30 濃いメンバー

 うちの嫁さんも強情さには定評があるが、エメローラもそれに負けてはいない。

 しつこく食い下がって再考を促すシスティリアと、お母様の大切にしていた約束を守りたい、自分は望んで結婚するのだとくりかえすエメローラのやりとりは、徐々に気まずいものになってきた。


 自然、俺は二人の仲裁に入るような格好になり、システィリアからは「レオナルドはどっちの味方なんですか!」と責められる始末。

 このままでは俺たちの夫婦仲にまで影響が出かねない。


 本人たちは認めないだろうが、そもそも、この二人は似てるのだ。

 自分の気持ちに愚直なまでに正直でありながら、同時にひどく生真面目でもある。自分の気持ちをとことんまで突き詰めてしまう真面目さが、よく言えば確固とした信念に、悪く言えば融通の利かなさにつながっている。

 そのくせ、最終的に二人が出した結論は正反対に近い。親の決めた婚約者を捨てて好きな男(俺のことだ、もちろん)のところに転がり込んできたシスティリアと、母親の語る恋愛譚に心から憧れ、敬慕する母親が結んだ約束を果たすために、見も知らぬ「婚約者」のもとにおもむこうとするエメローラ。

 これで、衝突しないほうがおかしいのだ。


「まだ王子様に夢を抱いてるんですか? 散々説明しましたよね?」


「何度も申し上げているように、お母様とシグルド陛下の決められたことです。わたくしはその想いを大切にしたいのです。もっとも、婚約者をこっぴどく振った上に、男性二人に決闘までさせていい気になってるようなかたにはわからないでしょうけどね」


「な、なんてことを言うんですか!?」


「それはこっちのセリフですっ!」


 とうとうつかみ合いにまで発展した二人を必死で引き剥がし、俺は二人に聞こえないようそっとため息をつく。


「⋯⋯もう勘弁してくれ⋯⋯」





 そんなギスギスしたやりとりが数日続いた頃、ドワーフの族長ワルドとその娘であるワッタが村にぶらりと遊びにきた。

 エメローラが人魚だと紹介すると、二人とも度肝を抜かれた様子だった。さしものワルドも、人魚が実在するとはおもってなかったらしい。

 エメローラが地上にやってきたいきさつを聞くと、


「嬢ちゃん、そいつは難しいぜ」


 と、ワルドはエメローラに忠告した。


「人間ってのは、数が集まるとすぐに派閥を作りたがる。まあ、そいつはドワーフだろうがエルフだろうが同じことなんだが、人間は絶対数が多いからな。多くても数百人くらいの部族で暮らすドワーフやエルフに対し、人間の国は数百万って人口を抱えてる。当然、王様は下々のものの顔も名前もわかっちゃねえ。

 それでも人間の国がまとまりを失わんのは、下を支配するための武力と権力が、高度に組織化されてるからだ。その高度に組織化された権力は、多くの利権を作り出し、その利権を巡って熾烈な争いが繰り広げられる。たかが金のために血が流れることだって、けっして珍しいことじゃねえ。

 まして、王家となればなおさらだ。あんな火薬庫みてえな場所に、人魚が素足で踏み入れて無事に済むとは思えねえなぁ」


「どんな困難も、愛する人がそばにいれば乗り越えられるとおもいます。レオナルド様とシスティリア様も、多大な困難を乗り越えて結ばれたと聞きました」


「こいつらのことを持ち出されると反論しにくいがな⋯⋯。ま、そこまで覚悟してるんなら、俺みたいな部外者が余計なことを言うこたねえか」


 豪放磊落ごうほうらいらくの極みのようなワルドも、エメローラの覚悟に最後には引き下がる。だが、その顔は見るからに心配そうだ。


 ワッタは、


「王都、見たい」


 と、結婚以前の部分に食いついた。

 気になって、俺はワッタにも聞いてみる。


「なあ、ワッタはエメローラの話についてどうおもう?」


「結婚? 相手次第!」


 ⋯⋯この場でいちばん幼いやつから、いちばん現実的な答えが返ってきたな。


「王子、会う、見てみる、よさそう、結婚する。悪そう、結婚しない」


「まあ、そう言われればそうなんだが」


「でも、相手は王族ですから。会ってみて合わないとおもってからでは遅いですよ」


 完全に機嫌を損ねているシスティリアがつけつけと言った。


「しかし、その人魚の嬢ちゃんが王子と結婚するかどうかはさておきだな、王都に一人で乗り込ませるわけにもいかんだろう」


 ワルドが顎ひげを撫でながらそう言った。


「そうなんだよな。書状はもう送ったから、向こうで確認次第迎えをよこすとおもうんだが、迎えは当然向こう側の人間だ。人間の中でエメローラが一人であることに変わりはない」


