恋は春雨とともに

1 しのつく春雨(しゅんう)と押しかけ女房

 代官として赴任してから一ヶ月。

 ようやく仕事にも慣れ、領民たちとの関係も築けてきた。


 代官の仕事は、書類仕事が中心だ。


 騎士というと、身体を動かす仕事のように思われる。

 それはある程度正しいが、主計科のような事務部門の仕事もそれなりにある。

 俺は剣の腕がさほどでもなかったので、事務の手伝いに駆り出されることも多かった。

 といっても、そのことに不満はない。むしろ、戦場で敵と戦うより、書類と戦うほうが向いている。平民の俺に読み書きを教えてくれた、さとのばあちゃんに感謝だな。


(ひょっとしたら、あの上司もそこまで織りこみ済みで俺に振ってきたのかもな)


 あの上司の座右の銘は「適材適所」。

 野心のない事務に強い退役騎士は、たしかにここの代官に向いてるだろう。

 俺は平民出だから、領民との信頼関係も築きやすい。上昇志向がないので、都落ちだなんだと後からグレるおそれもない。


 アスコット村は、山のふもとにある。

 山の向こうは他国だが、山が急峻なおかげで兵を通すことは難しい。過去の戦争では、両国とも山を南北どちらかに迂回して進軍するのが定石となってるそうだ。

 つまり、戦争に巻き込まれるおそれはほとんどない。隣国との関係自体、ここ数十年は安定してるらしいしな。


 急な山があると、ふもとの天気は変わりやすい。

 今みたいな春先でも急に冷えこんだりするし、冷えこむと一日中雨が降ったりする。


 今日もそんな雨の日だ。

 朝方に真っ黒な雲が雷鳴を鳴らしながら空に広がり、昼からずっと雨が降ってる。


「こんな日は事務でもしてるに限るな」


 俺は領民のおばちゃんがくれたお茶を片手に書類に取り組む。

 といっても、小さな村だ。必要な書類は多くない。

 書類が片付き、そろそろメシでも食うかと立ち上がったところで、玄関からドアを叩く音がした。

 お世辞にも立派とはいえない館だ。あちこちにガタが来てて、隙間風が吹いている。ドアを叩く音が、奥にある執務室まで届いたのもそのせいだ。


「あいよ」


 こんな雨の日に来客とは珍しい。

 領民は自然に合わせた生活をしてる。雨の日はふつう、家にこもって手仕事をしたり、それすらなければ寝転がって家族とおしゃべりをしてるそうだ。


 俺は二階から降り、玄関の扉を両手で開く。

 一応は領主の館ってことで、無駄に立派な扉がついていた。


 とはいえ、召使いなんて置いとくような余裕はない。家のことは、基本自分でやっている。今回も、代官自らのお出迎えだ。


 押し開いた観音開きの扉の向こうには、濡れ鼠がいた。


 麻色のフードを目深にかぶり、身体はマントで覆ってる。

 マントの合わせ目からは、高価そうなブラウスのえりがのぞいていた。

 ブラウスは雨に濡れて、豊かな胸元が透けている。


「ど、どちらさまで?」


 面食らって聞く俺に、濡れ鼠がフードを取った。


 濡れ鼠は、フードを取っても濡れていた。

 軍の将官用には濡れにくい外套なんかもあるにはあるが、そうそう手に入るもんじゃない。

 雨が降れば濡れる。それがこの世の摂理ってもんだ。


 濡れ鼠の顔を見て、俺はハッと息を呑む。


(こいつは……)


 フードの下から現れたのは、金髪碧眼の美少女だった。

 意志が強そうだが、わがままそうってほどじゃない。むしろ真面目なタイプだろう。思いこんだら命がけってタイプだ。

 こんな娘に好かれたら、嬉しいのだろうか、それとも重く感じるのだろうか。


(いや、少女って歳でもねえか。二十歳くらいだな)


