料理教室を受ける、メラン先生の住む自宅へとイメルダとシラは馬車で向かった。いつものようにメラン先生の自宅でイメルダはメラン先生に出迎えられた。


「お待ちしておりました。お嬢様! あら?」


 メラン先生はイメルダの隣にいる齢15ほどのシラをまじまじと見つめて驚いたように言った。


「今日は執事のロイクさんがご一緒ではないのですね」


「ええ。暇を出しておりますの。シラ、メラン先生にご挨拶なさい」


 イメルダは努めて笑顔で言った。そのつもりだったが、メラン先生はイメルダの顔を見て何かを察したのか、それ以上ロイクの話題は話さなかった。メラン先生の表情はどこか複雑で、目元のなきぼくろと一緒に遠くを見ている様だった。


 気を遣わせてしまったかしら、とイメルダは苦笑する。メラン先生はいつだってわたくしに優しいもの、とイメルダは温かい感情を嚙み締めた。


 玄関をくぐり、イメルダの料理中にいつもロイクが待っている客間へ通される。


「シラさんはこちらでお茶でも飲んでお待ちくださいね」


「かしこまりました。それではお嬢様、お料理頑張ってくださいましー」


 シラは適当な返事をして、ローテーブルの上にあるメラン先生の入れたお茶を見て目を輝かせると、ツインテールを揺らしながらテーブルのそばのソファに近づいた。


 失礼なメイド。だが、素直で可愛らしくもある。イメルダは自分にないものを持っているシラを羨ましく思いつつ、メラン先生の開けるドアをくぐり調理室へと入った。


 調理室の中はいつもより薄暗く、視界が悪い。イメルダは不思議に思い調理室の中を見渡すと、照明が点いていない。窓を見るとカーテンが閉め切られていた。


「お嬢様もお力が目覚められたのですね」


「きゃあ!」


 突然背後から話しかけられ、イメルダは驚き声をあげた。


 慌てて振り返ると、薄暗い調理室に不気味な笑みを浮かべたメラン先生が立っていた。片側の口の端を吊り上げ、目は三日月型に変形している。

 イメルダは優しいメラン先生の普段とは違う表情に困惑したが、平静を装い返事をする。


「驚きましたわ、先生……お力とは一体……」


「あらあら。ごめんねぇ。手間が省けたから嬉しくって……」


「手間とは……どういう……」


「本当は聖女様を使おうと思っていたの。でもあの子変だから、絶望とかしなさそうじゃない?反面、貴女はあの執事にご執心。簡単に堕ちてくれそうだから、魔法に目覚めてくれて本当にありがとう」


 そこまで言うとメラン先生はくっくっと、喉を鳴らして笑った。この笑い方にイメルダは見覚えがあった。

 子供達を誘拐して殺そうとし、それをイメルダが時を遡る前の人生でイメルダに罪を擦り付けた、あのローブの女のものだ。


「メラン先生は……あの悪い魔女ですか? 違いますわよね? だって……いつだってわたくしに優しい先生が……」


 イメルダが動揺していると、身体に重さを感じる。次第に頭の中が真っ暗になり、イメルダはただ目の前の女性の言葉に頷くだけしかできなくなった。


「今日はお料理教室で貴方は張り切りすぎたの。何度もシュトレンを焦がしてしまって。焼き直していたら、帰りが遅くなったの。そのせいでメラン先生の家に泊まったのよね」


 イメルダはメラン先生の言葉に、はいと小さく返事をした。


「じゃあ、事が終わるまではゆっくりと眠りなさい」


「はい……」


「あははは! これで異界に行けるわ! あははははは――っ……笑いが! 止まらないわ!」


 イメルダの傍で不快な高笑う声が響く。しかしイメルダの意識は逆らう事のできない睡魔に襲われ、そのまま落ちていった――――。

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