愛は夏の海のように
23 遠乗りデートと不思議な湖
システィリアは、
「お日様がまぶしいですね」
「そうだな。ひっついてるけど暑くないか?」
と、俺が聞く。
俺とシスティリアは、アイシャに二人して乗っている。
システィリアが前に乗って手綱を取り、俺はその腰にしがみついてる状態だ。
「いつもよりレオナルドの体温が感じられて嬉しいです」
「……それはなんかちょっとエロいぞ」
「え、エロくありません! そんなことを言う人がエロいんです!」
俺たちは、アイシャに乗って遠乗りに出るところだった。
本来なら、男が手綱を取って女性を前に抱えるか、自分の後ろに乗せるものなのだが、アイシャは俺に手綱を取られるのがあまり好きじゃないらしい。
しかたなく、システィリアが前に乗って手綱を握り、俺はその後ろにひっついてる。
これでは、白馬の王子様ならぬ白馬のお姫様だ。
「あ、スライムがたくさんいます」
システィリアが斜め前を指さして言った。
システィリアの腰につかまったままの姿勢で、俺は彼女の視線を追いかける。
初夏に差し掛かったアスコット村の田畑には、雑草や害虫を食うスライムが定期的に放たれている。
今も、あぜ道のかたわらに広がる水田の中で、何匹ものスライムがぷるぷると震えていた。一見ただ震えてるだけに見えるが、体内に取り込んだ雑草や害虫を消化しているところらしい。
スライムたちを監視しているスライム小屋の管理人が、こっちに会釈を送ってきた。
俺は、領主としての威厳をこめて、重々しく会釈を返す。
……システィリアの腰にしがみついたまま、だけどな。
「農業用スライムがいなかった頃は、雑草を抜くのも害虫駆除も大変だったらしい」
「スライムはモンスター避けにも使えるんですよね?」
「ああ。柵で囲いきれてない田畑もあるからな。そこにスライムを置いておくと、一定の効果があるって話だ」
イノシシみたいな普通の獣ならスライムがいるだけで近づかないという。
モンスターでも、ある程度は避けるようになるらしい。
アイシャはあぜ道を軽快に進み、村のはずれに差し掛かる。
「あ! あれですね」
左手奥の野菜畑に、スライムを囲った柵が見えてきた。村と外との境界沿いに細長い柵の囲いがあって、その中にスライムがたむろしている。
「閉じ込められてるのにモンスター避けになるんですか?」
「なんでも、スライムの揮発した体液が、獣やモンスターを遠ざけるらしい」
弱いモンスターが身を守るために発達させた、自己防衛の手段なのだろう。
スライムはモンスターのくせに、下手をすればただの野生動物に負けるからな。
「人や農作物に害はないんでしょうか」
「ちゃんと検証はしたって聞いてるぞ」
よその村からスライムを持ち込む時にパトリックが入念にチェックさせたらしい。何事につけやることにそつのない上司である。
剣の腕は一流で仕事もできる。やがては騎士団長にもなれるだろう。システィリアの一件が影響しなければいいのだが。
「よーお! おでかけか、領主様!」
門のところから、見張りの狩人が声をかけてくる。片足が義足の、元非正規騎士の狩人だ。
同じ元非正規組として、俺にも気安く接してくれる。男爵に叙せられ、正式にアスコット村の領主となった今でも、こいつの態度に変わりはない。
というより、村人のほとんどがそうだった。村人からすれば、俺が代官だろうが領主だろうが大差はないということだろう。村が変わらず温かいのは、俺にとってはありがたい。
俺は
「ああ、ちょっと遠乗りにな!」
「奥さんの腰につかまってかぁ? いいご身分だねえ、領主様ぁ!」
「それは言うなっ!」
俺だって馬に乗れないわけじゃないが、アイシャが言うことを聞かないのだからしょうがない。さすがエルドリュース公爵家で育った馬だけあって、なかなか気位が高いのである。
俺とシスティリアは、アイシャに乗って門を抜ける。
森には入らず、村の外側をつたって回りこむ。
ドワーフの里のある山とは反対側に進んでいくと、ほどなくして木立がまばらになった。背の低い灌木があるだけの、開けた草原が広がっている。
見渡す限りの……というほどじゃないが、歩いて横切ろうとしたら、ちょっと疲れそうなくらいの広さはある。
「ここなら、この子も思いっきり走れますね」
青い空の下に広がる草原を見て、システィリアが言った。システィリアの声には期待と興奮がこもっている。乗り手の意気を汲み取ったか、アイシャがぶるるっといなないた。
「ちょっと待て。思いっきりって……」
「行きますっ!」
かけ声とともに、システィリアがアイシャの手綱を強く引く。
アイシャが脚を一気に速める。
「うおおおおっ!?」
俺は思わずシスティリアの胴にしがみつく。
システィリアは前傾姿勢になり、腰を
「はぁっ!」
システィリアがさらに手綱を振るう。
草原の光景が、ものすごい勢いで後方へと流れていく。
「は、速いな!」
