44 人魚姫の舞踏会その後
その後は――大変だった。
エメローラの歌は冷笑的な貴族の心をも溶かし、大喝采を浴びた。
アンコールに応え、エメローラがさらに歌を披露する。
その歌は、なんと、俺とシスティリアの顛末を歌ったものだ。
「やめてくれ」と叫びたくなったが、貴族たちはおろか王までが聴き入る中で、エメローラを止めることなどできるはずもない。
いったい誰から聞き出したのか、エメローラはシスティリアがやってくる場面から俺との交流とすれ違い、俺がシスティリアを想い、遠ざけようとしたこと、そしてやってきたパトリックとの決闘の行方――実にドラマチックに、結構な脚色を含んで、エメローラは見事にことの顛末を歌い上げた。歌い上げてしまった。
俺|(とパトリック)は顔から火が出そうだっただが、システィリアは感激のあまり泣いている。システィリアの父親であるエルドリュース公爵までもが、人目もはばからず号泣していた。その夫人の姿は見えなかったが⋯⋯。
エメローラは他にも短い歌をいくつも披露し、やがて、どちらからともなく宮廷楽団とのセッションが始まった。
誰も聴いたことがない歌に即席で伴奏をつけてしまうあたりは、宮廷楽団の面目躍如といったところだろう。それまでは完全にエメローラにお株を奪われていたからな。
エメローラはエメローラで、楽団の伴奏に合わせて即興で歌を変えているようだった。
エメローラと楽団は、どちらが主導するでもなく、互いが互いのよさを引き出しながら、おそらく王国史上類がないはずの人魚と人間のセッションを織り上げていく。
誰もが泣き、誰もが笑っていた。
気難しそうな老貴族が興奮に顔を赤くして歌を歌い、令嬢たちは歓喜に紅潮した互いの顔を見て笑い合う。もはや、位の上下も関係ない。ただこの場を共有できた喜びだけで、ここにいるすべての者がつながっていた。
こんな奇跡は、きっと一生に一度もないだろう。
人魚エメローナもまた、シグルド1世との逢瀬をこんな気持ちで迎えていたのだろうか。
舞踏会は深夜まで続いた。
誰もこの場から帰りたがらなかった。
歌うのはエメローラばかりではない。老若男女みなが心の震えをそのまま口から表現し、それが自然に歌へと変わった。人間が文明をもたなかった頃、最初に歌が生まれた瞬間は、まさに今のようなものだったにちがいない。今この城のホールは、神話時代の焚き火の周りであり、人魚たちの暮らす鮮やかな珊瑚の海であり、至福の約束された天上の楽園でもあった。
王がようやくのことでお開きを宣言すると、集まったものたちは顔を寄せ合い、この感動と、そこから覚めなければならない無念さとを語り合った。
――こうして、ノージック王国の歴史に語り継がれる「人魚姫の舞踏会」は、誰もに惜しまれながらその幕を下ろしたのだった。
ノーラの屋敷に戻ったあとも俺たちは興奮が覚めやらず、もう遅い時間だというのに心ゆくまで愛し合った。
考えてみれば舞踏会へ乗り込む緊張やら、王子との対決やら、舞踏会でのダンスやら、その後の⋯⋯なんだ、とんでもない状況やら、俺もシスティリアも骨の髄まで疲れ切っていたはずだ。
それなのにシスティリアが愛しいという気持ちが尽きることなく湧いてきて止まらなかった。システィリアもまた、俺を求めてやまなかった。
……まあ、そんなわけで空が白むまで愛し合い、その後操り人形の糸が切れるようにぶっ倒れた俺たちは、昼過ぎまで眠りをむさぼることになった。
「
昼を過ぎてから食堂に顔を出した俺とシスティリアにノーラが言ってくる。
「そ、そういうデリカシーのないことを言わないでください!」
「くくっ、あいかわらずいい反応をしてくれる。とても人妻とは思えないうぶな反応だな。レオナルドが夢中になるのも無理はない」
