48 お返事は
誕生日会の終わり際になって、予想だにしない騒動が持ち上がった。
エメローラの歌に聴き入っていたところで、屋敷の側から騒ぎの気配がした。
直後、屋敷側から思いもしない人物が現れた。
中庭にいた参加者たちが、その人物にぎょっとした目を向ける。
「お、王子!?」
さすがというべきか、最初に立ち直ってそう言ったのはエルドリュース公爵だ。
「す、すみません、王子が謝罪するから通すようにと仰せられて……」
屋敷の使用人がノーラにそう弁解している。
王子は、中庭をきょろきょろと見回すと、俺とシスティリアを見つけて近づいてきた。
それにも驚いたが、もっと驚いたのは、その王子の背後にパトリックまでいたことだ。
俺が視線でパトリックに疑問を投げかけると、パトリックは「大丈夫だ」といった顔つきで肩をすくめた。
「王子殿下。ようこそおいでくださいました」
とっさにそう対応できたシスティリアを褒めてやりたい。
「ああ、すまんな。約束もなしに晴れの場に闖入した無礼は許してほしい。この通り、贈り物も持参してきた」
王子は手にした額縁を掲げてみせる。
額縁の中には、油彩の絵があった。舞踏会の会場のど真ん中で踊る男女。俺とシスティリアを描いたものだ。
舞踏会の会場で絵を描いてたはずはないので、あとから記憶を頼りに描いたのだろうが、あの舞踏会の雰囲気をよく捉えていた。奥の方には楽団とセッションするエメローラもいるし、ノーラとワッタ、パトリックの姿も小さくだが描かれている。俺たちが踊ってた時には他の四人も踊ってたので時系列的にはありえない光景だが、あの舞踏会の出来事を凝縮したような一枚だった。
グレーの塊として描かれた貴族たちを背景に、広いホールの中央で俺とシスティリアが踊っている。幸せそうでもあり、何かに挑むようでもあった。何かが迫ってくるような印象があって、絵の素人である俺ですら、息を呑んで思わず見入ってしまったほどだ。
システィリアはその額縁を受け取って言った。
「まあ、素敵ですね。このような贈り物をいただいてもよろしいのでしょうか?」
「うむ。会場にいた画家の一人が感銘を受けて一夜にして描き上げたものだ。あなたがた以外にふさわしい持ち主はいないだろう。ラッヘルの作、といえば、システィリア嬢には価値のほどがわかるのではないか?」
「え、えええっ!? これ、ラッヘルなんですか!?」
「有名な画家なのか?」
「本当に気に入ったモチーフしか描かないという伝説の画家です……」
「俺はその場にいなかったがな。参加したものたちはみな口を揃えて『あれは人魚姫の舞踏会だった』と言う。だが、ラッヘルは人魚姫ではなくおまえたちを描いた。その理由を俺の口から言うのは野暮だろう。ラッヘルが感じ取ったものは、すべてこの絵に描かれているのだからな」
「い、いいのですか? こんな貴重なものをいただいてしまって……」
「その絵を王城に飾っては、いささか挑発的すぎるだろう。領地の館にでも飾るがいいさ」
「うちの館よりこの絵一枚のほうが高いような気がするのですが……」
「ふん。この絵と、この絵に描かれたものには、それだけの価値があるということだ。『檻』を脱して結ばれた幸福な夫婦への贈り物だと思ってくれ」
「お、檻?」
「……なんでもない、独り言だ」
王子はそう言うと、今度はつかつかとエメローラのほうに近づいていく。
楽団の楽師が気づいて演奏を止めかけるが、王子はそれを制止した。
王子は中庭に立ったまま目を閉ざし、腕を組んで、エメローラの歌を聴いている。組んだ腕の先で王子の指が自然に動く。俺は王子のまなじりに浮かんだ涙を見て驚いた。
歌い終えたエメローラが聴衆に一礼し、王子へと向き直る。
「すばらしい歌だ。人魚エメローラ殿。改めて、過日の失言を撤回し、心より謝罪させていただく。申し訳なかった」
王子がエメローラに向かってはっきりと頭を下げた。
中庭に居合わせた招待客たちはみな驚きに固まっている。
「その、お顔をお上げください、王子」
「それは、謝罪を受け入れてもらえたということか?」
「はい、それはもう。もとより、わたくしの説明不足が招いたこと。王子をお怨み申し上げるようなことはございません」
「そうか。それはよかった」
王子はひょいと顔を上げた。
「噂の人魚の歌を聴くことができてよかった。ことによっては最後の機会かもしれなかったからな」
「そう……ですね」
「ま、どう転ぶかは俺は知らんがな。想いのままに地上までやってこられたエメローラ殿に、俺はシグルド1世王の血を引くものとして最大限の敬意を払う。それだけだ、邪魔したな」
それだけ言って、王子はくるりと踵を返す。通り道にいたパトリックの肩をなぜか叩いて、案内も待たずに屋敷の廊下へと消えていく。叩いた手を痛そうに振ってたのは、パトリックにやられた手首がまだ治ってないからだろうな。
あとに残されたのは、なんともいえない沈黙だ。
