第34話 この悪女、私が殺します
メランに抱えられたまま、イメルダは廃教会の中に入る。白い石の壁と天井で囲まれた教会の内部は外よりも幾分か温かい。
「イメルダちゃん、逃げようなんて思わないでね? 未だ世間では犯罪者としての認識の、お前の居場所なんてもうこの世にないのだから」
メランが冷淡に言い放つと、イメルダはメランの腕の中から冷たい石の床に乱暴に転がされた。
「きゃっ……痛っ」
イメルダは、寒さと疲労をこらえて体を起こした。そしてメランを強い目つきで見据える。
「逃げる? わたくしはロイクを待つだけよ」
イメルダが挑発的に言い捨てると、メランは顔にかかった焦げ茶の髪を煩わしそうに払いのけて顔を歪めた。
「まぁ……一途な事……。そして生意気だわ!」
メランが声を荒げながら手を振りかざして、そのままイメルダめがけて振り下ろされた。
「あ……くっ」
イメルダの頬に重たい手のひらが当たる。直後に鈍痛をイメルダは感じると共に、ばちんっと音が鳴った。イメルダは腕を前に出して顔をかばおうとしたが、両腕をメランの片手で拘束されてしまった。
「お前はもっと絶望しろ! 苦しめ!」
ばちん、ばちんと何度もメランに顔を往復してはたかれ、イメルダは痛みを堪えきれずに涙をこぼした。しかし悲鳴は漏らさない。
ロイクだってあの時わたくしの代わりに父にぶたれてくれたもの……平気、我慢できるわ。
イメルダは自分が絶望すれば、メランを喜ばせるだけだと歯を食いしばってメランの暴行に耐えた。
「ふん……いつまでもつかしらね! 次は私の足で踏んで……」
メランが息巻いて足をあげたとき、懐かしい――それでいて不快な声色が教会に響き渡った。
「ぱんぱかぱーん! 聖女様のおなぁーりぃー!」
その声の主はセイラだ。メランは持ち上げかけた足を下ろしてセイラに身体を向けた。
「聖女……生きていたのか!」
「やっだぁー聖女様の事を見くびらないでぇー! そ・れ・に! セイラちゃんはーメランさんの仲間になりにきたの!」
セイラの無事に安どしていたイメルダは、セイラの言葉に耳を疑った。メランがイメルダの方を振り向いて、これ見よがしに口の端を吊り上げる。そして再びセイラに顔を向けた。
「ほお。話してごらん聖女」
「あたしも、異界……っていうか自分の世界に帰りたくってぇ。よく考えたらイメルダなんてどうでもいいしぃ」
「セイ……ラ……?」
イメルダは呆然とする。セイラの突然の裏切りで、イメルダの心の決壊が始まっていた。
「あははは! 可哀想、本当に可哀想だわイメルダって! 唯一のお友達にも裏切られちゃって……ぷぷぷっ……つくづく嫌われ者ね! ぎゃはははは!」
メランはイメルダを馬鹿にして罵り、こんなに楽しい事はないと腹を抱えて笑っていた。
――平気、ロイクさえいれば。セイラなんて、いなくても平気。イメルダは正気を保とうと自分に言い聞かせた。
「イメルダを絶望させればいいんですよねぇ? 死体は重くて無理だったんでぇこれ」
セイラが微笑みながら短いプリーツスカートのポケットから取り出したのは、イメルダも良く知っている血まみれのロイクの手袋だった。
「あ……あ、ああああああああ!!!」
イメルダは教会中に響き渡る金切り声をあげた。そしてそのまま石の床にイメルダは力なく突っ伏す。
「聖女……いやあんたは悪女だ、恐ろしい女だねぇ。信用してやろうじゃないか」
「んじゃあ、儀式をはっじめましょー!」
イメルダは教会の一番奥に空いた大きな穴の近くに移動させられた。その場所は広くスペースがあり、かつてセイラを暴漢から助けた場所だ。
イメルダは特に抵抗もせず、メランに大きな穴を背に座らされた。イメルダが座っている石の床には、白のチョークで魔法陣のような物が書かれていた。
イメルダの正面には少し離れた所でセイラとメランが立って、何やら本をめくっている。
「じゃあ、呪文を唱えるわね……ええとこのページに……」
「ほほう……メランさま、なんだかくぁあっこいいー」
セイラがはしゃぐように声を上げて、足をばたつかせているのか靴を鳴らす音が聞こえる。イメルダはふと、ケロベロス伯爵豪邸で黄色い薔薇を踏み潰したセイラを思い出した。
――そういえば、セイラがこんな風に話している時って――
「うふふ、照れるわ。ええと、異界召喚!」
メランが上機嫌でセイラに返事をして呪文を唱えると、イメルダの座っている床に書かれた魔法陣が白く輝きだした。
イメルダはゆっくりと視線をメランに向ける。メランはくるくると身体をゆっくり回転させながら、聞き取れない様な言葉で呪文を唱えている。集中しているのかメランは目を閉じていた。隙を見てイメルダはセイラに視線を送る。
「…………」
セイラはゆっくりとイメルダに向かって頷いた。
――そうよ、セイラは裏切ってなんかいない。
確信したイメルダはセイラに応えるように首を動かすと、心に希望を灯した。ロイクは生きている。わたくしは、絶望なんてしないわ!