「えっ、レオナルドが? そ、そうですよね! すれたところのあるレオナルドをこんなに夢中にさせてしまうなんて、なんとも罪な女です!」
そう言って胸を張るシスティリアを、俺とノーラは華麗にスルー。
「⋯⋯な、何か言ってくださいよう。これじゃまるでわたしがめんどくさい女みたいじゃないですか」
「つっこまれなかったらつっこまれなかったで嫌なのかよ」
実際めんどくさいところは多々あると思うが、そんなところまで含めてかわいいと思うのはのろけなんだろうか。調子に乗るから言わないけどな。
「って、そういやエメローラとワッタはどうしたんだ?」
「ワッタはまだ眠っている。エメローラは昼前には起き出してきた。今は来客の対応中だ」
「来客? エメローラに?」
「パトリックが来たんですか? 昨日の今日なのに熱心ですね」
「いや、客はローリントン伯爵ではないよ。宮廷楽団の団長だ」
ノーラの口から出た意外な言葉に、俺とシスティリアが顔を見合わせた。
「宮廷楽団の⋯⋯まさか、スカウトですか?」
「そのようだな。わたしも立ち会おうかと言ったんだが、エメローラが大丈夫だと言うのでな。団長のほうも、今日のところは話だけでもということのようだった」
そんな話をしていると、食堂の扉が外から開いた。廊下から入ってきたのはちょうど話題になっていたエメローラだ。人魚姫は疲れた様子も見せず、いつもの笑みを浮かべて言う。
「おはようございます、レオナルド、システィリア」
「もう日も高いけどな。昨日はお疲れさん」
「はい、皆様のおかげで素晴らしい一夜になりました。お二方も改めて有難うございます。お二人がいなければわたくしはここにおらず、昨夜のような素晴らしい舞踏会に参加することもできなかったでしょう」
「気にするな。好きでやったことだからな。それより、宮廷楽団の団長が来てるって?」
「ちょうど今お帰りになったところです」
うなずくエメローラに、システィリアが聞く。
「あの、やはり、エメローラさんをスカウトしに来られたのでしょうか?」
「スカウト⋯⋯と言うのでしょうか。機会があればぜひまた一緒に演奏したいと。もし王都に留まることがあるなら、楽団はいつでも喜んでわたくしを迎えてくださるとのことでした」
「それをスカウトって言うんじゃないか?」
「すごいです、エメローラさん! ノージック王国の宮廷楽団は近隣諸国にもその名を知られる音楽エリートの集団なんです! 年に一度あるかないかの入団試験には腕に覚えのある演奏家が数百人も集まってきて、そのうち入団できるのはほんの数人だけだと聞いてます! 団長自ら演奏家をスカウトするなんて、滅多にないことのはずですよ!」
「そう⋯⋯なのですか? とても気さくな方でしたよ? 音楽を愛する者ならば人種、国籍を問わず歓迎だと」
「今の団長さんは気難しいことで有名だったはずですが⋯⋯。今の団長さんになってから入団試験がさらに厳しくなったと聞いてます。昔の友達にオルガンの上手な子がいたんですけど、『楽団はおままごとじゃねえんだ!』と言われて泣きながら帰るはめになったそうです。侯爵の娘なんですけどね」
「貴族のコネもきかない実力主義ってわけか」
俺の言葉にはノーラがうなずく。
「実際、宮廷楽団はこの国の文化的な威信を背負った存在だ。貴族の習い事の延長では務まらないと聞いている。逆に、市井の吟遊詩人でも実力さえあればチャンスがあるという話だね。もっとも、宮廷文化華やかな王都シルベスタで何代も続く音楽貴族の家に生まれた者と市井の吟遊詩人とでは、演奏技術に天と地ほどの差があるらしいのだが」
「建前は実力主義でも結局生まれがものをいう世界ってわけか」