その沈黙を破ったのはパトリックだった。
「エメローラ。あのあと、いろいろと考えた。でも、結局のところよくわからない。だから、最後に聞かせてほしい。エメローラはこれからどうしたい?」
「わたくしも、たくさん考えました。わたくしはパトリックのことを知らなすぎます。どういう関係を築けるのか考えてみましたが、よくわからないとしか言えません。でも、それだけではありません。わたくしがあなたのことをわかっていなかったのはもちろんですが、わたくしは自分自身のことすらよくわかっていませんでした。わたくしは、おのれのことを母の『娘』と申しましたが、正確には、人間の
エメローラの母である人魚エメローナは、人魚の生みの親とされる女神アマツニナのように、おのれの身体の一部を割いて娘を生み出した。自分の一部から生まれた娘は、もととなった母と身体的にはほとんど変わりがなかったらしい。他の人魚たちも群れの数が減った時には同様の「分身」をすることがあるという。もっとも、そのためには「魂振り」という特別な精神状態に入る必要があり、分身は亡くなった人魚の身内が行うことがほとんどだそうだ。その辺の詳しいことは、ここ数日ノーラが興奮しながら根掘り葉掘り聞き出していた。
「ですが、わたくしは母の分身ではありません。別の心を持った別の人魚です。ですから、わたくしの幸せは、母の幸せとは別のところにあってもいいのです。気づいてみれば当たり前のことですが、気づくのに時間がかかってしまいました」
「エメローラの母上が幸せでなかったとは思わない。王子はともかく、僕はそういった愛の形もありうると思った。でも、やはり哀しいことではある」
俺とシスティリアは顔を見合わせた。
これは、いい方向に話が進んでるんじゃないか?
「ええ、そうですね。わたくしも自分自身で叶わぬ恋をしてみたいとは思いません。お母様とて、結ばれるものなら結ばれたかったはずですから」
「じゃあ――」
パッと顔を上げるパトリック。
エメローラは、ぐっと拳を握って、一気に言った。
「気づいたのです。わたくしは恋がしたいのではなく、恋の物語が好きなのだと! とりわけ、決して結ばれることのない恋の物語が大好きなのだと! それを歌い、語ることが、わたくしにとってもっとも幸せなことなのだと!」
「えっ」
「えっ」
俺とシスティリア、ついでに居合わせた無関係の人たち全員の顔に疑問符が浮いた。
エメローラが宮廷楽団の団長を振り返って言う。
「というわけで、わたくしは宮廷楽団にお世話になろうと思います。人魚ゆえ、できることに制約はございますが、それでもよろしければお話を受けさせていただきます」
「おおっ! そうか! もちろん歓迎だとも! 何か配慮が必要であれば遠慮せずに言ってくれ! いや、きちんと契約として詰めておいたほうが安心であろうな」
「はい、よろしくお願いします。まず、年に一度は海に――」
「なるほど、それは大変であるな。さいわい、例年われらが楽団はルタミアに巡業に出ており――」
「それならばその時期は――。それから、わたくしには楽器の心得もありまして――」
「うむ、うむ。人魚の楽器とは興味深い! もちろん腕前のほどは確認する必要があるが――」
「はいそれはもちろん。もし演奏の腕が基準に満たなければ――」
「エメローラ殿であれば腕の悪かろうはずもないが、その場合には団員から指導係を――」
「住居のほうは――」
「なるほど、寛げる場所が必要でしょうな。俸給のほうは――」
「わたくしには相場がわかりませんので、のちほど改めて――」
エメローラと団長が、善は急げとばかりに入団の条件を詰め始める。
「あ、いや、その……」
所在なさげに手で空をかくパトリック。
「あのー、エメローラさん? パトリックの件はどうなさるんです?」
システィリアが、長くなりそうな話に割り込んでエメローラに聞く。
「あ、ごめんなさい。えっと、先ほども申し上げました通り、わたくしはパトリックのことをよく知ってるとはいえないと思います。ですので、結婚を前提としたおつきあいとなると、まだ早いかな、と思うのです」
「ま、まあ、そりゃそうだよな」
エメローラの正論に、俺は思わずうなずいてしまった。
「ですが……その、けっしてパトリックのことが嫌いなわけではなく。むしろ、好き……といっていいと思うのですが、これが恋という確信はまだございません。ですので……まことに都合のいい話とは思うのですが……」
エメローラは、そこで言葉を切って、パトリックの前に立った。
そして、琥珀色の瞳でパトリックの顔を見上げながらおずおずと言う。
「そのぅ……まずはお友達からということで……ど、どうでしょうか?」
破壊力抜群の表情で言ったエメローラに、会場からは高い口笛が吹き鳴らされたのだった。
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