4 かいばを求めて
二人して人生の味を飲み干したところで、俺は思い出して言った。
「そうだ、おまえの馬は、館の厩舎に繋いでおいた」
「はっ! そうでした! アイシャはどうしてますか?」
「おとなしくしてるよ。濡れた身体は拭いておいた。ただ、もともとこの館に馬はいなかったから、かいばを用意してもらう必要があるんだよな」
「お、お手数をおかけしました……」
「いい馬だな。王都から駆け通しで来たんだろ? それにしちゃ元気そうだ」
「休み休み来ましたから……アイシャの調子に合わせて」
「システィリアは馬が好きなのか?」
馬の調子を見ながら、これだけの長距離を馬に乗って来られたのだ。騎士団の伝令兵もかくやという技量だ。
「はい、アイシャとは仔馬の頃から一緒です。よく遠乗りもしましたし」
「こう言っちゃなんだけど、貴族のお嬢様には珍しい趣味だよな」
「えっと、外出する理由になりますから。お父様が厳しくて」
「ああ、なるほど」
大貴族の娘ともなると、自由に外出もできないか。
「侍女のマリーズはもともと
「珍しい話だな、公爵令嬢の侍女が馬商人の娘だなんて」
「マリーズは、もともとアイシャの世話係として、アイシャと一緒にお屋敷に来たんです。行儀見習いも兼ねて奉公するうちに、わたしと気が合うことがわかって、正式にわたしの侍女になりました」
侍女のほうが馬のオマケだったわけか。
貴族にとって名馬はかけがえのない財産だ。
その世話役を一緒に雇い入れたというのも、ありえない話ではなかった。
「あの、アイシャの様子を見てもいいですか?」
「もちろん」
俺は館の玄関から出て、向かって右の厩舎に向かう。
厩舎といっても、馬を一頭つなげるだけの小さなものだ。
今はそこに、一頭の白馬がたたずんでる。
「アイシャ!」
システィリアが駆け出した。
「ああ、アイシャ! よかった、元気そうで……無理させてごめんね?」
ブルル、とアイシャが首を振った。
その首を、システィリアが優しくタップする。
そこで、館の前の坂道から声をかけられた。
「おお、代官様。ちょうどいいところでした」
三十代前半くらいの農夫が、坂道を登ってくるところだった。
ばあさんの孫で、ばあさんそっくりの愛嬌のある丸顔をしてる。
「フラップか。どうした?」
「うちのばあさんが頼まれてたかいばなんですがね、ちょうど切らしておりましてな。朝の分は、ほれ、ここに集めてきたのですが」
フラップはそう言って、手にした木桶を持ち上げた。
「あれ? 村にも馬はいたよな?」
「ええ、歳食った馬がおりますな。あいにく仔馬が生まれなんだので、そのうちに馬喰をつかまえて買わねばならんですな。まあ、牛はおります。鋤を引かせるのに不自由はありやせん」
この村じゃ、馬は乗るもんじゃない。
田畑を耕やすための労働力だ。
世話役付きで公爵家に迎え入れられたアイシャとは、同じ馬でも雲泥の差だな。
「そうか……。その年寄りの馬のかいばはどうしてるんだ?」
「近場の草を勝手に食いまさあ。一頭だけならそれで間に合うもんで、かいばはあまり貯め込んでなかったんです。ねえこともねえんですが、長い目で見ると足りなくなるでしょうな」
「弱ったな」
俺はちらりとアイシャを見た。
「ほお、その馬がばあさんの言ってたやつですかい。こりゃまためんこい馬ですなぁ」
システィリアは、厩舎に置いてあったブラシで、アイシャのたてがみをせっせと梳いてやっている。
「で、あのお嬢ちゃんが代官様のコレですかい? いやぁ、代官様もやるもんですなぁ」
フラップが小指を立ててそう囁いてきた。
「いや、そういうんじゃねえよ」
ばあさんめ、さっそくしゃべったな。
この様子じゃ、既に村中に知れ渡ってるにちがいない。
狭い平和な村だけに、住人は噂話に飢えてるのだ。
それが新任代官の恋愛事情となれば、格好のゴシップの的だろう。
「そのめんこい馬に、その辺の草ば食え言うのも酷でしょうな」
「名馬は貴族の大事な財産でもあるからな。ちゃんと世話を見ておかねえと後が怖い」
「でしたら、ちょっと離れますが、
「岩鳴沢? 行ったことがないな」
「なに、小川を遡って行けばすぐです。岩のあいだを滝が流れておって、滝の音が響いておるんですが、その音がまるで岩が鳴っておるようでしてな。そいで、岩鳴沢というんです」
「へえ。じゃあ、音の聞こえるほうに向かえばいいんだな?」
「小川を遡ると、二股になってるとこがあります。そこで、音の聞こえるほうば行けばすぐに見つかります」
「わかった。ありがとう、フラップ」
「なになに。すき腹で出かけさせちゃ馬が気の毒なんで、まずはこのかいばをくれてやるといいです」
俺はフラップからかいばを桶ごと受け取り、システィリアとアイシャに近づいた。
「聞こえてたか?」
「はい、牧草地に行けばいいんですね?」
「ああ。一緒に行こう」
俺は、かいばをアイシャの前に置いてやる。
振り返ると、システィリアが固まっていた。
「そ、それは、相乗りができる、ということでしょうか!?」
「いや、森の中の道だから、騎馬して進むのは難しいな。アイシャを連れて歩いて行こう」
「そ、そうですか……。
でも、アイシャに新鮮な草を食べさせてあげられるのは嬉しいです。気を遣わせてすみません」
「いいって。俺も馬は好きだ」
非正規騎士が馬に乗る機会は少なかったが、正規騎士の馬の世話ならよく見てた。
仮にも騎士なので、少ないながらも騎馬の訓練もやっている。
「ああ、代官様。うちのばあさんが、岩鳴沢ば行くなら弁当ば作るから寄ってくれ言うてました」
「そうか。助かるよ」
「じゃあ、わいはこれで。ばあさんには言うときます」
アイシャがかいばを食べ終えたので、空になった桶をフラップに返す。
フラップは桶を受け取り、来た道を戻っていった。
「んじゃ、昼になったらばあさんの所に寄って、岩鳴沢まで行こうか」
「はい! 楽しみです!」
俺とシスティリアは、ばあさんから弁当を受け取ると、フラップに教わった通りに、小川に出た。
小川は山のあいだから流れてきている。
村の田畑を抜けると、小川は森の中に入っていく。
入っていくというか、森の中から出てきてるわけだけどな。
はみをつけられたアイシャは、地面を歩くシスティリアに従って、森の中をしっかりとした足取りで歩いてる。
貴族の名馬と聞くと、いい道しか歩いてない体力のない馬を連想するのだが、アイシャは身体つきも足取りも立派なものだ。
システィリアは人目につかないよう村を迂回したと言ってたから、街道筋を外れて森の中を進んでも来たのだろう。
乗り手も馬も、普段からしっかり訓練してないと、雨の最中、見通しの悪い森の中を、方向を見失わずに進むのは難しい。
(俺よりシスティリアのほうが乗馬は上手いかもな)
俺は一応、モンスターがいないか警戒してる。
腰にも剣を下げてきた。
システィリアも護身用の小弓を背中にかけている。
どうやらこのお嬢様は騎射もやるらしい。
「綺麗な川ですね」
システィリアが小川を覗き込みながらそう言った。
川は十歩分くらいの幅だろう。
川の水は透き通っていて、川底の大きな石がよく見える。
深いところでも腰くらいまでしかないだろう。
川には魚の姿もあった。
「ああ。そのまま飲んでもうまい。村の農地もこの水を使ってるから、この村の作物はうまいんだ」
王都は人が多いから、川はどうしても汚くなる。
井戸水も、場所によっていい悪いが分かれてた。当然、いい井戸は貴族が独占して使ってる。
「あの山から雪解け水が染み出してくるらしい」
「もう春先ですけど」
「村の物知りなじいさんによると、雪解け水が地中に染み込んで流れ出るまでに時間がかかるらしい。大地に祝福されて水が美味しくなるんだとじいさんは言ってたな」
俺とシスティリア、アイシャは、時折川で喉を潤しながら、川の流れを遡っていく。
「おっと、ここが二股か」
川の上流が二股に分かれていて、それぞれから水が流れ込んできてる。
「滝の音が聞こえるって話だったが……」
「あ、聞こえます! ゴーって音が」
システィリアのいるほうに近づき、耳をすます。
「たしかに聞こえるな。滝の音っていうより、なんかの唸り声みたいだな」
「岩が鳴ってるってほんとですね」
細くなった川を辿り、しばらく進むと、
「あれがその滝か」
「滝を取り囲むように岩壁があるんですね」
システィリアの言った通りだ。
見上げるほどの高さから落ちてきた水が、岩壁のあちこちにできた窪みに溜まり、そこからさらに下の窪みへと落ちていく。
窪みと窪みのあいだの距離がバラバラなので、距離に応じて滝の音に高低がつき、それが岩壁に反響して、一種の和音を奏でてるようだ。
王都のパイプオルガンにも似た独特の響きだった。
「なかなか見ごたえのある光景だが、牧草地はどこにあるんだ?」
「あの奥ではないですか?」
システィリアの指さす方向を見る。
岩壁沿いに進んだ先、森の木々の奥に、ひらけた空間があるようだった。
滝のしぶきでやや足場の悪い道を進むと、すぐにその空間に出ることができた。
森の木々が途絶えた先に、なだらかな傾斜が広がっていた。
一面が背の低い草と花で覆われた野原だ。
これまで薄暗い森の中を進んできた俺とシスティリアは、陽光の射す野原に目を細める。
「わあ……綺麗ですね!」
システィリアが目を輝かせて言った。
花の咲く野原はそこそこの広さがある。
右から左に向かって下っていて、その先は崖になってるようだ。
右側には切りたった岩壁がそびえている。岩壁を伝って、ちょろちょろと流れ落ちてくる水が、小さな池を作っていた。
左手に見える崖からは、森の樹冠の奥に、アスコット村の姿を望むことができた。
気づかなかったが、これまでの道中は若干上りになってたみたいだな。村から山のほうに向かっていたのだから、当然といえば当然か。
「ここで弁当を食うのは気持ちがよさそうだ」
きっとそこまで見越して、ばあさんは弁当を用意してくれたのだろう。さすが娘っ子の気持ちを忘れてないと豪語するだけはあるな。
俺とシスティリアが牧草地の光景に見惚れてるあいだに、アイシャは首を地面に下ろして、よく茂った牧草の匂いを嗅いでいる。
もし好みに合わなかったらどうしようかと思ったが、アイシャはすぐに牧草をむしゃむしゃ食べ始めた。
「よかった。気に入ったみたいです」
「そうなのか?」
「そんなに好き嫌いする子じゃないんですけど、好きなものとそうでないものとでは反応が違いますから」
システィリアはその場にかがんで、牧草を少しちぎると、ひょいと口の中に放り込んだ。
「……うん、アイシャの好きな味だと思います」
「そ、そんなことがわかるのか?」
俺も草をつまんで食ってみる。
「……ただの草だな」
「人間にはおいしくはないです。でも、雑味がないですね。やっぱり水がいいんでしょう」
「ほんとにいい場所だよ、ここは。
さて、俺たちもメシにしないか? あそこの岩場で弁当を食おう」
「はい!」
俺とシスティリアは、アイシャをその場に残し、池に近い岩場に並んで腰かける。
ちょうどベンチくらいの大きさの平たい岩だ。
ばあさんに渡された二つの木のコップで池の水をすくい、片方をシスティリアに渡す。
弁当箱を包む布を開く。
笹の葉を編んだ弁当箱をあけると、中には握り飯と漬け物、肉団子が入っていた。
「美味しそうです」
「実際、ばあさんのメシは美味いぞ。というか、あの村の女性陣のメシはだいたい美味い。他に娯楽もないからな」
「わ、わたしも負けないようにしなくては……」
システィリアが、真剣な表情で弁当箱を睨む。
…………。
「あ、あの……ナイフやフォークはないのでしょうか?」
「あっ、そういうことか」
自分で馬の世話をして、牧草の味まで把握してたから忘れてたが、システィリアは公爵令嬢なんだった。
「これは素手で食うんだよ。ほら」
俺は弁当箱からまん丸い握り飯を素手でつかみ、大口を開けてかじりつく。
よく塩の利いた握り飯は、ここまで歩いてきたせいか、やたら美味しく感じられた。
「ふん、ふまい(うん、うまい)」
「す、素手ですか……。ええっと……」
