42 パトリック・フィン・ローリントン

 舞踏会の最中に、なんと王子相手の決闘が申し込まれた。その相手はローリントン伯爵。王都でもなにかと噂のパトリックが相手とあって、話を聞きつけた貴族たちはこぞって城の中庭へと押し寄せた。

 中庭には野外でのパーティ用の開けた石組みの土台があり、決闘はその上で行われることになっている。土台の周囲には少ないながらも観客席になるベンチがあった。城の使用人たちがその外側にさらにベンチを持ってくるが、押し寄せる貴族の数にはとうてい足りない。後ろのほうでは、前にいるものの頭が邪魔だと言って召使いに櫓(!)を組ませた貴族が、櫓ごと転倒して運ばれていくという喜劇のような一幕まで起きていた。

 俺、システィリア、エメローラと、合流したワッタとノーラは、関係者ということで最前列の席を確保できている。


「た、大変です! パトリックが王子と決闘なんて……!」


 俺の隣で、システィリアがうろたえきった声を出す。


「え、いや……なんでそんなにうろたえてるんだ?」


 俺は本気でわからず、システィリアにそう聞き返した。


「な、なんで冷静なんですか!? 相手は王子なんですよ!?」

「でも、経緯は国王陛下がすべてご承知だし。勝ってもそうまずいことにはならないだろ」

「負けたらどうするんですか!?」

「負ける? パトリックが?」

「シャディス王子は幼少時から王家秘伝の剣術を仕込まれてるんですよ!? それとも、レオナルドは王子の腕はたいしたことないって言うんですか!?」

「まあ、俺よりは強いだろうな」


 頽廃した雰囲気のある王子だが、物腰から察するに剣の腕はかなりのものだと思う。王の話ではシャディス王子は幼少時から学才も剣才もあり、神童ともてはやされていたという。それがいつしか色ごとに耽るようになってしまったらしい。


「出来すぎたんだろうな。王子にとっては他人が苦労して身につける学問や剣術がまるで遊びのようにしか思えなかったんだろう」

「なに人ごとみたいに言ってるんですか!? レオナルドより上ってことは、パトリックでも危ないってことですよね!?」

「はぁっ? なんでそうなるんだよ」


 システィリアの謎の理屈に、俺はまたしても首をかしげる。

 すこし考えて、ようやく気づく。


「ああ、そうか。システィリアは勘違いしてるのか」

「か、勘違い、ですか?」

「システィリアはパトリックのやつが真剣しんけんで戦うのを見たことがあるか?」

「いえ……レオナルドとの決闘だけです」

「違う」

「えっ?」

「俺との決闘の時、パトリックは真剣じゃなかったろ?」

「えっ、真剣でしたよね? 手加減したりはしてなかったと思いますが……」

「そういう意味の『真剣』じゃねえよ。『本気だったか』って意味じゃなくて、『本物の剣を使ってたか』ってことだ」

「た、たしかに、レオナルドとの決闘では木剣を使ってましたけど……真剣だと何か違うんですか?」

「まあ、見てればわかるさ。ひとつだけ言っとくと、何がどう転んでもパトリックが勝つ。俺が心配してんのは、あいつが王子相手にやりすぎないかってことだけだが……ま、あいつは剣さえ握れば冷静になるからな」


 パトリックからすれば、どうして格下の俺なんかに心配されなきゃならんのかってことになるだろう。はっきり言って、心配するだけ無駄なのである。


「パトリック……ああ……」


 心配するなら、システィリアの隣で手を握りしめてるエメローラのほうだ。エメローラの反対側にはワッタもいて、エメローラの背をさすって何か言葉をかけている。


「ふむ。舞踏会に来たつもりが、武闘会に変更になるとはな。システィリアといると予想外のことばかり起こるものだ」


 俺の隣のノーラは落ち着いたものだ。


「ノーラは落ち着いてるな」

「わたしは少しの間だが王子の家庭教師をしていたこともあってね。剣術の腕も知っている。たしかに、如才ない剣を使うな。王子があれだけ強くては、守るほうの騎士が気の毒というものだ」

「それならなんで落ち着いてるんだよ?」

「パトリックの剣を見たこともあるからだ。野外の地質調査をする時に、騎士団から護衛を出してもらったことがある。運悪くモンスターに遭遇したんだが、はっきり言って瞬殺だった。わたしには何がどうなったかすらわからなかった」

