49 でもやっぱりうちがいい
王都シルベスタでのシスティリアの誕生日会から数日後。
アスコット村に帰り着いた俺たちは、ひさしぶりのわが家で、マリーズの出してくれた紅茶を飲みながら土産話に花を咲かせていた。
「ほう、それはようございましたね、お嬢様」
マリーズがシスティリアの話に相槌を打つ。
「ええ。マリーズも協力してくれたんでしょう? レオナルドとこっそり連絡を取り合ってたとか」
「お嬢様……わたしがバッカス男爵になびくことなど未来永劫絶対にありません。わたしはひとえにお嬢様のことを思えばこそ、知恵をお貸ししたまでなのです。それより、お嬢様こそ酷いではありませんか。お嬢様の二十歳のお誕生日、わたしとてお祝いしたいと思っておりましたのに」
「う゛……それは申し訳なかったです。思ったより王都滞在が延びてしまいまして」
「マリーズ、それについては俺も申し訳なかったと思ってる。こういう時に村を任せられる誰かを見つけておくべきだったんだよな……」
小さな村だし、俺が村の外に出ることなどほとんどないので、俺がいない時にどうするかはあまり詰めて考えてなかったのだ。村の代表格は、今もなんだかんだと世話を焼いてくれるばあさんや、スライム小屋の管理人、防衛担当の狩人あたりだが、いざという時に誰がどう判断するのかは曖昧だ。互いが互いの顔を知ってる小さな村なので、寄り合いを開いて決めればそんなにはもめないってのもある。
しかしもちろん、彼らの手に余る事態は想定できるので、今回はマリーズに残ってもらうことになった。アイシャの面倒を見られるのがマリーズしかいないって事情もあったしな。マリーズは正式にはバッカス男爵(俺)に雇われたメイドということになるのだが、実情はシスティリアのメイドなので、俺としてはあまり無理な頼みごとをしたくない。本人は決して口にしないが、エルドリュース公爵家に仕えていた頃と比べれば、給料にはそれこそ天と地ほどの差があるだろう。それでもシスティリアのそばにいたいと望んだ彼女の気持ちは尊重したい。
……と思ってたのに、今回は彼女に貧乏くじを押し付ける結果になってしまった。
「ええ、わかっていますとも、男爵。この村の人々はのんびりした気性なので、領主不在の時にリーダー格となる存在が見当たりません。以前は代官が住み込みでしたからそれで問題なかったわけですが、今回のようにバッカス男爵がどこかに出向かれるようなことがたびたびあるようでしたら問題ですね」
「そうなんだよなぁ。今回は本当にすまなかった。システィリアの誕生日はこっちでも改めて祝おうか」
今後リンドが派遣してくる予定の商人とのあいだではさまざまな交渉ごとも持ち上がってくる。俺やシスティリアが対応してもいいのだが、村人自身の商売は村人自身に任せるのが本来あるべき形だろう。リンドによれば、領主自ら商会に営業をかけるなんて前代未聞だということだ。知らず知らずのうちに横紙破りをしてしまったわけだが、結果としてリンドという有能で気の合う商人とつながりを持てたのはよかった。
「村の若い衆に商売を勉強させる必要があるか。どこで、どうやってって話なんだけどな」
のどかな農村であるアスコット村では商売の経験を積む機会がこれまでなかった。村の中では金を払って何かを売り買いすることのほうが珍しいくらいだ。リンドは良心的な対応をしてくれるだろうが、商売は基本的には自己責任である。最低限の交渉や契約の詰めができるような人材がほしい。
「それならば、俺のところで勉強させるか?」
あっさりとそう言ってきたのは、ドワーフの族長・ワルドである。もっさりした顎ひげを撫でながら、まるで自分の家のようにうちの食卓についている。俺たちが帰ってくるという話を聞きつけ、土産話を聞きにわざわざ出てきてくれたらしい。もちろんそれは半分口実で、ワッタのことが気になってたんだろうけどな。
「えっ、でも、ワルドのところもそんなに商売をしてるわけじゃないだろ?」
「そうでもないぞ。人間以外の人種との付き合いはそれなりにある。エルフに
「おいおい、そんなことを俺に簡単に明かさないでくれよ。っていうか、いいのか、そんなのに人間を関わらせたりして?」
