33 国王陛下の話を聞く

「おお、そなたが人魚エメローラであるか。はるばる海よりよく参られた」


 開口一番、国王陛下サグルス4世は、心のこもった声でエメローラの労をねぎらった。


 俺たちを乗せた馬車は、王都シルベスタに入ると、そのままメインストリートを通って王城へと乗り入れた。

 白亜のシルベスタ城はその壮麗さで有名だ。エメローラもワッタも、その美しさと巨大さに驚きながら、パトリックの懇切丁寧な解説に聞き入っている。

 元の職場に戻ってきた俺は、懐かしさと居心地の悪さの入り混じった複雑な心境だったけどな。隣を見ると、システィリアも微妙そうな顔をしていた。


 俺たちは城の中を進み、奥まった一角にあるこじんまりとした食堂へと通された。

 この辺りは王族しか入れない一角で、騎士とはいえ非正規だった俺などは、よほどのことがないかぎり足を踏み入れることはなかった。食堂は十数人程度が入ればいっぱいの、王城の中ではさして広くない一室だが、その調度は一級品だ。壁には金箔銀箔のまじった壁紙があり、床は毛の長い緋毛氈ひもうせん、天井には錦絵があって、今は火の入ってない暖炉の上には現国王陛下と王妃殿下、まだ幼い王子殿下を描いた油絵がかかげられている。

 つまり、この食堂は、王族が身内を中心とした少人数で集まって食事をとるための場所なのだろう。


 そうしたプライベートな空間に招かれたのは、エメローラを重視しているからなのか、それとも表沙汰にはしにくいと見て人目のない場所を選んだからなのか。

 案内役だったパトリックは、エメローラのほうを名残惜しそうに何度も振り返ってから食堂を出て行った。名門ローリントン伯爵家の出自であっても、王とエメローラの会談に同席するだけの理由がないからな。


 なお、ワッタは同席しても構わないようだ。というより、ワルドからワッタが王と会うときには同席するよう頼まれている。その希望はパトリック経由で伝えているので、ここにワッタがいることは問題ない。


 俺たちーーすくなくとも俺とシスティリアは緊張しながらいつ来るとも知れない王を待っていたのだが、存外早く王はやってきて、エメローラを見るなりさっきの言葉を発したというわけだ。


 慌てて席を立って臣下の礼をとろうとする俺とシスティリアを片手で制し、王が上座に腰かける。


「ここでは堅苦しいことは抜きにしよう。バッカス男爵夫妻。よくぞエメローラ殿を保護し、ここへと連れてきてくれた」


「いえ、もったいないお言葉にございます」


 俺は王に小さく頭を下げながらそう言った。

 向こうはこちらのことを知ってるようだし、堅苦しいことは抜きということなので、仰々しい名乗りは割愛することにした。


 俺も宮仕えをしてたから、当然王の姿を見たことはある。

 だがそのほとんどは遠目で見ただけで、こんなに間近で見るのは初めてだ。もちろん言葉を交わすのもこれが初めてである。


 間近で見た王ーーサグルス4世は、こう言っちゃなんだが、どこにでもいそうなおっさんに見えた。

 お世辞にも威厳のあるタイプではなく、むしろ温厚そうな顔つきをしている。

 やや面長で痩せ気味、何かをまぶしがるように目を常に細めている。

 細められた目の眼光は鋭いーーというほどではないが、おどおどしている感じもない。

 暗い色の髪を左右に分け、とび色の目を俺たちに順番に向けてくる。


「お初にお目にかかります、国王陛下。わたくしは人魚のエメローラ。母エメローナがシグルド1世王と結んだ約束を果たすべく、こうして参上致しました」


 エメローラが改めて挨拶をする。


「うむ⋯⋯。祖父の遺した絵姿によく似ておる。ほとんど生き写しのようではないか」


「お母様の絵姿が遺っていたのですか?」


「ああ。とはいえ、今回の報告を受け、急ぎ調べて出てきたものなのだがな」


 王はすまなそうにエメローラに言う。


「証文については、パトリックが確認したのだったな。余にも見せてくれるか?」


「もちろんです」


 うなずくエメローラに、王とともに食堂に入ってきていた廷吏が近づき、エメローラから証文を受け取った。廷吏はその証文を王にうやうやしく手渡した。


「ふむ⋯⋯たしかに祖父の手になるものだろう。内容も報告にあったとおりであるな」


 王は廷吏に証文を渡し、廷吏がエメローラにそれを返す。

 そのまま証文を巻き上げて、そんな約束はなかった、などと言われなくてほっとする。


「あの、王家のほうには、同じ証文は保管されていたのでしょうか?」


 エメローラが王に遠慮がちに聞いた。


「そう遠慮することはない。バッカス男爵夫妻もだ。この場では自由に発言してよい。余も不自由な身分ゆえ、この機会によく納得できるように話し合っておきたいのだ」


 王は、質問に答える前に、俺たちに向かってそう言った。

 自由に話してよい、というのは珍しいことではあるが、その理由には不安をおぼえた。よく納得できるように話し合うーーつまり、これから納得しにくい話が続くということか。

 とはいえ、王の言うことに反問するのは無礼である。自由に発言してよいと言われても、本当に・・・自由に発言できるわけではない。王に限らず、貴族相手の宮仕えではよくあることだ。


