コミックスピア コミカライズ原作大賞【準大賞&特別賞】受賞記念書き下ろし短編「馴れ初めらしきもの」

小説家になろうで開催されていた「コミックスピア コミカライズ原作大賞」にて、本作がなんと【準大賞&特別賞】をいただき、コミカライズ&電子書籍化していただけることになりました。そのご報告を兼ねてこの記念短編を書き下ろしましたので、楽しんでいただけますと嬉しいです。コミカライズ等の詳報につきましては情報が出次第近況報告やツイッター(@AkiraAmamiya)で告知させていただこうと思います。

賞をいただくことができたのも皆様のご応援あってのことです。この作品をご応援いただいた皆様に、改めて心よりお礼申し上げます。

―――――

 

 十年前、わたしがまだ九歳だった時。

 実家であるエルドリュース公爵家で開催された舞踏会で、わたしは初めてその人と出会いました。


 出会った、というのは大げさかもしれません。

 

 まだダンスができる年齢でもなかったわたしは、興味の持てない大人たちの長話を、ただ大人しく聞いてるしかありませんでした。

 ものすごく退屈だったけど、公爵令嬢としてそんな様子を見せるわけにはいきません。

 もしあくびでもしようものなら、あとで母からどれだけ怒られることか。

 

 あくびを噛み殺し、眠気をこらえ、何かおもしろいことはないかとわたしは会場を見渡しました。

 

 すると、会場の端で、重そうに料理を運んでいる公爵家の侍女が目に付きました。

 まだお屋敷に上がったばかりのその侍女は、料理の運び方がいかにも危なっかしくて、遠くから見てるだけのわたしまではらはらします。

 

 その侍女に、話に夢中になってる令嬢が、背中からぶつかってしまいました。


 侍女の手を離れ、宙にトレイが浮かびます。

 侍女の顔は一瞬にして蒼白になっていました。

 

 トレイが飛んでいく先には、折悪しくシャルマン侯爵夫人の姿がありました。

 シャルマン侯爵夫人は、気が強く高飛車な、いかにもな貴族の夫人です。

 目の上のたんこぶであるエルドリュース公爵家の舞踏会に参加するとあって、いつにも増して高価そうなドレスや宝飾品で身を飾っています。

 

 もしそんなシャルマン侯爵夫人に、我が家の侍女が料理をかぶせてしまったらどうなるか――

 

 おそらく、シャルマン侯爵夫人は怒り狂い、ドレスを弁償せよとお祖父様に迫るに違いありません。

 もちろん、たとえ弁償したところで、公爵家の侍女がいかになってないか、公爵家は侍女ひとりまともに教育できないのかと、あちこちで吹聴して回るに決まってます。

 そんなことは、当時九歳のわたしにも容易に想像できることでした。

 

 誰か、あのトレイを受け止めて!

 

 ひらりと身を翻し、空中で傾きかけているトレイを、料理をこぼすことなく受け止めて、さらには転びかけている侍女を抱きとめる――そんな機転の利く素晴らしい紳士はいないでしょうか?

 

 われながら無理な希望とわかりつつも、そんなことを願わずにはいられませんでした。

 

 結果から言えば、そのようなスマートな紳士はいませんでした。

 

 ただ、


「ど、わ、わ、わわぁぁぁーーーっ!」


 と、間抜けな声を上げて誰かがそこに突っ込んできました。

 その人は、空中にある料理を器用にも――あるいは不器用にも頭から丸かぶりし、そのままの勢いで舞踏会の会場を駆け抜けていきました。

 蒼白な顔の侍女から十分離れたところまで転がっていくと、貴族の座る壁際のソファを器用に避けて、使用人の控室の中へと突っ込んでいきます。

 控室の中からは使用人たちの悲鳴が聞こえました。

 

 これには、会場中が呆然です。

 

 その視線を集めるように、人混みの中から一人の青年が抜け出してきます。

 いえ、青年というにはまだ若く、少年の域をようやく脱したという年齢でしょう。

 わたしには見覚えのある顔です。

 

