45 潮時
「ひょっとして……パトリックから何か言われたんですか!?」
勢い込んで言ったシスティリアに、エメローラが小さくうなずいた。
「その……愛している、と」
「うひゃあああ」
「……ほう」
「驚いたな」
頬を赤くして答えるエメローラに、システィリア、ノーラ、俺がそれぞれに反応する。
「い、いつです!?」
「昨夜の帰り、ここに送ってもらう途中です」
たしかにタイミング的にはそこしかない。
決闘前後のパトリックの言動を見れば、さすがのエメローラでもパトリックの気持ちに気づいただろう。パトリックとしても、自分の想いがバレてしまった以上、ここで伝えなければいつ伝えるのかということになる。
「ただ、パトリック様はおっしゃいました。『僕はたしかに君のことを愛している。でも、僕と結婚することが君の幸せになるという自信がない。人魚である君と人間の貴族である僕のあいだには越えなければいけないものが多すぎる。僕が望むのはあなたの幸せで、必ずしも僕がそこにいる必要はないと思ってる』」
「えっ、ちょっ……そんな!? なんでそこで身を引こうとしてるんですか!?」
「あいつらしいっちゃあいつらしいな」
人魚と人間の恋が難しいのは、まさにエメローラが歌った通りである。シグルド1世と人魚エメローナの恋に比べればマシかもしれないが、それでも人魚が陸に住み続けること自体が大変なことだ。
「『本当の愛とは、相手を所有したいという欲望に基づくものではなく、それを超えて相手の幸せを願うことではないか。僕はそんな風にも思うのだ。だから、僕はこの気持ちをあなたには伝えずに済ませようと思っていた。でも、こうしてもう知られてしまったから打ち明けた。どうか、僕の気持ちはあまり深刻に受け止めないでほしい。僕が願うのは君の幸せだ。今回のことで、人間の裏も表も見たと思う。それでもなお陸にいたいと思うのなら、その時には僕にできることはなんでもしよう』」
「う、うーん……」
システィリアはその言葉をどう受け止めたものか迷ってるようだ。
「ふむ。理屈は通っているな。彼は彼なりにエメローラの幸福について真摯に考え抜いたのであろう」
「で、でも! それなら『僕と結婚してくれ! 絶対幸せにする!』くらい言ってあげてもいいじゃないですか!」
「エメローラの母の物語を聞いた後で、そんな威勢のいい約束はできぬということだろう。実際、システィリアが今言った通りのことを誓って結婚しながら、ほんの数年で破局する夫婦も多いのだ。パトリックが強く迫ることでエメローラの判断を歪め、結果としてエメローラが不幸になることを彼は恐れたということだ。その恐れは、客観的に見て妥当なものでもある」
「ああ、もう、男の人は! なんでそう物事を客観的に見て割り切ろうとするんですか!?」
「ちょっ、俺は関係ないだろ!?」
「関係なくないですよ! 最初の決闘の前にパトリックと裏で取り引きしようとしたことを忘れたんですか!?」
「う゛っ!? で、でも、それはシスティリアのことを思ってだな……」
そこまで言いかけて気がついた。
同じだ。
システィリアの将来を勝手に心配し、俺はシスティリアを突き放そうとした。
絶句した俺に代わって、ノーラが言う。
「まあ待て、システィリア。パトリックの態度が紳士的なのか煮え切らないだけかは、恋に疎いわたしには判断がつかぬ。だが、それ以前の問題として、エメローラの気持ちはどうなのだ? これまでわたしが見てきた限りでは、エメローラがパトリックに対して特別な想いを抱いている様子はなかったと思うのだが」
ノーラの指摘にはっとして、俺とシスティリアはエメローラを見る。
「あ、ええと……はい。とても紳士的な方ですし、親身になってくださいましたし、もちろん悪く思っているわけではないのですが……」
エメローラの口調は、それこそ煮え切らないものだった。
