25 真珠色の少女
動かなくなった巨大な水棲モンスターを、サハギンたちが遠巻きに取り囲む。
モンスターはときに死んだふりをして相手の油断を誘うことがある。
サハギンたちも経験でそうした危険があることを知っているのだろう。
同時に、サハギンたちの一部が、アイシャに
若いサハギンが爪を剥いてこちらに威嚇の声を発するが、
銛持ちの一匹が俺たちに話しかけてくる。
「ギケ、ギケェ」
⋯⋯が、何を言ってるのかさっぱりだ。
そもそも彼らが人間のような言葉をしゃべるのかどうかもわからない。
群れの中で意思疎通のために鳴き声を発するだけだとも、人間にはわからない特有の言語を使っているのだとも言われている。
「わかるか?」
「いえ⋯⋯」
俺のささやきに、システィリアが小さく首を振る。
エルフやドワーフの言葉がわかるシスティリアでも、サハギンの「言葉」はわからないようだ。
「ええっとだな。なんだか危なそうだったから助けに入ったんだ」
俺はなるべくやわらかな声を出すように気をつけながら、サハギンたちに語りかける。
たとえ言葉が通じなくても、声の調子で害意がないことくらいは伝わるはずだ⋯⋯と思う。
もしダメならアイシャに乗ったまま逃げればいい。向こうは水棲の種族なので、陸の奥までは追ってこないだろう。
一応このあたりはノージック王国の領土とされおり、その管理はアスコット村の領主である俺がおこなう建前ではあるが、俺にはサハギンと戦争をするつもりはまったくない。このあたりに人が入植してるならともかく、村を放棄し湖のモンスターを放置している現状で、とてもじゃないが「ここは俺の土地だから出て行け!」などとはいえないしな。そもそもサハギンの群れが入り込むことを他国の人間が入り込むことと同じように扱うべきなのかってのもむずかしい問題だ。
サハギンの一匹が銛の先を下げた。
ほかのサハギンたちもそれに従う。
やや緊張を解いた様子のサハギンたちのうしろから、こちらに向かって、女性の声がかけられた。
「あの、有難うございます。
その声に、サハギンたちが隊列を開く。
その奥から現れたのは、人間の女性⋯⋯なのだろうか?
俺はそう断じることに躊躇をおぼえた。といっても、俺がためらったのは「女性」の部分ではなく、「人間」の部分である。
いや、「人間」の部分を疑うといっても、人間離れした外見をしているって意味じゃない。サハギンの守っていた女性だから雌のサハギンだというわけではない。
むしろ、彼女はおそろしく美しかった。「人間」としてあまりに美しすぎるので、かえって同じ「人間」とはおもえないような、妖精のような美しさだ。
不肖俺の妻であるシスティリアも、遠くエルフの血を引いていることもあって、「まるで妖精のようだ」と言われることもある(そう言ってるのは最近では八割がた俺ではないかという疑惑はあるが)。
だがそれでも、システィリアが人間であることを疑う者はいないはずだ。エルフは人間に比べて感情が希薄とされるが、システィリアはむしろ生き生きとした感情の持ち主で、あまり浮世離れした印象を受けないのだ。
しかし、目の前の女性はそうではない。
まず目を引くのは、真珠のようなつやを持つ薄桃色の髪だ。真珠のようなくもった輝きを宿すその髪は、ゆるやかな弧を幾重にも描いて、彼女のむきだしの白い肩にかかっている。
彼女は純白のトーガのようなドレスを胸から下にまとっている。ドレスは胸とウェストのあいだを紐で締め、バストに大きな二枚の真珠貝をあしらったものだ。
現実離れした薄桃色の髪に縁取られた顔には、琥珀色の夢みがちな瞳と丸みをおびた美しい鼻、たっぷりと水気をふくんだやわらかそうな唇があった。なだからな谷間を描く胸もとには、真珠と珊瑚が互いちがいになった美しいネックレスが輝いている。
同じ美しさでも、人間としての実在感をくっきりと感じさせるシスティリアに対し、目の前に現れた少女は、まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのような、幻想的な
俺も⋯⋯たぶんシスティリアも、突然現れた妖精のような美少女に息を呑む。
その美少女が、不安そうに眉をくもらせおずおずと言う。
「あ、あの⋯⋯わたくしの言葉は通じておりますでしょうか? 何分、海底におりました故、人間とは実際に話す機会がこれまでになく⋯⋯」
不安そうな彼女の声音にわれに返る。
目の前の彼女は妖精じみているかもしれないが、すくなくとも言っていることは理解できる。歳に見合わないやや時代がかった独特の言葉づかいではあったが。
「あ、ああ。通じてる」
俺がうなずくと、彼女はぱっと顔を輝かせる。
「それはようございました! 人の世は猫の目のように目まぐるしく変遷するものであるとお母様が申しておりましたので」
「い、いや⋯⋯人の世?」
俺とシスティリアは、アイシャの上で、おもわず互いの顔を見合わせていた。
