3 人生の味
翌朝目を覚ますと、館に異様な臭気が満ちていた。
「んなっ!?」
俺は慌ててベッドから跳ね起きた。
何かが焦げるような臭いがどこからか漂ってきてる。
騎士団時代には、平民出の騎士は火事の消火にも駆り出された。
消火といっても、できることなんてほとんどない。
延焼を防ぐために、火の出た隣の建物を取り壊すとか、そんな乱暴なことしかできなかった。
泣き喚いて自分の家を壊さないでくれと頼む家主を抑え、問答無用で家を取り壊したこともある。
そういう場合には国からいくらかの補償は出るが、到底家を建て直すには足りなかった。
火を出した家と隣家は揉めに揉め、つかみ合いの喧嘩に発展した挙句、一方が相手を殺してしまったなんて例も目にしてる。
そんな嫌な思い出と結びついた独特の臭いが、俺の新たな城であるこのオンボロ館に満ちている。
俺は二階の寝室から飛び出し、階段を駆け下りて厨房に向かう。
「くそっ! 何事だ!?」
叫びながら厨房に飛び込んだ。
そこで俺の目に入ってきたのは、
「お……おはよう、ございます。レオナルド様」
目を空中にさまよさせながら、金髪の美少女がそう言った。
貴族の令嬢のような雰囲気の漂う美少女は、もう半分「美人」と呼ぶのがふさわしい年齢だろう。
生真面目そうな整った顔を見て、俺はようやく昨日の出来事を思い出した。
「シス、ティリア……」
「は、はい。レオナルド様」
「……夢であってくれないかと思ったが、そうもいかなかったみたいだな」
「えっと、マリーズが言ってました。朝、奥さんが煮炊きする音や匂いで目覚めるのが、男性みんなの夢なのだと」
「俺は自分の食うもんは自分で作るよ。
って、煮炊きする匂い?」
システィリアがさっきから背後に何かを隠そうとしてることには気づいてる。
「も、もうすぐ、ですから! もうすぐ、朝ごはんの準備が整います! レオナルド様は食堂で待っててください!」
そう言ってあたふたするシスティリア。
システィリアは、麻の服の上になぜかエプロンをつけている。
俺のお気に入りのエプロンには、いくつもの焦げ目がついていた。
「何隠してやがる」
「あっ!」
必死に俺を通すまいとするシスティリアの横へと回り込む。
かまどの上には、無残に焼き焦げた鍋があった。
「ご、ごめんなさいぃぃっ!」
システィリアが手で顔を覆ってうずくまる。
「米を炊こうとしたのか?」
「は、はい……。リゾット、というものは食べたことがあったので……」
「作ったことはないんだな?」
「うう……だ、だって、王都にはお米はあまり流通してなくて!」
この国で主に栽培されてるのは麦だからな。
水稲は綺麗な水がふんだんに手に入る場所じゃないと栽培できないし。
「それにしたって、こりゃ酷えな。水で煮炊きすればそうそう失敗するもんでもないんだが」
水量の加減には慣れがいるが、少々適量から外れたところで、こんな惨状にはなりようがない。
せいぜい、べちゃべちゃになるか固くなるかだ。
「こ、このお水を入れたら、急に火の手が上がって、消そうと思って水を足したらもっと燃え盛って……」
立ち上がったシスティリアが、陶器の水差しを指さしてそう言った。
「おまえ、これはどぶろくだぞ」
「ど、どぶろく……ですか?」
「酒だ。とくにこいつは、酒が濃くなるよう特別に醸してもらったやつなんだ」
俺の言葉に、システィリアの顔が青くなる。
「じ、じゃあ、火がついたのは……」
「宮廷料理のフランベと同じだな」
「ご、ごめんなさい!」
頭を下げてくるシスティリアに、俺は返事に困った。
(いいっていいって……とも言えないし、かといって叱り飛ばすのもな……)
善意でやってくれてただけに始末に困る。
「君はお客さんなんだ。こういうことはしなくていい」
その言葉を聞いてみるみる顔色をなくすシスティリアに、俺は遅まきながら失言に気づく。
「ち、ちがいます! わたしはレオナルド様のお嫁さんなんです! レオナルド様のお世話にばかりなれませんっ!」
「誰が嫁だ。俺はそんなこと一切認めてないぞ。
だいたい、君は料理ができるのか?」
「君、君って言わないでください! わたしのことはシズで結構です!」
