29 平行線
翌朝、俺は遠くから聴こえるかすかな歌声で目を覚ました。
「ん⋯⋯もう朝か」
昨日はシスティリアやマリーズと、エメローラのことについて遅くまで話し合った。
俺は、ベッドから離れたがらない身体を苦労して起こす。
「う⋯⋯しんどいな」
システィリアと遠乗りに出かけるだけの予定が、三日月湖では海棲の巨大なモンスターと戦うことになり(俺は戦ってないが)、そのあとは人魚エメローラの身の上話を聞いてから、彼女を連れて村へと戻ってきた。なかなかハードな一日だったせいで、寝起きのダルさが半端ない。
「騎士を辞めて身体が鈍ってんのかもしれねえな」
剣の鍛錬くらいはしているが、騎士団時代に比べて運動量が減ってるのは事実だ。
「もうちょいちゃんと鍛えるか、なんか身体を使う仕事を探すかだな」
若い嫁さんをもらった以上、まだまだ老け込むわけにはいかないからな。
畑仕事や大工仕事、狩人と一緒にモンスターを狩るのもいいだろう。ワルドなんかは会うたびにおまえも鍛治をやってみろと勧めてくるが、それも案外いいかもな。ちょうどこの村には鍛冶屋がないし。この歳で始めてどんだけものになるかは怪しいもんだが、すくなくともいい暇つぶしにはなりそうだ。
「ま、当分はそんな暇もなさそうだが⋯⋯」
俺は寝室の窓を開けて、外から聴こえる声に耳を澄ます。
朝日に目を細める俺の耳に、透明な歌声が、さっきよりくっきりと聴こえるようになった。
時間帯を配慮してか抑えられた声量ではあるが、不思議とよく通る綺麗な声だ。
しばし耳を傾けてみるが、どうにも歌詞がわからない。といっても、聞き取りにくいとかじゃなく、そもそも歌詞が人間の言語ではないようだ。
百年前の約束に従い王家の花嫁になりにきたという人魚の歌は、音楽に
歌のおかげで、ダルかった寝起きの身体も目覚めてきた。
「やっぱ、夢だったってわけにはいかないか」
システィリアはエメローラの気持ちを知ってから送り出したいと言ってたが、はてさてどうなることだろうな。
「あの、エメローラさんは、どうしてそこまでして約束を果たそうとするのでしょうか? ご自身で結んだ約束ではないというのに」
短兵急に切り出したシスティリアに、エメローラが小首をかしげて言った。
「おかしいでしょうか? わたくしはお母様を敬慕しておりますし、その想い人との約束は、我がことのように思えてならないのです。わたくしは嫌々約束を果たすのではなく、喜んで約束を果たすのです」
「でも、顔を見たこともない男性に嫁ぐんですよ? 怖くはないんですか?」
「わたくしはそれをずっと楽しみにして参りました。お母様から人の言葉を学び、人の習俗についても可能な限り聞いてきました。
「シグルド1世王がエメローラさんのお母様の言うような好ましい男性だったとしても、その子孫までがそうだとは限らないじゃないですか」
「お母様のなさることに間違いのあろうはずがありません」
「ですが、エメローラさんのお母様だって人間です。⋯⋯いえ、人間じゃなくて人魚ですが、絶対に間違えないなんてことはないですよね?」
「もちろん、間違えることもあると思いますが、お母様のような恋をしてみたいというのは、わたくし自身の切実な願いなのです。お母様のお気持ちについては、間違いなく本物だったと断言できます」
「そ、それはそうかもしれませんけど⋯⋯でもだからって⋯⋯」
朝食を一緒にとったあと、システィリアはエメローラさんに単刀直入に切り込んでいった。
だが、結果は見ての通り。エメローラの覚悟と母親への絶対の信頼に跳ね返され、システィリアのほうがかえってたじたじになってしまってる。
もっと遠回しに聞いていくつもりかとおもってたのだが、考えてみればシスティリアは直情径行なタイプで、会話の駆け引きなどは案外苦手だ。
しかも、どうやらシスティリアは、エメローラの結婚観に強い反発を覚えてるようだ。エメローラへの当たりがキツめなのはそのせいもあるのだろう。
「システィリア様。わたくしはレオナルド様と貴女を見て、なおのこと確信を深めました。わたくしも恋をしてみたいのです。なぜそれに反対なさるのでしょう? システィリア様は実際にこうして素敵な旦那様をお持ちだというのに」
「う、そ、それは⋯⋯! ですが、だからと言って、相手が誰でもいいわけがないじゃないですか!」
