22 プロポーズ

「なんですか? こんな時間に、こんな場所で」


 ドワーフの里の欄干に腰かけて星を眺めていると、システィリアがそう言って俺の隣に腰を下ろす。


 月明かりに照らされたシスティリアの横顔は、ほとんど神がかって美しい。


(本当にこの女が俺の妻になるのか?)


 おとぎ話の美姫のように、いずれは煙となって消えてしまうのではないか。

 そんな不条理な恐れに襲われる。


 俺は、握りしめていた小箱をシスティリアに渡した。


「あの……これは、まさか……」


「開けてくれ」


 システィリアが小箱を開く。

 桐の箱の中には、えんじ色のクッションが詰まってる。

 その真ん中には、もちろん、結婚指輪があった。

 見事にカットされたサファイアの石がついている。


「ドワーフの里のそばに火山があるのは知ってるよな」


「え、ええ……」


「そのおかげで温泉が出たわけだが、それ以外にも火山からは宝石の原石も出るらしい。

 本当は金剛石がいいって聞いたんだけどよ、俺の収入じゃとても手が届かんかった。

 ワルドはタダで持ってけっつーんだが、そんなわけにもいかんだろ。なんとか手の届く範囲で用意して、石も輪もワッタに頼んで削ってもらった。

 すまんな、本当なら王都のデザイナーに依頼して作るべきなんだろうけどよ」


 俺は、つい早口になって、いらない説明を口走る。

 システィリアはそんな俺を、期待に潤んだ目で見上げてくる。


「あー、ええっと、とにかく、だ。

 ――結婚してくれ、システィリア」


 俺は、システィリアを真っ直ぐに見つめてそう言った。


 本当は、もっと飾った言葉を用意してた。

 だが、最後に口に出たのは、そんな簡素極まりない言葉だった。


 システィリアは、指輪を取り出し、月の光に照らして、いろんな角度から眺めてる。

 システィリアが、俺の渡した指輪を薬指にはめる。


「その、サイズは大丈夫か? ワッタに頼んで、こっそり指のサイズを測らせたんだけどよ」


「はい……ぴったりです」


「そうか。よかった」


「レオナルド様」


「なんだ?」


「ありがとうございます。システィリア・フィン・エルドリュースは、レオナルド・バッカスのプロポーズをお受けします。これからは、システィリア・バッカス――いえ、男爵になったらシスティリア・フィン・バッカスになりますね」


