10 失敗しても人生は続く
翌朝、起き出した俺とシスティリアは、厨房で顔を合わせていた。
「お、おはようございます」
「……ああ、おはよう」
気まずく挨拶をかわす。
「あの、水だけでも汲んできます」
システィリアがそう言って、勝手口から外に出て行った。
俺はその間にかまどに火を入れ、フライパンに卵を落として目玉焼きを作る。
そこで、突然外から声がした。
「あああっ!」
システィリアだ。
俺はあわててフライパンをかまどから外し、勝手口から裏に出る。
システィリアは井戸の奥にいた。
「どうした!?」
「み、見てください!」
システィリアが地面を指さした。
地面――いや、システィリアが作った月待草の花壇だ。
月待草は、昨日見たまましおれていた。
ただ、その褐色になって土に落ちた花弁から、緑色の芽が吹いていた。
ひとつだけではなく、いくつも。
「月待草が……殖えたのか?」
様子からして、関係ない雑草が生え出したわけでもなさそうだ。
俺は思わず立ち尽くす。
その背後から、いきなり声がかけられた。
「どうなさいました、代官様? なにやら声が聞こえましたが」
振り返ってみると、ちょうど館を回り込んで、ばあさんが姿を見せていた。
「ばあさんか。これを見てくれないか?」
「どれどれ……ほう、月待草とは珍しいですなあ。人里には生えぬと言われておるのですが」
「実は、牧草地からシスティリアが持ち帰って、ここに植え直したんだ」
「ふむ……月待草は、葉をすり潰すと薬草になり、根を乾燥させると強壮剤になり、散った花を粉にすると鎮静剤になる重宝な花でしてな。たまに栽培しようとするものがおるのですが、うまくいったという話は聞かんです。水をくれてやっても肥料を変えても、この花は頑なに育とうとしませんのじゃ」
「なんでだろうな? あの牧草地だってそう特別なわけじゃないと思うんだが」
「それがわからんのですな。
じゃから、見かけてもそっとしておいてやり、必要になった時に取りに行くのがよいとされておるのですじゃ。
そんなところから、『深窓の姫君』とも呼ばれております」
「おいおい、珍しく詩的だな、ばあさん」
「深窓の姫君、ですか……」
システィリアが何かを考え込む。
だんだんわかってきたが、システィリアが何かを考える様子を見せた後にはろくなことがない。
思い込み一直線で行動する前の予備動作みたいなもんだ。
「そもそも、あの牧草地に月待草が生えてるのは知ってたか?」
気になって、ばあさんに聞く。
「いいええ。そんな話は聞いておりませんでした」
「じゃあ、あの月待草も最近生えてきたってことだな。
俺たちが牧草地に行った日の前に起きてたことと、昨晩起きてたこと、か」
ひょっとしたら、という仮説を思いついた。
「牧草地に行った前日、つまりシスティリアがやってきた日は、雨が降ってた。昨日も、一日中雨だったな」
俺の言葉に、システィリアが顔を上げた。
「では、レオナルド様は、月待草は雨が降ると成長する、と?」
「わからねえけどな。例が少なすぎる。
だが、この花は、普通の水じゃなくて雨水じゃないと受け付けねえのかもしれねえな」
「雨、ですか……」
「なるほど、それは考えませんでしたなぁ」
システィリアとばあさんがうなずいた。
「そういうことなら、雨水を貯めておかないといけませんね」
「そうだな。外に出てる桶だとかに溜まってるもんを、甕にでも移して蓋しとこう」
俺とシスティリアは、手分けして館の周囲をぐるりと回り、ところどころに溜まってる雨水を集めていく。
「集めてから言うのもなんですが……雨水が原因ではなく、ただの偶然だったのかもしれません」
「まぁな。だが、違ったら違ったでしかたねえ。
なに、枯れちまったら、また探してきて育てりゃいいさ」
「そんなに都合よく見つかるでしょうか?」
「すぐには見つからねえかもしれねえな。でも、諦めなければどっかでは見つかるさ」
「見つけても、また枯らしてしまうかもしれません。その度に落ち込んで、自己嫌悪になりそうです」
「いいんじゃねえか? この花には気の毒かもしれねえけどよ。
失敗して失敗して……それでも人生は続いてく。失敗したら終わりじゃないんだ。失敗した後から、本当の人生が始まるんだよ。成功しかしたことねえやつは、人生の九割九分を味わってねえようなもんだ」