システィリアがおそるおそる握り飯に手を伸ばす。
おっかなびっくり握り飯を口に運び、システィリアが小さな口をがんばって開いてかじりついた。
「ほ、ほいひいれふ(お、おいしいです)」
「だろ?」
「……っくん。塩が身体に染み渡ります」
「年寄りだから塩味が強いんだけど、身体を動かした後にはちょうどいいな」
俺はそう言って漬け物を指先でつまみ、口の中に放り込む。
ばりっ、ぼりっ、と音を立てて咀嚼する。
カブや人参の自然な甘みと漬け物特有の酸っぱさが、見事なバランスで調和してた。
食べれば食べるほどに食欲が増してくる。
さすがばあさん、いい仕事をする。
俺の隣で、システィリアも漬け物を口に入れた。
ぽりっ、ぽりっと控えめな音。
「この漬け物も、おいしい、です」
「肉団子もイケるな」
俺とシスティリアは、見事な風景を眺めながら、しばし無言でばあさんの弁当を堪能した。
「そういえば、ここはどうして森の木がないんでしょう?」
システィリアが聞いてくる。
「牧草地にするために、木は伐ったんだろうな。ちゃんと手入れをしておかないと、すぐに牧草以外が生えてくる」
あまり木が茂ると暗がりができて、モンスターが湧きやすくもなる。
ここまで通ってきた森にも、村の木こりが木を間引いた形跡があった。
「それなら、もうすこし村の近くに作ってもいいと思うんですけど」
「そういやそうだな。
……おっと、ほっぺにご飯粒がついてるぜ」
俺はシスティリアの頬についたご飯粒を取った。
「きゃっ、恥ずかしいです……」
「気にするな」
俺は手についたご飯粒を、ひょいと口の中に放り込む。
「な、ななな……っ!」
システィリアが顔を赤らめてのけ反った。
「どうし……って、ああ、すまん。つい食べちまった」
「つ、ついじゃないですよっ! びっくりしました!」
「なんか子どもの面倒見てるような気がしてきてな」
「ふ、不本意ですっ!」
システィリアが顔を赤くしたままそっぽを向いた。
そこで、システィリアが動きを止める。
「ん? どうした?」
「あの陰にあるのは……」
システィリアが岩場から立ち上がり、小走りに岩壁へと近づいていく。
システィリアは、岩壁のふもとに咲く、小さな花の前にしゃがみこんだ。
俺も、弁当を置いてシスティリアを追いかけた。
「この花がどうかしたのか?」
システィリアが熱心に見つめていたのは、儚げな感じの花だった。
淡い紫色をした小さな花が、釣鐘のように茎からいくつも下がってる。
「
システィリアが言った。
「月待草って、薬草になるっていうアレか?」
「はい。滅多なことでは見つからないはずなのですが……」
「いくつか咲いてるな」
岩壁のふもとには、同じ花がいくつか群生してる。
いずれも日陰のひんやりした場所に咲いてるようだ。
「ひとつ、持って帰ってもいいでしょうか?」
「え? システィリアは薬草が作れるのか?」
「いえ、詳しくはないのですが。なんとか育てられないものかと思って」
「この辺は村の入会地だから、問題はなかったはずだけど」
もし村人が栽培してるものだったら問題だが、ここの月待草は自然に咲いたものにしか見えなかった。
システィリアは、月待草を一株、丁寧に根から掘り起こす。
アイシャに背負わせて持ってきたかいば桶に、月待草を土ごと入れた。
俺とシスティリアで牧草を摘んで、それもかいば桶に入れておく。
あまり取りすぎても保存はきかないし、ここは村からそう遠いわけでもない。二、三日に一回、散歩を兼ねてアイシャを連れてくればいいだろう。
(……って、システィリアがいつまでここにいるかはわからないけどな)
俺が報告を遅らせたところで、公爵は人を放ってシスティリアを探してるはずだ。
「うふふ……楽しかったですね」
帰り道、微笑んでそう言ってくるシスティリアから、俺はそっと視線を外す。
(あまり入れ込むなよ)
喉元に詰まった苦い塊を呑み込むには、結構な時間が必要だった。
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