「なんか座りが悪いな。いっそ改名するか? バッケロアとかなんとか、それっぽい家名によ」


「いえ、慣れの問題ですよ。わたしがただのレオナルド・バッカスに恋をした証に、家名はそのままにしていただけると嬉しいです」


「そ、そうか……」


 俺は照れて頬をかく。


 その手を、システィリアが掴んできた。


 システィリアは、俺の指に自分の指をからませると、俺の腕を下ろし、身を乗り出して、俺の頬に口づけをする。


「これから、よろしくお願いします、旦那様」


「ああ、よろしく頼む、俺の奥さん」


 今度は俺の方からシスティリアに身を乗り出し、空いてる方の手でその肩をつかんで、唇を奪った。

 そのまま、システィリアのことを押し倒す。


「……正直言うと、我慢の限界だったんだ」


「ふふっ。わたしも、です」


 空に浮かぶ月だけに見守られながら、俺とシスティリアはその夜、初めてひとつに結ばれた。






「ふむ。貴殿がレオナルド・バッカス準男爵か」


 館で出迎えた俺に、エルドリュース公爵がそう言った。

 公爵は、白髪の一房まじった精悍な壮年男性だ。

 さすがシスティリアの父親だけあって、なかなか渋い顔立ちをしてる。

 見た目の威厳に比べると、背は少し低いだろう。


 公爵の背後には、エルドリュースの家紋の入った豪華な二頭立ての馬車が停まってる。


 公爵は、俺の顔や身体をまじまじと見る。


「わからぬものだな。失礼ながら、パトリックと比べて貴殿がよいとはなかなか思えぬ」


 率直な公爵の物言いに苦笑する。


「俺もそこはわかりません。娘さんに聞いてください」


「娘か……。あれが私と口を利かなくなってどれくらい経ったろうな」


「立ち話もなんです。中へどうぞ。ボロすぎて驚かれるかもしれませんが」


「覚悟はしておるよ」


 むっつりとした顔で言う公爵を、館の中に招き入れる。


 そこで待っていたシスティリアが、公爵に淑女の礼をした。


「ようこそお越しくださいました、お父様」


「システィリア……」


 公爵はなんと言っていいのかわからない顔をしていた。


 公爵は、真剣な顔になり、システィリアに向き直る。


「システィリア。私には今回のことは一向に理解できぬ。

 だから、一点だけ聞かせてくれ。

 おまえは今、幸せか? これから先、この男と幸せに生きていけそうか?」


 唐突な公爵の問いに、俺もシスティリアも驚いた。

 こういう場合の礼儀作法や手順については、システィリアとマリーズに徹底的に仕込まれた。

 だが、公爵自身がそれらをすべてすっ飛ばしてきた。


 システィリアは、にっこり微笑んで言った。


「――はい。幸せです。システィリアはこれから先も幸せでいられるでしょう」


「そうか……わかった」


 システィリアの父親はそれだけをつぶやいた。

 そして、俺に豪華な飾りのついた箱を手渡した。

 公爵に促されてそれを開けると、中からは書状と勲章が現れた。

 書状には、俺をノージック王国の男爵に叙すると書いてある。最後には国王陛下の印があった。

 勲章のほうは、俺が男爵であることを証立てするもので、国の式典や出征の時などに着用するものだ。


「システィリアの夫が男爵では不満だがな。いっそうちの婿に入らんか? 公爵家は長男が継ぐが、それとはべつにどこかの領地を与えて、伯爵くらいには引き上げられると思うが」


「いえ、遠慮しておきます。俺には男爵でも荷が重いですよ」


「聞いていた通り欲のない男のようだな。それはそれで安全ではあるか。なまじ位が高いと、その分政争にも巻き込まれやすい。エルドリュース公爵家は貴族の筆頭だけに、時に国王陛下からも悋気りんきを買うことがある」


