47 意外な助言者

◆シャディス王子視点


 王家の人間の暮らす王宮から外へは王城を通らずに出ることはできない。警備を考えれば当然の設計だが、夜人目を忍んで外出するような時には面倒なものだ。王族の中にもいろんなタイプがいる。中には「自分は騎士どもにかしづかれ、命を懸けて守られる価値のある人間だ」と無邪気に信じ込める阿呆もいるが、あいにく俺はそうじゃない。自由に外出もできないというのは、第一にはもちろん警備のためだが、第二には王族を監視下に置いて軟禁するためだともいえる。今の時代では考えられないが、大昔には王位を巡って同じ血を引く者同士が陰謀を巡らせ殺し合いをしてたこともある。王族にみだりに自由を与えないのは、王がその権力を維持するために必要な措置だったのだ。いっそ、陰謀上等、殺し合い上等の時代だったほうが、俺なんかは退屈せずに済んだと思うがな。


 ともあれ、外に出るには王城を通る必要がある。俺は逢い引きのための抜け道も知ってるし、味方に引き込んだ騎士に偽証させることもできる。だが、今日の用件はあいにくと心踊る逢い引きではないし、だいいち今は昼過ぎだ。俺は身を隠すこともなく堂々と王城の廊下を進んでいく。

 すると、廊下の奥から、見覚えのある顔が現れた。俺は思わず顔をしかめた。王子である俺に顔をしかめさせられるやつなんて限られてるが、こいつはその最新の一人である。「思わず」といったのは、修辞的な比喩でもなんでもない。こいつの顔を見た途端に苦い記憶と全身の鋭い痛みがぶり返してきて、自然とそんな顔になったってことだ。

 パトリック・フィン・ローリントン。

 剣の名門ローリントン伯爵家の当主で、第一騎士団の大隊長。

 こいつの役職を覚えてるのは、べつにこいつのことをとくに気にしてたからってわけじゃない。俺は有力貴族の家族関係や奉職先での役職、過去の受勲や目立った業績なんかはおおよそのところ把握してる。宮内府の紋章官に定期的に報告書をまとめさせ、それを暗記するようにしてるのだ。面倒といえば面倒だが、人間ってのはどいつもこいつも誰かから認められることに飢えてるからな。ちょっとした折に王子である俺がそいつの業績に一言半句でも触れてやれば狂喜して喜び、俺に忠誠を誓うようになるってわけだ。そう考えれば、ひと月に数時間暗記の手間を取る程度、たいした労力じゃないだろう。むしろなんだって他のやつらがこういうことに気を回さないのかが不思議なほどだ。


 正面から歩いてくるローリントン伯爵は、見るからに心ここにあらずといった様子だった。

 俺を決闘でけちょんけちょんにしくさった剣士のくせに、向かいから来る俺の存在にすら気づいてない。意図的に俺を無視してるのかとも思ったが、どうやら本気で別のことに心を奪われているようだ。

 破滅的で危険そうという評判の俺とは逆に、この男は女装でもさせれば女で通りそうな見事なまでの優男だ。一見しただけでは荒事が得意そうにはとても見えない。まあ、剣に覚えのあるやつなら、この男の細いが鍛え抜かれた身体や隙のない身のこなしを見て実力のほどを察するだろうけどな。