「かまうまい。今の時代、どの人種も多かれ少なかれ人間との接点はある。まあ、『人間相手には武具を売らぬ』といった暗黙の了解はあるのだがな」
「そうは言ってもな……」
「実を言うと、ドワーフのあいだでは、ドワーフなら鍛治ができて一人前という意識が強すぎてな。金銭勘定のような事務仕事を軽視する風潮があるのだ。ドワーフの手は金槌を握るもの、ドワーフの指に算盤は合わぬ、などと言ってな」
「そうなのか」
「うむ。他の人種との付き合いがあると言ったが、それでもやはりドワーフは閉鎖的な種族であろう。その中のみで暮らしておれば、おのずと価値観が偏ってくる。ワッタよ、王都はどうだった?」
ワルドは、紅茶を飲みながら少し暇そうにしてたワッタに聞いた。
「王都、人、たくさん!」
「そうだな。他には?」
「オヤカタ、いい腕。人間も、鍛治、下手じゃない」
「それはよい着眼点だ。鍛治とは煎じ詰めれば技術に過ぎぬ。ドワーフのみに与えられた授かりものというわけではないのだ。むろん、力が強く、熱にも強く、大地に愛着を抱くドワーフが、最も鍛治を得意とするのは道理ではある。だが、他の種族にもよい鍛治師はいる。うかうかしておっては追い抜かれんとも限らんのだ。まだあるだろう?」
「鍛治する人間、いい人、多い。ドワーフ、似てる」
「ほう。そうかもしれぬな。職人気質のものでなければ鍛治には向かぬ。鍛冶に向く人間は、ドワーフに通ずる気質を持っておるのであろうな。では、他の人間はどうだった?」
「んー……いい人、いる。でも、悪い人、いる。よくわからない人も、いる」
「よくわからない、とは?」
「いいところも、悪いところもある。悪いところだけ直す、できない。複雑。ドワーフ、もっと単純。人間、判断、難しい。信用、できない」
ワッタが何気なく言った言葉に、俺とシスティリアは驚いた。「信用できない」とはなかなか厳しい。
「人、多すぎる。仲良く、なれない。誰が味方か、わからない。初めて会うのに、敵の人、いる」
「なるほどな。人が多ければ互いにすべて顔見知りというわけにはいくまい。となれば、自分の預かり知らぬところで嫌われておることもあろう。そこに派閥や権力がからめば問題はさらに複雑になる。となると、人間を全体として信用するということは難しい。まさに、『人による』としか言えぬであろうな」
「でも、敵、味方になること、ある。味方、何もしてくれない、ある。王様、味方に見えた、でも、何もしてくれない。王子、敵に見えた、でも、最後には責任、取った。だけど、王子、いい人か、わからない」
ワッタの言葉に、ワルドが俺に問うような視線を向けてくる。
「今の国王陛下は、エメローラの母親との約束を守れないことを詫びていた。その気持ち自体には嘘はなかったと思う。十分な補償もすると言ってたしな。でも、積極的に何かを働きかけようという感じじゃなかった。他人事みたいっていうかな」
「舞踏会ではわたしたちに拍手を送ってくださいましたけどね」
「そうだな。あれは有り難かった。でも、善良だがそれ以上でもそれ以下でもないって感じだ。ワッタから見ると煮え切らない態度かもしれないな」
「ほう。まあ、無難な王ではあるのだろう。むしろ、人間の王としてはできた方だと言えそうだな。名君と讃えられることはなくとも、大過なく世を治め、民衆はその存在を意識せずに暮らすことができる」
「ああ、まさにそんな人だな。王子のほうは、最初からエメローラに敵対的だった。いや、退廃的っていうのか? 何か理由があって敵対してるっていうより、母親の言いなりに動いてるように見えるエメローラが気に入らなかったって感じだな。ただ、最後には自分の非を認めて謝ったし、その絵もくれた」
俺は食堂の壁に目を向ける。そこには、さっそく飾った舞踏会の絵があった。孤高の画家ラッヘルは、舞踏会で踊る俺たちを見て衝撃を受け、一夜にしてこの絵を描き上げたという。あの舞踏会の主役はまちがいなくエメローラだったはずだが、ラッヘルはその前座でしかなかったはずの俺とシスティリアのダンスのほうに何かを感じ取ったらしい。
「さきほども見たが、素晴らしい絵だ。俺は絵のことなどわからぬが、こう、心を衝き動かされるものがある。敵の多い舞踏会で、顔を上げて堂々と踊るレオナルドとシスティリアに、その画家は心動かされたのであろうな。芸術家というのは、その多くが孤独なものだ。世界を向こうに回して屹然と立つおまえたちに、おのれに通じる精神を感じたのであろう」