「野外の地質調査か。なんか覚えがあるな」

「ほう、ではレオナルドもその場にいたのか。まったく印象に残っていないぞ」

「そりゃパトリックと比べられてもなぁ。当時はただの非正規騎士だし」


 つまり、ノーラも知ってるってことだ。


「陛下は決闘には木剣を使えと言ったんだが、王子と公爵夫人が撥ねつけたんだ。貴族の決闘は真剣をもってするのが本来の姿であると。王子が決闘する以上真剣でなくてはならぬ、剣の名門ローリントンの当主ともあろうものが怖気付いたか、なんてな」


 その言い分に、俺は失笑しそうだった。


「怖気付くだって? 公爵夫人も馬鹿なことを言ったものだ。それにしても、王子はそんなに血が見たいのかね?」

「退屈してるんだろ、なんでも自由になる立場にな。他のやつだったらパトリックと決闘するはめになるなんて気の毒だと思うとこだが、今回ばかりは自業自得だ。同情の余地がない」


 さて、考えれば考えるほどに冷めていく俺とは逆に、会場はますます興奮と緊張を高めていた。

 パトリックの上司に当たる第一騎士団の団長が立会人として引っ張ってこられ、王子とパトリックを決闘の場で向かいあわせる。何度も「本当にいいんですか?」と王子に・・・確認してるあたり、あの人もたぶんわかってる。酷いことになると。


「両者、遺恨なきように」


 騎士団長は自分でも効果があるとはちっとも信じてない口調でそう言った。

 実際、決闘なんてやって遺恨が残らないほうがおかしいのだ。遺恨なきようにと誓うからかろうじて抑えこまれるのであって、決闘で綺麗さっぱり決着がついて両者が抱き合って仲直りする……なんて事態は、吟遊詩人の歌の中にしか出てこない。


 シャディス王子とパトリックは、それぞれ細身の剣をぶら下げ、指示された地点まで下がっていく。二人ともに比較的細い剣を使っているが、シャディス王子のほうが剣身が太い。パトリックの剣は王子のものより細く、先がわずかに反っている。ここからではわからないが、パトリックの剣は独特の薄刃になっていて、慣れないものが使うと剣の軌道がブレブレになってしまう。


「両者、構え」


 騎士団長の言葉に、王子が剣を正眼に構えた。

 一方、パトリックは剣を片手にぶら下げたままだ。


「うわ、本気だな……」


 思わずつぶやいた俺に、システィリアが言う。


「えっ、あれが本気なんですか? 構えてないみたいに見えますけど」

「よく見てみろ。どこにも力みがないだろ?」

「うーん……言われてみれば。馬の鞍の上にいるみたいですね」


 馬術が得意なシスティリアは、そんなたとえで納得したようだ。


 だが、パトリックと対面する王子は、構えないパトリックを見て怪訝な顔をする。

 立会人である騎士団長は当たり前のような顔をしてるけどな。


「両者、準備はいいな?」

「ああ」

「ええ」


 剣を振り上げた姿勢での騎士団長の確認に、王子、パトリックがうなずく。

 決闘を見守る見物の貴族たちも、みなぎる緊張感に唾を呑んだ。


「では――始めっ!」


 騎士団長が自分の剣を斬り下ろす。

 その瞬間に動いたのは王子のほうだった。


「くらえやぁっ!」


 下品な声とともに切り込む王子。

 パトリックの姿がわずかに霞んだ。

 だが、パトリックは動いていない。

 いや、動いている。

 ぶら下げていた剣が、いつのまにか反対の肩の上に持ち上げられていた。

 いつ動いたのか、はたで見ていた俺にすらわからない。

 が、パトリックが確かに動いていた証に、王子が血の噴き出した手首を押さえてへたりこむ。


「えっ……な、何が起こったんです?」


 システィリアが目を瞬かせながら聞いてくる。


「小手斬りだ」

「あ、あの一瞬で、ですか!? 全然見えませんでしたよ!?」

「だから言ったろ。今回は真剣だって」


 俺と決闘した時、パトリックは木剣を使っていた。それでもおそるべき速さの斬撃を放ってくるのだが、木剣ならばなんとか見える。もちろん、それは俺がパトリックの元部下であいつの技を見慣れてたからであって、初見で見切れるようなもんじゃないけどな。

