27 エメローラの目的
「――わたくしがこうして地上まで
エメローラの言葉に、俺とシスティリアは絶句した。
「それが、エメローラさんのお母様とシグルド王の約束だったというのですか?」
「はい。結ばれることのかなわなかったお母様とシグルド陛下は、互いの子孫同士を結婚させようと約束したのです。陸の海門の開く百年後に、と」
「百年か⋯⋯」
シグルド1世――先々代の王の若かりし頃なら、たしかにそのくらい前にはなるだろう。百年で三代というのはむしろ少ないほうだろうが、時間的なつじつまは合っている。システィリアが何も言わないのだから、人間側の年代はおかしくないはずだ。
だが、
「シグルド1世王と約束したのはエメローラの母親なんだよな? 百年前に王と釣り合う年齢だったなら、エメローラをすくなくとも百歳近い年齢で産んだことになるぞ」
エメローラはシスティリアより若干歳下のように見える。
百年前にシグルド王と約束をかわしたときに、エメローラの母親が結婚を考えられる年齢だったのはまちがいない。仮に今のエメローラと同じ年齢だったとしたら、母親はエメローラを百歳で産んだ計算になってしまう。
「人魚は不老長寿ですから。海底の神アマツニナが自らの身体を魚に食わせて生まれたのが人魚である、という伝説も、あながち理由のないものでもないのです。といっても、けっして死なないというわけではなく、単に容貌が衰えず、人より長く生きられるというだけなのですが」
「いや、十分すごいと思うけどな」
エルフだって長寿で有名だし、ドワーフも人間よりは長く生きるらしい。その意味では人魚だけが特別なわけではないが、人間からすれば羨むしかない話である。
「あの⋯⋯エメローラさんのお母様は?」
「五年ほど前に、
「ご、ごめんなさい⋯⋯」
「いえ、いいのです。命とは海にたゆたうひとときの
「なんだか辛いな」
「そうでしょうか? 想い人のことをいつまでも想っていられるのは幸せだ――お母様はそうおっしゃっていました」
「じゃあ、自分で地上に出たかったんじゃないか?」
俺の言葉に、エメローラが首を振る。
「お母様はよく、シグルド陛下のいない地上に出てもしかたがない、ただ海底で陛下との思い出を胸に眠りたい、とおっしゃっていました。
いずれにせよ、お母様のお歳では、今回の開門を迎えられる見込みはほとんどありませんでした。だからこそ、お母様とシグルド陛下は子孫同士を結婚させる約束をしたのです」
「で、でも、本人同士じゃないのに、そんな⋯⋯」
「わたくしはお母様のことをとても敬慕しています。そのお母様がシグルド陛下を心からお慕いしていたのです。
わたくしは、お母様からずっと、陛下との思い出や募るばかりの恋情を聞かされながら育ちました。
そして、ああ、こんな恋ができたらどんなに幸せなことだろうと、憧れに身を焦がして参りました。わたくしは、今日という日を迎えられたことが嬉しくてなりません」
本当に嬉しそうに笑うエメローラを前に、俺とシスティリアは出かけた言葉を呑み込んだ。
「これが、人間の暮らす村なのですね!」
アイシャの上に横向きに乗ったエメローラが、興奮しきった様子でそう叫ぶ。
あのあと、俺とシスティリアはエメローラにあれこれ聞いてみたのだが、エメローラは「とにかく約束がある、自分は王都に行ってシグルド陛下の子孫と結婚する」の一点張りだった。
挙げ句の果てには、湖の底に置き去りになっていた自分の荷物(海草で編まれた耐水性の大きな
結ばれなかった恋人同士のロマンティックな約束かと思いきや、シグルド1世はきっちり証文まで残していた。王が代替わりしても、玉璽の押された証文は当然ながら有効だ。百年前の約束とはいえ、今の王がシグルド1世の直系の子孫である以上、道義的にもこの証文を無視することは難しいだろう。
ともあれ、玉璽入りの証文まであるとなっては無視もできない。
世話になったサハギンたちに涙ながらに別れを告げるエメローラを連れて、俺とシスティリアは村へと戻ることにした。
で、村に戻った途端、エメローラが目を輝かせて今のセリフを発したってわけだ。
「そんなに珍しいもんはないと思うけどな」
俺はアイシャの隣を歩きながら、馬上のエメローラにそう言った。
