第18話 発現

 勇者は、教会に到着した。待ち合わせの時間より少し早めだ。

 従者は、まだ来ていない。


 『オーラル教会大学』に併設された教会は実に立派な佇まいをしている。

 濃紺色の煉瓦レンガで組まれたおおとりのようなその姿は、白亜の大理石を多用するオーラルの町によく映える。『碧の聖顕』と呼ばれ、人々に愛されてきた。


 教会大学は『教会学会』が運営する教育機関兼研究所である。大陸中に周く設置されており、施設としての重要拠点である。『教会学会』はこれらの大学で魔軍に対抗するための人材を育成し、魔法や武具の開発に勤しんでいる。

 オーラル教会大学は、その実績により教会大学における首位的地位を長く保ってきた。



 勇者は巨大な柱に身を預けて、ぼうっと町並みを眺めていた。

 町の中央に位置する教会の前には、南北を貫く大通りが走っている。通りには沢山の商店が軒を連ねる。教会からは、一直線に続く町並みが遥か遠くまで眺望できた。

 そろそろお昼時だ。大通りには沢山の人が溢れ、賑わっていた。


 まるで中空を飛び交う分子のように、てんでばらばらに動き回る人々。

 個々には、意思も目的もあろう。しかし、こう俯瞰すると実に無意味不明瞭な動きに見えてしまう。



 ところが。そのとき。

 妙なことが起こった。



 正午のが中天に輝くなか。

 遥かな先、光射す街路樹の下。

 無軌道に飛び交う分子の一部が、規則的な動きをし始めたではないか。何かに吸引されるように、揃って一律に動き始めたのだ。

 まるで、巨大な質量を持つ物質が現れ、周囲の物質が集まり動くよう。

 ・・しかもその現象は。さざ波のように、こちらに向かって敷衍してくる。


 現象の中核が、見えた。

 

 海を切り開き。

 波立て進む、耀く舟のよう。

 いや。舟首に奉られる、女神のよう。


 ・・そうじゃない。

 女神は。あのように愛らしく、息せき切ってぱたぱた走りはしないだろう・・


 女神よりも可憐で初々しい存在が、さざ波を起こしながら一直線に向かってくる。


 


 足元から頭頂目掛けて、ぶるぶると震えが走った。全身に、鳥肌が立った。

 身体中の細胞が大きく膨らみ、振動する。


 大地の祝福を、吸い上げている。

 それに気が付き、漸く心が躍動した。



―― ああ、リンちゃん・・ ――



 衆目を集めざるを得ない、その麗しさと愛らしさ。その存在に気づいた周囲の存在が、瞬時心奪われ動きを止めて、彼女の動きに同調していく。まるで、波動のように。



 勇者に気づいた彼女は、走りながら大きく手を振った。


「ゆーしゃ、さぁまーっっ!!」




 今 この瞬間とき

 千千に裂かれて

 青味泥あおみどろの獄に囚われて

 漆黒の果てに流されようとも


 落ちた種は確かに開いた

 無空の狭間に色を飛ばし


 風と光に

 響きし金色こんじきの時は 今


 銀鱗ぎんりんの背に乗り 永劫を翔び超え

 久遠の調べに 輪環は成る


 



 沸々ふつふつと、沸き上がった。

 熱い血潮に、包まれた。



 手を振る笑顔。

 揺れるその肢体。

 溢れるような生命力。



 全てはここに。

 この、ために。







「はあっはあっ・・ごめんなさいっ・・お待たせ、・・しちゃいましたっ・・?」


 肩で息をする娘。吐く息は甘く爽やかで。赤く火照った頬に薄く汗が浮かぶ。

 娘は、勇者の密度を一気に高めた。勇者の身体は、娘の体温に同調した。娘のなかの小さきものたちは、勇者の心に響き舞い上がり、広がり消えた。

 溢れ流れてしまいそうな熱情を必死に押し留めながら。勇者は俯き、微笑んだ。


「・・今ね。・・僕は、来たところさ」


 輝く太陽に暖められた空が。

 ふうわりした風を、二人に贈った。




 勇者は小箱を取り出し、従者を伴い教会に入った。そして、手にした小箱を神父に差し出した。

「この箱なんですが。魔法が掛けられているようなんです。解錠できますか?」

 手渡された小箱をじっと見詰める神父。

「・・これは。・・勇者殿、どこでこれを」

「オピニクス橋の上に居た、変な爺さんから貰ったんです」

「・・オピニクス、ですか。・・これは、とても古い魔法が掛けられています。しかも、かなり高位の・・」

「古い魔法?開けられませんか?」

「私にはとても・・。アルシアのオシリス派寺院の僧侶ならば、あるいは・・」

 オシリス派寺院とは、オシリス神殿が廃れ崩壊していくなか、再興を期して古都アルシアに逃れた僧侶たちの寺院である。

 だが、オシリス神殿が再興されることはなく、その神殿は今や妖魔たちの巣窟と化している。



「アルシア・・これ、何が入っているのでしょうね?」

「判りません。強い魔法で完全に封印されてます。謂われある物かも知れませんな」

 神父は小箱を捧げるようにして勇者に返した。勇者は受け取ると、無造作に背負袋バックパックに突っ込んだ。


 用は済んだといわんばかりに、従者は神父に頭を下げそそくさと出口に向かう。その腕を、がしっと掴む勇者。

「リンちゃん、まだだよ。神父さん、僕らの獲得経験値EP の測定をお願いします」

 朗らかに了承する神父。従者は「ううっ」と顔を曇らせた。


 ・・やはり。

 従者は経験値を獲得していた。・・弓による誤射で、経験値を得ることはない。儀式によるものだ。儀式が、従者に経験値を獲得させたのだ。しかも、なかなかの値。弓の指導にも効用があったのだろうか。

 従者は赤くなって下を向いていた。


 勇者は従者の手を優しく取ると、出口へとゆっくりエスコートした。もはや、駄目押しは無用。・・本人が確信を得て受け入れた以上は、ただ抱き締め支えるべきなのだ。


「リンちゃん。・・ごはん、食べようか?」

「あ、はいっ・・」

 硬く閉じてしまった蕾を再び開かせるためには、両手で包み丁寧に温めるしかない。


「辛い思いを、させてきた。・・すまない、リンちゃん。贖罪になりはしないけど、僕は可能な限りリンちゃんの笑顔に尽くしたい。たとえ、束の間であっても。リンちゃんに、豊かな時を過ごして貰いたい」

「・・・」

「・・どうしたら、笑ってくれるかな?」

「・・・」

「教えて、貰えないかな?」

「・・・勇者さまにも、恥ずかしい思いを、して欲しいです・・」

「おお、いいね!どうしたらいいのかな?」

「・・・」

「教えて、欲しいな」

「・・・えっと。素敵なお店があって。・・そこで、ランチを御馳走して頂けますか?」

「へ?それでいいの?」

「・・はい」

「もちろんいいよ。よし、行こう!」

「はい!」

 従者に、何か策でもあるのだろうか?顔を赤らめながらも、漸く嬉しそうに笑った。勇者の手を取ると先導するように歩きだした。


 ・・手を引かれながら。

 勇者は無上の幸せに酔いしれていた。

(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る