「二人乗りなので、これでも、普段よりは、遅いです!」
舌を噛まないように気をつけながら、俺とシスティリアが言葉をかわす。
数分ほどで、アイシャは草原を端から端まで突っ切ってしまった。
アイシャが「もう終わり?」とでも言いたげに、半分満足だが半分は物足りないというような鼻息を漏らす。
俺たちは、木々のあいだにある古い街道筋に入っていく。
さっきよりは速度を落したアイシャが、小気味よい足音を刻みながら、凸凹のある旧街道を速足で進む。
旧街道を進むことしばし。
俺たちは、無人の廃村に行き着いた。
この廃村は、一時期アスコット村から入植したものの、不便が多くて結局放棄することになったと聞いている。流賊やモンスターの住処にならないよう、建物はすべて潰されている。
建物の跡や古井戸、割れ目から雑草の生い茂った敷石などがもの悲しい。
「あの風車のある丘だな、ばあさんが言ってたのは」
俺とシスティリアはアイシャに乗ったまま、小高い丘を登っていく。人二人を乗せたまま坂を登るのだから、アイシャの脚力は大したものだ。
丘をぐるりと回り込む緩い傾斜を登りきると、そこには羽の止まった風車がある。
風車のある高台からは、ちょっと離れたところに、三日月型の湖を望むことができた。
木々の茂った奥に、湖底が見えそうなほど澄んだ湖が、透明な湖水をたたえている。
湖水は初夏の陽光を受けて、波頭がキラキラと輝いていた。
「わぁ……っ」
システィリアが歓声を上げた。
「へえ……絶景だな」
森の奥に見える三日月湖は細長い。元は川が流れていたのだが、その流れが変わったことで、川の一部だけが湖として残ったらしい。そのわりに湖が枯れることもないのは不思議といえば不思議である。
「湖があるなら、どうしてこの村を放棄したのでしょう?」
「水棲のモンスターが多いらしいんだよな。川から離されちまったから、流れが止まって、水棲モンスターの棲処になっちまったらしい」
「あんなに綺麗なのに、もったいないですね」
「綺麗なのはモンスターが魚をほとんど食い尽くしちまったせいなんだと。
魚が少ないと水が汚れない。魚の死骸がなければ、水草もあまり育たない。結果、水が透明になる。
そういうとこを見ると、モンスターってのはやっぱ呪われた存在なんだと思うな」
「綺麗すぎるのも不自然なんですね」
システィリアが複雑そうに言ったところで、湖のほうから気持ちのいいそよ風が流れてきた。
嗅いだことのない、不思議な匂いが俺の鼻を打つ。
「……潮の匂いがしますね」
システィリアがつぶやいた。
「塩?」
「いえ、潮です。海の香り、と言いましょうか」
「ああ、聞いたことがあるな。海は塩辛くて独特の匂いがあるって」
「レオナルドは海を見たことはないのですか?」
「ノージック王国は内陸の国だからな。正規騎士なら他国に出向く機会もあるだろうが、俺のような非正規騎士が外交使節についていく機会はそうそうない。
システィリアは海を見たことがあるのか?」
「はい。小さい頃に二度ほど、冬場に南の海に出かけたことがあります」
「ああ、
ノージック王国の冬は、そこまで厳しいわけじゃない。
だが、寒いことは寒いので、貴族の中には寒さを嫌って南のルタミアに出かける者たちもいる。ルタミアは温暖で、南の多島海に面した風光明媚な土地らしい。
「俺には縁のない話だな。でも、その潮の匂いがあの湖からするって?」
「はい。わたしもそんなに長く逗留したわけではありませんので、あまり自信はないのですが、ほんのり潮の匂いを感じます」
「どういうことだろうな……」
アスコット村は内陸にある。最も近い海は、はるか北にある氷海だ。この湖のさらに北側には湖沼地帯が広がっていて、それを抜けると大草原が、そのさらに北には氷海があるという。システィリアが幼少の頃に避寒に出たというルタミアは、距離としては氷海よりも遠かったはずだ。
「モンスターがいるからほとんど調査ができてないって言ってたな。流れの冒険者でも雇って、一度調査をしてもらうか」
海と湖では、同じ水棲モンスターでも種類がかなり違うと聞く。魚と同じように、海とそれ以外では棲むモンスターの種類が違うという。
「まあ、当面危険はないと思うけどな」
水棲モンスターが陸に上がってくることはありえない。中には水陸両生のモンスターもいるが、そうしたモンスターも水辺を離れることは基本的にない。
「念のため、湖には近づかないよう村人たちに注意しておくか」
「そうですね。ごめんなさい、せっかくのピクニックなのにつまらない話をしてしまいました」
「そんなことはないさ。これが潮の匂いってやつなら、こんなところで嗅げるなんて運がいい。機会があったらシスティリアと海に行ってみたいもんだな」
まじめに領主をしていれば、ルタミア旅行の資金くらいは貯められるだろう。
