第4話 こちらから、婚約破棄して差し上げます

 イメルダは両親、ロイクと共に屋敷のファミリールームにいた。

 そろそろ梅雨が明け、熱い夏が来る。ロイクは、冷たい飲み物をボザック、マリア、イメルダに用意していた。


「イメルダ、なぜ呼ばれたか分かるか?」


「何かしら。ザーグベルト様から婚約破棄の知らせでしょうか」


 少し怒ったように父のボザックから問われ、イメルダは封の空いた封筒を見ながらつぶやいた。封筒は、王宮からきた証である、王家の家紋が封蝋された金で縁取られたものだ。


「違う違う! イメルダが王から勲章を賜うことになったんだよ!」


 ボザックは重々しい空気を外し、にっこりと笑顔でさすが俺達の娘!と言ってマリアの肩を抱いた。


「聖女様をイメルダがお助けするとは。あの時は本当に驚いたが、よかったなぁ!」


 上機嫌で話すボザックを見て、よかった。またあの時のお説教かと思ったわ。とイメルダは安堵する。


 あの時――先月、イメルダとロイクはセイラを思いがけず不埒な男から助けた。


 だが、同時に聖女が召喚されたと、王宮占師から情報が入った王宮は、廃教会に騎士団長のボザックと騎士団を派遣する。


 そして、ボザック達は現場に着いた時に、イメルダとロイクがいる事に驚いた。


 しかし、聖女セイラは、もしかしてあたしが助けてぇって呼んだのかなぁ? と言った事により、場は収まった。


 この国で聖女の力は絶大。どの様な理解しがたい奇跡や珍事が起こっても、聖女が言う事には、誰も疑問は抱かないのだ。


 勿論、家に帰ってから危ない事をするな! とロイクと、父にこっぴどく叱られたのだが――


 そう思い出しながら、父にあの時起った事をイメルダは話す。


「わたくしが勲章を? ……光栄ですけれど、結果的にロイクが聖女様を助けたのですわよ」


 自分が助けるきっかけを作ったのは確かだが、襲ってくる犯人を刺し殺してイメルダと聖女を救ったのはロイクだった。そうイメルダは説明する。


「……まぁ、そうかもしれんが。平民のロイクと貴族のイメルダが手柄をあげる。それは全てイメルダの手柄にせざるを得ないからな」


 この国では、貴族と平民の間に絶対の隔たりがある。

 平民と貴族が結婚できないように、平民は勲章を賜う事はできない。

 勲章は貴族を称える為のものであり、平民が賜う時は貴族の称号を同時に賜う時しかない。


「それでは、ロイクが浮かばれませんわ……」


 イメルダは暗い顔で落ち込んだ。


 平民が貴族に成り上がる為には、それこそハワード家の初代当主のように、戦争で大きな功績をあげる等しなければいけないのだ。身分が違えば、扱いも違う。


「私は、お嬢様のお役に立つ事ができればそれだけで幸せでございますよ」


 ロイクは微笑しながらそう言って、アイスティーをイメルダの前に置いた。


「そういう事だ! がっはっは!」


「お母様も、イメルダが勲章を授かるなんて嬉しくて。ロイクも本当にありがとう」


 母が感激して涙を浮かべる中、ボザックは具体的な日程と時間をイメルダに伝える。

 そしてボザックは婚約者のザーグベルト王子にも会えるな、とイメルダにからかう様に言った。


「え、ええ……。ザーグベルト様、ねぇ……」


 その忌まわしい名前を聞いて、イメルダは顔を引き攣らせて相槌を打つほかなかった。


 父も、母のマリアも勝手だ。話を終えてロイクと共に自室に戻ったイメルダは顔を歪ませる。


「誰があの女を助けた事を褒められたいでしょう? 誰があんな、セイラに腑抜けた王子に会いたいか? ねえロイク!!」


 イメルダに恐ろしいほどの剣幕で呼びかけられ、ロイクは少し後ろにたじろいだ。


 彼女は精神を病んでいるとはいえ、ロイクはヒステリックに叫ぶ姿を本当は見たくない。

 だが、自分にだけこの様に本心を曝け出すイメルダを、ロイクは愛おしくも思ってしまうのだ。


「お嬢様、落ち着いてください」


 ロイクがなだめる事に構わず、イメルダは話し続ける。


「どうせ、セイラがいる限り! 八月の舞踏会でわたくしは婚約破棄されるのです。それならば、勲章を賜う際の王宮への訪問で……わたくしからザーグベルト様と婚約破棄してやるわ……!!」


 ロイクは婚約破棄、と聞いて少しだけホッとする。

 また殺すなど物騒な事を言い出さないかと心配していたのだ。さすがに王宮で人殺しはすぐに見つかって極刑だろう。


「……え?」


「どうしました、ロイク。またわたくしに逆らうの?」


 思わずロイクは間抜けな声を出していた。なぜ極刑で困るのだろうか。イメルダの様な悪女は早く死刑にしなければ、アーステイル王国の未来が危ういくらいだとも思うのに。


「私は、お嬢様に……」


 死んでほしくない。幸せになってほしい。本心はそれだけなのだと、ロイクは胸を痛ませた。


「私はお嬢様について参りますよ。王子と婚約破棄されましても、お美しいイメルダお嬢様なら、すぐにお相手も見つかりましょう」


「なっ! 着いてくるなどと、何を今更! 貴方は私の執事で護衛なのだから当たり前でしょう」


 そう言ってイメルダは顔を赤らめて俯いてしまう。


「それから、わたくしが美しいなど。当然ですが、貴方がいうと世辞に聞こえます。どうせこんな高飛車な女など、とでも思っているのでしょう」


 か細い声で呟きながら、綺麗な細長い指で顔を覆うイメルダ。

 復讐の心さえ無ければ、こんな可愛らしい女性を世の男は放って置かないだろう。


 そうだ、幸せな結婚をすればきっとイメルダ様はお変わりになる。処刑など必要なくなるのだ――


 勲章授与式を終え、イメルダはザーグベルト王子と婚約について話をする為、王宮のプライベートルームのソファに腰掛けていた。


「それで話って何だい? イメルダ」


 ザーグベルトの容貌は、一言で言えば「麗しい」だ。


 薄い白みがかった金髪の、柔らかい髪の毛は耳にかかり首元まで伸びている。


 整った輪郭にはめ込まれた宝石のような青く澄んだ目は、前髪が少しだけかかっていてどこか儚げな印象を思わせる。


 鼻は高く、口元も常に口角が上がった優しい顔立ちだ。


「聖女、セイラ様の事です」


「君が助けたセイラの事? あ、ああ……変わっているよね、彼女」


 そう言ってセイラの話題が落ち着かないのか、ザーグベルトは立ち上がる。


 ザーグベルトはスタイルも良い。

 今日は王族の正装の金のボタンがついた裾の長い、青いジャケットにベルトを腰につけた物とそれに合わせたスラックスを着ていた。


 ジャケットには肩から腰にかけて赤いサッシュがかかっている。どこから見ても完璧な王子の出で立ちだ。


「わたくし、貴方はセイラ様と婚約する事になるのではないかと思いますの」


「ええっ!? 僕は……君を愛しているというのに?」


 信じられないと両手を顔の高さまで上げた後、ザーグベルトはソファに座り直し、イメルダに微笑みかける。


「……ありがとうございます。わたくしも同じ気持ちですわ。でも」


 貴方はもうすぐセイラの虜になるのです。


 そう口には出さないが、イメルダの顔は沈む。代わりに王子が納得できる様な、もっともらしい理由を述べる。


「この国では100年ほど聖女様が召喚されていませんわ。聖女様と血縁のあるお家も、聖女様の血は薄まり、もう聖なる力に目覚める者は殆どおりません」


 イメルダの目覚めた力は、邪悪な復讐の力だ。聖女の力とは全く違う。


「ですから、王室は結婚適齢のお歳であるザーグベルト様をセイラと婚約させるはずですわ」


 かつて自分が味わった屈辱を思い出しながら、これから起こる事をイメルダはなるべく冷静に伝えた。


「そんな! 僕はそんな事反対だ。好きでもない人と結婚したくなくて、ずっと運命の相手を探して君に出会えたんだよ」


 嘘つき。運命の相手?