「それはそのとおりですが、せっかくお母様とシグルド陛下がなさった約束があるのですから、お母様のお気持ちを知るわたくしとしては、その約束を尊重したいのです。誰でもいいわけではないからこそ、約束のあるお相手と恋をしたいとわたくしは思っております」
「ううう、どうしてこうも話が通じないんでしょうか⋯⋯」
「システィリア様のお話は通じております。ただ、わたくしにはわたくしの考えがございます。どうかご理解くださいませ」
「そ、それはそうですけど⋯⋯」
どうやら、論戦はエメローラの勝ちに終わったようだ。
「レオナルドも黙ってないでなんとか言ってください!」
涙目で言ってくるシスティリアに、
「なんとかって言われてもな。結婚に至る事情なんて人それぞれだろ」
それこそ、親の決めた相手に嫁ぐしかない貴族の娘などいくらでもいる。
それがいいことかどうかはさておき、外からとやかく言ったところでどうにもならないことはまちがいない。
まして、エメローラの場合は本人がいいと言ってるのだ。それを正面から否定したら拒絶されるのは当然だろう。
だが、俺だってエメローラのことが気にならないわけじゃない。
「エメローラ。気を悪くしないでほしいんだが⋯⋯」
「なんでしょうか、レオナルド様?」
エメローラはすこし構えた様子になる。
「俺もシスティリアも、君のことを心配してるってことはわかってくれ。ありがた迷惑かもしれないけどな」
「それは承知しております。お二方ともとてもお優しいお人で、地上で最初に巡り合った人間がレオナルド様たちでよかったとアマツニナ様に感謝したいです」
「じゃあ、お人好しのお節介だとおもって聞いてくれ。
俺がいちばん懸念してるのは、時間の問題だ。人間と人魚は寿命がちがう。人魚にとっての百年と、人間にとっての百年は重みがちがう」
「それは、重々承知致しております」
「本当か? 頭ではわかってても、あまり実感はないんじゃないか?」
「⋯⋯何をおっしゃいたいのでしょうか?」
「シグルド1世王は二代前の王様だ。つまり、百年前から今に至るまでに、二度の代替わりがあったってことだ。
王が替わると、それまでのやりかたが通じなくなることも多いらしい。
王の代替わりは、前の王が
だから、エメローラのお母さんとシグルド王の約束が、きちんと引き継がれている保証はない。シグルド王の次の王ーーつまり、シグルド2世までなら、実の親子でもあるし、伝わっている可能性は高かったとおもう。でも、その次の代ではどうなのか⋯⋯。
もしちゃんと引き継がれていたとしても、シグルド王本人ほどの思い入れが今の国王陛下にあるとは思いにくい。国王陛下がエメローラの幸福をどれだけ考慮してくださるか、俺には疑問に思えるんだよ」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。ですが、それは王都に出向けばはっきりすること。それに、英明なシグルド陛下はそのことを見越して、玉璽入りの証文を残してくださったのです。それとも、現在の国王陛下は信義に背くようなお方なのでしょうか?」
「いや⋯⋯評判は悪くない、かな」
とりたててよい王だとも言われないが、これといった悪評も聞いたことがない。
ある意味では平凡ともいえるが、評判のよすぎる王様は、貴族や平民からするとかえって厄介なこともある。評判がいいというのは、えてして外征で領土を増やしたといった形が多いものだ。その裏には、出征の負担にあえぐ貴族や、重税を課せられ苦しむ平民の怨嗟の声が渦巻いている。出征でなくても、王が事績づくりのために大事業をはじめ、国庫が傾くなんてこともありがちだ。
庶民にとっては、王の存在を意識せずに生活できるほうがありがたい。
「そうですね。とくに目立った事績があるわけではありませんが、目立った失政もなかったとおもいます。国内政治は安定していて、対外関係も悪くはありません」
「でしたら、避けるだけの理由がありません」
⋯⋯そうなるよな。
「そういえば、肝心の『王の子孫』のほうはどうなんだ?」
俺はシスティリアに聞いてみる。
「現在の国王であらせられるサグルス4世陛下には、王子が一人だけおられます。直系の男子となると王子だけですね」
「そのかたがわたくしの旦那様になるのですねっ?」
