28 システィリアと話し合う

「これは難題だな⋯⋯」


 俺はランプの灯りのなかで、紙を睨みつけて小さくうなる。

 何度か書き直してみたものの、どうにもうまく伝わるような気がしない。


「読んですぐに要点をつかめて、内容にも信憑性があるような文章が理想なんだけどな」


 内容が内容だけに、冒頭で要点をまとめてしまうと、その先をろくに読まずに嘘か戯言だと片付けられてしまうおそれがある。かといって、人魚に伝わる神話や陸の海門の話から書き出すと、スケールが大きすぎて荒唐無稽に思えてくる。

 考えてみれば、初めて会った俺たちを相手に、あれだけ現実離れした話をして納得を引き出してしまったエメローラはすごい。彼女の身にまとう浮世離れした雰囲気のせいもあるが、単純にエメローラの語り口がうまいのだ。

 だが、俺はどっちかといえば口下手だし、文章を書くのも得意じゃない。


「淡々とまとめるしかないか。どう判断するかは向こうで決めることだ。無理に信じさせようとする必要はない」


 エメローラが玉璽の入った証文を持っていることは事実なのだから、経緯については多少疑われたところでかまわない。向こうだって、王の署名した証文があると言われれば、いくら荒唐無稽な話に思えても、確かめないわけにはいかないのだ。

 この成り上がり男爵は偽の証文一つ見抜けないのかとせせら笑いながらやってきて、玉璽入りの証文を見せられて度肝を抜かれる。宮内府の役人のそんな姿を見るのも悪くはないかもしれない。

 そう考えると、エメローラの母親に証文を渡したシグルド1世には先見の明があったことになる。先見の明のあるやつがあんな約束をするものなのかという疑問はさておきな。


 なんとか文章をまとめ終えたところで、書斎のドアがノックされた。


「レオナルド?」


「システィリアか。入っていいぞ」


 システィリアは片手でドアを開けると、ドアを背中で押さえて、夕食の載った盆を持って入ってくる。


「ああ、もうそんな時間か」


「食堂で、とも思ったのですが、エメローラさんはお疲れのようでしたので。一緒に宿のほうでいただいてしまいました」


「あれだけはしゃいでればそりゃ疲れるだろうな」


「陸の上では身体が重い、とおっしゃっていました」


「そうか、水の中に入ると身体が浮くもんな」


 海を見たことのない俺だが、小さな頃に川遊びくらいならしたことがある。遊んだあとに水から上がると、身体が重く感じられたものだ。泳いだ疲れのせいだけじゃなく、それまで自分の身体を支えていた浮く力がなくなるのも原因らしい。


「マリーズにはもう説明したのか?」


「はい。さすがにマリーズも驚いてました」


「そりゃそうだ」


 俺はシスティリアの持ってきてくれた夕食を書斎の机でパクつきながら話を続ける。

 システィリアは一緒にもってきたどくだみ茶を啜っている。独特の苦味にはもうすっかり慣れたらしく、最近はこの苦味がないと落ち着かないとまで言い出した。


「驚きましたね。まさか人魚が実在していたとは」


「まったくだ。しかも、こんな内陸の湖にいきなり現れるんだもんな」


「『陸の海門』でしたか。神話はともかくとして、エメローラさんの様子を見るにとても嘘とはおもえませんね」


「おまけにやってきた目的が、王様との百年前の約束を果たすためときた」


「でも、人魚が陸に上がって本当に大丈夫なんでしょうか? 人魚の伝説といえば、実らない恋と相場が決まってます。人魚は海から離れられないともいいますし」


「海の『潮』が必要だって話は、あの首飾りで解決できるって言ってたな」


 エメローラはサハギンたちに保護されて彼らの湖でしばらくのあいだ暮らしていたという。サハギンの住む湖は、あの三日月湖から少し北に行ったところにあるらしく、三日月湖とは違って淡水だ。モンスターから逃げるときに負った怪我は癒えたものの、エメローラは水の違いで体調を崩し、海水の混ざる三日月湖へと戻ってきた。そこを、あのモンスターに襲われたということらしい。

 あのモンスターは陸の海門を通ってエメローラを追いかけてきた本来は海棲のモンスターで、サハギンたちにとっては初めて戦う相手だったそうだ。サハギンたちが苦戦してたのはそのせいもあったらしい。水中戦に持ち込もうにも、サハギンたちには今の三日月湖の水は「からい」のだという。


 しかし、それならば、エメローラはあの湖を離れることができないのではないか?

 当然湧いてくる疑問をぶつけた俺に、エメローラは胸もとのネックレスを示して言った。「この潮風の首飾りがあれば大丈夫です」と。真珠と珊瑚を互い違いに紐に通した、いかにも人魚らしいあの首飾りだ。


「潮風の首飾りは、海水につけることで『潮』をそのなかに吸収する。その『潮』が首飾りの触れた肌から徐々に吸収されて、『潮』の不足を補ってくれるんだったな」


「潮風の首飾り一つで一ヶ月ほどもつそうですね。海草の行李こうりから十個以上も取り出したのには驚きましたが⋯⋯」


 行き倒れたエメローラを助けたとき、サハギンたちは湖底に沈んだエメローラの荷物にまでは気づかなかった。そのため、エメローラはそのとき身につけていた首飾り一つ分の期間しかサハギンたちの湖にいられなかったのだ。