 だが、今回は違う。パトリックの――ローリントンの剣術は、真剣で戦うための剣術だ。これは当たり前のようだが、案外そうでもないのだ。多くの剣術は稽古や試合の都合でほとんどの練習を木剣で行う。そうするうちに、型が木剣に合わせて「堕落」する。真剣には真剣の性質があるということが忘れられ、木剣でも棒でも大差ないような「剣術」に堕してしまうのだ。そんな「剣術」はもはやただの棒術と変わりがない。いや、ただの棒術のほうが棒ならではの技術を追求してる分よほどマシだとすらいえそうだ。


「真剣での斬り合いは、当然だが危険を伴う。相手を斬ってしまうだけじゃない、事故で自分を斬ってしまうことだってある。木剣で練習すればそういう事故は防げるが、真剣ならではの緊張感がなくなって、実戦では役に立たない剣になりやすい。それがまずひとつな」

「それはわかる気がしますけど……王子の剣術はどうなんです?」

「王子の剣術も、決して悪いものじゃないさ。ちゃんと真剣で斬り合うための『剣』術になってる。仮にも王家に伝わる剣術だからな。いい加減なエセ剣法じゃない」


 俺が解説してるあいだに王子が立ち上がる。

 派手に出血はしたが、血はすぐに止まっていた。そのあいだに斬りかかればパトリックの勝ちだったが、パトリックは最初の立ち位置から一歩も動いていなかった。


「くっ……やるじゃないか」

「それはどうも、王子」


 脂汗を浮かべて強がる王子に、パトリックが冷たくそう返す。


「言葉ではなく、剣でかかってきてはいかがですか?」

「舐めるなっ!」


 王子は今度は下段からすくい上げるような斬撃を放つ。……と見せかけ、途中で体さばきを使って剣を斜め上へ。

 だが、フェイントのはずの下段からの動きの段階で腕の内側を、体さばきで剣を斜め上に移動するあいだに首筋を浅く――ごくごく浅く、斬られていた。


「ひぅっ!?」


 王子が恐怖に引きつった声を漏らした。


「王子のあの動きな。前半はフェイントだったみたいだが、そのフェイントにすらパトリックの剣は間に合った。王子は途中で動きを止められず剣を上げる。そのあいだにパトリックは、その気になれば王子の首を刎ねとばすこともできたってことだ。腕と首で、二回小手斬りの入る余地があったんだな」

「ちょっ……いくらなんでも速すぎませんか!?」

「パトリックの技量がすさまじいのは当然だが、もうひとつの秘密はあの剣だ」

「剣、ですか。細くてちょっと頼りない感じですね。王子の剣と真っ向から打ち合ったら折れそうです」

「あいつが真っ向から打ち合う事態なんて起こらないけどな。ま、細いってのはその通りだ。あと、薄い」

「薄い?」

「剣を振ると、こう、剣風ってのが起こるよな?」

「はい、棒を振るのと同じですね。そこにある空気を押し出して風が起こるんですよね?」


 小さく手を縦に振りながら言った俺に、システィリアがうなずく。


「剣風が強い剣士を見ると、なんかすごそうに思うだろ?」

「そうですね。それだけ力が強いということですから」

「たしかにそれはその通りだ。だが、剣もさらに上のレベルになると、剣風はむしろ収まってくる。いや、剣風を減らす工夫を、自ら凝らすようになっていく」

「減らす……どうしてですか?」

「水をかく時を想像してくれ。水を大きく押しのけたらその分力が必要だろ? 水に……なんていうか、抵抗されるから、水をかく速度も遅くなる。剣と空気でもそれは同じだ。剣風を起こさず、空気と空気の隙間を縫うように斬れば、その分だけ抵抗が少なくなって、剣速が上がる」


 空気の隙間ってのはあくまでも比喩だけどな。実際には刃筋を立ててブレないようにするとか、そういう細かな技術の積み重ねだ。


「じゃあ、パトリックはそうやって剣速を高めているんですね?」

「あいつのは……」


 俺が続けようとしたところで、王子が動く。

 八双に構えて、斜めに斬り下ろすと見せかけ、パトリックの間合いのギリギリ外でそれを突きへと変える。たしかに、真っ直ぐに突くのなら、小手斬りは狙いにくくなるだろう。すぐにその発想に至るあたり、たしかに王子には剣才がありそうだ。