*
セイラが教会に入る少し前――
空は灰色で、辺り一面に牡丹雪が静かに舞い降りていた。
廃教会の周りは人通りもない為か、雪が一層多く振り積もっている。
ロイクはボザックの馬の上から、目的地である廃教会を遠目に見た。すると、以前は大きな錠前がかかっていた廃教会の正面の入り口が壊れている。
あの中に、恐らくイメルダお嬢様とメランはいるのだろう。ロイクはイメルダの無事を願って馬で廃教会へ近づく。しかし、馬は雪に足を取られたのか、先に進もうとしなかった。
仕方なくロイクは馬から降りて、雪をかき分けながら歩いて行く事にした。
ロイクが教会へ向かって先に進もうとすると、赤いリボンのような物が白い雪の上に埋もれているのが見える。
ロイクは不審に思い、リボンをつまみ上げた。すると、くぐもった女性の「んんー!」という声が聞こえる。そのあと地面の雪が持ち上がり、中から雪まみれの人が姿を現した。
「いったあああい! 防御魔法をかけていなかったら即死だったわ……」
「せ、セイラ様!?」
雪の中から出てきたセイラにロイクは驚いた。
「あ、ロイク! イメルダを助けようとして魔女にやられたのよ! メランせんせい、だったかしら」
セイラは身体中に付いた雪を払いながらロイクに事の顛末を話すと素早く立ち上がった。よく見れば、セイラの頭から血が出ていて痛々しい。セイラはロイクを睨みつけ口を開く。
「あのねぇ! あんたイメルダをちゃんと守ってよ! ロイクしか、イメルダを……幸せにできないんだから」
「え……あの、それは」
寒さのせいだろうか、セイラの言葉にロイクは顔が熱くなり口ごもってしまった。
「ふん……。とにかく、早くイメルダを助けに教会に入りましょう――」
ロイクの態度に呆れたのかセイラは、鼻であしらうかの様なそぶりを見せて廃教会へ向かおうとした。それをロイクは慌てて呼び止める。
「お待ちください! 私に考えが――」
メランはこのまま正面突破でどうにかなる相手ではないと、ロイクは考えていた。ロイクは、確実にメランを倒す策をセイラに提案する。
「ロイクを死んだ事にしてメランの油断を誘うなんてだめ! 儀式が発動して失敗するわ……ロイクに何かあったらイメルダが壊れちゃうのよ! 私は何度も見たの……」
「……大丈夫です。セイラ様とお嬢様の絆を信じて。そして私を信じてください」
ロイクの策はセイラに反対されたが、ロイクの説得を前に渋々首を縦に振る。それを確認するとロイクは手袋を外して、セイラに渡した。セイラはロイクから手袋を受け取ると、額の血を手袋で拭う。
「――分かったわ。あんたとイメルダを信じる」
*
「ロイク、今よ!」
セイラがロイクを大声で呼び、手を素早くメランにかざして光球を撃った。
ロイクはセイラの合図を境に全速力で駆け出した。教会の裏手側の大穴から内部へ突入し、イメルダをすくい上げるように両手で抱えてメランから距離をとる。
「ぐああっ!」
メランの唸り声と、衝撃でよろけて倒れた様な音が後ろで聞こえる。
「ロイク……!」
ロイクはイメルダの声を聞き、イメルダを抱く手に力を籠めた。
メランと十分な距離を取った後、ロイクはイメルダを自分の背中側に降ろした。
「聖女ぉ……! 貴様騙したな!」
メランが怒り、起き上がってセイラに向かって黒い火球を撃とうとする。しかしセイラは移動魔法でイメルダの隣に立ち、イメルダの手を握る。
――準備は整った。これはお嬢様にお仕えしてきた中で、一番の大仕事だろう。ロイクは前に向き直り剣を抜いて構えた。
「お嬢様! ――この悪女、私が殺します」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます