第40話 相関

 窓が白光で目映い。

 壁に掛かる時計は八時前を示していた。

 朝だ。


 従者のベッドは、ぴしっと片付いていた。主なき後も、主を思わせる佇まい。折り目正しく、清々しいシーツ。

 物質の確定には、物質が関与する。存在同士が影響を及ぼし合う以上、従者のベッドが従者然とした姿を現すのは道理だろう。

 勇者は清廉なるその依代を眺めた。本体を直接見詰めるのとはまた異なる。自身に内在する彼女の姿をより鮮明にさせる気がした。


 ・・現実とは、なんであろう。たとえば、記憶と妄想との差異を客観値によって明確化することは可能だろうか。

 そもそも記憶は、眼前に展開された事象をそのまま複製し保管したデータ、ではない。例えば視覚は、眼球が捉えた光を電子信号に転換し、それを脳が映像情報に再編したものである。脳の都合により、いとも簡単に改竄される。その改竄された情報を、再生した際の感覚や感情とともに残したものが、或いは記憶だ。

 一方の妄想は、自身が恣意的に取捨選択した素材を以て、自身の都合により構築した思考情報、とは限らない。おおよそ思考とは、自ら主体的に構築しているものと思われがちだが、組成要素や周辺環境によってと考えたほうが実際的であったりする。

 つまり。思い込みを排除したなら、我々にその二つを区別することは難しく、また区別することに意味など無いのかもしれない。

 記憶にしろ妄想にしろ。それが物質もしくはエネルギーとして発生する以上、物質たる自他に影響を与える。

 その相関こそが、すなわち現実として認識されるものではなかろうか。



 かちゃっ・・


 ドアが、開いた。

「あ、勇者様! お具合、如何ですかっ?」

 晴れやかなる笑顔。柔らかな瞳。耳に心地よい声音。瞬時に全てが入る。勇者を取り巻く全てが変わる。いや組成される。その後、この奇跡のような瞬間を堪能する。その健気な姿に心が震える。・・実際には、認識以前に振動しているのだが。


「・・本当にありがとう。リンちゃん。感謝の言葉もない。・・もう、全く平気です」

「無理しちゃだめですよっ!しっかりと休まないとっ」

「実は、猛烈に腹ペコ、でして・・」

「あっ!ごめんなさいっ。すぐにご用意しますからね!」

 従者は換えのシーツやタオルを置くと、急ぎぱたぱたと走り去った。


―― なぜ。あんなにも可憐なのだ?

 しかも。

 その言動が僕に向けられていて。


 ・・あり得ない。

 あまりにも、奇跡的に過ぎやしないか?


 この世界の存在自体。

 僕にとって、都合が良すぎるように思えてしまう。

 ・・夢でも見ているんじゃないのか。

 いや。誰かの夢を演じているのか。


 仮に、そうだとしても。

 僕は僕で、リンちゃんはリンちゃんだ。


 ・・この奇跡は、色褪せない。


 

 優しく可憐で柔らかく艶っぽい。

 瑞々しくって清らかで。


 だから。

 猛々しく、奪い。

 汚濁を以て、染め上げたい。

 

 もしや。

 ・・都合が良いのは。

 ・・・僕でなく世界、なのか?

 僕は、・・・配置された?



 対極の衝突

 あらゆる融合と、昇華


 ならば、畏れる必要はない。

 進むのみだ・・ ――




 従者の持ってきてくれたお粥を勇者はがつがつと掻き込んだ。

「そんなに急いだら毒ですよ」

「・・、細胞たちが、大口を開けて待っているのです・・おかわり」

 従者は五杯目のお粥を椀によそりながら、心配そうに勇者を見つめた。

「勇者さま、いきなりそんなに食べては、胃が受け付けませんよ?」

「・・、胃袋には、自信があるんです。・・頼りになるヤツで・・あと、肉ありますか?ニンニクも欲しいところです・・おかわり」

 従者は目を丸くしたまま、空になった鍋を抱えてぱたぱたと走り去った。



 大量の栄養素を取り込み、従者を存分に驚愕させた勇者は、最後の肉片を口に放り込むと頭を下げた。従者に対し。生を与えてくれた全てに対し。

 従者に促され、くちくなったお腹を抱えて横になると、緩やかに世界が解けていった。

 白い光が、溢れゆく。

 気付けば、光の色が変わっていた。

 目の端に見えた時計の針は、昼過ぎを示している。微睡みとも感じぬうちに、三時間も経過していた。


「おう、勇者どの」

 ウランの声だ。勇者は慌てて身を起こそうとしたが、声が制した。

「そのままでよい」

「いや、すっかり良くなりました」

「だが、寝てなされ。驚異的な回復力、流石じゃな。・・身体には、すっかり力が巡ったろうが、血はまだ薄かろう。ちと話をさせて頂くでな、横になっておるがよい」

 ウランは従者が用意した椅子に腰掛けた。そのとなりに初老の神父が座った。

「従者殿も、突っ立っておらず座りなされ。勇者殿の手を握ってあげたらよい。ほほ、赤くなって可愛いのう・・勇者殿。まずは、回復されて何よりじゃ。めんこい従者殿のお陰よのう。・・こんなときはギンギンになるものじゃろうが、まあ控えなされ」

