第13話 黄色い薔薇(イメルダ視点)

 ケロベロス伯爵邸の客間に一人取り残されたイメルダは、ソファにもたれて項垂れていた。


「……あの女……狂ってるわ」


 聖女セイラが魅了術を使った途端、男性陣は全員フラフラとセイラを追いかけて行ってしまった。


 聖女の術の力は並大抵の物ではなかった。

 ザーグベルトとケロベロス伯爵、そしてロイクまで一瞬で操れるとは。

 わたくしにまるで勝ち目はないわね、そうイメルダは自嘲する他ない。


 しかし、セイラは言っていた。

 あたしと話したいでしょ、と。あれはどう見ても宣戦布告だとイメルダは受け取る。


「……いいわ、わたくし負けません……」


イメルダは勢いよくソファから起き上がり、着ている赤いドレスの裾を持ち上げてセイラを探しに走り出した。


 セイラの目的を、暴くのです……! わたくしの死の原因はおそらくあの女の筈。


 イメルダが客間から出て廊下に出ると、廊下の窓から庭が見えた。

 手入れの届いた庭で、黄色い薔薇が咲いている。


 イメルダは黄色い薔薇の前でロイクと話すセイラが見え、瞬間的に頭に血が昇った。


「何をしているの……? わたくしのロイクに、わたくしのロイクに!!」


 ロイクだけは渡さない。ザーグベルトもケロベロスも、わたくしのプライドも全てお前に奪われた。


 でもロイクだけは渡さない――。

 彼はわたくしのただ一つの心の拠り所。

 イメルダはその一心で、少々時間はかかったが庭に出る扉を見つけた。その扉を乱暴に開けて外に出る。


「セイラァァァアア!! どこにいる!?」


 イメルダは目を見開いて、セイラを探しながら低く喚いた。


「そんな声でやめてよ、イメルダ。私はここよ」


 イメルダは凛とした声がする方を振り向く。

 薔薇の低木がたくさん植えられた花壇の近くに、セイラは黄色い薔薇を持ち立っていた。


「イメルダ、問題よ。黄色い薔薇の花言葉はなんでしょう?」


 イメルダは安い挑発だと口の端をあげて、セイラを蔑む。


「ふふふ、馬鹿にしているの? 花言葉は嫉妬。でも、わたくしはお前に嫉妬なんてしない」


「……イメルダ」


 何かセイラが言いかけたが、イメルダは言葉を続ける。


「お前なんて、聖女の力がなければ。誰も相手にしないわ。どういうつもりか分からないけれど、わたくしの婚約者ばかり欲しがって、卑しい女ね」


 セイラはその言葉を聞いて、顔に影を落として俯く。

 セイラの健康的な腕の先にある、黄色い薔薇はぽとりと地面に落ちた。


 直後、セイラは足に履いたローファーで、だんっ、と勢いよく黄色い薔薇を踏みつける。


 黄色い薔薇は潰れてぐしゃぐしゃになった。

 そしてセイラは顔を上げて、いつもの甘ったるい声でイメルダに語る。


「やだぁ、怖ぁ! イメルダさんわぁ本当に嫉妬深いんだからぁ。そんな盲目なイメルダさんにぃ、聖女セイラちゃんから忠告ぅ」


 忠告、と聞いてイメルダは目を険しく細める。どういう意味だろうか。


「……貴女の大好きなロイクは、今回の人生でもきっと貴女を裏切ります」


 セイラの言葉の意味を理解するのにイメルダは時間がかかった。

 今回の人生……この女はなぜ、わたくしが時を遡っている事を知っているの?


