┗時止めの力-後編(イメルダ視点)

 穏やかな森の中で、イメルダはトリカブトを探す。聖女セイラに心を奪われた、憎きザーグベルトを殺す為。


 ロイクはイメルダに渋々着いてきた為、トリカブトを真面目に探していない様にイメルダは見えた。

 イメルダは仕方なくトリカブトを自分で見つけ、ロイクに採取する様に指示する。


「暑いですね……」


 イメルダは扇子で自分の顔を扇いだ。外は暑いので、早く屋敷に帰りたい。


「お嬢様、流石に毒殺ともなれば。クッキーを調べればすぐ分かりましょう。お嬢様はもう一度処刑されたいのですか?」


 イメルダはトリカブトを掘り起こしているロイクに挑発する様に尋ねられる。


 今更な質問だ。イメルダはロイクに処刑台に送られた記憶が蘇る。

 しかし、ロイクは何者かに騙されているに違いない。

 何故なら、あの時わたくしは本当に何も罪を犯していないのだから。

 そうイメルダは思いながら、ロイクに言い返す。


 何故ロイクはわたくしが悪事に手を染めたと思っているのだろう。


 ロイクに誤解されている事に苛立ち、扇子を扇ぐ手が早くなる。


 ……確かに今は悪事に手を染めようとしているが。時を遡る前は確かに潔白なのだ。


「……それではお好きにどうぞ」


 そうロイクに冷たく言われて、イメルダは少しだけ傷ついた。

 ロイクと険悪なムードになりたい訳ではないのに。ただ、楽しくロイクと過ごせればそれでいいのにと、イメルダは気持ちが沈む。


 それを悟られまいと、イメルダは扇子で起こした風でなびいた自分の髪を見つめて気を紛らわした。 

 ふと、髪の先に視線が行く。

 イメルダは太い木の上に人影がある様な気がした。


「ねえロイク、今あそこに誰かいなかった?」


 そう質問しながらロイクを見た時、ロイクの背後に大きな虎がいるのに気がついた。


「誰もいませんが」


 ロイクがそこまで口にした所で、イメルダは咄嗟に時を止める術を使う。

 虎は牙を剥き、姿勢を低くして今にもロイクに襲い掛かろうとしている様に見えた。


 イメルダはロイクに急いで飛び込み、突き飛ばして虎から離そうとした。


 時が動き出す。

 イメルダに突き飛ばされたロイクは、イメルダに覆い被されている状態になり慌てた。


「うわっ! おおおおおじょ! なな何を……」


 まともに口が回らないロイクを無視してイメルダは素早く起き上がり、腰に刺していた剣を抜く。


「お嬢様!」


 ロイクが状況を理解して叫ぶのを尻目に、イメルダはこの穏やかな森に虎がいるとは聞いた事がないと動揺した。

 もし生息していても、奥深くの山脈に続いた場所にいるはずだ。


 イメルダが時を止めた時に目についたのが、虎の足跡が地面に刻まれていた事。辿ると先程イメルダのいた場所の後ろ側を通っていた事が分かる。


――虎は自分ではなく、初めからロイクを狙っていた?