パトリックのところに嫁いでいれば新婚旅行くらいはできたはずだ。少しくらいは、そんな贅沢もさせてやりたい。
まあ、当分先にはなっちまうだろうけどな。
「ふふっ。それは素敵ですね。でも、無理はなさらないでくださいね? 村の暮らしもわたしは好きです。この暮らしを崩してまで贅沢をしたいとは思いません」
俺のちょっとした見栄は、システィリアにはお見通しらしかった。
「いい嫁さんを持ったものだよ」
俺とシスティリアは、風車の近くにあった切り株に腰かけ、初夏の風景を楽しむことにした。
「持ってきたお菓子を食べましょう」
システィリアがそう言って、アイシャの腰の上に固定した荷袋からバスケットを取り出した。
中には1ダースくらいのクッキーと、タルトとパイが入っていた。タルトとパイはそれぞれ二切れずつ用意されている。
一緒に取り出した水筒に入っているのは、ここでは珍しい紅茶だった。
「どうぞ」
「じゃあこっちから」
俺はタルトを手に取った。ビスケットみたいな生地を器にして、黄色いペースト状のものが詰められている。タルトからはふんわりと柑橘系の香りがした。
「レモンとチーズのタルトです。チーズはおばあさんからいただきました」
「そういや、村でチーズも作り始めたんだっけ」
村には少ないながらも乳牛がいる。
システィリアは実家に頼んでチーズの製法を調べてもらい、ばあさんと一緒にチーズの開発を始めていた。スライムの導入で農民の手が空くようになったので、村では本格的に酪農に挑戦しようという話が出てるのだ。
アスコット村の住人たちは、のんびりしてるようでいて、意外と新しいものに敏感だ。ばあさんによれば、のんびりしているからこそ新しいものに飢えてるのだとか。ドワーフたちと山で出くわすことの多い木こりたちも、最近はどちらからともなく挨拶をかわすようになったらしい。
俺は、レモンチーズタルトを口に運ぶ。
しっとりとしたペーストとさくっとした生地。
チーズの旨みの中に、ほんのりレモンが効いている。
チーズは美味いが、それだけでは飽きやすい。
レモンが効いてることで、タルトは食い飽きない味に仕上がっていた。
「うまい!」
「ふふっ。ありがとうございます」
システィリアが微笑んだ。
「システィリアの菓子はどれもうまいな」
「レオナルドがお父様に頼んでくださってよかったです。本当は、この村にあるものだけで……とも思ったのですが」
「これまで生きてきた世界を、無理に否定することはないさ。これまでの経験だって、システィリアの一部には違いないんだから」
「そうですね。村に馴染むことも大事ですが、同じくらい自分の
システィリアがアイシャを優しく眺めながらそう言った。
「時間ならいくらでもあるんだ。二人でゆったりやっていこう」
そこで会話が途切れ、高台にはさざなみにも似たそよ風の立てる音だけが響く。
一緒にいるのに黙ってるわけだが、けっして気まずい空気じゃない。直接言葉をかわさずとも、ただ同じ時間を共有してるだけで、じんわりと心が満たされる。
隣に座ったシスティリアが、俺に身体をもたせかけてきた。
「……どうした?」
「ふふっ。幸せだなぁと思って」
「答えになってねえぞ」
「答えなんてどうでもいいじゃないですか。これから先、ずーっと一緒なんです。ゆっくりまったり、毎日起きる日常のことを、一緒に楽しんだり悩んだりしながら生きていく。そんなのんびり暮らしを、愛する人と一緒に送れるなんて、わたしはなんて幸せなんでしょう」
「そりゃ俺のセリフだ」
俺はシスティリアの肩を抱き寄せた。
「あとで嫌になったとか言い出しても、もう絶対に離さないからな」
「はい。わたしこそ離れませんよ?」
システィリアがしあわせそうに微笑んだ。
システィリアの言う通りだ。
これから先は、こんな暮らしがずっと続くのだろう。
パトリックとの決闘みたいなドラマは、この先そうそうないはずだ。
……ないよな?
ないことを願いたい。
正直、システィリアが転がり込んできてからあの決闘までで、俺は一生分のドラマを味わったような気がしてる。この歳まで平坦だった人生が、いきなり我に返って一気に押し寄せてきたような感じだった。
これ以上のドラマは、ただの元非正規騎士でしかない俺には荷が重い。
俺はただ、愛する人と一緒に毎日の暮らしを歩んでいきたいだけだ。
物語になんざなりようがないような平和な暮らし。
だがそれこそが、何よりも貴重で、かけがえのないものなのだ。
「なあ、ここで……しない?」
「もう、そればっかりじゃないですか。情緒も何もないんですから」
そう言いながらも、システィリアは抵抗しなかった。
俺はシスティリアを優しく抱き寄せ、そのみずみずしい唇に自分の唇を重ねようとした。
――その時だった。
風に乗って、遠い悲鳴が聞こえてきたのは。
……俺が
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