9 置かれた場所で咲けない花

 こうしてワッタは、モンスターの解体や素材の加工という役割をあっという間に認めさせてしまった。


 一方、システィリアのほうは、まだ村の中で自分が何ができるかに悩んでる。

 ワッタの通訳としての仕事も、ワッタが急速に言葉を覚えてることで少なくなった。


 朝、俺がメシを用意してるあいだに、システィリアは館の裏に出て、月待草を植えた花壇に水をやっている。

 最初は眠い目をこすってたシスティリアだが、夜も朝も早い村の生活に慣れてきて、最近は寝起きもいいようだ。


 俺がメシを食堂に並べ終えたところで、


「――きゃあああああっ!」


 システィリアの悲鳴が聞こえてきた。


「ど、どうした!?」


 俺は厨房の勝手口から飛び出し、館の裏に回った。


 システィリアは、花壇の前でうなだれている。


 その前にある花壇を見て、原因に気づく。


 月待草が、枯れていた。

 小さな淡紫の花が鈴なりになっていた月待草は、茎がしおれ、茶色く変色した花がくたりと土に倒れている。


「あああ……」


 システィリアが、放心状態で声を漏らす。


「ど、どうして……昨日までは元気だったのに……」


 落ち込むシスティリアに、なんと声をかけたものか。


「ごめんなさい……わたしのお世話が悪かったせいで……」


 システィリアの目から涙がこぼれた。


 かける言葉が見つからなかった。


 俺はその場に立ち尽くし、悲嘆にくれるシスティリアを、ただ見守ることしかできなかった。






 すっかり冷めてしまった朝食を食べた。

 システィリアは見るからに食欲がなさそうだったが、出されたものを気力ですべて呑み込んだようだ。


「……すみません。ご心配をおかけして……」


「いや、いいよ。俺もショックだった」


 システィリアは月待草に毎朝せっせと水をやってたからな。

 本当に昨日まではなんともなかった……はずだ。

 それが急にしおれてしまうとは。


「せめて、薬草を作れれば、と……。村の仕事はできないけど、家庭教師に習った知識を生かせば、月待草を育てられるかもと思ったんです。

 でも、所詮は耳学問。草花ひとつ育てたことのないわたしに、月待草なんて育てられるはずがなかったんです」


 慰めの言葉をもごもごとつぶやくうちに、外では雨が降ってきた。


 システィリアがやってきたのも、ちょうどこんな雨の日だった。


 システィリアは気分が優れないと言って自室にこもる。


 しかたなく、俺は執務室で事務作業を片付けた。


 今朝方届いてた書簡を開くと、気になることが書かれていた。


「……尋ね人。当人の名誉のために名前は伏せるが、さる貴族家の令嬢が行方不明になっている。心当たりのあるものは報告せよ……か」


 末尾には、俺の所属してた騎士団の署名が入ってる。


 俺はため息をついた。


「わかってはいたんだけどな……」


 報告が遅くれれば遅くれるほど、自分の立場は悪くなる。

 もちろん、システィリアの立場だって。


 そんなことはわかってるのだが、一日一日と伸ばすうちに、言い訳ができないほどに時間が空いてしまった。

 もはや、システィリアが迷いこんできた、というだけでは、言い訳としては苦しいだろう。

 村で聞き込みでもされれば、システィリアが俺の館で寝起きしてた事実はすぐにわかる。


「そろそろ、潮時ってことか……?」


 俺のつぶやきに、がしゃん!と廊下側から音がした。

 あわてて振り返る。

 執務室のドアが薄く開いていた。

 その奥には、お茶の載った盆を取り落としたシスティリアの姿。

 システィリアの顔から血の気が引いていた。


「あ、いや、待て!」


 俺の制止を振り切り、システィリアが駆け出した。


 システィリアは階段を駆け下り、玄関から外に飛び出した。


「待てって!」


 俺もそのあとを追いかけ、ぬるい雨の降る外へと出る。


 その時にはもう、システィリアは館の前の坂を下り、水車小屋やスライム小屋のほうに向かってる。


「くそっ、お嬢様のくせに、足が速え!」


 こちとら四十のおっさんだ。

 ぬかるみに足を取られ、転びそうになってるうちに、システィリアは雨の向こうに消えていく。


 しかたなく、俺は雨の中を駆け足で進み、水車小屋やスライム小屋など、隠れられそうなところを覗いていく。


 どこにもシスティリアはいなかった。


 解体小屋の前まで行くと、小屋の前にワッタがいた。


「ワッタ。システィリアはこなかったか?」


「あいたく、ないって」


 ワッタの返事に絶句する。


「わたし、システィリア、みてる。レオナルド、かえる」


 ワッタが、俺を責めるでもなくそう言った。


「レオナルド、システィリア、つま、じゃない、いう。なら、レオナルド、なにも、いえない」


 まったくもって、ワッタの言う通りだった。


(追いかけて、何を言うつもりだった?)