「……どういう、こと?」


 セイラの言葉の意味を組み取れず、イメルダは思わず問いかける。


「でも安心して……裏切り者には、セイラちゃんがお仕置きしといたよん。感謝してよね」


 そう言ってセイラが指さした方向を見ると、金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。


 誰かと誰かがまるで剣で打ち合っているかの様な音。


「セイラ、お前ロイクに何をしたの!?」


 イメルダはそう叫んで、そのまま音のする方へ走る。

 少し開けた場所に出たイメルダは、走って乱れた息さえも思わず止めた。


そこには薔薇がたくさん咲いたケロベロス伯爵邸の庭で、ロイクとザーグベルトが剣で闘っていたからだった――。


 ザーグベルトが剣でロイクめがけて鋭い突きを放つ。

 それをロイクは剣を当ててザーグベルトの突きを滑らせ、受け流した。


「くっ……!」


 しかし、ロイクの腕にザーグベルトの剣がかすめた。ロイクの燕尾服のジャケットを切り裂いて血が滲む。


「何をしているの!? 二人とも、やめて!」


イメルダが剣を交えるロイクとザーグベルトに声を荒げる。


「無駄よ。さっきあたしが言っても駄目だったもの。ザーグベルト様は、あたしの術でちょっと理性が飛んじゃったみたい。気の毒だけど、ロイクを殺すまで剣を止めないわ」


 殺す? ロイクを……? この女はどこまでふざけているのか。

 しかし、今すぐ怒りに任せてセイラに掴みかかった所で、ロイクが助かる訳でもない。


 イメルダはこの状況を変えるべく考えた。


 ロイクはザーグベルトよりも剣の腕がある筈だが、一国の王子に怪我でも負わせようものならばロイクは極刑だろう。


 それ故にロイクはひたすら剣を受けるだけで、攻勢には転じていない。


 ロイクは何度も剣を受け流しているのか疲れが見え、先程から何度かザーグベルトの剣で斬りつけられている。


「ザーグベルト様! お辞めください!」


 イメルダは激しく剣を振るうザーグベルトに近づく事もできず、ただ叫んだ。


「だから、無駄だって。ロイクの事はもう諦めて。そうしたら……」


 カアァンーー!!

 突然、一層甲高い金属音がケロベロス伯爵邸の庭に鳴り響いた。


 ロイクの剣がザーグベルトの剣に弾き飛ばされ、空中を舞って地面に突き刺さる。

 それと同時にロイクはバランスを崩したのか、後ろに尻餅を突いた。


 イメルダはその光景を前に、セイラに何か言われた事は耳に入らなかった。


「ロイク、勝負は着いたね。イメルダの心を解き放てる時がきた」


 ザーグベルトは、傷だらけで呼吸を乱しているロイクに向けて剣先を向ける。


「ロイク!! ザーグベルト様剣を下ろして!」


 そう金切り声を上げて、イメルダは急いでロイクに駆け寄ろうとしたが、ザーグベルトが吠える。


「イメルダ、来るな!!」


 ザーグベルトが剣先をロイクの首元にぐっと近づけた為、イメルダは慌てて足を止める。


「ロイクを殺して、君は僕の妻になる。それでいいよね? 側室だけど、セイラよりも君を愛しているから……」


 ザーグベルトはいつものように、微笑しながらイメルダに語りかけた。

 イメルダが見た、ザーグベルトの青く美しい目に光は無い。


「ザーグベルト様。それ以上、卑怯な脅しをかけるならば。わたくしもそれなりの対応をいたします」


 イメルダが未だロイクを庇おうとした為か、ザーグベルトが激昂した。

 彼が何かを言おうとして口を開くが、イメルダは時を止める術を使う。


「ロイク、必ず助けます……!」


イメルダはザーグベルトに向かって走り出す。以前ロイクを虎から庇ったように、ザーグベルトを突き飛ばそうと考えていた。

 しかし、すぐに時は動き出してしまう。


「うるさい! 卑怯な手でも使わないと駄目なんだ! だって君は」


 イメルダは、ザーグベルトの言葉など耳に入らず、もう一度時を止めて走った。


 心臓が痛い。負荷の強い術を連続で使用したためか、イメルダは息が出来なくなった。


 イメルダは焦るが、無常にもまた時が動き出す。

 ザーグベルトがロイクに向かって剣を突き立てようとしている。


「ロイクしか愛せないくせに!!」


 ザーグベルトが叫び、剣を振り下ろす。イメルダは呼吸ができず、苦しさから地面に膝をついた。


 もう一度、もう一度時よ止まれ! イメルダは薄れる意識の中、ロイクの顔を見ながら何度も念じて、彼に手を伸ばした――

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