「ふふっ。レオナルド様は、小さなことから人生の真理を見つけるのがお上手です」
「からかうなよ」
「からかってません。そうですね。失敗したっていいんです。ここは宮廷じゃないんですから」
やたら晴れ晴れとした顔でシスティリアが言った。
その横顔に、厄介なことになったという思いと、そうでなければという思いが湧いてくる。
俺は、その日の昼に、騎士団への返事を書き上げた。
――そのような娘は、当村にはやってきていない。
震える手で蜜蝋を押した封筒を、俺は定期的にやってくる郵便人に手渡した。
システィリアのことは、俺もある程度腹をくくることができた。
まだ嫁にするほどの覚悟はないが、システィリアが結論を出すまで、俺は全力で彼女を守ると決めた。
さて、この村にはもうひとり、転がり込んできた住人がいる。
ドワーフのワッタだ。
「ドワーフの目のつきそうなところに張り紙はしたんだが、いまのところ反応がないんだよな」
館の食堂でシスティリア、ワッタと朝食をとりながら、俺はそう切り出した。
システィリアが俺の言葉をワッタに通訳する。
「ドワーフと行き違いがあったら大変だ。ワッタを誘拐されたと思い込んで、ドワーフたちが攻めてくる……なんてことになったら困る」
またも通訳するシスティリアに、ワッタが真剣な顔でうなずいた。
「かといって、ワッタ一人で行かせるのも危険だ。この前みたいに、モンスターに襲われるおそれがある。一匹見かけたら他にもいるもんだからな、やつらは」
「どうするんです?」
システィリアが通訳しながら聞いてくる。
「しょうがないから、俺と木こりで送りに行こうと思う」
「えっ、レオナルド様自らがですか?」
「ああ。狩人は片足が義足だ。山道を遠くまで歩かせるのは酷だろう。他の若い狩人もいるんだが、ドワーフと出くわす可能性を考えると、ちゃんと話のできるやつじゃないとマズいだろ」
ワッタを連れたこちらに対し、ドワーフは警戒の姿勢を見せるかもしれない。
その時に、こちらに害意がないことを示し、ワッタを安全に引き渡すには、一定の胆力が必要だ。
義足の狩人になら任せられると思うが、村の外を知らない若い狩人では心もとない。
悪くすると、緊張のあまりドワーフに矢を射かけたりしかねない。
「木こりたちにも荷が重い。ドワーフと木こりは、たまに互いの仕事の範囲がかぶって、もめることもあるらしいし。
まあ、ワッタから説明してもらえば大丈夫だろうとは思うんだけどな」
ドワーフと交渉ができて、モンスターに襲われても対処できる人材となると、他には俺くらいしかいなくなる。
「代官自ら送りに来たってことにすれば、ドワーフも悪くは受け取らないと思うしな」
「レオナルド様が代官と知って、ドワーフがよからぬことを考えるおそれがあるのではないですか?」
「絶対にないとは言わねえけどよ。俺を人質にしたところで、この村から何が取れるって話だ。
もともと、ドワーフは純朴で策略を嫌う連中だって話だしな」
一応、こっちにもワッタという「人質」がいる。
向こうに悪意があったとしても、ワッタを連れて逃げ帰るくらいはできるだろう。
ワッタの話を聞くかぎり、そんなこともなさそうだが。
「おてすう、おかけ、します」
一連の流れをシスティリアから説明されたワッタが、俺にそう言って頭を下げた。
「困った時はお互い様だ」
安心させるように、ワッタにそう笑いかける。
そこで、システィリアが言った。
「そういうことなら、わたしも一緒に連れて行ってください」
「……そう言うと思ったけどよ。理由を聞こうか?」
「レオナルド様はドワーフの言葉がわかりません。事情を説明するのに、ワッタの口からだけでは意図せぬ誤解が生じるかもしれません。わたしがいればそれを防げます」
「本当は置いてったほうがいいんだけどな……」
そう言って素直に聞き入れるようなやつじゃない。
実際、システィリアの言うことも正しいしな。
「わかった。一緒に行こう」
うなずいた俺に、システィリアが歓声を上げた。
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