「ははぁ。大変なんですね」


「国王陛下に対しては、常にこうべを垂れておくことだ。

 おまえはこれからエルドリュースの縁戚と見なされる。

 その意味では、おまえの腰の低さは悪くない」


 公爵が俺をじろじろと見る。


 俺が居心地悪くたたずんでると、


「お父様。お食事を用意しています。召し上がって行ってください」


 と、システィリアが公爵を誘う。


「ふむ。用件が済んだら帰るつもりでいたのだがな」


「わたしが作った料理を食べてはくださらないのですか?」


「うぐ……。わかった、せっかくここまで来たのだ、いただこう」


 システィリアが、公爵を食堂に案内する。


 公爵が食卓につく。


 システィリアとマリーズが料理を運んでくるあいだ、俺は公爵とサシになった。


「お口に合うかわかりませんが、この村の農産物はおいしいですよ」


「ほう、楽しみだ。王都では新鮮な食材は手に入れにくいからな」


「逆にこっちでは、砂糖が希少ですね。お菓子の材料になるようなものがなかなか手に入らないのが難点です。ま、新鮮な食事があれば俺は満足なんですが……」


「システィリアは菓子作りが趣味だったからな。それでは寂しかろう。あとで手配して送らせようではないか」


「ありがとうございます、閣下」


「閣下はよせ。それから、勘違いするな。娘に不便な思いをさせたくないだけだ」


 公爵が、嫌そうな顔でそう言った。


「なんとお呼びすればいいでしょう?」


「むう。父と呼ばれるのも業腹ではあるな。とりあえずは『公爵』でよかろう」


 俺が公爵と話してる間に、料理が並んだ。

 サラダ、スープ、パン、粥、イノシシ鍋。

 どれもこの村で採れたものだ。

 普段は大きな鍋を囲んで食うところだが、公爵にはハードルが高いだろう。今回は一人用の小さな鍋に、野菜と肉を盛り込んでる。


 公爵が目を細めた。


「これを、システィリアが作ったのか?」


「はい」


 システィリアが自分の席に着きながら言った。

 領主である俺がテーブルの短辺に座り、その右隣にシスティリア。

 システィリアとは反対側の、角を挟んだ長辺に、客人である公爵が座ってる。

 貴族が貴族をもてなす時の慣例で、公爵は食堂の扉側の席になっていた。

 いざって時に逃げ出せるようにという貴族の形式的なマナーだな。


「む、これは箸……だったか」


 公爵が木の箸を持ち上げ、珍しそうに眺める。


「フォークでもいいのですが、鍋を食べる時はこっちのほうが便利です」


 システィリアが、気持ちドヤ顔でそう言った。

 そう言うシスティリアも、箸の扱いには最近ようやく慣れてきたところなのだが。


「では、鍋からいただこうではないか」


 公爵は、鍋から匙で肉や野菜を取り皿に取り、それをぎこちない箸使いで口に運ぶ。


「……ど、どうですか?」


 システィリアがおそるおそる聞いた。


「美味いな。狩りに出かけた際に、仕留めた獲物をその場でさばいて食ったことがある。あれに似ているが、あれよりは料理としての工夫があるな」


「あまり香辛料はないのですが、代わりにハーブ類は多いですから。

 でも、お父様が狩りに出られていた記憶がないのですが……」


「おまえが生まれる前のことだからな。若い頃は友人に付き合わされたのだ。馬も弓も苦手だから、ろくに役に立たなかったがな。そのうちに呼ばれなくなってしまったよ」


 公爵が、昔を懐しむ顔でそう言った。


「その私の娘が、馬が好きで弓が得意というのもおかしな話だ。おまえの母親は典型的な貴族の令嬢だったのにな」


「お母様は、なんと?」


「なんとも何もあるか。半狂乱だよ。あれの知ってる世界は狭い。そこから一歩でもはみ出るものは、すべて下賤で嫌悪すべきものなのだ」


「そうですか……」


 システィリアは、さほどショックを受けた風でもなかった。

 予想してた通りって感じだな。


「おまえは、私やあれが行かせまいとする方にばかり行きたがる娘だった。

 あれの心境は知らないが、私としては、まるであてつけられているようにも感じていた。私とあれのような夫婦にはなりたくない、そう言われてるような気がしてな」


「そ……んなことは……」


 システィリアが言葉に詰まる。


「私が関われば関わるほど、おまえが遠くに行ってしまうように思えたのだ。いつしか私はおまえと関わることを避けるようになった。それが正しかったのか、間違っていたのか。今となってはわからんな」


 システィリアは、父が厳しいとこぼしていた。

 そこから逃れるために馬で遠乗りすることも多かったと。


(娘と向き合うべきだった……とも言えないか)


 エルドリュース公爵家の当主である父が娘に「向き合」えば、どうしたって上から押し付けるような態度になるだろう。

 システィリアに反発があるならなおさら、向き合った分だけ互いに傷つくことになったかもしれない。


 公爵は、他の料理にも手をつける。


「うむ。美味いではないか。宮廷の料理とはまるで違う」


「お父様のお口には合いませんか?」


「そうだな。香辛料がないから味が締まらぬし、肉は茹ですぎてすこし硬い。パンはぽそぽそしているな」


「うっ……」


「だが、それの何が問題なのだ? 娘が丹精込めて作った料理を食う。これほど満ち足りた食事は、幾年ぶりだろうな」


 公爵がナプキンで口をぬぐう。


「どうせ、この村でやっていけることをお父様に証明してみせます、とでも思ったのであろう。愛されておるではないか、レオナルドよ」


「ぶっ! は、はぁ、恐縮です……」


 いきなり話を振られ、なんとか返す。


「心配がないとはとても言えぬが、おまえなりに考えた結果なのであろう。私の用意した婿に匙を投げさせたのだ。今さらいいの悪いの言ってもしかたがない」


 公爵は、用意された料理を、一口も残さず平らげた。

 ちょっと多めに用意してたから、公爵はお腹が苦しそうだ。


「システィリア。もしくじけるようなことがあったら、遠慮なく頼ってきなさい」


「は、はい……いえ、くじけることはないですが」


 最後まで突っ張るシスティリアに苦笑しながら、公爵が俺に言ってくる。


「貴族社会は想像以上に厄介なものだよ。君も騎士だったならある程度は知っていようが、高位貴族ともなればなおさらだ。

 もし、君の手に余ることがあったら、私に言ってきなさい。間違っても自分だけで対処しようとはしないように」


「はぁ、わかりました。お気遣い感謝いたします」


 公爵は、小さくうなずいて立ち上がる。

 マリーズがすばやく扉に近づき、公爵を通す。


「私はこれで失礼しよう。まったく、この村には宿すらない。領主の館までこの有様では、まともに客人も招けぬではないか」


「それはもう、おっしゃる通りで」


 エルドリュース公がここに泊まろうとしたら、随員たちの部屋まで用意する必要がある。

 ところが、この館に客間はひとつしかない。


「田舎もいいものだがな。村として最低限の機能くらいは整えるべきではないかね、新領主よ?」


 最後にそんな小言を残して、公爵が馬車に乗り込んだ。

 公爵は、馬車の扉を閉ざす前に、システィリアへと振り返る。


「システィリア。思うままに生きなさい。私にはできなかったことだ。おまえが私とは違う人生を歩みたいというならそれでいい」


「は、はい。その、ありがとうございます。お父様」


 馬車の扉を馭者が閉ざす。

 馭者が、馭者台に上って手綱を振るう。

 エルドリュース公爵家の豪華な馬車が、村のでこぼこ道に苦労しながら去っていく。


 俺は、隣にたたずむシスティリアに言った。


「……よかったな、システィリア」


「はい。わたしは、お父様のことを見くびっていたようです」


 ほっとしたような、すっきりしたような顔で、システィリアがそう言った。

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