 育ちのよさそうな柔らかい頬は、いまは寒さで青白い。

 思いつめたように俺を見つめる目には、なぜか見覚えがあるような気がした。


「どうしたんですか、ご令嬢フロイライン。家臣とはぐれでもしましたか?」


 騎士団時代の経験を生かし、それなりに丁寧な口調でそう聞いた。

 ……雨で張り付いて豊かな胸の谷間が透けてるブラウスからは目をそらしつつ。


「……ってください」


 ご令嬢が何事かをつぶやいた。


「え? すみません、雨音で聞こえませんで」


「もらってください」


「もらう? 俺が? ……何を?」


 顔に疑問符を浮かべて聞き返す俺に、ご令嬢が焦れたように大声で叫ぶ。



「だ、だからっ。わたしをもらってくださいと言ってるんです!」



 俺、しばし黙考する。


「ええと、ご令嬢フロイライン。勘違いだったら許してほしいんですが、いえ、実際勘違いだと思うんですが……もしかして、俺にプロポーズをされてるんですか?」


「そ、そうです! それで合ってます! どうして自信なさげなんですか!」


 ご令嬢が、寒さで青かった頬を紅潮させながらそう言った。


 俺はますます困惑する。


「ええと、人違いじゃないですかね? 俺は――」


「レオナルド・バッカス準男爵でしょう? 元第三騎士団非正規騎士の」


 オーケー、人違いではないようだ。


「……どこかでお会いしましたっけ?」


「お、覚えていらっしゃらないのですか⁉︎」


「えっ、いや、その……すみませんが」


「じ、十年前の公爵家の舞踏会で、人ごみに潰されそうになったわたしを身を呈してかばってくださったことは?」


「十年前ですか。うーん……どうだったかな」


 貴族の舞踏会の会場整理に騎士が駆り出されるのはよくあることだ。

 貴族の騎士は舞踏会に出席しないといけないから、平民出の騎士に整理役が回ってくる。

 格差といえば格差だが、余った料理を持ち帰れるので、平民騎士には人気の仕事だ。貴族連中は、見栄のためだけに必要以上の料理を用意するからな。


 とにかく、毎年のことなので、いちいち何があったかなんて覚えてない。

 十年前ともなればなおさらだ。十年前だったらこの子も十歳になるかどうかだったはず。パーティで子どもを助けたとして、それをいつまでも覚えてるほうがおかしいだろう。


「で、では、その翌年、宮中晩餐会で笑って会釈してくださったのは……」


「ええと……その年は上司に、『無表情だと貴族のご令嬢が怖がるからすこしは愛想よくしたまえ』とか言われたような」


「で、でも、七年前の秋には、宮中へご挨拶にうかがった折に、案内役を務めてくださって……」


「七年前っていうと、戦役で正規騎士が出払ってた年ですね。そういえばそんなことをしたような記憶が……」


 その時案内した中に、この娘がいたんだろうか。


(正直、貴族のご令嬢なんてみんな一緒に見えるんだよな)


 区別したところでどうなるわけでもない。

 その親を把握しておくほうがよほど大事だ。

 ご令嬢はあくまでもそのおまけ。礼を失しなければそれでいい。


「そ、それでは、三年前、祖父が死んで葬式で泣いていたわたしを優しく慰めてくださったのも……?」


「三年前か。そういや、先代のエルドリュース公爵がなくなって、代替わりがあった年ですよね。相続税の物納を許すかどうかで、次期公爵が国ともめてた年だ」


「な、なんでそんなことは覚えてるのに、わたしのことは覚えてないんですかぁぁぁぁっ!」


 ご令嬢が涙目になってそう叫ぶ。


「し、しょうがないでしょう。平民出の騎士なんざ、貴族の機嫌を損なったら即座にクビなんです。ヒラメにもなろうってもんですよ」


 ちなみに、ヒラメ=上にしか目が付いてない=上の意向ばかりをうかがうヒラ騎士、のことだ。


「そもそもが、平民出の騎士が貴族のご令嬢といい仲になるなんざ、吟遊詩人のサーガの中にしかない話ですよ。へたに色目を使っただけで、婚約者でもいれば大変なことになる。

 俺たちは、貴族のご令嬢たちのことは、別世界の人間なんだと割り切って接してるわけです。貴族たちだってそうでしょう。平民出の騎士なんざ、牛馬と同じようにしか思っちゃねえ」


「そ、それは……」


 さすがのご令嬢も、そのくらいの現実は見えてるらしい。


「わかったなら、変な夢を見てねえで、おうちに帰ることですな。俺のほうでは一切口外いたしません」


 俺はそう言って外を見る。

 馬車でもあるかと思ったが、柵の外に白馬が一頭いるだけだ。

 白馬は雨に打たれながらもおとなしくその場に佇んでる。


(まさか、自分で馬に乗ってやってきたってのか?)


 馬に乗れる貴族のご令嬢は珍しい。


(やべえな。こりゃ、この娘の実家じゃえらい騒ぎになってるんじゃねえか?)