「おい」


 俺が声をかけるが、ローリントン伯爵は廊下に並ぶ柱の奥の中庭の空に目を向けて、こっちに気づく様子もない。

 いっそいきなり斬りかかってやろうかと思ったが、今日はあいにく剣を持っていなかった。


「おい、ローリントン伯爵よ!」


 俺の言葉に、伯爵がびくりと震え、驚いた顔で俺を見た。


「こ、これは王子……失礼しました」


 慌てて王族への礼をするローリントン。


「なんだ随分腑抜けてやがるな。腑抜けたいのはこっちのほうだぜ」

「あ、いや、失礼しました。考え事をしており、気づかず……」

「おおかた、あの人魚のことでも考えてたんだろうが」


 俺の指摘に、ローリントン伯爵がぎくりとした。


「……当たりか。ありゃ、女のことを考えてるツラだったからな」

「ご賢察恐れ入ります」


 ローリントン伯爵は丁重に言って、この場を去る気配を見せた。

 俺とつっこんだ話をする気はないってこったろう。そりゃそうだ。決闘したばかりの相手だからな。


「私は所用がございまして。失礼させていただきます」


 言うが早いか、背を向けたローリントンに俺は言う。


「これから、あの人魚姫に謝りに行こうと思ってな」


 俺の言葉にローリントンが足を止めた。

 つくづく馬鹿正直なやつだ。俺より歳上だってのに腹芸がちっともできないらしい。それとも恋愛がらみになると急に弱くなるタイプか。


「謝りに? 王子が?」

「おい、俺をなんだと思ってやがる。決闘に負けたのは事実だ。それに、人魚の話によれば俺の糾弾はお門違いのものだったっていうじゃねえか。なかなか信じがたい話ではあるが、否定する材料もないからな。あの人魚の母親が俺の曾祖父さんへの想いを抱えたまま死んだってんなら、俺にとっても人ごとじゃねえ。一抹の感傷くらいは覚えるさ」

「そう、ですか……。意外ですね」

「安心しろ。おまえの女を取ったりはしないさ。人魚の母親の話は興味深いが、だからといって次の王になる俺が伴侶を感傷だけで決められるはずがねえ。ていうか、俺には正直手に負えんタイプだろうよ」


 母親の交わした約束だからと、見ず知らずの相手と結婚するために住み慣れない土地に乗り込んでくるような思い込みの強い女はごめんである。絶対後腐れが悪くなるからな。俺の好みは、適度に火遊びに慣れたもののわかってる貴族の夫人だ。


「今日はワーデン博士のところでパーティをやってるんだろう?」

「ど、どうしてそれを?」

「それが終わったら、王宮に来て親父に別れの挨拶をする予定だからな。そん時に俺から正式に謝罪することになってるんだが、親父の前で頭を下げるのなんざごめんだ。こっちから乗り込んでさっさと謝っちまおうってわけよ。王子様がシスティリア嬢――いや、バッカス男爵夫人へのご祝儀をもって直々に訪ねていくんだ、まさか帰れとは言われんだろう」

「せめてもの嫌がらせというわけですか」

「サプライズといってほしいね。誰かとの決闘のおかげで人魚姫の歌を聞きそびれたしな。これが最後の機会になるだろう。人魚が海に帰るんならなおさらな」

「エメローラが……帰る」

「なんだよ、聞いてねえのか?」

「いえ、それが結局は彼女のためなのでしょう。人魚が陸で幸せになれるはずがありません」

「ふぅん。そういう結論に至ったわけか。つまんねえ結論だが、理屈だけで考えるならそりゃそうだろうな」


 ……なんだってこいつ相手に長話をしてるのかわからないが、話をしてるうちになんだか腹が立ってきた。


「じゃあ聞くがよ、おまえの元婚約者だったエルドリュースの娘、今はバッカス男爵夫人になったシスティリア嬢。あいつは、馬鹿な選択をしたとおまえは思うか?」

「なっ……! そんなことはありません。彼女は彼女なりに筋を通しただけです」

「ふん、元婚約者に袖にされてそれを言うとは、大物なんだか情けないんだかわからねえやつだ。それならもうひとつ聞いておこうか。おまえは今回、縁もゆかりもない人魚姫をかばって、こともあろうに王子相手に決闘を仕掛けたわけだが、理屈だけで考えりゃ、これはもう愚かとしか言いようがない選択だったよな?」

「僕は……彼女の名誉を守ろうとしただけです。そこに私心はありません」

「なんともはや、ご立派な騎士様だ。私心がない。結構なことだ。人魚姫からすれば、私心もなく、見返りもなしに命まで張ってくれるんだから、こんなに便利な男はいねえな」

「王子……またエメローラを侮辱するようなら……」

「おっと、そう睨むなって。おまえと喧嘩する気はねえよ。今はまだ、な」


 まあ、力をつけてから、理由を無理やりにでもでっち上げて、決闘沙汰に持ち込んでやりたいとは思ってるがな。


「俺は人魚姫を侮辱したわけじゃねえよ。だがまあ、一般的な感性からすればそう見えなくもないって話さ。私心がないなんて格好つけず、好きな女だから守った、で通したほうがまだしもマシじゃねえか」

