17 話し合い
俺はパトリックを書斎に通す。
システィリアは、侍女であるマリーズと一緒に、一階の食堂で待ってもらってる。
「それで、どうするつもりなんです?」
どちらかが書斎の椅子に座るのも変だったので、俺もパトリックも立ったまま机の前で向き合ってる。
「腹案はある」
パトリックが言った。
「あんたにはいつだって腹案がありますね」
「感情だけで乗り込んでくるほど世間知らずではないのでね」
パトリックは額に垂れてきた髪を払いながら言う。
「部下に婚約者を寝取られたなんて思われたら貴族社会では生きていけない。仮にも騎士団にいたならわかるだろう?」
「よっくわかりますよ」
「君は、彼女のことを愛してるのかい?」
「……保護してた以上、情は感じてますよ」
「彼女と違って、君には現実が見えてるんだろう?」
「そうですね。普通に考えて、そんなことが認められるわけがない」
「彼女に手を出していないと誓えるかい?」
「その答えによって、あんたは態度を変えるんですかい?」
「そういう問題じゃないよ。彼女が一方的に押しかけたのか、君と通じ合った上での行動だったのかってことさ」
「……あんたはもう村で裏を取ってるんでしょう?」
「当事者の口から聞く必要もある」
「俺が彼女をたぶらかして、自分の村に来るようそそのかしました……なんつって、信じる奴がいるんですかい? こっちは四十の、退役した非正規騎士なんですよ?」
「そうだろうね。正直、今になっても彼女の気持ちがわからない」
「あんたがまだシスティリアの婚約者だって言うんなら、自分で彼女を説得すべきなんじゃないですか? 彼女の気持ちを理解することまで含めて、です」
「僕にはわからないと思うよ。晩餐会や宮中の案内役でちょっと接点があった程度の相手に入れ込む女性の気持ちなんて」
「それなのに、迎えにきたんですか?」
「このままでは、彼女が不幸になるのは目に見えてる。実家からは絶縁され、生まれ育った王都とは何もかもが違うこんな場所で一生を終えることになる。遠からず後悔するだろう。君への恋情だって、時とともに冷めていく。そうなった時に、生活に追われる村での暮らしは、大公爵家で何不自由なく育ってきた彼女にとって、耐えがたい重しになるだろう」
「……そうとも限らんでしょうが」
つい、そう口にしてしまう。
(今のシスティリアなら……あるいは)
いろんなトラブルはありつつも、システィリアは村の中に徐々に居場所を作りつつある。
俺も、館の中に俺以外の人の気配があることに慣れてきた。
(だが、こいつの言うことも、たぶん正しい)
俺は、しょせんただのおっさんだ。
今はまだのぼせ上がってるシスティリアも、いずれ俺がただのおっさんでしかないことに気づいてしまう。
そうなった時のシスティリアの落胆はどれほどだろう。
見込み損ないだったと知って、俺を蔑みとも怨みともつかない視線で睨むシスティリアを想像し、俺は思わず顔をしかめる。
「君も知っての通り、貴族の世界は嫌なことも多いよ。
でも、裕福であることは間違いない。つらい労働をせずとも生きていける。病気になれば医者も呼べる。子どもに手厚い教育を受けさせられる。いずれも、この村では望めないことだ。
彼女が手放すことの多さを思うと、僕はとても、システィリアが君と結婚すべきだとは思えない」
俺は黙り込む。
俺自身、その通りだと思ってきた。
システィリアの幸せを本当に思うなら、心を鬼にして彼女を実家へ送り返すべきなのだと。
だが、それができないまま、ずるずるとこんなにも時間が経ってしまった。
「君のことを馬鹿にしているわけじゃない。君は、目立つタイプじゃないが、優秀な非正規騎士だった。今は優秀な代官でもある。ただ君は、システィリアの夫としてはふさわしくない。住む世界が違うんだ」
「……そうっすね」
反論の言葉は浮かばなかった。
苦い、苦い感情を飲み下し、俺はかろうじてそう言葉を返していた。
「それで、あんたの言う腹案っていうのはなんなんです?」
俺が聞くと、パトリックはうなずいた。
「こうしようじゃないか。君が僕に決闘を申し込む。僕が君を倒す。彼女は僕のものになる」
「俺から申し込むんすか?」
「僕から申し込んだらそれこそ悪評が立ってしまうよ。
もちろん、ただでとは言わない。君に不名誉を呑んでもらう代わりに、僕は君をこの土地の正式な領主に封じよう」
「今と何か変わるんですか?」
「君の子どもがこの土地を相続できるようになる。徴税権も君のものになるから、税率も自分で決めていい」