「かしこまりました、陛下」


 俺はひとまずうなずき、システィリアにも目配せをする。

 システィリアも同意の印に小さくうなずく。


「さて、証文の話だったな。余の祖父に当たる先々代ノージック国王シグルド1世は、当然証文の片割れを保管しておった。バッカス男爵の報告を受け、宮内府の役人が王家の書庫を調べたところ、たしかに祖父王の署名と玉璽のある証文が見つかった。その文面はいま見せてもらったエメローラ殿所有の証文と同じだ。また、百年が経つにもかかわらず、書庫の証文もエメローラ殿の証文もほとんど劣化しておらぬ。となれば、この証文は真正なものであり、証文にある約束も有効だということになる」


 王は、どこか困ったような声でそう言った。

 その王に、システィリアがおずおずと聞く。


「あの⋯⋯国王陛下は、祖父君であらせられるシグルド1世王やお父君のシグルド2世王から、この約束について聞かされてはいなかったのでしょうか?」


 核心をつく質問に、王がわずかに眉根を寄せた。


「⋯⋯祖父から聞かされたことはあったのだ。自分には結ばれることのできなかった女がいると。その女が人魚だったという話も聞いてはいた。だが、余が王位を継いだときに、祖父王と人魚とのあいだの約束について、父王から聞かされたことはなかった」


「つまり、正式な形では引き継がれていなかった、ということですか?」


「そうなのだ。余はたしかに祖父から人魚との約束について聞かされはした。しかしそれは、余もまだ幼い折りの話でな。子どもだからとからかっているのだろうと、真に受けてはおらなんだ。

 いや、今にして思えば、そのことを私に打ち明けた時の祖父は、いつになく真剣な目をしておったのだが⋯⋯」


 正直、無理もない話だ。俺が王の立場だったとしても、そんな話を真に受けたりはしないだろう。若い頃に人魚と恋仲だった⋯⋯などと聞かされて、真剣に受け取る方が難しい。


「祖父が逝ったのは、それから一年もしない頃のことだった。ロマンシストだった祖父とは打って変わって、余の父は極度の現実主義者であった。祖父は、自分の交わした約束が次代に引き継がれるかどうか、不安を覚えたのであろうな。だから祖父は、まだ幼かった余にも約束について明かしたのであろう。余が王となったあと、なんらかの折りに祖父の話を思い出し、保管されておるはずの証文を探しはしないか、と」


「陛下、質問してもよろしいでしょうか?」


 エメローラが聞く。


「うむ。先ほども言ったが、余に答えられることならなんでも聞いてくれ」


「なぜシグルド陛下⋯⋯いえ、シグルド1世王は、お母様との約束をおおやけにしなかったのでしょうか? 今のお話ですと、約束について知るのはシグルド1世王のみで、それ以外では、そのご子息に当たるシグルド2世王が直接お聞きになっていたかどうかというところ。そして、国王陛下ご自身も、ご幼少のみぎりに祖父であるシグルド1世王から話をお聞きになっただけ、ということになるかとおもうのですが」


 エメローラの質問に、王はバツが悪そうな顔をした。


「エメローラ殿のおっしゃるとおりの状況なのだ。祖父は、人魚との約束を公にはしなかった。

 いや、できなかったのであろう。

 シグルド1世の王妃であった祖母は、エルドリュース公爵家の娘で気位が高かった。そうでなくとも、妻に聞かせられるような話ではないからな」


 女性陣の視線をはばかるように、王が言う。

 「エルドリュース公爵」のところでピクリと反応したシスティリアは、その先の話まで聞いて、見るからにイヤそうな顔になった。


「ええと⋯⋯どういうことでしょうか?」


 黙り込む俺とシスティリア、王を見比べて、エメローラが何の含みもなくそう聞いた。

 これには王も困ったようで、


「う、うむ⋯⋯。祖父王が人魚と約束をしたのは、祖父王がその後の王妃と結婚する以前のことだ。現に祖父王の妻となった当時の王妃からすれば、祖父王と人魚のあいだのロマンティックな約束がおもしろかろうはずがない。