「警護の者がお騒がせいたしました。どうか、ご歓談をお続けください」


 そう言って腰を折ったのは、剣の名門ローリントン伯爵家の次男であるパトリックでした。

 その頃にパトリックが騎士団での見習いを始めたという話はあとで知ったことです。

 

 涼やかな顔の美青年の如才ないふるまいに、婦人たちが黄色い声を上げています。

 パトリックは、わたしの祖父である当時のエルドリュース公からも、また父である今のエルドリュース公からも気に入られていましたし、ローリントン伯爵家とエルドリュース公爵家は代々縁の深い家でもあります。

 その日彼が居合わせたのはたまたまですが、縁のある公爵家で起きた突然の珍事を、パトリックはいつもの如才のなさで素早く収めてしまったのです。

 パトリックは動揺もあらわな侍女をさりげなくエスコートし、お客様から見えない廊下へと逃していました。

 

 パトリックの振る舞いは、たしかに見事でした。

 

 しかしわたしは、料理をかぶって見えないところに消えていった例の人物の方が気になりました。

 

 会場が浮足立ってる隙に、私は両親の元を抜け出して、廊下をぐるりと回って使用人の控室に向かいます。

 控室の奥、厨房を覗くと、

 

「す、すみませんでしたぁぁぁっ!」


 と、頭から料理をかぶったままの男性が、腰を直角に曲げて謝っているところでした。


「この野郎、大事な料理を台無しにしやがって……!」


 顔を真っ赤にして男性に掴みかかったのは、わたしもよく知る料理長です。

 エルドリュース公爵家の台所を預かる彼は、よく言えば職人気質、悪く言えばおっかない人で、使用人の中でも恐れられている人でした。


 料理をかぶった男性をよく見ると、彼は警護の騎士のようでした。

 ただ、一応は正装ではあるものの、パトリックのような貴族出の騎士と比べると、いかにもパッとしない装いです。

 年齢は、三十歳くらいでしょうか。先ほどのパトリックを見た後では、いかにも風采の上がらない感じに見えてしまいます。

 世の中には貴族出の騎士ではない、平民出身の非正規騎士もいるのだ――ということは、このときのわたしにはまだ知る由もないことでした。


 そういえば……と、わたしは思い出しました。

 舞踏会の最初で祖父のもとに挨拶に押しかける貴族たちに押しつぶされそうになったわたしのことを、警護の騎士がそれとなくかばってくれました。

 公爵家の舞踏会ともなると騎士団からも警護の騎士がやってきますが、彼らの仕事はあくまでも警護。会場の人の整理にまで協力することはありません。

 彼がさりげなく立ち位置を変えただけのことでしたので、本当にわたしをかばったのか、それともただの偶然だったのか、はっきりとはわからない感じでした。


 その彼が、料理長に平謝りしています。 

 

「ど、どうかご勘弁を! 皿洗いでもなんでもしますから!」


「馬鹿野郎! 非正規騎士の皿洗いなんか弁償になるか! あの料理は今日の目玉の一つだったんだ! おまえのせいでエルドリュース公爵家が恥をかくことになるんだぞ! どうしてくれるんだ!?」


 怒鳴り続ける料理長に、非正規騎士の彼は、言い訳もせずに謝り続けます。

 

 わたしは、もう少しで飛び出していくところでした。

 

 だって、理不尽じゃないですか。

 彼は、公爵家の名誉のために、あえて泥を(料理を)かぶってくださったのですから。

 この分では、わたしをそれとなくかばってくれたのも意図的なものだったに違いありません。


 しかし、わたしが飛び出す前に、

 

