32 楽しい馬車旅

 というわけで、俺たちはアスコット村を一時離れ、王都シルベスタへと向かうことになった。


 迎えの馬車に、俺、システィリア、エメローラ、ワッタの四人で座り、パトリックはべつの馬車に乗っている。パトリックは一緒に乗りたそうにしていたが、馬車が四人乗りなのでしかたがない。

 馬車は全部で三台で、先頭を行くパトリックの馬車、中央に俺たちの馬車、その後ろにエメローラの世話役として派遣されてきた宮廷の女官三人の乗る馬車だ。


 三台の車列の周りは、馬に乗った騎士たちが警護している。騎士たちは当然、パトリックが大隊長を務める大隊の騎士たちで、要するに俺が元いた騎士団の顔見知りである。顔見知りといっても、エメローラの迎えに現れたのは全員が正規騎士だったので、非正規騎士だった俺とはほとんど交流がなかった連中だ。俺が男爵として馬車に乗り、彼らがそれを警護するというのは、俺にとっても向こうにとっても若干気まずいところがある。

 こんな上等な馬車に乗るのは初めてなこともあって、馬車の乗り心地に反して俺は居心地の悪さを感じていた。


 王都までは三日で着く計算だ。システィリアが俺のところに来るときには、この道をアイシャに乗って一昼夜で駆け通したというが、貴賓を乗せた馬車でそんな速度が出せるはずもない。というか、この距離を一昼夜というのは騎士団の斥候兵並みのペースである。システィリアの馬術の腕は、貴族令嬢の趣味のレベルを超えている。


 最初は初めての馬車旅に浮かれていたエメローラとワッタも、二日目ともなると外の光景に退屈しだした。実際、窓から見える光景は代わり映えがない。いきおい雑談に興じることになったが、人魚とドワーフがいるおかげで話題に事欠くことはない。


 とくにエメローラは、人魚に伝わるさまざまな話を、たくみな語り口で聞かせてくれた。ときに歌を挟みながら続く人魚姫の語りは、王都の吟遊詩人が裸足で逃げ出すレベルだろう。

 語りはともかく歌のほうは馬車の外にも聞こえるから、警護の騎士たちも馬の足を馬車に合わせ、役得とばかりにエメローラの歌に聴き惚れていた。


 ワッタも物怖じしないタイプだからエメローラとはすぐに打ち解けた。それどころか、警護の騎士やパトリックにも話しかけ、三日目に差しかかる頃には騎士たちと冗談を言い合うほどに仲良くなっていた。人間と付き合いのほとんどないドワーフということで最初は警戒もあったはずなのだが、ワッタの明るく素直な性格は、エリート騎士たちのよそよそしい態度をも溶かし去ってしまったようだ。


 そんなわけで、異種族の二人はあっさりと騎士たちと打ち解けた。

 そこから取り残されたのは同じ人間のはずの俺やシスティリアのほうだ。騎士たちはエメローラには崇拝の念を、ワッタには親しみを感じていたが、それらが強まれば強まるほどに、その同行者である俺への視線が複雑になる。そもそも俺はこの隊の元非正規騎士で、正規騎士の彼らからすれば格下の相手だった。それが公爵令嬢であるシスティリアと結婚し、人魚やドワーフの娘を連れて馬車に乗って王都に向かっているのだから、面白かろうはずがない。もちろんこの場で面と向かって何かを言ってくることはないが、漂う空気の悪さは否定できないところだ。

 システィリアはシスティリアで、王国最大の貴族であるエルドリュース公爵家の生まれであることと、にもかかわらず駆け落ち同然に俺に嫁いだことで、騎士たちからは距離を取られているようだ。パトリックは隊の正規騎士には人望がある。そのパトリックを袖にして、よりによって俺なんかを選んだシスティリアに思うところもあるだろう。


 俺とシスティリアにとっては肩の凝る旅だっただけに、街道の先に王都シルベスタの壮麗な街並みが見えてきたときにはほっとした。


「おおー! 大きい、です!」


 ワッタが馬車の窓から身を乗り出してそう言った。


「ワッタ、危ないですよ」


 窓から転げ落ちそうなワッタをシスティリアがうしろから支えている。


「聞きしに勝る壮麗なみやこですね! 一体どれほどの人が住んでいるのでしょうか?」


 反対の窓からはエメローラが身を乗り出し、目を輝かせて下り坂の先に見える王都の街並みを見ようとしている。


「エメローラも危ないって」


 尻を突き出すような目に悪い姿勢で身を乗り出したエメローラを、俺はうしろから支えるはめになった。

 華奢でやわらかな腰を抱きしめる俺を、背後からシスティリアが凄まじい形相で睨んでるのがわかる。体勢的にシスティリアの顔が見えるわけじゃないが、背筋に寒気が走ったからな。