 祖父王はロマンシストで、国王としての政務にはあまり熱心ではなくてだな⋯⋯。当時の実権は、外戚がいせきとなったエルドリュース公爵が握っておった。その状況で、王妃の機嫌を損ねるわけにはいかなかったのであろう」


 人間の常識が通じないエメローラに、王がかなりぶっちゃけた説明をする。


 王の説明は、たぶん事実なのだろう。

 現に妻である当時の王妃からすれば、王に若い頃付き合っていたべつの女との約束など持ち出されてはたまらない。

 追憶のなかにしかいないだけに、その女はいいところばかりが思い出されることだろう。思い出の女には、生活をともにすることで生じる摩擦のたぐいも存在しない。若干色褪せた形でぶり返す若い頃の恋情も、思い出の相手に絶好のスパイスを与えるだろう。

 おまけにその女は、長い寿命を持ち年老いることのない人魚なのだ。高貴な生まれとはいえ、生身の女性にすぎない先々代の王妃が、そんな女と比べられて愉快な気持ちになるはずがない。

 先々代の王が妻にその話を隠していたのは常識的な配慮ではある。俺の身にたとえるなら⋯⋯そうだな、もしシスティリアがあとになって、あの時パトリックと結婚していればよかったなどと言い出したら、俺は立ち直れなくなる自信がある。

 ⋯⋯いかん、そんなことを想像したらほんとに暗い気持ちになってきた。


 そのうえ、当時の実権が王の外戚(王妃の生家の親族)によって牛耳られていたのだとしたら、シグルド1世王は妻やその父である当時のエルドリュース公爵の機嫌を損なうわけにはいかなかっただろう。

 夫婦関係とそれに紐づいた権力構造のせいで、シグルド1世王はエメローラの母との約束をその胸に秘め、息子と孫以外には明かせなかったということか。


「祖父王とその王妃はあまり仲がよろしくなかったようだ。祖父王がエメローラ殿の母君のことを引きずっておったからやもしれぬし、王妃との仲が悪かったからこそ、なおさら昔の恋が美しい形で思い出されてならなかったのやもしれぬ。先ほども言ったが、祖父王はかなりのロマンシストであったからな。

 そんな両親の不仲を見て育った父王は、その逆に振れて極度の現実主義者となった。父王にとって祖父が人魚と結んだ約束は、祖父の感傷にすぎぬものと映ったであろうし、両親の不仲の原因となった元凶のようにもおもえたであろう。父王が余に祖父の約束を引き継がなかったのはそのような事情があるのやもしれぬ」


「そんな⋯⋯」


 あけすけに語る王に、エメローラはショックを受けたようだった。


 それにしても、王は内状をずいぶんはっきり話してくれるな。こんなに話して大丈夫かとこっちのほうが心配になってくる。


「父王は、有能だが苛斂誅求かれんちゅうきゅうの激しい王でもあった。力をつけすぎた貴族の力を削ぎ、自らに権力を集めていった。祖父王のように政治に意欲が薄いのも問題だが、父王のように厳しすぎるのも臣民からすれば困りものだろう。エルドリュースの出であるシスティリア嬢の前で話すことではないが、父王の最大の被害者はエルドリュース公爵家であったろうな。もっとも、エルドリュース側もやられっぱなしだったわけではなく、父王と当時の公爵のあいだには熾烈な権力闘争があったと聞く」


「国王陛下の代になってから、公爵家とのあいだにゆるやかな協力関係が築かれたと聞いています」


 とシスティリア。


「そうであるな。余はさしずめ、祖父王と父王の良いところも悪いところも折衷したような王であろう。穏健妥当で目立たぬ王だ。

 しかし、それでよいとおもっておる。外敵でもおればともかく、平和な時代に強すぎる王は必要ない」


 王の言葉に、俺はおもわずうなずきそうになった。

 王から受ける印象は、まさに当人が語ったとおりのものだ。

 穏健で、他者の立場や心情をおもんぱかる余裕がある。

 その分、権力闘争には向かないだろうし、人を切り捨てる決断力とも無縁だろうが、臣下にとってはとても仕えやすい王だろう。


 俺は、半ば答えを予期しながら王に聞く。


「それでは、国王陛下は、祖父君であらせられるシグルド1世王がエメローラの母親とのあいだで結んだ約束について、どのようなお立場を取られるのでしょうか?」


 王は、苦渋のにじんだ声でこう答えた。


「エメローラ殿には申し訳のしようもないが、この婚約は破棄せざるをえないと考えておる」


 エメローラが、血の気の引いた顔で息を呑んだ。

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