18 前夜

「レオナルド様……あの……」


 戸口から、黄昏の中に去っていく元上司を見送った俺の背後から、システィリアの遠慮がちな声がした。

 ドワーフの里から帰ってきた時はまだ夕方だったが、パトリックとの話し合いのあいだに、日はほとんど暮れていた。


「ああ、システィリア」


 俺はぎこちなく振り返る。


「ど、どうなったんでしょうか……?」


 不安そうに俺を見上げ、システィリアが聞いてくる。

 その傍らには例の侍女・マリーズが控えていた。


「決闘することになった」


 俺の言葉に、システィリアが息を呑んだ。


「パトリックが、レオナルド様に決闘を申し込んだ、ということでしょうか?」


「いや……逆だ」


「逆? えっと、それは、レオナルド様がパトリックに決闘を申し込んだということですか?」


 そう確認してくるシスティリアの目には、七割くらいの恐れと三割くらいの期待があった。


 その期待に、俺は返す言葉に詰まってしまう。


「俺を買いかぶるな」


 俺は言った。


「ことを収めるには、それがいちばんいいってだけだ」


 俺のセリフに、システィリアは一瞬硬直した。

 その顔に、理解と諦念とが浮かんでくる。


「つまり……レオナルド様が決闘を申し込み、それに敗れることで、わたしとパトリックの最低限の名誉を守ろう、ということなんですね」


「……そうだ」


「っ……」


「最初から言っておいたはずだぞ。無理だってな。

 夢を見るのは終わりだ、システィリア。なに、おまえの場合、夢から醒めたほうが幸せになれる。

 こんな片田舎に骨を埋めるよりも、将来の騎士団長夫人に収まるほうがいいに決まってる」


 システィリアから視線をそらし、俺は自分に言い聞かせるようにそう言った。


「本気で……言ってるんですか?」


「ああ」


 俺は振り払うように言って、館の中に戻ろうとする。


 その行く手を、マリーズが遮った。


「どけ」


 口調を取り繕う余裕もなくそう言うが、マリーズはその場を動かない。


「まずは、お見知り置きを、レオナルド・バッカス準男爵」


「いらん。明日には別れる相手だ。その後一生会うことはないだろう」


「わたしは東方の出身なのですが、このような俚諺りげんがございました。一期一会――すべての出会いはその場限りのものであり、二度とないという意味で奇跡であると」


「いいことわざだな。だが、あんたと仲を深める理由がない」


「それは構わないのですが、これも何かの縁と思って、ひとつだけお聞かせ願えませんか? そのあと、システィリア様をこっぴどくフラれようと、決闘でわざと負けようと、マリーズの知ったことではありません」


「ちょっ……マリーズ!?」


 思わず声を上げるシスティリア。

 マリーズはそれを無視し、俺をひたと見据えて聞いてくる。


「パトリック様から、あの方の『腹案』については聞き及んでおります。

 レオナルド様からパトリック様に、システィリア様を賭けた決闘を申し入れる。レオナルド様はわざと負ける。あるいは、全力で戦った上で、純粋に力負けしてパトリック様に敗れる。システィリア様はパトリック様と結婚する。

 その後、不名誉をかぶったあなたは、パトリック様からアスコット村の正式な領主に封じられる」


「なっ……ほ、本当なのですか!?」


 システィリアが目を見開き、俺とマリーズを見比べる。


「レオナルド様は、その条件を呑まれた、ということで間違いないのでしょうか?」


 マリーズの率直な問いに、俺は答えに詰まった。


 そうだ、と答えるのは嘘をつくことになる。

 パトリックには領主に封じるという条件だけは呑めないと言った。

 後になればシスティリアたちにもそれはわかる。


 だが、その条件を蹴ったとシスティリアに告げれば、システィリアは俺への希望を捨てきれなくなってしまう。

 領地ほしさにシスティリアを「売る」ような真似をするような男と思われたくない。そう思ったのは確かだが、現時点でそれをはっきり告げてしまえば、システィリアに未練を残しかねない。