「俺、子どもとかいないんすけど」
「そうだったね……。
なら、爵位に見合った結婚相手の世話をしようじゃないか。
うちの屋敷でそろそろ奉公を終える下級貴族の娘がいる。歳は行ってるが、それでもまだ25だし、見た目もそんなに悪くない。十人いれば何人かは美人だと言うだろう」
「その条件で結婚できてない時点でどうかと思うんですが」
「メイドとしては優秀なんだが、男性を寄せ付けないところがあってね。貴族のボンボンには評判が悪いんだ。でも君なら、彼女を適度に尊重しながらやってくことはできるだろう? 働き者だから、この村での生活を苦にすることもないはずだ」
「ふぅん……」
「決闘も、もちろん怪我を負わせるようなことはしないと誓おう。それらしく見せるために、君には全力で向かってきてほしいけどね。僕の腕は知っての通りだ」
たしかにこいつなら、俺が全力で斬りかかったところで、涼しい顔で切り抜けてのけるだろう。
(平民出のほうが根性があるとか言う奴もいるが、貴族出の騎士のほうが腕は立つんだよな。家をしょってる分、根性だって座ってる)
なにせ、騎士になるために幼少時から毎日鍛錬を積まされてる。
もちろん、親のコネで騎士になったろくでもない貴族出も少なくない。
だが、ノージック王国には、そういうろくでもないボンボンを軍の重要な職につけないような仕組みがちゃんとある。
小国だから、ボンボンを要職に座らせると、すぐに国が傾くのだ。
だから、この国の貴族は――とくに武門として有名な貴族は、息子を徹底的に鍛え抜く。
剣技や乗馬だけじゃない。兵法を始め、ありとあらゆる教養を幼少期から詰め込むのだという。
そういうふうにして作り上げられたのが、目の前にいるパトリック・フィン・ローリントンというエリート騎士だ。
(生まれながらの格差社会ってわけだ。生まれた家がその後の人生を大部分決めちまう。ま、貴族の世界も大変だが)
騎士団にいればいやでも貴族社会の嫌な面を見ることになる。
いくら裕福になれると言われても、俺はとても、立身出世したいとは思えなかった。
「……ひとつだけ条件があります」
「なんだい?」
「俺が負けたらここの領主に封じられる、というのは困ります。俺が勝ったらにしてください」
俺の言葉に、パトリックが眉をひそめた。
「それでは君にメリットがないだろう。
君は、まさか僕に勝つ気でいるのかい?」
「まさか。ただ、システィリアに、領地ほしさにわざと負けたと思われたくないってだけです」
「君は僕に決闘を申し込んで負けた時点で、かなりの不名誉を背負うことになる。その代償として、土地と結婚相手の世話を申し出たつもりだったんだけど」
「今さら少々不名誉が増えたところでなんだっていうんです? そんなの、貴族連中しか気にしません」
「それよりは、彼女に義理を立てるほうが大事だと?」
「そうでなくちゃ、システィリアも次の人生に進めませんよ」
俺の言葉に、パトリックがわずかに目を見開いた。
そして、俺のことをじっと見る。
俺が本気で言ってることを、信じあぐんでるかのように。
「……わかった。君がそれでいいというのなら」
パトリックが、まだ半信半疑の顔でうなずいた。
俺は、意地悪く聞いてみる。
「……俺がシスティリアに手を出してるかも……とは疑わないんすか?」
「君の甲斐性のなさを信じてるよ。
……というのは冗談だ。マジな話をさせてもらうと、たとえ君が手をつけてたとしても、僕はそれを表には出せないってだけさ。貴族だからね」
「大変すね……」
初めてこの上司に同情した。
「実際、暇を持て余した貴族のご婦人の中には、よからぬ火遊びをするものもたくさんいる。火遊びの結果、めでたくないおめでたになることも、しょっちゅうとは言わないがまれにあることだ」
「は、はあ……」
「でも、貴族家を預かる夫が、妻の不貞を糾弾するわけにはいかないんだよ。もちろん、表向きは隠しながら蟄居させるとか、産んだ子どもを影で『処分』するとか、そういったことはやってるはずだけども」
「聞きたくない話ですね。
でも、愛情のある夫婦だっているんでしょう?」
「もちろん、まったくいないわけじゃないさ。仲のいい夫婦だってたくさんいる。
不貞を働いても離縁はされないが、そうした愛情ある夫婦になる資格を失う、ということだね。
もっとも、夫に愛情がないから不貞に走るという面もあるんだろうけど」
「あんたはどうなんです?」
「僕は僕なりにシスティリアを愛してる。