「いやぁ、さすがに言い過ぎだろ……」
そんなに手放しで褒められると落ち着かない。俺はただ、システィリアが恥をかかないようにと必死だっただけなんだが。
「まあ、王子と和解できたとまでは言えないだろうけどな。あの退廃的っていうか、生きることに絶望したような目はなんか好きになれねえし。王子に生まれて何がそんなに不満なんだろうな?」
「祭り上げられる側も、見た目ほどには気楽でないのであろう。では聞くが、レオナルドは、今の人生の代わりに王子に生まれ直すことができるとしたら、その道を選ぼうと思うか?」
「……いや、それはねえな。たしかにそう言われると、見た目ほど気楽な立場じゃないんだろう。俺はやっぱこの村でシスティリアと暮らすのがいちばんだ。人生やり直せるとしても、やっぱりこの道を選ぶだろうよ」
「レオナルド……」
「システィリア……」
「うぉっほん! 俺の前でいちゃつかないでもらえるか?」
ついにワルドにまでバカップル扱いされはじめ、俺は思わず頬をかく。
「ともあれ、学びが多かったようで何よりだ。ワッタ、ご苦労だったな」
「楽しかった! でも、やっぱり、
「結局はそれだよなぁ」
ワッタの言葉に苦笑する。
王都シルベスタは、なるほど、言われるだけはある絢爛な
向こうにいるあいだは気を張ってたせいか気づかずにいたが、この館に帰り着くなり心も身体も一気に緩むのがはっきりとわかった。ワッタもまた同じような気持ちだろう。
「それで、エメローラ殿は王都に残ることにしたわけか。どうなることかと案じておったが、まさか楽師になるとはな」
「それは俺も予想してなかったよ」
「しかし、彼女を一人で王都に残してよかったのか? 心配だからついていったのであろう?」
「大丈夫だと思います。宮廷楽団の団長も親切にしてくれてるようでしたから。それに、何かあったらパトリックが黙ってないでしょうし」
「王子相手に決闘までやったわけだからな。エメローラにちょっかいを出すんなら、剣の名手ローリントン伯爵に決闘を挑まれる覚悟が必要だ。まあ、それがなくても、あの舞踏会はずっと語り草になるだろうからな。他の貴族もエメローラにはおおむね好感情を抱いてるはずだ」
「忘れっぽい貴族でも、あの感動はそうそう色褪せないものでしょうしね」
「そこまで言われるほどの舞踏会をこの目で見られなかったのは残念であるな。まあ、俺の代わりにワッタが見たのなら、ドワーフにとってはそのほうがよかったと思っておこう」
ワルドは壁に掛けられた絵に再び目をやって言う。
「うむ、絵というのもいいものだ。ドワーフは彫刻や彫金が盛んだが、絵を描くものは少ないからな。絵の技巧や顔料などの豊富さは、人間に一日の長があろう」
「ほう、ドワーフの長をしてそう言わしめるとは、さすがはラッヘルと言ったところだな。わたしとしては、名にし負うドワーフの彫刻や彫金こそ見てみたいものだが」
と、いきなり話に入ってきたのは、奇抜ないでたちの女性博士だ。彼女もまた、初めてこの館にやってきたというのに、まるでわが家のような顔で食卓について平然としてる。
「ワーデン博士も、機会があれば里においでいただこうではないか。さきほど見せていただいた蓄音機はたいした発明だ。ドワーフの鍛治師に見せればぶったまげるにちがいない。たまには鼻っ柱を折ってやらんと、どこまでも増長して進歩というものがなくなるからな」
ワルドがそう答えたように、ここにいるのはもちろんノーラ・ワーデンその人だ。
「まさかノーラ姉が本当についてくるとは思いませんでした……」
システィリアが何度目かになるつぶやきを繰り返す。
そう。ノーラは俺たちにくっついてアスコット村へとやってきた。荷物の量からして、相当に長逗留するつもりのようだ。
「エメローラがくぐってきたという陸の海門については、国王陛下直々に認可をいただき、調査の予算もつけてもらった。個人的には、ワルド族長がワッタの滞在の礼として譲ってくださった特殊な鉱石も気になっていてね」
「あの鉱石の異質さがわかるとは、人間にも博識なものがいたものだ」