「それは……そうかもしれませんが」

「つーかだな、本当に私心がないのかよ? ないわけねえだろ。見てりゃわかるぞ。おまえほどの剣士が近づいてくる気配に気づかないくらいに上の空になってやがんだ。人魚姫への気持ちがあったことは間違いねえ。もちろん、『決闘で恩を売ってあわよくばモノにしよう』みてえな見え透いた動機じゃねえのはわかるけどな」

「そうですね。私は彼女を愛している。だからこそ、彼女に最も幸せになる道を選んでほしい」

「それだよ。そいつがよくわからん。たしかにだな、ここにある男がいたとして、その男がある女に恋をしたとする。その男とその女がくっつくことで、その女が幸せになれるかどうかはわからんだろう。ということは、その女の幸せを願うなら、その男は身を引くべきだということになってくる。あとになってその男よりいい男が現れるかもしれねえんだからな」

「そう……ですね」

「だが、んなこと言ってたら恋愛なんて成立しようがねえんだよ。ある女がある男に身を預けた、そしたらあとは一蓮托生だ。別れるにしたって、その男と費やした時間が返ってくるわけじゃねえ。人生は一度きりでやり直しがきかねえ。それなのに、恋愛ってやつは一度その道を選んじまえばその後は原則墓場まで一直線だ。幸せになれるかもしれねえし、なれねえかもしれねえ。命を賭けた決闘みてえなもんだ、剣一筋のローリントン伯爵にわかりやすいように言えばな。結果がどうなるかを全然気にするなってのは言い過ぎだが、気にしてもどうにもならんことが多いのは事実だぜ」

「しかしそれでも、この場合は明らかに……」

「特殊な例だってことは事実だな。だが、根っこのところは同じだろう。幸せになれるかどうかなんてわからねえ。だいたい、人にとって何が幸せかってこと自体がわからねえ。俺なんかは王子っつー身分に生まれたから人と比べて格段に恵まれてるはずだがよ、そんなもんにはすぐに慣れちまうんだよな。人は王侯貴族みたいな暮らしをしてみたいと言うが、それが実現したら実現したで、案外すぐに飽きちまうもんだと思うぜ。そうなると、たとえ王子と結婚できたところでそれだけで女が幸せになれるとは言えねえだろう。実際、王妃やら公爵夫人やらがそんなに幸せな人生送ってるかっつったら怪しいもんだ。カトリーナ――エルドリュース公爵夫人なんかを見ればわかるだろ? あんな母親を見てりゃ、娘があの男のもとに走ったのもむべなるかな、だ」

「王子は公爵夫人にご執心のようでしたが」

「俺は不幸な女がどういうわけか放っておけないらしくてな。自分でも趣味が悪いと思うが、破滅に近いほうへと吸い寄せられる性分らしい。だが、カトリーナに関しちゃ無理筋だな。旦那や娘には不満タラタラだが、自分自身の身持ちは固いからな」


 あの女の気持ちは俺にはわかる。檻に閉じ込められた女は俺にはどいつもそっくりに見える。豪華に飾り立てられた檻は文句のつけようのない一級品かもしれないが、檻は檻だ。エルドリュース公爵だって貴族としての人柄に取り立てて問題があるわけではなく、むしろ貴族としては真っ当なほうだ。だが、カトリーナには夫が看守のようにしか思えない。カトリーナは夫が公爵だろうと国王だろうと心から満足することはできないんだろう。本人にも、夫である公爵にもどうにもならない性分の問題だ。

 自分でも何が手に入れば満足なのかわからないのに、永遠に手に入らない何かを求め続け、常に不満を抱えて生きつづける。そんなところにはまりこんじまう奴は男女問わずいるものだ。