 しかたないだろ、嫌だったらシスティリアがエメローラを支えてくれ。


「エメローラさん、そう慌てずとも、もうじき馬に休みを取らせます。見晴らしのいい場所がありますので、そこでゆっくりご覧ください」


 馬車の外から、パトリックが言ってくる。

 初日こそ先頭の馬車でおとなしく(?)していたパトリックだが、二日目からはこうして馬に乗って警護の列に自ら加わり、時折こっちの馬車の様子を見にくるようになった。

 もちろん、お目当てはエメローラなのだろう。初顔合わせのときの狼狽はさすがになくなり、パトリックは表向きいつも通りのイケメン騎士の顔を取り戻している。

 ただ、俺から見るとどこかそわそわして見えるし、必要もないのに馬に乗って、ことあるごとにこっちの馬車を覗きにくるあたり、とても冷静とは言いがたい。

 そのたびに、俺とシスティリアは、ありえないものを見る顔で、こっそり視線を交しあう。


「どうもご親切に有難うございます、パトリック様」


 エメローラが(俺に腰を押さえられたままで)はなやかな笑みを向けると、パトリックが顔を赤くして目を宙に泳がせる。


「い、いえ、ずっと馬車では窮屈でしょうから⋯⋯。よろしければ、僕から王都の見どころなどご紹介させていただきますよ」


「まあ! 有難うございます! うふふっ、とても楽しみです!」


「ぅ、くっ⋯⋯ま、眩しい⋯⋯」


「? どうなさいました、パトリック様?」


「あ、ああいえ⋯⋯け、警護の任務がありますので、これにて失敬」


 パトリックが早口でそう言って俺たちの馬車から離れていく。


「⋯⋯逃げたな」


「逃げましたね」


 俺とシスティリアがささやきあう。

 ともあれ、パトリックの提案のおかげで、エメローラもワッタも窓から身を戻し、元の席に座り直した。


「パトリック様はなんとご親切な方なのでしょう! 細やかな気くばりをされる方なのですね。きっと女性に人気があることでしょう」


「まあ、あいつが気くばりするタイプなのは否定しないけどな」


 貴族としての意識が強いところはあるが、隊長として正規騎士のみならず非正規騎士の様子にも気を配る上司ではあった。もっとも、それは親切からというより、任務を円滑に進める上で、部下の様子を把握することが重要だと考えてのことだろう。もちろん、非正規騎士など犬か奴隷としかおもってないような腐れ貴族に比べれば百倍マシな心がけではあるのだが。


「えっと⋯⋯エメローラさんは本気で気づいてないんでしょうか?」


 システィリアが、隣の俺にだけ聞こえる声で聞いてくる。


「⋯⋯みたいだな。もしわかった上でやってるんだったら相当な悪女だよな」


 エメローラの言動は、俺にはすべて本心からのものに見えた。

 俺が男だからころっと騙されてる可能性もないではないが、もしこれがすべて計算づくだったら、俺はこの先女性不信に陥りそうだ。


「あれだけ恋愛に憧れてるのに、あんなにあからさまなそぶりに気づかないのは不思議ですね」


「恋愛に憧れてはいるけど実体験はないんだろうな」


 なんでも、人魚には女性しかいないらしい。

 神話に登場した海の女神アマツニナは、恋人に逢えない百年の無聊ぶりょうをなぐさめるべく、自分の身体の一部を魚にくわせ、人魚という存在を生み出した。

 神話の真偽はさておき、人魚には女性しかいないのだという。

 それでどうやってしゅを維持してるのかは気になるが、エメローラは人魚の秘密だといって語らなかった。


「悪気はないんだと思いますけど、なんとも罪作りな人ですね」


「まあ、パトリックだってわきまえてるさ。エメローラは王子に輿入こしいれに来たんだから、他の男になびく余地はない。母親の結んだ約束があるからな」


「本人が言ってましたね。『恋心なんて、しょせんは一時の熱病のようなものじゃないか。それに人生を賭けようなんておもうものの気持ちが知れない』」


「ブッ!?」


 そのときの表情まで似せて言うシスティリアに思わず吹き出してしまった。


「言ってやるなよ⋯⋯。騎士の情けだ」


「わたしは騎士じゃないですし、レオナルドだって正規騎士だったわけじゃないじゃないですか。情けをかける余地はないです」


 まだ根に持ってる様子でシスティリアが言った。

 たしかに、あのセリフはシスティリアへの当てこすりでしかなかったからな。

 あれだけ自分に恋愛はわからないと言ってたのに、エメローラに会うなり完全無欠に一目惚れとは、ほとんど喜劇のようだった。


「わたしへの求婚はやっぱり本気ではなかったということですしね。失礼な話です」


「システィリアからすればそうなるか」


 自分の婚約者だった相手が目の前でべつの女性に一目惚れ、というのは、微妙な気分ではあるだろう。

 とはいえ、それを聞かされると今度は俺のほうが微妙な気分になってくる。

 俺は、馬車の席に置かれたシスティリアの手に自分の手を重ねた。


「システィリアには俺がいるからいいだろ?」


「そういう話じゃないんですけど⋯⋯あ、ひょっとして妬いちゃいました?」


 システィリアがくすりと笑って言ってくる。


「俺はいつも不安なんだよ。システィリアが他のもっと若くていい男に取られるんじゃないかってな」


「えへへ⋯⋯。その点、わたしは旦那を取られる心配がなくて助かります」


「どういう意味だ!」


「やん!」


 指でシスティリアを小突く俺と、それから逃げるシスティリア。

 気づけば、対面のワッタとエメローラが、俺とシスティリアに面白がるような視線を向けていた。


「これが、新婚夫婦。周りが、見えない!」


「はああ、なんとも羨ましいご関係です。結婚後の参考にしたいのでぜひ遠慮なく続けてください」


「なんで俺らがおかしいみたいになってるんだ⋯⋯」


 もともとはパトリックやエメローラの話だったのにな。


「そろそろ休憩地点ですよ、エメローラ様。⋯⋯どうしたんです?」


 窓から中を覗いてきたパトリックが、俺たちの様子にけげんそうな顔をした。


 その後、王都を見晴らす地点で休憩を取った俺たちは、昼のうちに王都シルベスタに到着したのだった。

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