第17話 主意

 扉のなか。薄暗い通路を進む。

 甘い香りが纏わり付くように漂う。

 佳い香りだが、なんとなく剣呑なものを感じさせる。・・進むと、戻ることができなくなってしまうような。


 通路を抜け、開けた部屋に出た。

 漸く目が慣れてきた。

 大小様々なものが並んでいる。


 奇妙な形状をしたモノたち。

 乱雑に置かれているように見えるが、注意してみれば、それがかなり巧妙に配置されているのが分かる。

 魅せられて。奥へ奥へと誘われる。

 まるで迷宮だ。広さも把握できない。

 甘い香り。沼の底のような薄暗闇。

 目の前に並ぶ、妖しく奇妙なモノたち。

 異形の神々に捧ぐ贄のような。

 深淵へと続く、参道のような。


「あら、勇者様」

 勇者が双頭の蛇のようなモノを手に取り眺めていたら、後ろから声がした。

「あ、ウエアヌスさん!」

 勇者が振り向くと、白いドレスに身を包んだエルフが立っていた。ここ『セクレタン』の店主である。『セクレタン』は大陸中の好事家らが訪れる『紳士淑女の嗜みの店』だ。


 さらさらとした銀色のロングヘアに薄翠色の瞳。つんと尖った耳。純白のロングドレスの肩も露に、大きくV字に切れ込んだ胸元。ドレスより尚一層白い肌が剥き出しになり、周囲の光を吸い込みながら輝いていた。豊満な胸が視線を絡め獲る。肘まである白いサテンの手袋が、また妄想を掻き立てる。ドレスの長い裾はくるぶしまであるが、股下真ん中に大胆なスリットが入っていて。真っ白い脚がちらちらと見え隠れする。勇者の脳に繋がる視線は、ウエアヌスの胸元と股下とに柔らかくぶつかりながら行ったり来たりした。


「まあ、わたくしの名前、憶えていて下さったの?」

「お綺麗な方からの頂き物は、忘れません」

「お上手ね。でも勇者様、わたくしの身体ばかりでなく、顔を見てお話くださいな」

 そう言ってウエアヌスは微笑んだ。

 ・・勇者の直感は、正しい。

 その笑みは。あまりにも美しく、危険だ。

 従者の笑みも魅惑的で、勇者を虜にする。しかし、とりこまれた勇者の心は従者の力と交わって『開放形』、即ち外界への放出へと働く。

 しかし。ウエアヌスの笑みの。虜とされたなら。巨大な物質に吸引され『離脱不能』となるように。やがては溶けて吸われて取り込まれ、養分とされてしまいそうな。


「まあ、ひどい。採って食べたりしないわ」

 ウエアヌスは可愛らしく怒ってみせた。その姿すら、妖艶に過ぎる。彼女は思考を、いや無意識界すらを吸引する。

 勇者はへこへこと謝りつつ、ウエアヌスに顔を向けながらも目を合わさない。視線を胸元に固定する。

 ウェアヌスは、豊満な胸の下で腕組みをする。ほっそりとした身体には大きすぎる胸が持ち上がった。そしてゆっくりとサテンの手袋に包まれた人差し指を立て、自らの頬にぴとりと当てた。ちょっと考えるような仕草。一挙手一投足が、実にエロテックだ。


「清楚で可愛らしいあの子は、ご一緒では、ないの?」

「・・ええ、いまショッピング中で。僕だけ来ました」

「ふふ。いけない勇者様。あの可愛い子に、ナイショでいけないモノを買っちゃうのかしら?」


 勇者がこの店を訪れるのは二度目である。

 前回は不覚ながら、従者を伴って来てしまった。裏通りに迷い込んだ二人は、偶々たまたまあの扉の前に出た。勇者はその扉の意味を、知識として有していた。故に、あまりの僥倖に浮かれてしまい、つい扉の中に想いを馳せてしまった。勇者が扉の前で脳内世界を拡張していたら、従者が「このお店、気になるんですか?入ってみましょうよ。・・あ、この扉、おっもーい・・!」と言いながら入ってしまったのだ。

 もっとも。レベルが高すぎたらしく陳列されたモノがなんなのか従者には全く理解できなかった。「このお人形さん、くねくね動いてますね。へんなの。・・おもちゃ屋さんですかね?」「・・うん。そう。おもちゃ屋さん・・」勇者はそう答えた。あながち、間違ってはいない。

 従者が妙にのっぺりしたコケシ人形や、数珠の出来損ないのようなモノを不思議そうな顔して眺めている隙に、勇者は素早く店の奥へと進んだ。そして、店主に手早く挨拶し、再来を約して店を出たのである。 