 笑わせるな。


 お前はセイラの事をすぐに好きになる癖に……!  


イメルダは王子の薄っぺらい言葉に苛立った。


「貴方がそう思っても。国王陛下は必ずそうしますわ……ですから、わたくしの事が好きなら……いっそこの場で婚約破棄してくださいませ」


 イメルダは少しだけ声が震えたが、なんとか言い切る。


「断る。僕は君と結婚するんだ」


「っ……」


 彼の強い否定の言葉に、イメルダの心が揺らいだ。だが、舞踏会での国王の婚約破棄の発表が頭から離れない。


「わたくしは……沢山の人の前で恥をか……」


「し…じさーん!! お名前……イクっていうんですねぇ!!」


 イメルダはプライベートルームのドアの近くで、セイラの声が聞こえたため、言葉を途中で止める。


「セイラが騒いでいるみたいだね、全く」


 そう言って立ち上がり、彼はドアまで歩いて行く。イメルダもそれに続いた。


 ドアを少し開け、外を覗く。隙間から見えたのは、廊下で立って待っていたロイクにセイラが話しかけていた所であった。


「聖女様、どうかお静かに。大事なお話をされる部屋の前でございます」


 ロイクは顔を近づけて見つめてくるセイラに、戸惑いながらも諫めていた。


「ああっ! また名前で呼んでくれないー! セ・イ・ラ……ですよ!」


「せ、セイラ様……顔が近うございます」


 ロイクは顔を赤面させ、白い手袋をはめた両手を顔の前に出してセイラを遮る。


 赤面するロイクがセイラの名前を呼んだことで、ザーグベルト王子の前だからと我慢していたイメルダは、ついに怒りが爆発した。


 イメルダはドアの取っ手を握っていたザーグベルト王子を押し退け、ドアを乱暴に開けて声を荒げる。


「良い加減になさい!!! ロイク、人を近くに呼ぶなと言っていましたのに!? お前は仕事が出来なくなったの?」


「申し訳ございません!」


 ロイクは言い訳もせず、腰を折り謝罪した。


「……声を荒げて申し訳ございません、聖女様。あまりにも煩かったので」


 イメルダはロイクと聖女の近くまで歩き、

セイラに棘のある言葉と謝罪を言い放つ。そして釣り上がった目で思い切り睨みつけた。


「ふふっ」


だが、イメルダに全く怯みもせず、セイラは不適に微笑んだ。


「ザーグベルトさまぁー! こちらにいたのね!」


 そして、セイラはイメルダの近くにきて耳打ちをした後、ザーグベルトの方に向かっていき、ザーグベルトに抱きつく。


「ええっ? セイラは、僕を探していたのかい?」


ザーグベルトは途端に顔を蕩けさせ、セイラを優しく抱きしめる。


イメルダはそれを見て、頭が真っ白になった。そしてやっぱりねと、イメルダは胸の痛みを堪えて目元を濡らした。



 その後、国王やイメルダの両親も交えて話し合った結果、聖女セイラとザーグベルトの婚約発表を次の舞踏会ですると決まる。


 イメルダは国王の仲介で、ケロベロス伯爵侯との婚約をする事になった。


 ザーグベルト王子は納得がいかない様子で、もう一度話し合おう、とイメルダに告げるが、婚約の決定は恐らく覆らない事は明白だ。


 王子の事もそうだが、イメルダは以前セイラに耳打ちされた言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。


――貴女、一体どちらが好きなの?――


 イメルダは一人自室のベッドに横たわり、セイラの問いかけについて考える。


 どちら、というのはロイクとザーグベルト王子の二択の事だろう。だが、好きだとかそういう問題ではないのだ。


 ロイクは平民で、イメルダは貴族。互いに好きになる対象ではない。


 ザーグベルト王子の婚姻は王がこの人と、と言えばその通りにしかならない。


「わたくし達はそういう世界で生きていますのよ。誰が好きなんて考えてはいけないの」


 イメルダは思わず呟く。


 セイラの世界では、身分に関係なく好きな人と自由に恋愛できるのだろうか。


 あの自由な振る舞いから見てきっとそうなのだろうとイメルダは、羨ましく思いながら眠りに落ちた――

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