 もともとはエメローラと一緒に護衛の人魚が何人か陸の海門を通ってやってくる予定だったらしい。だが、途中であの海棲モンスターに襲われて、護衛たちは囮になってモンスターを引きつけたのだという。

 といっても、身を犠牲にしてエメローラを送り出したってわけじゃない。海の神の末裔とされる人魚なら、海中でモンスターを撒くくらいは当然できるし、やろうとおもえば返り討ちにもできるらしい。

 ただ、陸の海門はあまり広くないそうで、モンスターの群れに追いかけられると、満足な逃げ場がなくなってしまう。

 そこで、護衛たちがモンスターを引きつけ、海門はエメローラ一人で抜けてきた。


 とはいえ、じゃあ人魚の護衛が一緒だったら安心できたのかといえばそうでもない。

 エメローラのもつ潮風の首飾りは貴重品で、護衛にまで行き渡るほどの数は用意できなかったという。

 護衛はあくまでエメローラを地上に送り出すまでが仕事であり、その後は約束に基づいて現れるはずのノージック王国側の人間に任せるつもりだったらしい。


 ついでにいうと、護衛をつけられるくらいだから、エメローラは人魚の中でもかなり身分の高い存在のようだ。人魚の群れには人間の国のように王がいるわけではないらしいのだが、あえて人間にわかる表現を探すなら、有力者の娘という意味で「姫」が近いと言っていた。


 ともあれ、王都にエメローラの味方がいないことは事実である。

 証文が認められれば、エメローラは王宮に客人として滞在することになるだろう。

 孤立無援のエメローラに、厄介な人間たちが近づこうとしてくるのはまちがいない。

 人魚と聞いて好奇心で見にくる野次馬ども。次期王妃候補とみて取り入ろうと考える役人ども。その逆に、やっかみや利害の衝突から、エメローラを害しようとする腹の黒い貴族やその夫人たち⋯⋯。

 王宮に出入りできるような人間は、当然それなりの身分にある。迷惑だからといって無下にもできず、対応には細心の注意や気配りが必要だ。

 だが、人魚であるエメローラに、貴族社会で必要な注意や気配りが身についているはずもない。陰険な貴族どもに一挙手一投足をあげつらわれ、傷つくエメローラが目に浮かぶ。


 ワルドが重々しくうなずいた。


「人間の街、それも王都の王宮の中に、人魚の味方をしてくれる物好きなどそうはおるまいな。

 それで、レオナルドはどうするつもりなのだ?」


 ワルドは面白がるように聞いてきた。


「⋯⋯わかってて言ってるだろ」


 俺はため息まじりにそう答える。


「がっはっはっ! やはり、最後まで面倒を見るつもりでおるのだな? さすがは俺の見込んだ男よ! 縁もゆかりもなければ、今ひとつ話にも共感できておらんくせに、困っておるとなれば見過ごせぬときた! まことに損な性格をしておるものだ!」


 豪快に笑うワルドに、俺は渋い顔をする。


「最初は、エルドリュース公爵に投げるつもりだったんだけどな」


 システィリアの父であるエルドリュース公爵は、貴族の筆頭ともいえる存在だ。その屋敷にエメローラを置いてもらい、シグルド1世王の子孫との「婚約」の件を王にとりなしてもらおうとおもったのだ。宮内府に書状を送るのとほぼ同時に(正確には若干早く着くように)公爵にも事情を知らせる手紙を送っている。


 ところが、


「⋯⋯まさか、母の横槍が入るとはおもいませんでした」


 システィリアがやるせない顔でため息をつく。


 システィリアの父である公爵が、最終的には俺たちの結婚を認めてくれたのに対して、その夫人であるシスティリアの母は、いまだに俺たちのことを認めていない。

 貴族家の当主である公爵が認めた以上、システィリアの母が反対したところで法律上は意味がない。だが、夫人は公爵家の家中のことを取り仕切っているし、もともと有力貴族の令嬢だったこともあって貴族界にも顔がきくらしい。表立って夫に反対することはできないまでも、裏から手を回せば実質的に同じような結果をもたらせる。


 その公爵夫人が、エメローラの受け入れを拒んだという。


 いわく、「なぜ、当主である公爵に従わず、駆け落ち同然に他家に嫁いでいった娘の願いなど聞いてやらねばならないのか。それも、縁もゆかりもない人魚の娘の面倒を見てやってくれ、などという戯言を」と。