 神父の肩が、ぴくっと上がる。従者は反応なし。

 ウランは少し残念そうに首を傾げてから、続けた。

「さて、勇者殿。神父殿にご足労を頂いた。まずは神父殿よりそなたの心身につきお話を頂くが、よいかな?」

 勇者は神父に向かい、横たわったまま頭を下げた。神父もにこやかに応じた。

「勇者様。ご快復、誠におめでとうございます。本当に、良かった。・・覚えておられますでしょうか。勇者様は、かなり深刻な呪いを得ていたはず。私も、現場に赴きました。火龍を贄にし、その大半を御祓いなされた。実に見事なお手際。残るモノは私の方で祓いました。・・しかし妙なことに、いくつかのモノが祓っても祓っても、戻ってきてしまうのです」

「・・戻って?」

「ええ。呪いとは、私なる願い。祓いによって念願が叶えば、霧散するのが常なるはずです。・・ひょっとすると。祝いに、転じたものかもしれません」

「祝い?」

「公なる願い。・・勇者様の中に入り。何かを感じ、成すことを輔けようと転じたのか。勇者様の右手の中指から、離れようとしないのです」

「ふん、色男め。憎いのう」

 ウランの言葉を聞き流し、勇者は右腕から中指までを擦ってみた。

 剣から呪いを貰ったとき。右腕は、氷のようになった。今は通常に復している。だが、中指だけは氷柱のようだ。

「中指の冷えは霊障ですね。しかし、邪気はありません。むしろ、とても健やかな気に溢れている。血流もよく、肉体的には全く問題ないはず。勇者様、痛みはありますか?」

「いえ、まったく」

「昇天を拒み、勇者様に宿ることを選んだモノたちです。害を為すことはなく、むしろ勇者様を護りましょう」

「火龍を倒し、守護精霊を得たか。・・男子三日会わざれば刮目して見よ、じゃなあ」

 ウランの言葉に、勇者は首を横に振る。

「運が良かった。・・それに、僕は一人ではなかったのです」

 勇者が呟くように言うと、ウランは兜を取り出した。

「火龍の上に倒れていたそなたが、抱えていた兜じゃ。その兜、実に強い気を発しておったぞ。・・勇者殿が森の掃除屋どもに食われずに済んだのは、奴らが火龍に怯えたこともあろうが、その兜のお陰でもあろうな」