でも、システィリアはそうじゃなかった。
そのことにどう気持ちの整理をつければいいのか……僕だっていまだにわかってない」
珍しく、弱気なことをパトリックが言った。
「今回の場合、初夜になれば君の言ってることが本当かどうかはあきらかになる。君たちが嘘をついてたとしても、僕は表立って糾弾はしない。ただ静かに、妻を愛情の対象から外すだけだ。貴族の妻としての務めは果たしてもらうが、それ以上のことは望まなくなる。僕も、進んでそうしたいわけじゃないけどね」
「俺の言ってることが本当でありさえすれば、あんたはシスティリアを愛せるんですかい?」
「……努力はするよ。今回のことは残念だったけど、まだ始まったばかりなんだと思ってる」
「貴族っていうのも大変ですね」
「貴族じゃなくてよかった……と言いたそうだけど、僕はそうは思わない。貴族に生まれたのは、恵まれていたと思う。
君は、非正規騎士だった。さいわい、君の任期中に大きな戦争は起きなかった。でも、もし戦争が起きていたら、君は上官の命令一つで死地に赴かねばならない立場だった」
「戦争が起きたら死ぬのは、貴族出の騎士も一緒でしょう?」
「でも、貴族なら、自分の死に場所を自分で決められる可能性が高い。どうしても生き延びたいなら、部下を囮にして逃げることもできる。高位貴族なら、捕虜になっても身代金交渉で生きて帰れる可能性もある。
まあ、僕は名誉を失うくらいなら、いっそ討ち死にしたいと思うけどね」
「たしかに、俺たち非正規騎士なんざ、上官が無能だっただけでその尻拭いで死にかねない身分ですね。その方が、ある意味気楽かもしれませんが」
「君の言う通り、ある意味諦めはつくのかもしれない。
でも、考えてみたまえ。君は独身だけど、もし君に奥さんがいたら? まだ小さい子どもがいたら?
それでも、君はここで死ぬのも運命だと言って諦められるのかい?」
パトリックのセリフに、俺は返す言葉が見つからなかった。
もし将来、俺がシスティリアと結婚し、家庭を築いたとしよう。
貴族としては裕福とはいえないが、質素で快適な暮らしだ。
子どもも何人かできるだろう。
だがその時、なんの前触れもなく戦争が起こる。
俺は貴族の義務として出征することになる。
運悪く、無能で人を人とも思わない正真正銘のクソ貴族の部隊に配属される。
もちろん、一応準男爵とはいえ平民出の俺に、作戦に口を挟む権限なんてない。
さらに、そのクソ貴族は、何年も前に王都でシスティリアを見初めて横恋慕していた。
その夫である俺に激しい嫉妬を抱いたその貴族は、俺の部隊に次々と危険な任務を割り当てる。
そんな中で死んで、それでも俺は、これが俺の運命だと割り切れるだろうか?
最期にシスティリアをもう一度抱きたいと思わずにいられるだろうか?
遺される子どもたちの成長を見ずに、安心してあの世へ行けるだろうか?
「わかるだろう? たしかに、君のような生き方には気楽さがあるかもしれない。
だが、それが通じるのは今が恵まれた時代だからにすぎないんだ。
いや、平和な時代にだって、貴族のあいだでは常にいざこざが起こってる。その累が、いつ君の身に降りかからないとも限らない。
僕は、自分の運命を他人に委ねるなんてまっぴらごめんだ。
だから、僕は貴族に生まれてよかったと思う。それに伴う義務があるというのなら、喜んでそれを果たそうと思う」
パトリックは言葉を切って俺を見た。
「システィリアが君のところに嫁いだところで、実家が公爵家である事実はなくならない。
もちろん、女は嫁いだ先の家の者と見なされるけど、事実として公爵の娘であることに変わりはない。
そこから生じてくるごたごたのすべてを、君は適切に処理し、彼女を守りきることができるのか?」
返事をしない俺に、パトリックが視線をそらす。
「彼女は僕が幸せにする。そのために最大の努力を払うよ。君は安心してくれていい。そりゃ、こういうことがあった以上、最初はぎこちなくなることもあるだろう。でも、それは時が解決してくれるはずだ」
「……そうですか」
「この館は客間がないからね。それに、同じ館にいても気づまりだろう。僕は隣の村まで行って宿を取る。決闘は、明日の朝、正午前ということでどうだい?」
「わかりましたよ」
話し合いが済むと、パトリックはシスティリアに顔を合わせないままで館から出、乗ってきた馬に跨り、駆けていった。
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