「感謝もあれば、負い目もあり……お気持ちに応えたいとも思うのです。ですが、それが本当に恋なのかと言われると、はっきりそうとは言い切れないような気がしまして……」
「ふむ。やはりか。エメローラのパトリックへの気持ちは、あくまでも好意や友情であって、男性への愛情ではないのだな」
ノーラの言葉に、システィリアが戸惑った顔をする。
「えっ、その……でも、決闘までしたんですよ?」
「それは、パトリックがおのれの責任のもとにやったことだ。決闘で勝てばエメローラと結婚できるといった約束があったわけではない。王子から正式にエメローラに謝罪することは要求したが、それだけだ。エメローラのほうでも、あの決闘についてなんらかの言質を与えたわけではない」
「そ、それはそうですけど……さすがにそれはちょっと、パトリックが気の毒なような気も……」
「パトリックとて一人の紳士であり騎士なのだ。おのれの交わした約束の意味はわかっていよう」
それはたしかに、ノーラの言う通りである。あえて突き放した見方をすれば、エメローラの頭越しに男が二人勝手にケンカをおっぱじめたみたいな状況だったからな。そのケンカの結果にエメローラが束縛されるいわれはない。
「じゃあ、エメローラさんはパトリックにはなんと答えたんですか?」
「その……『ごめんなさい』と」
「えっと……まさか、それだけですか?」
「は、はい。とにかく、申し訳なくて……。結果から見れば、わたくしはパトリックの好意に甘え、散々に利用した挙げ句、王子と決闘までさせた酷い女です。その上、最後の最後までパトリックの気持ちに気づかないとは、恋だの愛だのを語るくせになんと鈍い女だと呆れられたことでしょう。とにかく謝るので精一杯で、彼から逃げるようにこの屋敷に駆け戻ってきたのです。ああ、穴があったら入りたいとはこのことです……」
見るからにしゅんとして、エメローラがそう言った。
俺とシスティリアは思わず顔を見合わせる。
「……なんか、面倒なことになってる気がしないか?」
「わたしもそう思います……」
エメローラとパトリックの問題は、それはそれで盛大に引っかかっているのだが、舞踏会が済んだことで、王都に俺たちが滞在し続ける理由がなくなってきた。いくらアスコット村がのどかとはいえ、領主である俺がいつまでも留守にしてるのは問題だしな。都会は何かと刺激も多いが、もともと俺は退役して田舎での
ただ、ひとつだけ、王都にいるあいだにやっておきたいことがあった。
最初はサプライズにしようと思ってたのだが、ノーラとともに計画を進めるうちに、やっぱり事前に教えておくべきだろうという結論になった。サプライズも行き過ぎれば迷惑だし、相手もあることだから本人の心の準備も必要だろう。
というわけで、俺とノーラはシスティリアに温めていた「計画」を打ち明ける。
「えっ、わたしの誕生日会、ですか?」
システィリアは自分を指差し、目を見開いた。
「そうそう。もうすぐ二十歳だろ。王都にいるあいだに小規模でいいからできないかって、ノーラに相談に乗ってもらってたんだ」
そのせいでシスティリアに浮気を疑われたのは心外だったな。
「うむ。システィリアは電撃的にバッカス男爵と結婚したから、王都の友人たちと音信が途絶えてしまっているであろう?」
「それはそうですけど……どっちにせよ、皆さん、わたしがエルドリュース公爵家の令嬢だからお付き合いしてくれていたわけで……わたしのような貴族の令嬢らしくない娘と好き好んで付き合いたいかたはいなかったと思うのですが」
「システィリア。おまえがわたしの生徒だった頃から言っているが、おまえは時に妙に自虐的になることがある。おまえは自分で思っているほど嫌われてはおらぬ。むろん、中には地位や容姿をやっかむ輩もいるが、飾らない人柄を好ましいと思っている者たちも少なくないのだ。わたしが家庭教師をしていたご令嬢の中にもシスティリアに好意的な娘は多かった」
「そ、そうなんですか? ほ、本当に……?」