「んなわけにいくか」
そんな呼び方をしてしまったら、既成事実にされてしまう。
「それに、料理ならできます!」
「……えっ?」
俺はおもわず、無残に焦げた鍋を見た。
リゾットになりそこなった米が、悲しそうに鍋にへばりついている。
「こ、これは慣れない食材だったからでっ! お菓子とかなら得意なんですっ!」
「お菓子、ねえ。でも、ここにあるもので作れるのか?」
俺の言葉に、システィリアが厨房を改めて見る。
かまどと調理台があるだけの質素な厨房だ。
システィリアが、厨房の戸棚をいくつか開けて、その中身を確かめる。
「えっと……ベーキングパウダーはありますか?」
「ねえな」
「で、では、バニラエッセンスは?」
「ねえよ」
「……お砂糖くらいはありますよね?」
「それがないんだよなぁ」
「そ、そんな……!」
システィリアが、両手を床についてうなだれた。
「塩くらいはさすがに回ってくるんだけどな。砂糖は本当に運がいい時じゃないと入ってこないらしい」
普通にメシを食うだけなら、砂糖がなくても問題ないしな。菓子を食いたいとか思わなければ。
「まあなんだ……朝メシは俺が作るから食堂行ってな」
「うく…………は、はい」
さすがにもう反論もできず、システィリアは涙目で厨房から出て行った。
俺は、適当極まる朝食を作り、システィリアと一緒に平らげた。
メシを食いながらシスティリアに体調を聞くと、「もう大丈夫です」とのこと。
顔色もよくなってるから、強がりではなさそうだ。
(若いっていいな)
四十にもなると、風邪を引いて一晩で治ることなんてなくなってくる。
ぐずぐずといつまでも治らず、一週間くらい経った頃に、ようやく風邪が去ったかな?と思うような感じだ。
食後、話題もなく、俺とシスティリアは互いの出方をうかがっていた。
「お、お茶でも淹れましょうか?」
「茶葉なんてあると思うか?」
「う……」
「いや、ないこともないんだけどな」
俺はシスティリアと厨房に戻り、戸棚の奥から茶筒を取り出した。
「これは……?」
「どくだみ茶だな。苦いからシスティリアの好みに合うかはわからないが……」
「合わせます!」
「そ、そうか。まあ、飲んでみよう。その前に水を汲んでくるか」
俺はシスティリアを連れて厨房の勝手口から出た。
館の裏手にある井戸から水を汲む。
「水はここだ」
「えっと、お洗濯は?」
「洗濯は向こうの小川だな。村の水場だから、使う時は挨拶を忘れずにな」
「は、はい」
「システィリアの服を俺が洗濯するわけにもいかねえし、またばあさんに頼むか」
「い、いえ! 自分でやります! なんならレオナルド様の服も洗濯しますっ!」
「自分の分だけでいい。隙あらば嫁になろうとするのはやめろ」
水を
やかんに水を入れ、かまどに置く。
かまどの火は、朝一でシスティリアが
(よく火の熾し方がわかったもんだ)
完全なお嬢様かと思ったら、部分部分、家事のことも知っている。
公爵令嬢が普通に嫁入りするなら、必要ないはずの知識だろう。それこそ、王族に嫁いだっておかしくない身分だからな。システィリアは見た目もいいから、玉の輿だって狙えるはずだ。
ティーポットにどくだみとお湯を入れ、待つことしばし。
「さ、飲んでみな」
俺はお茶をティーカップに注ぎ、システィリアに差し出した。
「は、はい……」
システィリアがおそるおそるティーカップに口をつけた。
「うぅ……」
「苦いか?」
「苦い……ですけど、飲めなくは、ない、です……」
「無理しなくていいぞ」
「いえ、慣れますっ」
「ま、身体にはいいらしいからな。あんだけ生きてるばあさんが言うんだから間違いない」
俺も、自分用に淹れたどくだみ茶をすすった。
「ふぅ、落ち着くな」
「レオナルド様が好きなものなら、わたしも好きになるんですっ」
システィリアは、眉根を寄せながらどくだみ茶に口をつける。
「に、苦い……。人生の味ですね」
「ぷっ。人生の味、か」
そんな味には、この歳になっても慣れそうにない。
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