 夫人の言い分は、困ったことに正論だ。

 システィリアの婚約破棄の一件で妻に負い目を作った格好の公爵は、夫人に強い態度を取りにくい。公爵家の家中のことを夫人が司っている以上、屋敷へのエメローラの受け入れを強いることはできないだろうし、無理にやったとしてもエメローラにとって安心できる環境が確保できるとはおもえない。

 もっとも、公爵は、王へのとりなしについては、自分の裁量の範囲だからと請け合ってくれた。ただし、これについても「あまり期待せぬほうがいい」と不吉な言葉が添えられてたんだけどな。


「王宮に一人でほっぽりだすのもかわいそうだ。かといって、俺の知り合いにエメローラを預かってもらえそうなやつもいない」


 しいて言えばパトリックだろうが、婚約者を奪った形の相手に、どのツラ下げてそんな虫のいいことが頼めるのか。

 それ以外の知り合いは、ほとんどが平民出の非正規騎士かその退役者である。気のいいやつらではあるものの、あいつらにエメローラを預けるのは難しい。単純に、人を一人置いてもらうだけの物理的なスペースがないのである。

 それに、もしスペースがあったところで、王子の婚約者候補である女性を平民の家に泊めるのも外聞が悪い。エメローラの望みが王子との結婚である以上、宿泊先にも相応の「格」が必要になってしまうのだ。


「ではどうするつもりなのだ?」


「わたしの知り合いに頼むことにします。頼むのはこれからなのですが、たぶん断られることはないとおもいます」


 ワルドの言葉にはシスティリアが答えた。


「ほう、システィリアは顔が広いのだな?」


「仮にも公爵令嬢だったからな。⋯⋯と言いたいとこなんだが、ほとんど唯一の当てなんだ」


 システィリアが当てにしてるのは、かつてシスティリアの家庭教師を務めてたという女性である。国外でもその名を知られるほどの学者だそうで、システィリアのことを妹のように可愛がってくれたという。彼女以外にこんなことを頼めるほど信頼できる知り合いはいないと、システィリアは太鼓判を押していた。


「ちょっと、レオナルド! それじゃわたしが友達少ないみたいじゃないですか!」


 システィリアがそう抗議してくる。


「実際少ないんだろ?」


「うぐ⋯⋯それはそうなんですけど」


 高位貴族の娘だから貴族界につてでもあるかとおもいきや、システィリアの交友関係はかなり限られていたようだ。同年代の友人もおらず、親しかったのはその先生とマリーズくらい。だからこそ、小さい頃から偶然何度か顔を合わせただけの俺のことが印象に残っていたんだろう。

 言葉に詰まるシスティリアに、ワルドが言う。


「意外であるな。システィリアは物怖じせん性格だろうに」


「そ、それはそのぅ⋯⋯そうだ! エルドリュース公爵の娘ともなると、いろいろとしがらみがあってですね⋯⋯」


「システィリアは馬や弓が好きだったりで、他の貴族の令嬢とはいまひとつ話が噛み合わなかったらしいぞ」


「ば、バラさないでください、レオナルド!」


 いや、「そうだ!」とか言っちゃった時点でバレてるから。


「がっはっは! 蝶よ花よと育てられた貴族の娘より健康的でよいではないか! さすがはレオナルドの嫁となった女よな!」


「ま、誰が見ても羨むような婚約者を捨てて、俺なんかのとこに来るような物好きな女だからな」


「もう、またそんなことを言って⋯⋯。わたしにだって、気の合う友人の三人や四人⋯⋯一人や二人⋯⋯」


 声は尻すぼみになり、システィリアの顔が暗くなる。


「で、でも、ノーラ姉さ⋯⋯いえ、ワーデン先生ととても気が合ったというのは本当ですから! 友人というのは数ではなく質だとおもいます!」


「それはそのとおりだな」


 そのワーデン先生が、システィリアの家庭教師だったという高名な学者だ。システィリアが「その⋯⋯変わった人です」と言葉を濁すくらいだから、ものすごく変わった人なのだろう。学者だけに政治からも適度に距離を置いてるそうで、派閥争いに巻き込まれるおそれもない。探究心の強い人だから、人魚と聞けば喜んで受け入れてくれるだろうとのことだ。人間の中には他種族を差別するものも多いが、その先生ならそんな心配もないという。


「ふむ。なかなか格好の相手ではないか。

 しかし、王の返答は気になるところよな。まともに取り合ってもらえんおそれもあろう」


「そうなんだよ。公爵のとりなしがあるから王に話を聞いてもらうくらいはできるだろうが、その上で王がどう判断するかはわからない。公爵にしたところで、娘の婿に頼まれたから口をきいてくれるってだけで、それ以上便宜を図る義理はない。積極的にエメローラの希望を叶えてくれるわけじゃないんだ」