 俺が彼女をかくまおうものなら、姦通を疑われ、ヘタすりゃ打ち首になりかねない。


 これだけの美人だ。若い頃だったらムラムラっときて、後先考えずに行動したかもしれない。

 だが、俺はもう四十だ。

 べつに枯れたってわけじゃないが、性欲との付き合い方くらいは心得てる。


「弱ったな。この雨の中を馬で来られたとは。この村には馬車なんて気の利いたもんはねえし……」


 娘を帰す算段を始める俺に、ご令嬢が抗議するように言った。


「わ、わたしはあなたにもらってほしいと言ったのです! 聞いていなかったのですか、レオナルド・バッカス準男爵!」


「聞きましたよ。でも、そんなわけにはいかないでしょうが。退役したおっさん騎士をからかわんでください」


「からかってなどいません! 本気です!」


「どうせ、婚約者が気に入らねえとか、そんなところなんでしょう。俺みたいなしがない平民出と結婚すれば、いい当てつけにはなるでしょうがね」


「そんな……そんなくだらない理由で、結婚など申し込みません!」


 ご令嬢は、雨に濡れたマントの中に手を突っ込み、懐から何かを抜き出した。

 ナイフだった。

 エルドリュース公爵家の家紋の入った豪華なナイフ。

 あまり実用的には見えないが、貴族の娘が自害するには十分だ。

 というより、そのために持たされてる物である。


 娘は、ナイフを鞘から抜きはなち、自分の喉もとに突きつけた。


「や、やめろ!」


「もう、わたしに帰る場所なんてありません! あなたがもらってくれないなら、わたしはここで果てます!」


「わ、わかった。とにかく落ち着け」


「落ち着いてます! わたしは本気なんです! あなたはまったくわかってません!」


 俺に元上司くらいの剣の腕があったら、抜く手も見せずに剣を抜きはなち、ご令嬢を傷つけることなくナイフを弾き飛ばす、なんて真似もできたはずだ。

 だが、俺の剣の腕はへっぽこだ。


「もう一度だけ聞きます! レオナルド・バッカス準男爵! わたしと結婚してください!」


 逃げることは許さないとばかりに俺をにらみ、ご令嬢が言ってくる。


 その真剣な面差しを、不覚にも俺はいいなと思ってしまった。


「ま、待て。そんな返事はうかつにはできない! だいいち、俺はあんたのことを何も知らないんだ……」


「これから知ってもらえばいいんです! 貴族同士の結婚ではよくあることです!」


「だが俺は平民出で……」


「代官になる時に準男爵に叙せられてるじゃないですか! 今のあなたは貴族です!」


「そ、そりゃ名分だけのこったろ。俺を本気で貴族扱いする貴族なんていねえよ! 公爵令嬢の結婚相手になんかなるわけがねえ!」


「なら、わたしは実家と縁を切ります!」


「滅多なことを言うんじゃねえ! これは吟遊詩人のサーガじゃねえんだ! 都会育ちの公爵家のお嬢様が、こんな田舎で暮らせるかよ!」


「じゃあ、わたしがここで暮らせると証明すればいいんですね⁉︎」


「よくねえよ! 土台無理だって言ってんだ! 俺のささやかで平穏な余生を邪魔しないでくれ!」


「レオナルド・バッカス準男爵には奥様はいないと聞いてます! 恋人がいた気配もありません! 代官なら、結婚くらいしてないと領民にも舐められると聞きました!」


「やかましいわ! ここの領民はいい人たちばっかだからいいんだよ!」


「お相手がいないならわたしでもいいじゃないですか!」


「よくねえよ! 貴族随一の有力者であるエルドリュース公に目をつけられたらこの国で生きていけなくなるだろうが!」


「父のことはわたしが説得します!」


「無理に決まってる!」


「無理でもやります! 父の追っ手が来る前に、わたしがあなたの子どもを身ごもれば、父にはもうどうすることもできません!」


「既成事実じゃねえか! それは説得とはいわねーよ! それに、その場合俺は公爵に斬り殺されても文句が言えん!」


「文官である父の剣技なんてたかが知れてます! 美食三昧で太ってますし! 決闘なら騎士だったあなたのほうが有利なはずです!」


「くそっ、ああ言えばこう言う……! 悪いけどな、俺はあんたのことなんざかけらも覚えちゃねえんだよ! なんの思い入れもない女のために命が張れるか!」


「……ううっ、そんな。マリーズは、わたしが押せば大抵の男はイチコロだって言ったのに……」


 令嬢が涙目になってうつむいた。


(そりゃ、この娘に迫られてイヤな男もいねえだろうけどな)


 俺だって、迷惑なだけでイヤじゃない。

 でも、半端に気のあるそぶりなんて見せたら、この娘はさらに食い下がって来るだろう。


「わたしは……わたしは……う、うあぁっ……」


 娘の目に、大粒の涙が浮かんでる。

 悔しげな顔で、娘が俺を上目遣いに睨んできた。


(この泣き顔……どこかで……?)


 娘が言う通り、俺はこの娘と会ったことがあるのだろうか。


「ちょ、落ち着けって……」


 うろたえる俺。

 その前で、娘は口を半開きにして小さく仰け反る。

 そして、


「へっくちゅん!」


 と、かわいらしいくしゃみをした。

 娘は、くしゃみの反動でふらふらと揺れる。


「あ、ああ……とにかく、わしは……レオナルド、様の……お嫁、さんに……」


 気づけば、娘の顔が赤かった。

 てっきり興奮してるだけかと思ってたが、


「な、おい!」


 ぐらり……と倒れかけた娘を抱きとめる。

 あわてて娘の額に手を当てた。


「うわっ、すごい熱じゃないか!」


「はふ……ようやく、抱きとめてくれた……」


「お、おい、しっかりしろ!」


 俺の腕の中で、押しかけた公爵令嬢が意識を失う。


「ああ、くそっ! これも計算なんじゃねえだろうな!」


 俺はずぶ濡れの彼女を抱え、館に一室だけある客間へと向かった。

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