 次の瞬間に起こったことは、俺にも完全に見えたわけじゃない。

 パトリックの剣が消えて、王子の突きが斜め下に逸らされ、地面をえぐる。

 王子の突きにパトリックの剣がからみ、螺旋を描いて突きの軌道を逸らすとともに、パトリックの剣の切っ先は王子の肩に赤い刺し傷を作っている。突きが地面に刺さって王子が死に体になったところで、王子の頬に赤い線がピッと走る。


「く、くそっ!?」


 王子は慌てて飛びのくが、パトリックはやはり追わない。今回もパトリックは足を踏み換えてすらいなかった。


「い、今、剣がうねりませんでしたか!?」

「うねってはいないよ。あの剣はたわむようにはできてないらしい。ただ、刃が薄いから、わずかな角度をつけるだけで、空気の抵抗を受けて軌道が変化する。その変化が傍目には剣がうねったように見えるんだな」


 俺の現役時代、貴族の騎士がパトリックの剣を借りて振ってたことがある。剣はあらぬ方向に蛇行し、その騎士はめちゃくちゃ使いにくそうにしていた。


「その特性と、パトリックの小手斬りだ。相手がどう動こうとも、それより早く剣が動く。軌道を自在に選べるから、今みたいにさばきにくい攻撃を逸らしながら同時に攻撃することまでできちまう」

「そ、そんなことができるんですか!?」

「現に今やってるだろ。嫌になるよな、才能ってやつは」


 もちろん、才能の土台の上にたゆまぬ努力があって初めて可能になる技だ。だが、その土台のない人間には絶対にたどり着けない境地だろう。

 俺がげんなりしてるあいだにも、王子が斬りかかり、パトリックは一歩も動かず「先の先」を取り続ける。斬りかかったほうが傷を増やして逃げ出すという、傍目にも異様な事態がずっと続く。

 そう、ずっとだ。


「ええと……つまり、パトリックはいつでもこの決闘を終わりにできるんですね?」

「できるな」

「でも、そうしていない?」

「ああ」

「……ひょっとして、めちゃくちゃ怒ってます?」

「みたいだな」


 剣の名門の出らしく、剣さえ握れば顔からは自動的に表情が抜け落ちる。怒りといった感情もどこか遠く感じられるようになるという。

 だが、怒りそのものは決して消えたわけじゃない。

 自分が受けた侮辱への怒りというのは、ものにもよるが、案外忘れられるものである。しかし、自分の愛する人がされた侮辱への怒りというのは、そう簡単に消えるものではない。パトリックは、今日のために王都に出、慣れないダンスの練習に励むエメローラをずっと近くで見守ってきた。そのエメローラを面と向かって罵倒した王子に怒っていないわけがない。