 エメローラをそうまでして助けたところで公爵にはうまみがまったくない。俺やシスティリアに恩を売っても、こっちは辺境住みのバッカス男爵夫妻である。王にとりなしてくれるだけでも有難いとおもうべきなのだ。


 ワルドはしばし考えてから口を開く。


「そういうことならば、俺が口添えをしてやろう。ドワーフの族長は、ノージック王国が律儀にも古き約束を守りにきた人魚の娘をどう扱うか、大いに注目しておる、とな」


「助かるが⋯⋯いいのか、そんなことをして」


「嘘は言っておらん。実際、注目に値する。人間の国が、人間以外と結んだ約束をどう扱うのか、とな。

 ドワーフは、人魚やエルフほどではないにせよ、人間よりは長く生きる。人間と約束を結んだとして、それが百年後にも守られるのかどうか。ドワーフはむろん、エルフとて注目せずにはおれんだろう」


「たしかにな⋯⋯」


 俺はふと、サハギンたちのことを思い出す。

 エメローラによれば、彼らは水中に暮らすもの特有の言語をもっているとのこと。

 つまり、交渉可能な相手なのだ。

 となると、ノージック王国とサハギンの生息域のあいだに境界線を引くという話が、今後持ち上がってくる可能性がある。

 果たして人間は他種族から見て信用に値するか?――エメローラの一件は、俺がおもっていたよりずっと影響力の大きな話なのかもしれないな。


「エルフの連中は森にひきこもっておるがな、稀にだが、俺のところには遣いをよこす。やつらは酒を一滴も飲まぬ実につまらん連中だが、俺のほうでは遠慮なく大酒を飲む。普段ならば俺も余計なことは口にせんが、なにぶん酒が入っておるからな。ぽろりと、人魚が人間の国に嫁がんとしておるという話を、こぼしてしまうこともあろう。エルフめは陰険姑息な連中だから、俺の話を聞き逃さず、すぐに裏を取ろうとするであろうな」


「おまえはちょっと酒を飲んだくらいで口を滑らすようなタマじゃねえだろうが。

 っていうか、その話を俺から王にしろって言うのか?」


 成り上がり男爵がドワーフとのコネを利用して王を脅した――そう取られてもしかたのない話だ。というか、実際にそのとおりの話である。


「ふむ、そうであるな。ならば⋯⋯そうだ、ワッタを連れて行ってはどうだ?」


「わたし?」


 ワッタが自分を指さした。


「うむ。〜〜〜〜、〜〜〜?」


「王都、見たい!」


 ワッタが飛び上がって喜んだ。


「おいおい、ドワーフの使者にしてはワッタは幼すぎないか?」


「俺の書簡を渡すだけなら問題なかろう。こやつは好奇心旺盛なタチだからな。この村に厄介になったときにもおもったのだが、ドワーフの里はこやつにとっては狭いのだろう。ちょうどいい機会だから人間の街を見てくるといい」


「わかった、楽しみ!」


「ドワーフの方ともご一緒できるなんて⋯⋯楽しい旅になりそうですね!」


「エメローラ、好き!」


「うふふっ、ありがとうございます、ワッタ」


 ワッタとエメローラが、手を取り合って喜んでいる。


「いや、連れて行くのは俺たちなんだけどな⋯⋯」


 人魚だけでも大変だってのに、ドワーフまで同伴とか、俺は向こうの連中にどう説明すればいいのか。今から胃が痛くなってきそうだ。


「でも、ワーデン先生なら喜びそうです。ドワーフやエルフと話してみたいと、以前からずっとおっしゃっていました。とくに、大地の民と呼ばれるドワーフには、強い興味をお持ちです」


「ならばかまうまい。そのワーデン先生とやらには、俺からも謝礼を用意しよう。タダでワッタを泊めてもらうわけにもいかんからな。そうさな、何がよかろうか?」


「ワーデン先生は博物学――あらゆる事象を扱う学問がご専門ですが、とくに地理や地質に興味がおありです。なぜ大陸は、ひいてはこの世界は、今あるような形で存在するのか? という、答えのない問いを追及されているかたです」


「ほう、興味深いではないか。学者はそのくらい気宇壮大でなければな。では、希少な鉱石でも贈ってやるとしようか。ドワーフでなければ掘れぬ地層も多いからな」


 という形でとんとん拍子に話が膨らんでしまい、王都へは俺、システィリア、エメローラ、ワッタの四人で行くことになった。

 人間、エルフの血を引く人間、人魚、ドワーフという、俺以外はなかなかに濃いメンツである。

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