 黒羽根の兜。目にした途端、骸骨戦士たちの顔がより鮮明に浮かび上がってきた。


 勇者はぽつぽつと森での出来事を語った。言葉にできることは限られていたが、思い浮かぶ感触を丁寧に拾った。

「・・勇壮。見事であった。・・勇者殿の推測とおり、その一団はゾルディック橋に籠もった者達の一部じゃろう。指揮官自ら、斥候に出た。物語は変わった。えにしじゃなあ」

「・・・縁」

「うむ。・・どれだけの出逢いと別れとが繰り返されてきたのか、想像すら出来ぬがな。まみえるたびに何かが生まれ、別れるたびに何かを託す。・・違うか?」

「え?」

「勇者殿は、その行く末を求めているのじゃろ?見据えようというのじゃろ?瞳で夢を語り乙女らを誑す、全く悪い男じゃなあ!」

「・・・ら?」

「誑される乙女は、わしばかりじゃないぞ?幼気な従者殿や、おそらく精霊たちもそうであろうよ!」


 嬉しそうにはしゃぐウランを神父が窘めた。

「冗談が過ぎますと、勇者様に障ります」

「ふん、リキよ。偉くなったな。寝小便は治ったか?」

「半世紀以上も昔のことを。そろそろ老人性のが始まらないか、もうドキドキ。そうじゃなくってウラン様、剣のことです」

「ああ、そうじゃった」


 神父に促されたウランは、傍らに立て掛けていた剣を勇者に見せた。

「・・それは、呪いの?」

 勇者の問いに神父が答える。

「龍の血で浄められたのでしょう。もはや呪いは宿らず、英気に充ちます」

 白銀に輝く鞘と、渋い黒銀の柄。もともと精緻な装飾が施され壮麗な装いであったが、若返って更に重みを増したように見えた。

「勇者殿、手に取ってみるか?ちと体を起こせるかな?」

 ウランの言葉を受け、従者が勇者を支え起こした。ウランは嬉しそうに目を細める。


「・・これは」

 剣を受け取った勇者は、思わず呟く。

 剣から伝わる並々ならぬ、気。

「本物じゃからな。血を受け、呪いの宿から転じた。そなたに同様に、あしたへと越えしものだ。・・見事じゃろう?」


 集まり、散じ、また集まり。一体どれほどの深淵を越えてきたのだろう。闇と対峙する度に光射す彼方を想う。

 この生が、無意味な集積だとしたならば、どうして風は心地良く響くのか。どうして雲に優しさを感じようか。


「・・骸骨戦士スケルトンと僕とこの剣は。若い火龍を殺しました。・・漸く解った。龍も含め、僕らは響いていた・・」

「・・それが、絡合らくごう。世界をそうとみれば、食うも食われるも同じこと。・・じゃがなあ。佳き響きと悪しき音とがやはりある。深淵を越えてきた響きは、清廉じゃよ」


 ウランの、言葉。

 触れる心に、耳を澄ます。

 ・・どう、響くだろうか?


「さあ、鞘を払ってみなされ」

 促され、鯉口を切る。

 音もなく刀身が現れた。

「綺麗・・」

 従者が呟く。


 赤よりも明るく。

 紅よりも深く。

 朱よりも色濃く。

 丹よりも澄んでいて。

 気高き光を放つ、刃。


「さあ、名付けよ」

「え?」

「これほどの業物ぞ。名を授けねばなるまいよ。・・勇者殿、どうじゃ?」

「えっ!・・うーんと。あ、『赤い剣』?」

「どあほうっ!・・センス無しじゃ勇者殿。リキ、いや神父殿。どうじゃな?」

「えっ!・・く、『紅の剣』?」

「揃いも揃ってナンセンスじゃな、お主ら。いや、節穴か?・・色が見えておらぬ。赤は土の色。紅は植物。ちなみに朱は木、丹は鉱物じゃ。・・この色、丹でもないな。もっと澄んでいて強い。うーむ、従者殿。助けてはくれんかのう?」

「えっ!わかりませんっ!・・でも、本当に綺麗ですよね。・・夕焼け。いえ、暁を払う空の色、かしら・・」

「・・払暁か。やるのう。決まりじゃ!」


 『払暁』


 暗闇を越えて達したこの剣に、確かに相応しい名かもしれない。

 巨きな光源をその奥に持つような、震えるような気を発する剣である。

 見惚れる勇者にウランは続けた。

「それとな、勇者殿。火龍じゃが。あれの処分は、儂に任せて貰えぬか?」

「もちろんです。是非、お願いします」

「ありがとう。亜成獣といえ、丸々一体の火龍など、そう手に入るものではない。街が潤うと共に、不届き者がざわつくでな。遠慮なく、差配させて頂くぞ」

「よしなに」

「それはそうと。一日二日もすれば、歩けそうだの?」

「もう、今からでも」

「ふん。ギンギンは解るが、まだ寝ておれ。よし、祭りは明後日からじゃな」

「祭り?」

「そなたの帰還を祝ってな。三日三晩の焼肉パティーじゃ」

「ありがとうございますっ!・・でも、三日三晩は、胸焼けしそうですね?」

「莫迦をいうでない。爺でもあるまいに。のう、神父殿?」

「私は爺です」

「ふん、つまらんの。のう、従者殿?」

「えっ?・・えっと、その・・」


 困り顔の従者を嬉しそうに眺めながら、ウランはひょこひょこと出ていった。神父は深く頭を下げてから、その後を追った。従者は勇者に微笑んでから、見送るために二人を追った。

 なんと明るく、柔らかな空間であろうか。森と地続きとは、信じられないくらいだ。


 いや。全ては繋がっている。

 角度が変われば、色も変わる。

 受け取る感覚が異なれば、発する気も異なってくる。それらが巡れば、場が変じる。


 ウランが言うように。

 佳き響きと、悪しき音。

 それらは、成り立ちに作用する。

 勇者は『払暁』を鞘に収めてから、黒羽根の兜を眺めた。


―― 響きを残し、逝った。

 僕を通して、皆に響いた。

 誰かに吸われ。

 変じながらも。

 いつかまた、響くのか。

 

 それも。

 あいつの、一部か・・ ――



 兜は、何も言わない。

 だが。そこに有った。

(つづく)

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