「あの虎! ロイクを狙っています」


 そうロイクに伝えたが、何故か同時にイメルダは息苦しさを感じた。

 時を止める術は先程初めて使ってみたが、異常に体力を消耗した気がする。


 処刑前に力が目覚めた時に、長い時間を止められた事はどうやら偶然だったようだ。


 もう一度時を止めるのは体が持たないかもしれない。

 そう考え、イメルダは使い慣れている心を惑わす術を虎にかけたが、虎には効かなかった。


「くっ、わたくしの心を惑わす術が効きません……術、連続で使いすぎまし……た」


 イメルダは呼吸が苦しくなり、胸を押さえて膝をつく。

 このままでは、ロイクは虎へ無謀にも向かっていってしまうと、イメルダは焦った。

 彼は、わたくしを守ってくれる人だから。


「お嬢様、私が前にでて虎の気を引きます。その間にゆっくり虎から視線を外さずに後ろに下り、充分距離をとったら走って森から出てください」


 イメルダは、自分の後ろにいるロイクに小声で囁かれる。


 やはり、ロイクは囮になろうとしている。この自分に忠実過ぎる執事がイメルダの心を苦しめた。


「駄目よ……そんなの許さない。わたくしも戦います……もう少し待って……時をもう一度止めますから……」


 息を整えたら、ロイクに合図して時を止めよう。どれだけ止められるか分からないが、二人で走って逃げれば……。

 そうイメルダが考えていると、ロイクが自分の後ろで剣を抜こうとしているのに、気配で気がつく。


 駄目! 駄目! イメルダはもう形振り構ってはいられなかった。

 ロイクが危険な目に合うのは、死んでしまうかもしれないのは、イメルダには我慢がならなかった。


 イメルダはもう一度時を止めようと集中する。

 黒いオーラがイメルダから滲み出てきた。


 心臓が痛い。イメルダはそれをなんとか耐える。

 もう少し待てば術が発動するだろうと、イメルダは歯を食いしばった。


 しかし虎は低く唸るのを辞めて、踵を返して森の奥深くへ走って行ってしまった。



 森の出口にある廃教会までロイクとイメルダは急ぎ避難して、毒入りクッキー作りに励む。


 イメルダの殺害計画にいつも否定的なロイクだが、今日は素直に付き合ってくれている。

 イメルダはそれが嬉しかった。


「お嬢様、私などを庇って……どういうおつもりですか? お嬢様に何かあったらどうするのです……」


 ロイクに不機嫌そうに質問され、イメルダはその意図を図りかねた。


「だって……あの虎はロイクを狙っていたのですよ。時を止めた際に確認したのです!」


 虎から庇ったつもりなどない。ロイクがただ心配なだけだったから、あの時無理をして術を使っただけ。


 もしかして、ロイクはわたくしを心配してくれているのかしら? もしそれが、お嬢様としてではなかったら。

 ――わたくしと同じ気持ちだったら?


「……ロイクは……わたくしに何かあったら、悲しい、かしら」


 胸を高鳴らせて、ロイクに自分の事をどう思っているか聞いてみる。


「当たり前です」


「執事として仕事を失敗して? それとも、わたくしを……イメルダを失うのが悲しい?」


 イメルダとロイクは、今までお互いの事を意識する様な事を避けてきた。

 身分が違うから。どんなに想いあっても、叶わない関係だからだ。


「そ、それは……」


 イメルダは、時を遡る前の自分はロイクとの関係に一歩踏み出す勇気はなかった。


 しかし、自分の為に復讐などをして利己的に生きている今は、もう少しだけロイクと仲良くなれないだろうか――


「どちらともでございます。大体、お嬢様が虎に襲われたとあれば、責任は護衛の私にありますから。私だけ生きて帰っても、旦那様に首をはねられましょう」


 しかし、ロイクの返答は当たり障りのないものだった。

 少し期待していた自分が馬鹿らしくなり、イメルダはロイクが作業した毒入りクッキーをゴム手袋をはめた手で拾い上げて袋に仕舞う。


「……そうよね。とにかく、わたくし達は無事だったし。よしとしましょう」


 使用した道具を焚き火で燃やしながら、イメルダは明日の復讐について考える。


 ザーグベルトを殺せば、彼を好いているであろうセイラも少しは堪えるだろうか。


 だが、以前会った時に見せた妖しい素顔。あの女はどうやら隠している本性があるらしい。

 何が目的なのだろう。


 ふと、今日出会った虎の事をイメルダは思い出す。

 あの虎は明らかにロイクを狙っていた。野生動物であれば、近くにいたイメルダを狙うのが普通だろう。

 焚き火が終わり、イメルダとロイクは一緒に同じ馬に跨る。


 もしかして、ザーグベルトかセイラが虎を遣わせた? それならばなぜ自分ではなくロイクを狙う……?


 ロイクが走らせる馬で屋敷に向かいながら、深まる謎にイメルダはため息をついた。



「王子の事ですが……クッキーなど使わず、お嬢様の術を使えばいいのでは?」


 夜寝る前に自室で本を読んでいたイメルダは、イメルダのベッドメイクをしていたロイクに話しかけられた。

 明日、イメルダは舞踏会の前にザーグベルト王子と会う約束がある。

そこでわざわざ毒殺する事がロイクには疑問だった様だ。


「わたくしの術ですが……今日虎に襲われた時に気が付いたのです。わたくしは術者としての能力はかなり低いのよ」


 そう言ってイメルダはロイクに読んでいた本を見せる。

 本の題名は「ハワード家の歴史と魔力」だ。

 ロイクはさっと目を通す。


 ●術について注意事項●


・術の効果は発現した時と、自らの命が危機の時のみ最大能力が発揮できる。


・ハワード家の聖女と魔女の血は代を重ねて薄まっている。その為術は失敗、または効力が極端に低く短い事がある(詳細は下記)


・他の術者がかけた術の上からかける際は、相手の術者の能力よりも高くなければいけない。


・かける対象が大勢、または対象に大勢の注目が集まっている場合、魔力が足りず高い確率で失敗する。


・対象者と術者の信頼関係が強い場合、他の術者が能力を超えていても、対象者には他の術者からの術がかかりにくい…………………


「なるほど。お嬢様は現在ハワード家で一番新しい世代ですから、術者としては能力が低いという訳ですね」


「そうです。だから確実に殺す為に毒入りクッキーを作りました」


 イメルダはこの事実に頭を悩ませた。


 思ったよりわたくしの復讐は難しいかもしれないわ――

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