「はい。ナイショの買い物です」

「いけないひと。・・無茶は、だめよ?」

「もちろん。ウェアヌスさんのご指導を賜りたく」

「いいこね、勇者様。・・まずは何を?」


 勇者は店内を見回した。様々なコスチューム。ロープや滑車。チョーカーや首輪。ゴム製の筒や人形のようなもの。奥には馬の置物も見える。用途が不明なモノもあった。

 勇者はゴム製の人形を手に取ってみた。人形はぶるぶる震えたり、大きな頭をくねくねさせたり反り返ったりしている。

「それは。・・あの子にはまだ少し、早くなくて?」

「あ、たしかに。無理ですね」

 勇者はお辞儀する人形を台に戻した。

「あの子と、キスは?」

「まだです。・・まずはそこからですよね」

「勇者様が、あの子とどのような関係になりたいか。・・それ次第かも」

「なりたい関係、ですか?」

「そう。恋人同士?・・それとも、濃密な結合関係?」

「もちろん濃密な方ですっ!」

「・・恋人同士なら、キスは挨拶。お互いの気持ちを確かめ合うための」

「挨拶、ですか?」

「ええ。互いを受け入れ合うことを確認するための、挨拶ね」

「なるほど。・・では、濃密な方は?」

「濃密な結合なら。形ばかりの挨拶など、不要ではなくて?」

 ウェアヌスはそう言うと、勇者をじいっと見詰めた。凡てを吸い込みそうな瞳。勇者の思考は蕩け始め、いつの間にか蛸のように口を突き出しふらふらとウエアヌスに抱きつこうとしている。

「挨拶のキス・・不要?・・いや、欲しい」

「ちょっ、ちょっと。落ち着いて」

「・・・はっ!・・ご、ごめんなさいっ!」

 いつの間にかウェアヌスを抱き締めていた腕を、勇者は慌ててほどいた。

「ふふ。もう、困った人ね。お話、続けていいかしら?」

「し、失礼しましたっ!続けて下さいっ」


「キスってね、とっても大切なものよ。受け入れ合うことの確認などではなく。自分を相手に注ぎ込み、相手を自分に吸い込むもの。そうでしょ?」

「・・はあ」

 認識を促す挨拶などではない。粘膜と粘膜の触れ合い、体液と体液との交換。細胞レベルでの物質的な交わり合い。ウエアヌスの解説は、的確にして官能的エロい

 しかも言葉を紡ぐその赤い唇が、潤いを帯ながらぷるぷると震える。勇者の視線は白い胸の谷間と赤い唇とを行き来する。注ぎたくなる。口内に唾液を溜めて。あの唇を舌で抉じ開け、どくどくと注ぎ込みたくなる・・

 

「ふふ。だめよ」


 ウエアヌスは澄んだ薄翠色の瞳を煌めかせながら、優しく勇者に釘を刺す。勇者の心は桃色の嵐に翻弄される凧のようだ。

 ウェアヌスはにこりと微笑む。

「・・続けていいかしら?」

「は、はいっ」

「キスは、ご褒美として使うの」

「ご褒美、ですか?」

「貴方の世界を頑張って受け入れたときに。ご褒美として、注いであげるの」

「・・ご褒美として、注ぐ・・」

「そう。それが、キス」


 ウエアヌスが説く『キス論』が一般的であるかどうかは知らない。だが、勇者の心には響いたらしい。

「わかりました。・・心します」


「あの可愛い彼女に・・そうねえ、今の段階でも使える淫具もあるにはあるけど、お薬など見てみます?」

「お願いしますっ」 

 ウェアヌスは、試験管のように長い瓶を二本取り出した。ピンクと濃い赤色。

「ピンク色のお薬が【恋に溺れてショッキング・ピンク】です。このお薬に自分の唾液を小さじ一杯分入れて相手に飲ませると、相手は貴方に恋心を抱きます。飲ませてから2時間くらいで効果が出始め、その効用は24時間ほど継続します」

「おおっ!恋しちゃうのですかっ!」

「ええ、そうよ」

 ウエアヌスは妖しく微笑む。

 勇者の視線はその唇に食い込む。


―― お、お試しで? ――


「ふふ、だめよ」

 瞬時に見透かされる勇者の心。

「ごめんなさいっ!」

「続けていいかしら?」

「お願いしますっ」

「赤いお薬は【めちゃくちゃにしてクレイジー・レッド】。とっても強い媚薬よ。飲んだひとは強烈な性欲に支配されるわ。用法と効果は【恋に溺れてショッキング・ピンク】と同じ。でも、唾液を入れる必要はないの。誰に対してでも、性欲を持ってしまうから」

「だ、誰に対しても・・?」

「ええ。・・でも、だめよ」

「は、はいっ」

 妖艶な笑みを湛えるウエアヌスを前に、勇者は額に滲む汗をぬぐった。強烈なインビテーション。場の空気は完全に彼女が掌握している。まるで幼い子供に戻されたような感覚に陥る。