「決闘の条件は、パトリックとの合意なしに明かすわけにはいかない」


「詭弁ですね。システィリア様は今回の当事者です。条件のわからない決闘におとなしく従って、生きた景品の役回りを務めよとおっしゃるのですか?」


 マリーズの追及は正しかった。


 答えあぐんだ俺を見て、マリーズが言う。


「……ふぅ。うかがっていた通り、駆け引きの下手なお方のようですね」


「なんだと?」


「そこまで段取りができているのなら、今更システィリア様に気を使う必要などないはずです。いずれ公になることなのですから。領地の件をシスティリア様に知られても、この場でなじられる程度で済むでしょう。

 それなのに答えをはぐらかしたということは、正式な領主に封じられるという条件を蹴った上で、決闘の申し出を受けた……ということなのですね?」


 マリーズの言葉に黙り込む。

 この場合の沈黙はほとんど肯定だ。


 システィリアが、希望の蘇った目で俺を見る。


「本当なのですか? レオナルド様は、なんの見返りもなしに決闘を受けたということなのですか?」


「……ちっ。ああ、そうだよ」


 俺は頭をかきながら渋々認めた。


「なぜ、ですか。さっきの騎士団への虚偽の報告もそうです。どうして、わたしのためにそんなことを……」


「システィリアの期待してるような返事はできねえよ。

 俺は単に、転がり込んできた貴族のご令嬢に同情して、しばらくはいればいいと思った。

 だが、思いのほか早く見つかっちまった。見つかっちまった以上は、システィリアの名誉のためにも、俺は遅滞なくおまえを送り返さなくちゃならん。

 俺の退役後の平和な田舎暮らしを維持するためにもな」


「そんなふうに、取ってつけたように悪ぶるのはやめてください!

 わたしは、名誉などかなぐり捨ててここにやってきたのです!」


「じゃあ、システィリアの本当の幸福のためにってことでもいいよ。

 言いたくはなかったけどな、おまえは全然この村の生活に馴染めてねえ。

 ベーキングパウダーや砂糖のある王都に帰ったほうが、おまえは生きやすいに決まってる。

 アイシャだってどうする? あんな名馬に田畑を耕させるつもりか?

 おまえはこの村じゃ場違いもいいところなんだよ」


「こ、心にもないことを言わないでください! すこしは、すこしは認めてくれてたはずです! 失敗ばかりでしたけど、それでもすこしずついろんなことを知って、覚えて……これからなんです! わたしは、レオナルド様のお嫁さんとしてやっていけるようになれます!」


「なれねえよ。なれるわけがねえ」


「レオナルド様!」


「なれるとしたところで、なんだってんだ? 叶いもしねえ夢を四十のおっさんに押し付けるのはもうやめろ!

 明日の決闘でわかるはずだ! パトリックは名門の出で、騎士団でも出世頭で、イケメンで、剣の腕も立って、貴族としての責任感もある! 公爵令嬢であるシスティリアをずっと守っていけるのはあいつのほうだ!」


 俺はそう叫ぶと、立ち塞がるマリーズを押しのけ、二階への階段を上っていく。


「レオナルド様!」


 システィリアの悲痛な声に耳を塞ぎ、俺は書斎へと立てこもった。






 安普請でガタが来たこの館は、住人のプライバシーを守る上では問題がある。


 俺は、書斎の椅子に座ったまま、階下から漏れ聞こえてくるシスティリアのすすり泣きを、耳から締め出すように努めていた。


「ふん、公爵家のご令嬢がこんな田舎代官の嫁になって幸せになれるものかよ」


 パトリックの言った通りなのだ。

 恋愛感情なんてもんは、時間とともに冷めていく。

 最初の気持ちが落ち着いてしまった時、システィリアの前に広がるのは、片田舎での肉体労働の多い退屈な暮らしという現実だ。

 俺みたいに身体を動かすのが苦ではなく、都会よりは自然の中にいる方が落ち着くって人間ならそれもいい。

 だが、公爵令嬢であるシスティリアはそうではない。


(いや、そんなこともないか)