「しかたあるまい。ローリントン伯爵は物心つくまえから剣を握らされて育ったというが、王都の音楽家たちもそのたぐいだ。音楽のセンスは幼いうちがもっとも伸びると言われている。昨日ローリントン伯爵にけちょんけちょんに叩きのめされた王子も、幼い頃からの教育で、笛の腕前も玄人はだしという評判だ」
「へえ、なかなか多芸なやつだったんだな」
「王子は才気煥発で鳴らしている。何をやらせても一流に届く。だが、本当に一芸に特化した人間を相手にしては分が悪い。今回のことで懲りたであろう」
「怨まれたりしてねえかな⋯⋯」
「さて、どうだろうな。あそこまで叩きのめされた手前、しばらくはおとなしくしているだろう。昨日の決闘の一件は、その後のエメローラの活躍でうやむやになった面もある」
「ああ、たしかに、あの舞踏会のあとじゃ決闘の印象も薄まるか」
「それならよかったです。思い切った真似をした甲斐がありました」
エメローラの言葉に俺は驚く。
「えっ、じゃあ、あれはパトリックをかばうためにやったことだったのか?」
「それも理由のひとつではありますが、わたくし自身、母のことについて弁明をしたかったのです。王子に侮辱されたままでは母のことが皆さんにも誤解されてしまいます。かといって、王が約束を破ったという印象を与えてもいけませんし、レオナルドやシスティリアの親切に報いたいという気持ちもありました。すべてが丸く収まるように語らせていただいただけなのです。多少の潤色は、物語の語り手のみに許された特権ですから」
すこしいたずらっぽくエメローラが言った。
「ほう。そこまで計算していたというのか。純真無垢な人魚の姫と思っていたが、認識を改めねばならんな」
「ふふっ。人魚の群れは人間の国とは違うとはいえ、人数が集まれば自然と派閥も生まれます。みんなが納得できるよう話をまとめあげる力は人魚にだって必要なのです」
「⋯⋯俺よりエメローラのほうがよっぽど貴族に向いてそうだな」
天衣無縫の人魚姫、というイメージを与えていたこともまた、有利に働いたにちがいない。もちろん、エメローラの卓越した語りや歌があって初めてできたことだけどな。
「それで、宮廷楽団へのお誘いにはどう答えたんです?」
「いえ、現状ではまだ確たるお答えはできません、としか」
「それは⋯⋯そうですよね。楽団に入れば俸給がもらえますから生活はできるはずですが、エメローラさんには潮の問題もありますし」
人魚であるエメローラは、海を離れては暮らせない。今は潮風の首飾りのおかげでなんとかなってるが、首飾りは定期的に海に漬ける必要がある。
「その点では、宮廷楽団は悪くあるまい。例年ルタミアへの定期巡業があるからな。そうでなくとも、必要な時には休みを取れるという条件で籍を置く選択肢もあろう。なんなら、年に半分は海に帰るという条件で交渉しても、あの様子なら快く受け入れてくれるのではないか?」
「な、なるほど。さすがノーラ姉。理屈の抜け道を探させたら右に出るものはいませんね!」
「褒められた気がしないのだがなぁ、システィリア」
「き、気のせいですよ。妙案だと思います」
「たしかに無理のないやり方かもな」
ノーラの案に俺とシスティリアは納得しかけたのだが、
「そう、ですね」
肝心のエメローラは心ここにあらずという様子だった。
「どうしたんだ、エメローラ? 体調でも悪いのか?」
心配になって聞くと、
「あ、いえ⋯⋯そういうわけでは。ただ、団長様のお話をどのようにお受けするかの前に、答えを出さなければいけない問題がありまして。しかしどうにもわたくしには判断がつき難く⋯⋯」
エメローラは難しげに眉をひそめつつ、口元は微妙に緩むというちぐはぐな表情で黙り込む。
その様子に、システィリアが身を乗り出した。
「ひょっとして⋯⋯パトリックから何か言われたんですか!?」
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