第19話 修道院にて-前編
オペラ座の併設カフェにある花に囲まれたテラス席。そこからオペラ座の貴族・王族専用の個室型プライベート席までは誰にも会わずに移動できる。
この特殊な移動通路のお陰で、ザーグベルトとイメルダが密かに街に出ても、すぐに気付かれる事はないだろう。
ザーグベルトは低木が茂り、その奥に隠すようにある銅でできた柵の様な扉を開けた。
テラス席にある定員用の通路口だ。ロイク、イメルダ、ザーグベルトはここから町へ出ようとしていた。
三人は周りに人がいない事を確認した後、一列に並んでカフェの外に出る。
外の定員用の道は狭かった。3人は建物と建物の間にある細い路地の様な道を歩いた。
歩きながらロイクはある事に頭を働かせた。それは護衛を一人もつけずにやってきた、ザーグベルトの事だ
いくらプライベートとはいえ王子であるザーグベルトに護衛をつけない筈がない。
仮にロイクに一任されているとしたら、王子に何かあった際にロイクは責任をとらされるだろう。
ロイクは歩きながら、恐る恐る先頭を歩くザーグベルトに尋ねる。
「殿下、差し出がましいのですが。殿下に着く護衛はいらっしゃらないのですか?」
最後尾にいるロイクに質問をされたザーグベルトは、変装用に身につけた、青い羽飾りのついたシルクハットを被り直した。そして振り返りながら爽やかな笑顔で返事をする。
「いないよ。今日はイメルダとの時間を楽しみたい。護衛は帰るときに呼ぶ。護衛はロイクがいるって言ってあるから」
「ちょっと……殿下に何かあれば、ロイクに迷惑がかかるのですよ」
イメルダは先頭のザーグベルトの後ろ、ロイクの前に挟まれた列の真ん中から不機嫌そうに抗議した。
さすがお嬢様だ。ロイクは自分の代弁をしてくれたイメルダに感謝する。
イメルダはつばの広い黒い帽子と、茶色のサングラスを身に着けてた顔を振り向かせてロイクを見る。そしていい加減なお方とつぶやいた。
イメルダも身分を明かさずに町に繰り出す為に、先程のテラス席で変装用の小物を身につけていた。
意外と似合っているな、そうロイクは再び前を向いたイメルダの後ろ姿を見ながら思う。
「うーん、何とかなるよ。君達に迷惑はかけるつもりはない。とにかくセイラの問題を解決しちゃえばいいから。あと、殿下じゃなくてザーグベルトって呼んでよ」
なんと適当、いや前向きな王子だろうか。ロイクはザーグベルトの発言に苦笑する。
「はぁ……わかりましたわ、ザーグベルト様」
イメルダは呆れつつザーグベルトの願いを受け入れ返事をした。
細い通路を暫く道なりに歩くと、先程馬車でロイクとイメルダが降りたオペラ座の正面の反対側の場所に出る。
この辺り一体は買い物に来た貴族や、財を成した平民が買い物に来る、高級店が立ち並んでいる。
「それで、ザーグベルト様。問題解決の覚えはありますの? 闇雲に捜索しても、時間の無駄でしてよ」
黒い街灯の前でイメルダは腕を組んで、ザーグベルトに尋ねた。
「勿論。……少し手荒だけれど、軽蔑しないでね」
ザーグベルトは眉を下げながら、困った様に笑って言った。
*
民間経営の馬車を使い、ザーグベルトが指示して向かった場所。
3人は公園の近くにある修道院に来ていた。
辺りはとても静かで人気はない。
大きな木々に囲まれた修道院の壁は、レンガ造りで造られている。
頑丈なレンガ造りや細かい装飾が施された屋根を見ると、とても普通の修道院には見えなかった。それは、ロイクには小さな城にも見えた。
「ここは、庶子の為の修道院なんだ。側室の子とか、嫡子でない子供が大人になるまで過ごす所。あとは、平民との貴賤の間で生まれた子供とか」
庶子の為、と聞きロイクは納得する。
この国では、平民と貴族の子供の多くは王族、貴族側の親に認知される事はない。
平民側の親が引き取って面倒を見るのは稀な事だ。経済的に苦しいからである。
その為、認知されなかった子供も含めて、多くの庶子は修道院に入る。