 勇者は大きく息を吐いた。自らをコントロール出来ぬようでは、従者の世界に種を蒔く資格はない。


「あ、あの。・・併用できますか?」

「それはだめ。お薬は、混ぜてはだめなの。それぞれ、強い魔力が宿っているから。連続投与もだめ。一度投与したら、必ず8時間は空けないといけません」

「分かりました。お茶やジュースに混ぜるのは?」

「それは大丈夫。どちらのお薬もお酒との相性が良いのだけど。お茶やジュースに混ぜてもいいわ。味や匂いは、殆んど無いから」

「副作用は?」

「心配ないわ。気分を害することも、体調に悪影響を与えることもありません」

 ウエアヌスの説明に勇者は嬉しそうな顔をした。確かに、使いやすそうだ。


「あのう、ピンクの恋心の方ですが。性欲はどうなるんでしょうか?」

「【恋に溺れてショッキング・ピンク】ね。性欲を高揚させる効果は、特にはないわ。まあ、一般的な『恋する相手への想い』程度の欲情効果はあるけど」

「・・個人差がありそうですね」

「ええ。奥手な子だと、性欲はあまり期待できないかな。そうよね、あの子だものねえ。まあ、どんな子にだって性欲はあるから。じっくりと、開いていくことね」

 ウエアヌスの言葉に勇者は頷く。

 どんな手段を用いてでも、彼女を手に入れたい。その覚悟は、できている。楽園を得る為なら、喜んで楽園を追放されよう。

 勇者はピンク色の瓶と赤い瓶を見比べる。恋心と性欲。どちらも、分厚い扉を開く鍵として重要だ。さて、どうしたものか。

 

「・・これ、どっちが人気あるんですか?」

「もちろん【恋に溺れてショッキング・ピンク】よ」

「え?そうなんですか?」

こっちあかは2000ギルでこちらピンクは3000ギル。お店へ行けば、500ギルくらいでいくらでも抱けるでしょう?でも、心は奪えないものだから」

 やりたいだけなら相手を買う。買った相手が欲情しようとしまいが関係ない、そんな輩が多いのだろう。肉欲が落ち着き、心が欲しくなったらこれピンクを使う。随分と身勝手な話ではあるが。

 それにしても、新米廷吏の月給が1500ギルだというのに。・・かなり高価な薬だ。


「うーん。たとえお店でも、僕なら相手に欲情して欲しいですけど。自分の欲望をぶつけるだけじゃ、虚しくないのかなあ?」

「ふふっ。そういうところ好きよ。勇者様」


 ウェアヌスは手袋に包まれた人差し指を、勇者の頬につつっと沿わせた。


「・・だっ、だめ、だめよっ!勇者様!」

「はっ!」


 勇者は慌ててウェアヌスの腰に回した腕を離し、その胸に押し込んだ顔を引き剥がす。

「ご、ごめんなさいっ!」

 勇者も勇者だが。ウェアヌスの誘淫力は、ちと強力にすぎる。


「えっと、じゃあ、両方もらえますか?」

「・・【恋に溺れてショッキング・ピンク】は必要ないのでは?」

「え?・・勇者が従者を恋に溺れさせるのは人倫にもとると?」

「いえ。まあ、わたくしも売るのがお仕事ですから。でも・・」

「でも?」

「・・効かないかも、しれないわよ」

「えっ!そんなにまずいんですか?僕って」

「ふふ。・・まあ、取り敢えず試してみてもいいけど。両方ね。併用はせず、連続投与はしない。いいかしら?」

「はいっ!あ、10本ずつお願いします!」

「・・・だめ。まずは1本ずつ。慎重にお使いなさい。・・でも、10本ずつって、全部で5万ギルよ。お金あるの?」

「はあ、あります」

「・・凄いのね。またいらっしゃい。あの子に合いそうな素敵なもの、探しておいてあげるから」

「はいっ!」




 重い扉を引き、外に出る。薄暗闇に慣れた眼には、外界はやけに眩しい。まるで健全さのごり押しのように感じる。

 勇者は媚薬を得た。

 目的を達成するためには、手段を選ぶべきだ。手段は手段として別個独立して存在するわけでなく、手段と目的とは不可分であることが少なくない。


 勇者の目的は。

 第一に、従者の全てを得ることだ。魔王討伐は第二の目的か、もしくは第一目的の手段かな?なんて思っている節すらある。

 従者を得るために媚薬を用いる。

 手段として如何なものか?選択すべき手段といえようか?


 是。

 全てを背負う覚悟があるなら。

 行為の結果を刮目し我が物と出来るなら。

 体内保有する、全ての想いを実行せよ。

 最善を、未来へ注げ。

 現れし世界リアルが意に沿わなくても。

 世界いまを崩壊させるトリガーとなっても。

 莞爾と受け止め、次を目指して進め。

 生きている限り、想いを未来化せよ。

 なれば。手段と目的は同義となろう。

 

 理性は指針だ。

 感情は成果だ。

 意志が、世界を創る。



 中天に耀く太陽。晴れ渡る空。

 勇者は蒼穹を仰ぎ、頷いた。


―― 天に向かって、恥じることし ――


 勇者は沸き上がる想いを全身に張り巡らせながら、ゆっくりと教会へ向かった。

(つづく)

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