「ま、待って、お父さん!」


 そう言って厨房に飛び込んできたのは、くだんの不慣れな侍女でした。


「なんだ、ベラ! 今はこいつをとっちめてる最中なんだ!」


 料理長が侍女に怒鳴ります。

 この侍女ですが、実は料理長の娘でもあります。

 身元がたしかということで、公爵家の侍女に採用されたばかりでした。


「わ、わたしが悪いんです!」


 ベラは意を決したように叫びました。


「なんだと?」


「わたしが躓いて、料理をひっくり返しそうになったの! あのままだったら、料理をあの偉そうな夫人にひっかけてたかもしれない!」


「な、何?」


「転びかけたときに、その人と目が合って……そうしたら、その人がいきなり突っ込んできて……」


 気まずそうに目を逸らす彼に、料理長が疑わしそうな目を向けます。


「じゃあ、何か? この野郎は、料理をわざとぶっかぶった挙げ句、貴族連中を避けて控室に突っ込んできた……と?」


「だと思う……」


 彼が控室に逃げ込んだのは、ベラが転びそうになったのを誤魔化すためでもあったと思います。

 大事な舞踏会で粗相をしたとなれば、薄情な貴族なら彼女を即刻解雇するかもしれません。

 でも、彼がこれだけ派手な騒ぎを起こせば、ベラの失敗は誰にも気づかれずに済んだでしょう――ベラが黙っていれば、ですけど。


 料理長とベラが、揃って非正規騎士に目を向けます。

 怒鳴る料理長をおたおたして見ていた他の使用人たちの目も、彼に集まっていました。


 その、注目された彼の第一声です。


「ち、ちげーよ」


 彼は手をぶんぶんと振って否定します。

 

「その嬢ちゃんが躓くのを見て……お、俺も、どういうわけかつられて躓いちまったんだ!」


 ……彼の言い分に、その場にいる全員が「?」の顔です。

 

 だって、それはそうです。

 そんな言い訳、九歳だったわたしにだっておかしいとわかります。


「顔から料理に突っ込んだもんだから、前もよく見えなくて……! なんとか貴族様連中にぶつからないように必死で動いてたら、いつのまにかここに来てたんだよ!」


 一同、沈黙です。

 

 その沈黙を破ったのは、料理長の豪快な笑い声でした。


「馬っ鹿だな、おめえ! ダンスに不慣れなご令嬢ならともかく、警護の騎士が何もねえとこで躓いてんじゃしょうがねえや!」


 そう言って実に朗らかに笑ってから、


「そんな格好で皿洗いなんかされたら、かえって皿が汚れちまう。まっ平らなダンスフロアで躓くような不器用な騎士の手伝いなんざお断りだ! ベラ、ぼさっとしてねえで、この間抜けをどっかで着替えさせてこい!」


「わ、わかった!」


「あ、いや、俺は……」


「そんな格好で警護なんてされたら、エルドリュース公爵家の面子にも関わります! さ、こっちに来てください!」


「あ、おい……!」


 ベラに腕を引っ張られ、彼は使用人の使う通路の奥に消えていきました。

 

 料理長が、厨房にいる料理人たちに声をかけます。


「おい、おまえら! あの料理は駄目になっちまった! しかたねえ、今からあれ以上の奴をでっち上げるぞ!」


「はい!」「ええ!」「おう!」


 料理人たちは腕まくりをし、それぞれの持ち場に向かいます。



 ……その後のことを付記しておきます。

 気合いを入れ直した料理長がありあわせの食材で作り上げた新しい料理は、その食感の珍しさで話題になり、エルドリュース公爵家の名物料理の座を勝ち取りました。

 その名物料理の正式名称は――




    †


「おっ、珍しいもん作ってるな」


 領主の館の台所で夕食の準備をしていたわたしは、後ろからかけられた声で、長い追憶から意識を戻します。


「知ってるんですか?」


 後ろから声をかけてきたのは、もちろんレオナルドです。

 騎士団務めが長かったせいか、食事時に食事の準備をしていないと落ち着かないと言ってました。

 逆に、公爵令嬢であるわたしにとっては、普段の料理は専門の使用人に任せるのが普通でした。

 だからこそか、わたしは人に料理を作ってあげるのがわりと好きです。

 結果、料理の準備はわたしとレオナルドが交代でやるか、協力してやるかになりがちでした。


「ポットパイだろ? けっこう昔に王都で流行ってたな」


 まるで他人事みたいな口ぶりに、わたしは違和感を覚えます。

 

 ……まさか、知らないのでしょうか?