庶子の為の修道院は、貴族や王族が金銭面の面倒を見ているから建物の造りが豪華なのだろう。
しかしロイクは、修道院と事件の関係は特に思い浮かばなかったのでザーグベルトに質問する。
「恐れいります。殿下、それが今回の事件と何の関係が?」
「えっと……それは後で説明するよ! 人を呼んでくるから待っていてねー」
ザーグベルトは言い淀んだ後、はぐらかす様に答えた。そして爽快に早足で修道院の中に入って行ってしまう。
「……あの誤魔化し方。きっと悪い企みでしょうね。わたくしは悪事に加担する気はないのですが」
そう言ってイメルダはサングラスを外して、軽く溜息をついた。
ロイクはイメルダの言葉を聞いて、思わず首をぽきんと横に折って、心の中でイメルダに突っ込んだ。
つい最近まで自ら悪事を働こうとしていたというのに。
しかし、そんなロイクの心の声は届かない。イメルダは言葉を続ける。
「そんな事よりロイク。セイラの目的がわたくし、ますます分からなくてよ」
「へ? 聖女はお嬢様の命を使って術を使い、異界に帰る企みではないのですか」
ロイクは、先程のカフェで行ったザーグベルトとの会話の内容を思い出しながらイメルダに返答をする。
「ロイクはお馬鹿さんね。だとしたら、わたくしを殺す機会などいくらでもあった筈。それなのにまず先にロイクを殺そうとしていました」
「確かに……」
ロイクは失念していたが、聖女はケロベロス伯爵邸で、部屋にいた全員に術をかけ、イメルダを部屋に一人にしていたのだ。
イメルダを狙っていたならば、その時に殺せば良い。
自分を殺すつもりならば、ザーグベルトの剣を壊さずロイクに突き立てさせれば良かったのだ。それなのに、聖女は苛立ちながらそれも辞めさせた。
「まぁ、それは一度本人に問い詰めるしか無さそうね。それにしてもロイク」
「何でしょう」
イメルダはロイクの名前を呼ぶと、少し顔を赤らめつつからかうように笑った。
「貴方、そんな事も気が付かないなんて。わたくしと添い遂げられるかもしれないと浮かれていたのではなくて? カフェで上の空だった時もありましてよ」
図星を突かれて、ロイクも恥ずかしさから顔を赤らめた。
イメルダはというと、ロイクにつられたのか更に真っ赤に顔を染めて、目線を泳がせている。
「わ、わたくしの事を貴方はどう思っているのかしら? 正直に言ってみなさい、ついでだから聞いてあげますわ」
そこまで言うと、イメルダは羞恥に耐えきれなくなったのか、扇子を取り出して自分の顔を仰ぎ出した。
ロイクは暫く沈黙した後に、イメルダを見つめてその思いを口にする。
「お慕い申しております……」
ロイクの返答にイメルダは硬直する。
数秒後、彼女は顔の前にある扇子を閉じて手を下ろすと、何かを呟いた。
「じゃあ………して」
とても小さな声で肝心な部分が聞こえなかった。もう一度お願いします、そうロイクはイメルダに聞き返そうとしたが、言葉を飲み込む。
イメルダは目を閉じてロイクを待っていた。
ロイクはイメルダに近づいて、腰にそっと腕を回す。
誰かに見つからないだろうか。
ロイクの一抹の不安は、目の前の想い人であるイメルダの赤らんだ顔にかき消される。
ロイクは顔をイメルダに寄せて口づけを交わそうとした――
「あのーおにーさんたち? ここは神様が見ているのでやめてもらえますかー」
しかし、突如やや鼻にかかるような声が聞こえ、ロイクは慌ててイメルダから離れた。
声の主は、ロイクとイメルダのすぐ横にいた。
背が小さい。彼女は子供だった。三つ編みの似合う、灰色のローブを着た可愛らしい少女だ。
「あああなた! いつからそこに? どこから?」
イメルダは少女を見るや否や叫ぶ。
顔を真っ赤にして、手に持っていた扇子を再び扇ぎ出した。
「ついさきほどでーす。 修道院の中から魔法で」
少女は三つ編みの結び目を触りながら、得意げに答えた。
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