弾んだ声でエメローラが食いついた。
「一人だけか⋯⋯。となるとますます厳しいな」
「そうなんです。王子に婚約者はいなかったとおもいますが、時期国王となるかたですから、当然そのお相手をめぐる争いは熾烈です。陛下としても国内の地盤固めや他国との関係強化のために王子の結婚を利用されたいところだとおもいます」
人魚と結婚したところで、政治的に何かうまみがあるわけじゃないからな。
これがせめてルタミアのような海に面した国だったら、人魚との交流が益になった可能性もあるのだが、ノージック王国は内陸の国だ。むしろ、内陸国の王子が人魚と結婚することで、新国王は海に出る野心を持っているなどと邪推され、海のある隣国から警戒を招くおそれもありそうだ。エメローラになんら政治的な意図がなかろうと、王子が誰と結婚するかは、周辺国へのメッセージとして受け取られてしまうのだ。
「で、ですが、わたくしはシグルド陛下の証文を持っているのですよ?」
「言ったろ。今の国王陛下に祖父が恋人と交わした約束に対する思い入れはないだろうって。玉璽がある以上、たしかにその証文は国王陛下の命令に等しい効力をもつ。だが、国王陛下自身がその約束は無効だと主張したらどうにもならない。国王陛下に約束を守れと命令したり、約束を破った罰を与えたりできるやつは誰もいないんだからな」
「そ、そんな⋯⋯」
エメローラが見るからにしゅんとして、目を涙で潤ませた。
俺は慌てて、
「い、いや。国王陛下だって、シグルド1世王の末裔として今の地位にある以上、証文を完全に無視することはできないだろうけどな」
ただ、婚約を破棄する見返りに金品を与えて終わり、などとされるおそれは十分にある。古い約束であり、約束を結んだ当の本人も故人であることから、字義通りに守る必要はない、などと言われれば、それ以上食い下がるのは難しいだろう。
唯一可能性があるとすれば、王よりはむしろ王子のほうだ。
エメローラは、このとおり、現実離れしてみえるほどのとんでもない美少女だ。王子が政治的な分別を失うほどにエメローラに惚れ込んでしまう、という可能性も、けっして低いわけじゃない。
「お相手の⋯⋯というか、お相手の候補になるはずの、王子のほうはどうなんだ?」
俺はシスティリアに聞いてみる。
「それが、よく知らないのです」
システィリアが首を横に振った。
「知らない? エルドリュース公爵家の令嬢なら、王族とも顔を合わせる機会があったんじゃないか?」
「父からは、あまり王子に近づかないよう釘を刺されていました。目をつけられたら困るから、と」
「ってことは、評判がよくないのか?」
「どうなのでしょうか。見た目は貴公子然とした美男子です。頭の回転が速く、剣の腕もなかなかのものと聞いています。父は『虫が好かぬ』と言っていましたが、それ以上のことはなんとも⋯⋯」
イケメンで頭が良くて剣の腕が立つ。どこかの元上司を思い出すが、パトリックが公爵のお眼鏡にかなったのに対し、王子はそうではなかった、と。ふつうに考えれば、名門とはいえ伯爵家のパトリックより、次期国王がほぼ内定してる王子のほうが結婚相手として望ましそうなもんだけどな。
「ううん⋯⋯なんだか不安になる話だな」
「まあ、父に男性を見る目がそんなにあるとは思えませんが」
システィリアが公爵をばっさりと斬り捨てる。
パトリックとの婚約を強引に進められたこともあって、システィリアの公爵に対する評価は厳しめだ。
「いや、システィリアだって男を見る目って意味じゃ大概だとおもうぞ」
「⋯⋯ちょっと。それはどういう意味ですか、レオナルド?」
肩をすくめた俺を、システィリアがぎろりと睨んでくる。
「わたしが人生をかけて選んだ男性のことを、悪く言わないでください。たとえご自身のことであったとしても、です」
「⋯⋯悪かった。俺だって命がけでシスティリアを選んだんだ。そっちが俺に愛想をつかしたとしても、もう離す気はないからな」
「レオナルド⋯⋯」
「システィリア」
「⋯⋯あ、あの。だからですね、わたくしをダシにイチャつかないでいただけませんか⋯⋯?」
そんなこんなで、エメローラとのやりとりは平行線のままで終わってしまった。
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