「このポットパイは、エルドリュース公爵家の料理人が考案したものなんですよ?」


「へえー、そうだったのか。こんなもの思いつくなんて、さすが公爵家の料理人だな」


 本気で感心したふうなレオナルドに、わたしはぽつりとつぶやきました。


「……本当に知らないんですね」


「ん? なんて言ったんだ?」


「ああ、いえ……。えっと、このポットパイには正式名称があるんですけど……知ってます?」


「えっ、ただのポットパイじゃなかったのか?」


 レオナルドの様子は、とてもとぼけてるようには見えません。

 十年前のあの時も、とぼけるのが下手すぎてバレバレだったくらいです。

 これは本当に知らないと見ていいでしょう。

 

「正式名称は……『出世街道では躓かないためのポットパイ』と言います」


「出世……え?」


「ですから、『出世街道では躓かないためのポットパイ』です」


「……なんでそんな珍妙な名前になったんだ? あっ、わかったぞ。公爵家の誰かの栄達を願って、とかだろ?」


「ふふっ。さあ、どうだったか、忘れてしまいました」


 お節介な非正規騎士が躓いても、熱い中身をかぶることがないように……と、あの料理長が考え出したのがポットパイです。

 あの場でこんな奇抜な料理を思いつくのですから、レオナルドの言うように「さすがは公爵家の料理人」だと思います。


 正式名称はもちろん、「舞踏会で躓いて料理をかぶったお人好しの非正規騎士が、出世街道では躓かずに済むように」という料理長の秘められた願いから来ています。

 非正規騎士としては出世したとは言えないレオナルドですが、その後男爵に叙されたことを思えば、料理長の願いは天に届いたと言えそうです。


 あの一幕のあと、わたしはレオナルドとベラの後をつけて、レオナルドの着替えの世話をするベラを覗き見しました。


 レオナルドは「なんで出てきたんだ。黙ってれば全部俺のせいにできたのに」などと言い、ベラは「あんなことをされて、ほっかむりを決め込むなんてできません!」と怒ってました。

 甲斐甲斐しく世話を焼くベラと、照れたようにぶすっとしてるレオナルドを見て、わたしは生まれて初めての感情を味わいました。

 人知れず泥をかぶろうとした人が報われてよかった……と思うべき場面だったと思うのですが、わたしはなぜか胸のむかむかを持て余すはめになりました。

 

 その後もしばらく、ベラは「ポットパイの騎士様」の再訪を願っていたようですが、そのような機会はありませんでした。

 まあ、ベラはその数カ月後に別の男性と知り合って、今では幸せそうにしてるんですけど。


 それだけの出来事があったのに、まさか本人がポットパイの由来を知らなかったなんて……。

 

 ……この様子だと、ベラがレオナルドに寄せていた想いにすら気づいてなかった可能性がありますね。

 普段はモテたことなんてないとなぜか自慢げに言うレオナルドですが、本人の自覚のないところで、わたし以外の女性とロマンスが生じかけたことはあったのかも……。

 

 そんなことを思うと、九歳のときに感じたのと同じ胸のうずきを感じてしまいます。

 

「……どうしたんだ? 急に不機嫌になって」


「な、なんでもありません!」


 村の食材を使ってありあわせのシチューで作ったポットパイは、われながらなかなかの出来だったと思います。


「うまかったな。王都とは食材がちがうのにこんなに美味くできるとは思わなかった」


「何を言ってるんですか。このポットパイは、ありあわせの食材で、機転を利かせて作るのが本物なんです」


「なんだそれ、変な縛りがあるんだな」


「料理長が、ある人に見習ったことなのだそうですよ」


「そうか、そいつが出世街道うんぬんの奴なんだな? そんなに機転が利くんなら、きっと今頃いいご身分に収まってるんじゃねえか?」


「ふふっ、そうかもしれませんね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おっさん騎士が田舎でまったりスローライフを送ろうとしたら婚約破棄された公爵令嬢が転がり込んできた件 天宮暁 @akira_amamiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