システィリアは本気で疑わしそうに首をひねる。
「たぶん本当だぞ。昨日の舞踏会でそれとなく見てたけど、システィリアを悪く思ってなさそうな令嬢は何人かいた。リンドに調べてもらった限りでも、俺たちの結婚を擁護してくれてる人もいるみたいだ」
「あ、それで妙にきょろきょろしてたんですね」
そのせいで、踊ってるあいだはわたしだけを見てと怒られたんだよな。
「うふふっ……なぁんだ。かわいい子に目移りしてたわけじゃなかったんですね」
「こう言っちゃなんだが、俺をシスティリアから目移りさせられるような女がいるんだったら逆に見てみたいぞ」
「やだ、そんな……もうっ!」
「……だから、わたしの前で脈絡なくいちゃつかないでもらえないかね? ともあれ、そうしたシスティリアの友人にそれとなく接触をはかって、誕生日会に呼べないかと思ったのだ。簡単なものではあるが、結婚披露宴の代わりにもできれば、とな」
「ノーラには苦労をかけちまったな」
「まったくだ。わたしがこの手のことに向いてないことなどわかりきっているだろうに……。家庭教師時代のツテや学者仲間、宮廷楽団の知り合いなどを通して慎重に探りを入れていった。システィリアに本当に好意を抱いているかは注意深く確かめた。建前だけのものを呼んでも、かえってシスティリアを傷つけることになりかねん。確信が持てない相手は今回は見送ろうと、レオナルドと言い合って進めてきた」
「そ、そんなことをしてくれていたんですか……。ぐすっ、ありがとうございます……」
システィリアが目に浮かんだ涙をぬぐう。
母親であるエルドリュース公爵夫人は、実の娘であるシスティリアに意図的な嫌がらせをしかけてきた。もともと親子仲はよくなかったらしいが、仮にも親にあんな態度を取られればショックだろう。
俺とノーラが誕生日会の準備をしだしたのはもちろん舞踏会のかなり前からだが、システィリアが俺と結婚したためにそれまでの人間関係をすべて失ってしまうのではかわいそうだとずっと思っていたのだ。
もちろん、一歩間違えば押し付けがましいお節介になりかねないことなので、ノーラと密に相談しつつ、絶対に大丈夫という相手にも遠回しに確認していくような手順を踏んだ。それでもやはり、実際に招待するのはシスティリアに確認してからにしようという結論になったのだ。
「レオナルドがわたしと密談をしていたのはそのためだ。こんな気のいい夫を疑うもんじゃない。いずれにせよ浮気ができるようなタイプでもないだろう?」
「それはたしかにそうですね」
「……いや、いいけどな」
浮気は男の甲斐性、なんて嘯く奴は、俺とは相容れないタイプである。シャディス王子は王都では浮き名を流してるようだが、何もかもに飽きたようなあの目を見ると、いろんな女と遊べたからと言って幸せになれるとは限らないらしい。そりゃ、
……そんなことを思うあたり、里心がついてきたのかもしれないな。王都での滞在も潮時だろう。
「エメローラ。すまないが、俺はシスティリアの誕生日会が終わったらアスコット村に帰ろうと思う」
もともとエメローラが心配で王都までついてきたわけだが、小領地の領主にいつまでも王都に滞在している余裕はない。滞在先がノーラの屋敷じゃなかったら滞在の経費はもっとかさんでる。宮内府の役人からは王がこちらの滞在費を建て替えると言われたが、こういう場合でも、貴族なら爵位に応じた分は払うものだ。そうした諸々の計算からすると、誕生日会まででもカツカツだった。
「あまり答えを
「そうですね。レオナルドには何から何までお世話になって、感謝の言葉もございません。本当にありがとうございます」
「いいって。こっちも好きでやったことだ。貴重な経験もさせてもらったしな」
改めて頭を下げて感謝してくるエメローラに、俺は本心からそう言った。
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