 決闘という、自分に圧倒的に有利で、かつ、王子相手に何をしても「遺恨なし」とされるこの状況で、パトリックが王子に容赦する理由がないのである。


「もう終わりにしませんか、王子」


 パトリックが言った。


「これ以上は時間の無駄です」

「な、んだと……!」


 パトリックの言葉は、制止ではなく挑発だった。

 それに過敏に反応し、王子がまたも斬りかかる。

 王子は肩口を裂かれ、悲鳴を上げて飛びすさった。


「ま、王子様もいい根性してるよな。これであきらめないのはたいしたもんだ」

「どうしようもないですもんね。しかも、パトリックから攻めない以上、決闘を終わらせるには王子のほうから負けを認めるしかないんですね」

「性格からして王子がそう簡単に負けを認めるはずがない。パトリックは当然それをわかってやってるんだ。一時間でも二時間でもあいつは待ち続けるつもりだと思うぞ」

「……パトリックには悪いですけど、あの人と結婚しなくてほんとによかったと思ってしまいました」


 システィリアが自分の肩を抱きしめながらそう言った。


 この状況に耐えかねて、決闘を見守っていた王が立ち上がる。


「もうこれ以上は無益であろう。決闘はローリントン伯爵の――」

「うるせえ! 親父はすっこんでやがれッ!」


 仲裁しかけた王を、王子が激しく拒絶する。

 さらに、立会人の騎士団長も、


「陛下。これは決闘です。私を立会人とされた以上、陛下といえど仲裁はできません」

「ええい! 馬鹿者が!」


 王が地団駄を踏んで悔しがる。


「教えてさしあげましょうか、王子」


 パトリックが王子に語りかける。


「何をだ?」

「王子の学んだ剣は、なるほど、悪いものではございません。きわめて目的にかなったものです」

「ふん、貴様が言っても嫌味にしか聞こえぬ」

「本当のことですよ。王家秘伝の剣術は、王のための剣。ところで、王とはなんでしょう?」

「王子を……愚弄するか!」


 性懲りもなく斬りかかった王子の額に、新しく赤い線が刻まれる。パトリックは宮廷楽団の指揮者のように手首の先を動かしただけだ。パトリックが剣の切っ先を王子に向ける。それだけで、王子はびくりと震えて動きを止めた。


「王とは、臣下あってのもの。ならば、王の剣とは、臣下がいることを前提に組み立てられるが道理。臣下のいないものはもはや王とは呼べません。王の剣において『臣下がいない場合』を想定する意味はないのです」

「……何が言いたい?」

「要するに、王の剣は、誰かが駆けつけてくれるまでの時間を稼ぐための剣なのですよ。王のための、護身を目的とした剣なのです。もともと攻めに向いた剣ではありません」

「結局は説教かよっ!? ぐあっ!?」


 斜めに突き上げるような王子の一撃は、パトリックの剣にからめとられ、王子の手首を逆方向へと折り曲げた。捻挫か、骨折か。まあ、手加減はしてるのだろう。重傷を与えてしまうと、立会人が決闘の終了を宣言してしまうからな。


「王の剣は護身の剣。無用の危険を侵さず、臣下が駆けつけるまでの時間を稼ぐ。その限りではきわめて優れた剣術です。しかし、今のあなたを、いったい誰が助けてくれるというのです? めったやたらに決闘を仕掛けていらぬ騒擾そうじょうを起こすような王子を、進んでかばいたがる者がどこにいると? それとも、あなたと爛れた関係にある貴婦人がたが助けに駆けつけてくださるのですか? そうした貴婦人がたは、あなたがいなくなったらいなくなったで別の相手を見つけますよ。王子のご高説によれば、快楽を与えてくれさえすれば誰でもいいのだそうですからね」

「女を盗られた男が、減らず口を……っ!」

「またそれですか。僕としては、愛し合うもの同士が結びつくのが結局はいちばんいいのだと学ばせてもらいました。盗ったの盗られたの、そんなのつくづくどうでもいいことです。愛のない結婚などしなくてよかった」


 王子は手首をかばいながら剣を下段に構え、パトリックの隙を執拗にうかがう。

 だが、どれほど執念深く探したところで、もともと存在しないものを見つけることは不可能だ。

 斬りかかれば逆に斬られる。

 斬りかからねば決闘が終わらない。

 斬りかかって斬られれば、当然それは痛みを伴う。人は痛いとわかりきったことはできないものだ。王子は脂汗を浮かべながら、直前の「痛かった」記憶と戦っている。しかし、痛みへの恐怖を乗り越えたところで、王子にはもはやなすすべがない。斬りかかれば、再び痛みを味わうことになる。痛みの記憶はさらに増え、それはパトリックへの本能的な恐怖へと変わっていく。


「王子が納得するまでお付き合い致しましょう。それとも、もう諦められますか?」

「ふ、ざ、け、た、ことを――っ!」


 決闘は――はっきり言って、これっぽっちも盛り上がらなかった。

 パトリックが超絶技巧で王子の攻め手をすべて潰す。

 王子が仕掛けるたびに、王子の傷が増えていく。

 パトリックの手加減は素人目にもわかるほど露骨なものだ。それだけに本気の怒りが見る者にも伝わり、観客たちは盛り上がるよりもむしろ寒気に襲われるようだった。「酔いが醒める」と言って、後ろのほうの観客が舞踏会へと戻り始め、他の観客たちもそれに続く。

 王族の青い血が流され、王子が本気で戦ってるというのに、その戦いには観戦する価値すらないのだった。父である王すらも、かぶりを振りながらベンチへと座り込み、頭を抱えて「どこで教育を誤ったのか」と懊悩しているような様子である。


「俺は……この国の……王子だぞぉぉぉぉぉっっ!」


「いいえ、あなたはただの敗者ですよ」


 やけになって飛び込んだ王子の鳩尾みぞおちに、パトリックの剣の柄がめり込んだ。

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