「何をおっしゃる。それを確かめる意味も含めて、あの鉱石を渡してくださったのだろう。わたしの専門が地質だと知って、その知識のほどを試されたのだ」
「いやなに、試すなどとそんな大それたことは思っておらんかった」
「……結局、なんだったんだ、あれは?」
話題になってるのは、出発前にワルドがワッタに持たせ、ワッタの滞在の礼としてノーラの手に渡った特殊な鉱石のことだ。
ワルドがうなずいて説明する。
「この大地を掘っていくと、これ以上はどうあっても掘れぬというすさまじい岩盤に突き当たるのだ。その岩盤のわずかに脆い部分が自然に崩れたのがあの鉱石よ」
「エメローラの説明では、この大陸は巨大な浮島だという話だったろう? だが、ただの土や岩ででき浮島が、このように安定した形を取るのは難しいはずだ。岩は海底へと沈み、土は海上へと浮かんで波間に砕け、大陸はとうの昔にバラバラになっていなければおかしい。その答えがこの鉱石なのだ」
ノーラがそう補足しながら、懐から問題の鉱石を取り出す。
黒い方形の鉱石には、銀色の細い筋が規則的に走り、ちらちらと赤い光が瞬く……ような気がする。目に見えて光るわけではないのだが、何かが光るような「感じ」がするのだ。
「ドワーフにはただの異様に硬い鉱石としかわからぬのだがな。エルフの連中に見せると、これには緻密な魔力が巡っておるのだという。その魔力が大陸の岩盤を硬化させ、ワーデン博士が今説明したように大陸が分解するのを防いでおるのであろう」
「へえ……」
まあ、それがわかったからなんだという話ではあるのだが。
「ふっ。レオナルドはあまり興味がないようだが、わたしにとってはたまらぬ話だ。学究の徒としてはとてもじっとはしておられぬ。レオナルドとシスティリアの新婚生活を覗くのも一興ではあるしな」
「そっちがメインなんじゃないですか?」
システィリアがうらめしそうに言った。
「ノーラ、一緒、嬉しい!」
「うむ、ありがとう、ワッタ。わが教え子はわたしをあまり歓迎してくれないようで寂しいよ」
「ノーラ、ドワーフの里、来る!」
「そうだな。ワッタが世話になったようであるし、落ち着いたらぜひとも遊びにきてほしい」
「どこに落ち着く気なんですかねぇ……?」
「しばらくは宿に置いてくれると言っていたではないか」
「『しばらくは』、ですよ! どっしり腰を落ち着けられたら困るんですけど!? もともと旅商人に立ち寄ってもらえるように造った建物なんですからね!?」
「では、館の客室は……」
「いや、この館もけっこうボロくてな」
「なるほど、何がとは言わぬが、音や声が筒抜けになるということであるな? 安心しろ、わたしは野外調査の機会も多いから、勝手にテントでも張ってそこで暮らす」
「そ、そういうわけにもいかないじゃないですか!」
じゃれあうシスティリアとノーラに苦笑する。システィリアも本気で拒んでるわけじゃないのは見ればわかるが、実際住む場所は問題だ。
「まあ、また一棟建てればいいさ。王様から歌姫を王都に護送した報奨金が出たからな」
本当なら「王子の婚約者をエスコートした」ことになってもおかしくなかった話なので、王様は俺たちの王都滞在費とはべつにかなり破格の報奨金を出してくれた。おかげで今回の王都出張は結果的には大きな黒字になっている。
それに、ノーラがいてくれると助かることもある。ノーラはエメローラから水に棲むものたちの「言語」について聞き出し、簡単な言葉なら蓄音機で再生、録音できるようになった。今後、三日月湖の北に住むサハギンたちと意思疎通をはかる必要が出た時には、ノーラに任せることになる。
「牧場も作りたいって言ってたじゃないですか。お金はあっても人手は限られてるんですよ?」
「そうだな。リンドの件もある。でも、ノーラの家以外はべつに急ぐ必要もないだろ。俺たちのペースでやってけばいいさ」
「もうひと月もすれば、田畑も収穫の時季であろう。
「そうか、もうそんな時季なんだな」
こうして、王都での一連のごたごたを終えて帰ってきた俺たちは、去りゆく晩夏を惜しみながら、やがて来る収穫の秋を待つことになった。
秋こそは、
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