第29話 運命は収束していく

 ハワード男爵家の屋敷があるガザル領の中心街から離れた田舎道。

道は舗装されておらず、地面が剥き出しで雑草が茂り、所々に大きな石ころが転がっている。


 その道沿いにはおおよそ裕福ではない、平民――正しくは貧民の住まう住居が大きく感覚を開けて立ち並んでいる。


 ロイクは近所に借りた馬小屋で、朝の馬の世話を終えて田舎道を歩き自宅へ入った。

 木の板を簡単に組み合わせて作った、粗末な家の中。そこにはロイクを睨みつける老婆が腰を曲げて立っていた。


「ロイクはいつまで仕事を休んでいるんだい? 早く働いて母さんを養っておくれよ」


 ロイクの母はそう言うと、今にも壊れそうな古い木製の椅子にどっかりと座って酒を飲み始めた。


「今日からまた働きに出ます。ご安心を」


ロイクは母に向かって無機質に返事をして、部屋の隅にある自分の荷物の入った開けっ放しのスーツケースの側に行く。そしてスーツケースをばたんと乱暴に閉じた。


 ロイクの父は日夜ロイクの仕送りで賭博に明け暮れて、殆ど家にはいない。母もまた家のお金は全て酒につぎ込み、酒浸りの日々。ロイクの両親二人はまともに働く事ができない人種であった。


 ロイクは物心ついた時から、自由もなくずっとこの両親に働かせられてきた。


 運良くハワード家の屋敷に住み込みで働く事になった時、ロイクはやっとこの両親、いや自分に集る下劣な存在から解放されたと喜んでいたのだ。


 イメルダと過ごす煌びやかな貴族の世界に浸かっていると、まるでロイクもその世界の一員かのような錯覚に陥った。

 だが、久しぶりにロイクが実家に帰ればその魔法は解けて、この国の平均的な暮らし以下の、本当の世界が待っていた。


 やるせない気持ちのロイクの耳に、ゴンゴンと打音が入る。ロイクが音の方向を向けば、家の入り口の薄いドアが鳴っていた。


 来客かと、ロイクが入り口のドアを開けると手紙の配達だった。


酒を浴びた後、眠りこけた母のいびきを他所にロイクは受け取った手紙を確認する。

 差し出し人は書かれていない。不審に思いながらもロイクは手紙の封を切った。


「これは……お嬢様……っ」


 ロイクは手紙の内容を見て、サッと血の気が引いた。


――イメルダ嬢は我が手中。命が惜しければ、一人で助けに来い。他言すれば、イメルダを殺す――


 ロイクは慌てて腰に剣を差し、眼鏡をかけて家を飛び出る。

 近所の人から借りていた馬小屋から、馬を出すと飛び乗って走らせた。


 馬で駆けながら、ロイクは苛立ちを募らせる。

 屋敷の者は何をしていたのだろう。イメルダお嬢様をお守り出来ないとは。

 自分がお側にいれば、お嬢様を誘拐などさせない。


 ロイクは怒りに任せて馬の手綱を力強く打ち、足で馬の腹部を蹴って馬のスピードを上げる。


 馬に乗ったロイクは、次第に剥き出しの地面の田舎道から、石畳の引かれた道に入った。

 イメルダが捉えられているとされる手紙で指定された場所は、以前ローブの女と対峙した港にある倉庫の近くの工場だった。


 僅かに潮の匂いが風を切るロイクの鼻を抜け、行先の工場が近い事が分かる。


 荷運び用の馬車でも耐えられる、立派な舗装の道へ入り、暫く行くと金属が削られて加工されている様な甲高い音が鳴り響く通りに出た。


「この辺りか……」


 ロイクは思わずそう呟くと、馬から降りて手紙に書いてあった名前の工場を探す。

――早くお嬢様をお助けしなければ。


 ロイクは焦りながら馬を引き、周りを見渡す。すると小さな工場に挟まれた細い路地の様な道を見つけた。手紙に書いてある住所と見比べ、この道の先に目的地の工場があるのだと確信する。