 俺の見たところでは、このローリントン伯爵はそうなりかねないタイプであり、それを本能的に嫌ったシスティリア嬢の見立ては正しい。それから、システィリア嬢の選んだあのおっさん。平民出の非正規騎士だったというあの男は、そんな人生の隘路あいろに迷い込むことはなさそうだ。若くて綺麗な嫁さんを得て、のどかな村の領主になって、それだけで俺はもう幸せだと、素朴にそう思い込んでやがる。屈折した宮廷人からのウケはよくないかもしれないが、田舎の領主なら気にすることもないだろう。はっきり言って、俺が知る限りで有数の幸せそうな男である。

 では人魚姫はどうか? あの娘はもう典型的に「隘路」一直線のタイプだ。誰かが力づくででも引っ張り出してやらんと、母親と似たような運命をたどることになるだろう。それだけの運命を背負ってるからこそ、あれだけの歌が歌えるのだ。そこらへんの呑気な娘を連れてきて歌を歌わせたところで、宮廷人の気難しい心をも溶かすような歌が歌えるわけがない。ぽやっとして見えるが、相当に業の深い女だと俺は思う。油断すると沼に――いや、この場合は海にか、引きずりこまれかねない女だろう。


「率直に聞きますが、そんな関係を結んで王子は幸せなのですか? 相手の女性は?」

「さあな。幸せとは思えないからこそのめり込むんだろう。べつに、お堅い騎士様に同じことをやれとは言わねえよ。ただ……なんだろうな、今のてめえのツラには腹がたつ」

「そ、そんなことを申されましても……」

「おまえは、海に帰れば人魚姫は幸せになれると決めつけてるが、それだって結局のところわからんだろうが。人魚姫の母親は幸せだったとおまえは思えるか? 俺には無理だ。人魚姫の母親は不幸だった。その恋心こそが不幸の元凶であり、かつ不幸を慰めるものでもあった。だからこんがらがってどうしようもなくなって、身動きが取れなくなったんだ。おまえはあの人魚姫に、その母親と同じことを望むのか? 地上での一幕の物語を語り草に、長い寿命を海の中で過ごすのは幸せなのか? わからんな、人魚にとっちゃそうなのかもしれんし、そうでないのかもしれん」

「それは……」

「生きてれば幸せも不幸もごっちゃになってやってくる。だから、おまえの選択によって人魚姫が幸せになるか不幸になるかはわからん。だが、ひとつだけ言えることはある」

「ひとつだけ言えること、ですか?」

「ああ。ひとつだけ言えるのは、おまえの選択次第で、人魚姫の隣におまえ・・・がいるかどうかが変わってくるってことだ。今後の人生で人魚姫は不幸をかこちて後悔することになるかもしれねえが、その場合でも、その隣にはおまえがいる。あの人魚姫に、わたしが不幸になったのはあなたのせいだとなじられる結果になったとしても、その場合でも、その隣にはおまえがいる。人魚姫が海に帰ってそれっきり、もう二度と会うこともできないし、人魚姫が幸せになったかどうかもわからねえ。そんな状況と、不幸であっても一緒にいられる状況と。おまえはどっちを選ぶんだ?」

「で、でも、僕は彼女に拒絶されて……」

「一度拒絶されたくらいでめげんなよ。いや、本気で拒絶されたんなら脈なしだけどよ。あの脳ミソお伽噺の人魚姫が、自分のために戦ってくれたご立派な騎士様を嫌えるもんかよ? どうせ、中途半端なふにゃふにゃした告白をしたせいで、あっちも混乱して思わず拒絶しちまったってとこじゃねえか?」

「な、なんでそんなことまでわかるんです?」

「むしろなんでわかんねえんだよ。おまえといいあの人魚姫といい、恋愛の『れ』の字も知らねえのか。ったく、嫌になるぜ。俺を決闘で叩きのめした奴が、どうしてそんな初歩的な駆け引きもできねえんだ。俺に散々やったみてえに『後の先』を取りゃイチコロだろうが」


 苛立ちに押され、並べ立てた言葉に、ローリントンが沈黙する。


「……ふん。俺は行くぞ。パーティが終わる前に乗り込んでやりたいからな。おまえはどうする? 一緒に行くか? 公務中だなんてくだらねえ言い訳はすんなよ?」


 ローリントン伯爵はしばし瞑目していたが、やがて、きっぱりと顔を上げて言ってくる。


「お供いたします、王子」

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