さすがのアイシャも、人を三人は乗せられない。帰りは女性二人を馬に乗せ、俺はその隣を歩くことになった。
エメローラは領主様を歩かせるなど畏れ多いと遠慮したが、裸足のまま森を歩かせるのは俺の方が落ち着かない。普段から裸足なので怪我はしないと言うのだが。
湖水に漬かって魚になっていた「足」は、湖水を出ると魔法のように人間の足に戻っていた。
いや逆か。魚のほうが元であって、人間の足のほうがエメローラにとっては特殊なのだろう。人間の足で歩くエメローラの足取りは、すこしおぼつかないような感じがあった。
エメローラは小柄なので、システィリアは自分の前にエメローラを横抱きにするように乗せている。美しい人魚姫を抱えて白馬に跨がるシスティリアは、それはもうイケメンだ。俺もああやってシスティリアを乗せてやれればちょっとは格好がつけられるのにな。
生まれて初めて馬に乗ったというエメローラは、道中でも興奮しっぱなしだった。気になるものがあるとすぐに身を乗り出そうとするので、アイシャが若干迷惑そうな顔をしていた。
システィリアより歳下に見えるとはいえ、結婚を考えられる年齢の少女がはしゃぐさまは、どこか童女のようで愛らしい。海で育った人魚姫には、見るものすべてが新鮮なのだ。
夢見がちな琥珀色の目を村のあちこちに飛ばしながら、エメローラが俺に言ってくる。
「いえ、とんでもありません! なんと平和で穏やかな空気なのでしょう! お母様は人の世はとかく
「⋯⋯そうか。そう言ってもらえると嬉しいよ」
感激したようなエメローラの言葉に、俺はおもわず頬をかく。
自分の領地を褒められると、領主はこんな気分がするらしい。着任まだ数ヶ月の俺が、この村の暮らしに何か貢献したってわけじゃないけどな。
俺たちが村の道を進んでいると、道沿いから村人たちが寄ってきた。
白馬に相乗りしたシスティリアとエメローラはとんでもなく絵になるし、隣を歩く俺も一応はこの村の領主である。小さな田舎の村では目立ってしょうがない取り合わせだ。
こんなかわいい娘を今度はどこで拾ってきたのか、などと口々に聞いてくる村人たちを適当にかわし、俺たちは領主の館へと帰り着く。
往きはアイシャのおかげで早かったが、帰りは徒歩だったので時間がかかった。高台の上に茜色に染まったわが
館に近づくと、黒髪の怜悧なメイドが
「ただいま帰りました、マリーズ。遅くなってしまってすみません」
「おかえりなさいませ、システィリアお嬢様。お夕食の準備は整っておりますよ」
マリーズがそう言って、システィリアからアイシャの手綱を引き取った。
それから、アイシャの影になっていた俺に言う。
「おや、バッカス男爵。いらっしゃったのですか」
「なんでいきなり俺に冷たいんだよ!?」
「それは冷たくもなりますよ。お嬢様というものがありながら、また新しい女を連れ込んできた⋯⋯などと聞かされれば」
「誰だ、そんなことを言ったやつは⋯⋯。っていうか情報早えな。さっき帰ったばっかだろうに」
「このような小さな村では、情報が出回るのは一瞬です」
マリーズは村の女性陣とも交流がある。どこかの噂好きが俺たちに先んじてご注進にやってきたってことなんだろう。
ともあれ、俺は誤解をといておく。
「エメローラはそういうんじゃねえよ。エメローラには婚約者がいるらしいしな」
エメローラに手を差し伸べ、馬から降りるのを手伝ってやりながら、マリーズに言う。
が、マリーズは首を左右に振った。
「バッカス男爵は婚約者のいる女性を奪うことに定評がございますからね。たとえ婚約者がいようとけっして油断はできません」
「おい、人聞きの悪いことを言うな! エメローラが誤解するだろ!?」
マリーズの口の利きようは、貴族に対するものではもちろんない。
だが、俺にとってはこのほうがよっぽど気楽だ。エルドリュース公にはちゃんと
「お初にお目にかかります。わたくしはエメローラと申します。しがない人魚の娘ではありますが、以後お見知り置きのほど
エメローラの丁寧すぎる挨拶に、マリーズが姿勢を正して向き直る。
「これは失礼致しました、エメローラ様。
わたしはマリーズ。システィリア様の側付きをさせてもらっています。旦那様のご客人、ということでよろしいのでしょうか?