 結婚してくれ、とでも?

 あるいは、君のことは俺が守る、とでも?

 まさか、そんなこと言えるはずもない。

 そして、それが言えない以上、俺には今のシスティリアに顔を合わせる資格がない。


「……すまない。システィリアのことを頼むな」


 ワッタにそうとだけ言って、俺は雨に打たれながら自分の館へと引き返して行った。






 その夜のことだった。


 結局システィリアは夕飯の時間まで帰ってこなかった。

 俺の作ったメシは、完全に冷めて食堂に置きっ放しになっている。

 それを片付けるだけの気力もなかった。


 眠れないまま、ベッドから窓越しに見える半月を眺めていると、立て付けの悪い寝室のドアがわずかに軋んだ。


 ノックもなしに、ドアが開いた。


 ドアの隙間から、白い人影が入り込んでくる。

 視線を向けて、驚いた。


「……おい、なんのつもりだ?」


 入ってきたのはもちろんシスティリアだった。

 だが、システィリアは白いレースのネグリジェしか着ていない。

 白い肌と豊かな胸元を月光に晒しながら、システィリアは俺の部屋に忍び入ってきたのだ。


 システィリアは無表情のまま、俺のベッドに近づいてくる。


 ぎしっと音を立ててベッドが軋む。

 システィリアがベッドに上り、俺の上にまたがった。


「やめておけ」


 システィリアは黙ったまま、上体を前に傾けてくる。

 システィリアの濡れた唇が、窓から差す月光に光って見えた。


 そのまま顔を近づけてくるシスティリア。

 その肩を、俺は両手で押し返す。


「ダメ……でしょうか」


「やけっぱちになってる女を抱く趣味はない」


「わたしにできることなんて、このくらいしか……」


「……無理に、この村に居場所を見つける必要はない」


「あります! わたしはレオナルド様のそばにいたいんです!」


「いられねえよ! いられるわけがねえ!」


 俺はシスティリアを押しのけ、ベッドに身を起こした。


「やめてくれ。君の本気はわかったが、これ以上は本当に無理なんだ。俺も君も破滅するしかないんだぞ?」


「わたしは……わたしは、レオナルド様のためならなんだって……」


「そんな気持ちもいつかは褪せる。そうなってから後悔しても遅いんだぞ。上流階級から転げ落ちるのなんざ一瞬だ。そのあとは、一生かかっても戻れない」


「そんなこと、どうでもいいのです!」


「……なあ、俺にどうしろっていうんだ。すべてを捨てて君と一緒に逃げ出せと? どこに? どこかへ行けたとして、どうやって暮らしていく?

 言っとくが、貴族の令嬢にそれなりの生活をさせられるような甲斐性なんざ俺にはない。

 君みたいな綺麗な女を、他の男どもから守り続けるだけの力もねえよ。

 俺には見えるぞ。君が生活に疲れ、俺みたいなさえない男に身を捧げたことを呪うのがな」


「どうしようもないというのですか?」


「ああ、どうしようもない」


「わたしが身分を捨て、村の娘のひとりになっても、ですか?」


「君も、それはできないと思ったんじゃないのか? あの月待草のように、君もまた咲くべき場所でないと咲けないんじゃないか。そう思ったんだろ?」


 図星だったか、システィリアがうつむいた。


 一方で、俺も考えがまとまらないでいた。


(俺はどうしたいんだ?)


 システィリアは、まちがいなく実家へ送り返すべきだ。

 そうしない理由がない。

 そもそも俺はシスティリアと駆け落ちしたわけですらない。

 システィリアのほうが勝手に押しかけてきただけだ。

 その言い訳がシスティリアの父である公爵に通じるかどうかはともかく……。


(それなのに……くそっ。システィリアを帰したくない自分もいる)


 もう、認めるしかなかった。

 俺はシスティリアを欲してる。

 こんな女が妻だったらいいと思い始めてる。


 そのせいで、騎士団からの手配にも、結局返事を書いていない。

 遅れれば遅れるほどに、俺の立場もシスティリアの立場も悪くなる一方だとわかってるのに。


「もう、どうしたらいいか、わからないんです」


 システィリアがぽつりと言った。


「レオナルド様のそばにいることが、どうしてこんなにも難しいのでしょう? わたしは他に何も望んでいないのに」


 システィリアがベッドから降り、立ち上がる。


 そのまま部屋を出て行こうとするシスティリアに手を伸ばしかけた。

 その手は、システィリアを掴むことなく宙をさまよう。


「……おやすみなさい」


 システィリアが言って、ドアを閉じる。

 俺は何一つ言えず、ただ頭を抱えていた。

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