 自ら馬の世話をし、土をいじって月待草を栽培し、最近は村にあるもので料理をするようにもなったシスティリア。

 牧草地で草を口に含んで、アイシャの好みを確かめたシスティリア。

 俺がボアファングに覆い被さられた時、秘呪でそれを撃破したシスティリア。


 システィリアは着々と、村の暮らしに馴染みつつあった。

 さっき、本人が言ってた通りにな。


「こんなことなら、すぐにエルドリュース公爵家に通報すべきだった」


 システィリアには恨まれたかもしれない。

 だが、システィリアに未練を残すような結果にはならなかったはずだ。

 その後も、なんのかんのと言って通報を引き延ばし、ついには虚偽の報告までしてシスティリアをこの村に置き続けた。


 なぜそんなことをしてしまったのか。


 その答えにはとっくの昔にたどり着いていた。


 そこで、書斎のドアがノックされた。

 他人行儀なノックは、システィリアのものではありえない。


「マリーズか。何だ?」


「よろしいでしょうか?」


「ああ、勝手に入れ」


 立ち上がる気力もなく、投げやりにそう返す。


 ドアが静かに軋んで、システィリアの侍女が入ってきた。


「お酒を召されているのですか? 明日は決闘だというのに」


 マリーズは俺の手元を見て眉をひそめた。


「どうせ負けるんだ。同じことだろう」


「勝ってもらわねば困ります」


「なんだ、おまえはそっち側なのか」


 パトリックと一緒に来たものだから、てっきりあっち側かと思ってた。


「わたしはお嬢様の味方です。エルドリュース公爵には恩義を感じていますが、どちらかを選べと言われれば、迷わずお嬢様を選びます」


「ならなおさら、システィリアに諦めさせるべきだろうが」


「お嬢様が本当にお諦めになると思いますか?」


 マリーズが言った。

 俺は口を開きかけ、そのまま閉じる。


「……時間が解決してくれるさ」


「本当にそう思ってらっしゃるのなら、レオナルド様の目は節穴ですね」


 俺は、システィリアが最初にここに来た日のことを思い出す。


 忘れもしない雨の日だ。

 ずぶ濡れのシスティリアは、喉元に短剣を突きつけ、自分をもらえと俺に言った。


「そのために、あんたがいるんだろう」


「システィリア様にはかわいがっていただいています。ですが、システィリア様は、最後には自分の意思を貫かれるお方です」


「そうだな。大人しそうに見えて、とんだじゃじゃ馬だ」


「そこまでわかっていらっしゃるのに、なぜ拒むのです?」


「どうやって受け入れろってんだ?」


「なりふりをかまわなければなんとでもできるはずです」


「システィリアと駆け落ちでもしろと?」


「それだって、できないことではないでしょう?」


「勝手に押しかけてきた娘のために、どうして引退後の静かな暮らしを投げ捨てる必要があるんだ?」


「本当にそう思うのなら、決闘など受けなければよいではありませんか。そうでもしなければご自分を納得させられないからこそ、勝ち目のない決闘を引き受けたのでしょう?」


 そう言われれば、そうなのかもしれない。

 そうじゃないかもしれない。

 自分でも、そこのところはわからない。

 事態を収拾するいちばんの方法だと言われれば、やはりそれは間違ってないとは思うのだが……。


「パトリック様の足止めならわたしが引き受けます」


「おい、何を言ってる?」


「駆け落ちするなら、今夜が最後の機会ですよ?」


「しねえよ、そんなこと」


 この歳になって、若い娘と新天地で一からやり直す?

 とんでもない、と思いつつも、奇妙に胸の弾む部分もあった。

 だが、現実を考えれば、そんなことは不可能だ。

 一歩を踏み出してしまえば、やっぱりできませんでしたなんて言い訳は通じない。

 俺だけならともかく、システィリアを破滅に追いやるような真似ができるはずがない。


「そうですか」


 マリーズが無表情に言った。


「……わかりました。ですが、明日の決闘では手心など加えることのありませんように」


「力は尽くすさ。尽くした上で負ける。人生ではよくあるこった」


 マリーズが書斎から出て行った後、俺はランプの灯りの中で、いつまでもいつまでも、ただひたすらに宙を睨み続けていた。

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