⋯⋯いえ、待ってください。今、『人魚』とおっしゃいましたか?」
エメローラがしれっと口にした言葉に、さしものマリーズも戸惑ったようだ。
「マリーズ。わたしとレオナルドで確認しました。エメローラさんはたしかに人魚です。信じがたいこととは思いますが⋯⋯」
「そう、なのですか。
⋯⋯かしこまりました。お嬢様がそうおっしゃるのでしたら是非もありません。エメローラ様は人魚、そう認識させていただきます」
「おいおい、さっきは俺のことを疑ってたのに、エメローラが人魚だって話はすんなり信じるのかよ?」
「あいにく、わたしが信じるのはお嬢様のみですので。あ、アイシャのことも信じます。旦那様はその次くらいでいかがでしょうか?」
「俺は馬より信用できねえのかよ!?」
こいつの中でシスティリアとアイシャに次ぐのなら、まずまず信用されてるのかもしれないけどな。
俺はため息をついてマリーズに言う。
「ともあれ、詳しい事情はシスティリアから聞いてくれ。俺は書斎で手紙を書かなくちゃいけねえからな」
先々代のものとはいえ、王の署名と
もっとも、「内陸の湖からいきなり人魚が現れ、先々代の王と約束したから王の子孫と結婚すると言っている」なんて書き送ったら、正気を疑われることはまちがいない。ただでさえ俺は、男爵に成り上がったばかりの元平民だ。王家を侮辱したとみなされ、問答無用で爵位を取り上げられる、なんてことにならないよう、慎重に言葉を選ぶ必要がある。
まあ、こんな話、どう言葉を選んだところで信じてもらえないような気もするが⋯⋯。
「やれやれ⋯⋯どう説明したもんだろうな」
「シグルド陛下はお母様との約束を証文に残し、それぞれの手元に一通ずつ保管されたと聞いています」
エメローラはなんてことないようにそう言った。俺が何を懸念してるのか、今ひとつピンときてないようだ。
俺とシスティリアは何も言わない。
王の作成した証文とはいえ、百年の時は長すぎる。どこかで紛失したり、後代に受け継がれずに忘れられたりしている可能性もある。
というか、おそらくはそうなのだろう。もしそんな証文が現在の王にまで受け継がれているのなら、百年後の今、湖には王の遣いがやってきてるはずだ。王家に嫁ぐ女性に迎えも寄こさないというのはありえないのだから。
まだ二人きりで話したわけじゃないが、システィリアも俺と同じことを懸念してるとおもう。
「システィリア。悪いけど、あとで文面の添削を頼めないか?」
システィリアは公爵家の令嬢だから、こうした手紙の勘どころは俺よりよくわかってる。
いっそシスティリアに代筆させたほうが早いような気もするが、仮にも領主なので自分にできる仕事はなるべく自分でやっていこうと思ってる。
とはいえ、システィリアに聞けばわかることを一人で抱えこんでやり損なうのでは意味がない。そんなの、ただ見栄を張ってるだけだからな。システィリアとの平穏無事な暮らしを守るためにも、無用の見栄を張るつもりはない。
「もちろんです。王家だけではなく、父にも経緯を知らせておいたほうがいいとおもいます。宮内府だけに書き送っても、まともに受け止めてもらえるかわかりませんから」
システィリアがうなずいて言ってくる。
「それもそうだな」
システィリアの父であるエルドリュース公爵は、手に負えないことがあったら自分一人で対処しようとせず頼ってこいと言ってくれていた。エメローラの件は、あきらかに俺の手に負えない案件だろう。下手をすると、公爵の手にすら負えない可能性もあるけどな。
「では、そのまえに、エメローラさんを宿に案内してきますね。エメローラさん、こっちです」
と言ってシスティリアが手を向けたのは、館の
パトリックとの決闘のあと、エルドリュース公爵に「村として最低限の機能くらいは整えるべきではないかね」と苦言を呈されたこともあり、春から夏にかけてのあいだに、村人と協力して宿代わりの別棟を作ったのだ。
別棟といっても、そう豪勢なものではなく、丸太を組んで作った一階建てのログハウスである。エルドリュース公が泊まるには質素すぎるが、旅商人などが立ち寄った際の宿泊先としては十分だろう。ワルドやワッタが遊びにきたときにも貸せるしな。
ログハウスの普段の管理は、マリーズに任せることになっている。公爵家にいた頃に比べ、仕事が減って時間を持て余し気味だったマリーズは、快く管理を引き受けてくれた。最近では内装にも凝り出し、田舎にあるものとしてはなかなかおしゃれで快適な空間になりつつある。
ちょうど今は泊まり客もいないので、俺が王都に問い合わせを出すあいだ、エメローラにはログハウスに泊まってもらうことにした。館の客室よりも別の建物のほうがエメローラも落ち着けるだろうしな。
システィリアとマリーズがエメローラをログハウスへ案内するのを見送り、俺は書斎にこもって机に向かうことにした。
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