「エメローラは一年分の首飾りを用意してきたってことだよな。

 でも、年に一度、首飾りを海水につけて、『潮』を蓄え直す必要がある。海水は保存したものではダメで、本物の海に行かないといけない」


 ノージック王国は内陸の国だ。毎年ルタミアなり氷海なりに出るのは大変な手間だろう。将来の王妃になるなら人に行かせる手はあるだろうが、手間がかかることに変わりはない。

 それに、今でこそノージック王国とルタミアの関係は良好だが、過去には矛を交えた時代もある。もし海に出る道が通れなくなったらどうするのか。陸の海門も人魚の伝承によれば一年で再び閉ざされるという話だ。

 最悪の事態は他にもある。もし首飾りがなくなったり、壊れたり、盗まれたりしたらーー。

 陸に上がった人魚は海に戻ることもできず、長寿の保証されていたはずの人生を、ごく短い年月で閉ざすことになってしまう。


「そこまでして、王の子孫に嫁ぎたいんでしょうか。それも、自分が生まれてもない頃に、親同士が結んだ約束のために」


 システィリアが複雑そうに言った。

 うちの嫁さんは父親の決めた婚約者を振って物好きにも俺なんかのところに転がり込んできた経歴の持ち主だからな。親の結んだ約束を果たすために苦労するに決まってる地上へ嫁ぎにきた人魚姫とは、ほとんど真逆の経路をたどってる。


「今の王様がシグルド1世王の結んだ約束を知ってるのかどうかもわからないしな」


 知っていたとして、その約束のために王子の配偶者として人魚を迎えるつもりがあるのかどうか。王子の結婚は、王にとっては貴重な政治カードの一枚だ。もし王子が他国の姫や自国の有力貴族の娘と結婚すれば、国際関係や国内の政治基盤を安定させることができる。そのカードを捨ててまで、百年前の約束を守ることを優先するものだろうか。


「もし約束を知っているのなら、百年後にあたる今、王家から迎えの一人も送れられてきていないのが気になります」


「だよな。約束を知らないか、知ってるが真に受けてないか、知ってて放置してるか⋯⋯」


 エメローラには悪いが、そのいずれだったとしても、今の王を責めるのは酷かもしれない。その話を真に受けて、まじめに受け入れの準備をしたところで、やっぱり人魚は現れませんでした、となる可能性だって高いのだ。人魚を待つために有望な縁談を断る場面だってあるはずだから、王が失笑を買うだけでは済まされない。


 もちろん、実際にエメローラの結婚相手となる王子の側から見ても問題だらけだ。

 もし俺の祖父じいさんが同じような約束をしてたとして、俺は突然現れた見知らぬ花嫁を素直に受け入れる気になれるだろうか? 俺には俺の人生がある、俺の都合を無視するなと苦情をつけたくなるにちがいない。

 まして、寿命も違えば育った環境もまるで違う相手なのだ。人魚をモンスターのようにおもうものだって多いはずで、王子の結婚相手としてふさわしくないという批判があちこちから噴き上がってくるにちがいない。


 だがまあ、王や王子の苦労など、俺やシスティリアにとっては他人ごとだ。

 俺とシスティリアが心配しているのは、もちろんエメローラ自身のことである。

 エメローラは母からシグルド1世とのロマンスを聞かされて育ったというが、その話は多分に美化されたものだとおもう。

 エメローラはなまじ美しいだけに、すれちがいのあるまま結婚できてしまい、あとで後悔するようなことにならないだろうか? 王家に嫁ぐとなれば、あとになってから想像と違ったので別れますとは言えないのだ。


「あの⋯⋯王都への手紙を遅らせることはできませんか?」


 システィリアが聞いてくる。やはりシスティリアも俺と同じ思いらしい。


「そうだな、数日なら言い訳のしようはある」


 システィリアを匿ったときに比べれば、手配されてない分時間に余裕はあるだろう。

 話を聞くのに手間取ったとか、確認ができず時間がかかったとか、どこへどう問い合わせればいいのかわからず困惑したとか、事態が事態だけにかえって言い訳が通用しそうではある。

 ただ、玉璽の押された証文がある以上、完全にしらばっくれるわけにはいかない。たとえ先々代の王のものだろうと、王の証文は絶対なのだ。


「説得するつもりか?」


「いえ、説得など⋯⋯彼女には彼女なりの事情や覚悟があるはずですし。ただ、エメローラさんの気持ちを知らずに送り出してしまうのは心配です」


「人間のことを何も知らないし、あの純粋な性格だからな」


 まして、エメローラの行く先は王都で、王家に嫁ごうとしているのだ。

 貴族社会特有のドロドロは、非正規騎士だった俺でもよく知ってる。公爵令嬢として育ったシスティリアならなおさらだろう。

 人魚で、不老長寿の美少女で、先々代の王によって決められた王の子孫の許嫁。煮えたぎる油の中に特大の火種を放り込むようなものだ。


「彼女のつもり・・・を確かめてからでも遅くはないと思います。エメローラさんの気持ちをなるべく尊重できる形で送り出してあげたいんです」


「わかるよ。俺も同じ気持ちだ」


 俺は、書き上げたばかりの手紙を、引き出しの奥へとしまいこむ。


 途中からはマリーズも加えて、俺たちは夜遅くまで、人魚姫の想いのゆくえについて話し合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る