そこで、俺は遅ればせながら気がついた。
「あ、馬上からで済まなかった」
危険はなさそうだったので、俺とシスティリアはアイシャの上から地面に降りる。
湖畔の白い砂がざくりと崩れ、忘れていた潮の匂いを思い出す。何気なく振り返ってみると、水際にそのままになっている水棲モンスターのなまなましい死体が目に入り、俺の頭にいくらか現実感が戻ってくる。
「俺はレオナルド・バッカス⋯⋯じゃなかった、レオナルド・フィン・バッカス男爵だ。ノージック王国アスコット村の領主をしている。こっちは妻のシスティリアだ」
いまだ慣れない名乗りをあげると、彼女は手を叩いて顔をほころばせた。
「まあ、ご夫婦なのですか! 素敵ですっ! とてもお似合いですね!」
急にテンションの上がった彼女に俺は戸惑う。彼女の口にした言葉にも、だ。
俺とシスティリアを初めて見て「お似合いだ」と言ってくれる人はあまりいないとおもう。言ったとしたら、それは見え透いたお世辞か皮肉だろう。
だが、彼女の無邪気な喜びようをみる限り、とてもお世辞や皮肉で言ってるようにはおもえない。
「えへへ⋯⋯お似合いですって」
⋯⋯そのあたりのことを最初から気にしてないらしいうちの嫁さんは、両手で頬を押さえ、身をくねって喜んでるけどな。
そんなふうにされると俺まで照れてくるだろうが。
「え、ああ、まあ⋯⋯俺には過ぎた嫁さんだよ。で、今日はたまたま近くにいたんだが、モンスターに襲われてるようだったから助けに入ったというわけだ」
「ああ、夫婦⋯⋯お母様、エメローラは今人間の夫婦を初めてこの目で見ています! なんと幸先がいいのでしょう⋯⋯! 白馬に乗った素敵な男爵御夫婦に救われるなんて、まるでお母様の話してくださった物語のようです!」
キラキラと目を輝かせ、誰にともなく言う彼女に、俺とシスティリアは再び顔を見合わせる。
なにがなんだかさっぱりわからない。歳の離れた夫婦だな、と見られることはあるが、彼女は「人間の夫婦」を初めて見たと言った。
とりあえず、最初に浮かんだ疑問を口にする。
「なあ、君とサハギンたちはいったいどんな関係なんだ?」
「これは失礼を致しました。まだお名前も申し上げておりませんでした。これではお母様に怒られてしまいます。礼儀知らずな娘とお思いにならないでくださいまし」
「いや、それはいいけど⋯⋯」
「わたくしはエメローラと申します。バッカス男爵は彼らとわたくしの関係をお尋ねでしたね。ええっと、彼らは、わたくしが行き倒れていたところを助けてくださったのです。とても親切な方々なんですよ!」
エメローラの言葉に、サハギンたちがうなずいた。
こっちの言葉はわかってないはずだが、エメローラの雰囲気で察したのだろう。
人間からするとサハギンの表情はわかりにくく、
「そ、そうなのか⋯⋯? その、行き倒れてた、というのは?」
「はい。わたくしは陸の
「そ、そうか⋯⋯」
目を輝かせまくしたてる彼女に気圧され、引き気味の返事を返す俺。
「それからしばらく彼らのもとでご厄介になっていたのですが、もともとわたくしは海に暮らす身。潮のない彼らの湖に長逗留はできません。さいわい怪我も癒えましたので、再び海を求めてこの砂浜へとやってきました。ところが、この海にはわたくしを追ってきた海魔がまだうろついているではありませんか。彼らはわたくしのために海水を手に入れようとしてくださったのですが⋯⋯」
「よくわからんが、ともあれさっきのモンスターに襲われたんだな」
話が長い割にさっぱり要領がわからない上、モンスターに襲われていたことは聞かされなくてもわかってる。要するに、話がまったく進んでない。
「はい。わたくしのために危険なことはしないでほしいとお願いしたのですが、彼らは慣れない水に弱るわたくしを見捨てられないとおっしゃるのです。縁もゆかりもないただの行き倒れにすぎないわたくしにそうまでしてくださるなんて、なんと情に厚い方々なのでしょう⋯⋯!」
「あー、ええと、どこからどう聞けばいいのやら⋯⋯。とりあえず、君にはサハギンの言葉がわかるんだな?」
「どうぞエメローラとお呼びください、バッカス男爵」
「そ、そうか。俺のことはレオナルドでいい」
「承知致しました、レオナルド様。先ほどのご質問の答えですが、たしかにわたくしには彼らの言葉がわかります。水はちがえど水中を住処とする者同士ですから」
エメローラがそう言ってうなずいた。
俺は、ずっとひっかかっていたことを聞いてみる。
「海に暮らすとか、水中を住処にするとか言ってるが、エメローラは人間⋯⋯なんだよな?」
俺の質問に、エメローラはかわいらしく小首をかしげ、なんでもないことのようにこう言った。
「いえ? わたくしは人魚ですが」
「「に、人魚!?」」
俺とシスティリアの驚愕の声が、三日月湖の湖畔に響き渡った。
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