 ロイクは近くの街灯に馬を手早く結ぶと、見つけた細い路地の先へ走った。


 路地を抜けると、錆びた鉄の板が打ち付けられた造りの建物があった。ロイクはその建物の扉を開けて、吠えながら中に入った。


「約束通り一人で来たぞ! イメルダお嬢様はどこだ!」


 昼間の自然光が差し込むだけの暗い工場内にその声は響いた。


 そこは工場というよりは、鍛冶場のようだ。ロイクは注意深く辺りを見回しながら歩いた。


ロイクが通り過ぎた周りには、長く使われていなさそうな埃まみれの鉄床、鉄を溶かす為に使われる朽ちかけの窯が置かれており、その近くには茶色く錆びた鍛冶道具が無造作に転がっている。


 鍛冶場の設備が置かれた先に、黒い布の塊が床にあるのが見えた。ローブの女、魔女か? そうロイクは身構えたが、黒い布の隙間から濃い金の糸が垂れていた。ロイクはそれを見て慌てて近寄る。


「お嬢様!」


 ロイクは屈んで黒いローブをまとった人を抱き起こし、顔を覗けばそれは愛しい人の顔があった。


「お嬢様、ご無事ですか? お嬢様!」


 ロイクが必死に呼びかけると、イメルダは目を開けてロイク、と名前を呼んだ。ロイクはイメルダの意識があることに安堵した。


「ご無事でよかった……すぐにここから出ましょう」


 そう言ってロイクがイメルダを立ち上がらせようとした時、ロイクは違和感を覚えた。ロイクの知っているイメルダは、触れると壊れてしまうのではないかという羽毛のような軽さで、繊細な体付きだ。


 しかし、今自分が起こそうとしている彼女はどうだろうか。彼女はしっかりとした体形で、頑丈そうな骨太の感触がある。


ロイクは再び屈んでイメルダの顔を確認するようにじっと見た。先程はローブのフードに隠れて気がつかなかったが、彼女の目元には黒い点――イメルダにはないはずの泣きぼくろがあった。


「誰だ……お前は……? お嬢様ではないな! お嬢様はどこだ!」


 そう言い放ちロイクがローブを着た女から離れようと後ろに下がると、背中に何かにぶつかった。


「おいおいメラン。もう変装がばれたのか。この役立たずの魔女めが」


 聞き覚えのある男の声がしてロイクが振り向くと、そこには小太りで鼻の下に髭が生えた、背の低い男――舞踏会でイメルダに無理矢理ダンスを要求したエドワードがいた。


 ロイクの横にいるメラン、そして魔女と呼ばれた、イメルダの姿をした女は呆れたようにエドワードに言い返した。


「変装じゃなくて、魔法なのだけれど。醜い豚には違いは分からなかったようね」


 ロイクはローブの女が、イメルダお嬢様を陥れた存在がメラン先生だと知り驚愕する。


「そんな……お嬢様はメラン先生の事をとてもお慕いしていて、なぜ……」


 エドワードとイメルダお嬢様に化けていたメラン先生にロイクが絶句していると、エドワードは細い狐のような目を閉じて仰々し気に語りだす。


「男爵令嬢イメルダと婚姻を結んで社交界に名を売ろうと思ったが。あの無礼な女はどうも貴族達から嫌われているらしいじゃないか。そこを突いて私がイメルダ嬢を悪女に仕立て上げ、ハワード家の爵位剥奪を計画していたのだよ!」


 ロイクは静かに腰元の剣に手をかける。今すぐこの2人を始末する。ハワード家を、お嬢様をお守りしなければ。


 しかし「ロイク」、と名前をメラン先生に呼ばれるとロイクの身体は甘くしびれた。イメルダの姿でメラン先生は自分に魔法をかけようとしているのだとロイクは分かる。


 この女はイメルダお嬢様ではない、そう頭では分かっているのに。同じ姿で呼びかけられると、まるでイメルダに術をかけられている様な錯覚をロイクは起こした。


 徐々に頭の中にイメルダの「わたくし以外から魔法をかけられるな」という暗示が消えていく。


「さあ、執事よ。私はイメルダ嬢の処刑に貢献して、没落したハワード家の後釜の男爵家当主となる。叙爵した暁にはお前を私の護衛として雇ってやろう。少し細身だが、大変優秀だからな。握力とか、剣の腕とか」


「あんた話が長いわよ、エドワード。もうロイクには魔法がかかっているわ。後はこいつにイメルダの罪を告発させて、私達の計画は完了ね。ふふ、うふふ!」


 ロイクは浅ましい男女の会話を虚ろな目で聞いて、思考を完全に手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る