第30話 受容
その姿は、実に『奇怪』だった。
まるで、有り合わせの素材で作り上げたような武骨さ。しかし、その素材は他の器官には見当たらない形質だった。・・他の器官が永い歳月を経て洗練されていったのに対し、
『
眼前に現れた妖怪のような
血管が浮き出たごつごつしい幹には恐怖すら感じて、先端のつやつやしい亀頭には珍奇なものを感じた。他者を省みず、辺りを睥睨するかのように。そのくせ、開門の許しを得ようと媚びた笑みを浮かべるように。
醜悪なまでに純粋な姿に、刹那、娘は視線を縛られた。異形の神に魅入られ絡まれて、ぬるぬると呑み込まれる、生け贄。
「り、リンちゃん?」
「・・・・」
「リンちゃんっ!」
勇者も慌てていた。醜態を晒し身体を熱くした。思考はすっ飛び真っ白だった。だが、ぴくりとも動かぬ娘のことをまずは案じた。瞳を見開いたまま気を失ってしまったかのように、娘は微動だにしない。
動転した勇者は娘の肩を抱こうとした。
このままでは溺れかねない、と焦った。
前のめりになった拍子に、
くにゅっと、ぶつかった。
『ぬらりひょん』のごとき先端のまるっとしたヤツが、娘の頬に口づけするかのようにくにゅっとぶつかった。
ぴきゃあああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!
◇
外形的にも機能的にも、これほど変態する器官はあまり類を見ない。非常に、直截的な器官である。
攻略対象を捉えると、脳から臨戦指令が発せられ血液が動員される。
血液は、その特殊構造体の内部に充満し、構造体を
一、砲身を硬化させ、結合機能を備える。
二、鋭く起立し、優位射角を得る。
三、砲口初速を上げる為、砲口を細める。
筋肉組織を用いなかったところが、実に秀逸なのだ。臨戦指令が解除されるとすぐに、
だから。
・・絶叫の中。「リンちゃんごめんなさいごめんなさいリンちゃんごめんなさいっ!」と、頭二つをペコペコふるふる上下させ、可及的速やかに彼らは浴室から退いた。事態を把握していなかった
―― なんてこった・・
意図せずとは、いえ。
故意なんて、誓って無かった。
・・・・・・・・・・・
・・しかし。・・まずい。
ああ。・・・・・・・・
・・やばい、やばいよなあ・・
だが。・・・
リンちゃんのほっぺたに。
ほっぺたにぶつかった、だと・・?
・・慌ててた。
慌ててたから、感触をあまり覚えてない。
・・・・・・・
・・ぴと?・・ぺた?
・・・・・・・
ぺた?・・・ぴと?
・・・・あんまし、覚えていないぞっっ
ほっぺ、だろ?
ほっぺに。・・くにゅっと、だろ?
あの、ほわほわ柔らかいほっぺたにだろ?
桜色の可愛いほっぺに。
・・・・・・・・・・・
くそっっ!
感触を。その感触をっ・・
・・・くそっ!うまく再現できないっ!
・・・・・・っ!だめだっ!!
なにやってんだっ!ど阿呆めっ!
こんなこと、二度と無いかもしれないぞ!
・・・・・・・・・・・・
・・いや。
・・・いや、違う。違うぞ。
・・・万事再来。
諸事、回帰・・。
一度起こったこと、なれば。
再び起こり得るのが、道理だ。
・・くにゅっと。
・・・・・・・
そうだっ、再び!
再び、くにゅっと・・・
し得るはずなんだっ! ――
勇者は、馳せた。浴衣のなかでぶらぶらと項垂れる
挽回を、期し。再びその時を掴み得ることのみを想い、勇者は馳せた。
◇
ふうわり舞散る湯気たちを纏いながら、楚々と出でたる艶やかさ。
男の視線が柔肌に食い込み。火照った身体を更に熱くする。自らの、色が香りがいけないものかと、慌てて胸元をぎゅっと押えて。手に伝わる鼓動の早さに、尚更うろたえ目を
すると。
男が、声を漏らした。
「り、リンちゃん・・」
緊張しているのだろうか、少し掠れた男の声は、なんだか娘を安心させた。同時に、娘の鼓動を更に早くさせた。
「リンちゃん、・・綺麗、だ・・・」
続く言葉は、娘の肌をぴんと張り詰めさせた。同時に、その心に火を灯した。
「先程は。・・本当に、ごめんなさいっ」
「・・もう、いいですから。・・もう、謝らないでください・・」
勇者が頭を下げると、俯きながら娘は囁くように言った。その言葉に、ぱっと勇者の顔が晴れ上がる。
「あ、ありがとうっ!ありがとうっ!リンちゃん!誓って、わざとじゃないんですっ」
「・・・わかって、ますから・・」
言いつつ、娘はちらりと勇者を見上げた。歓喜ではち切れんばかりの勇者と視線がぶつかり、娘は慌てて俯いた。
勇者は舞踊るように身体を揺らしながら、俯く娘の眼前にぬっと両手を付き出した。
掌には、牛乳瓶が握られていた。
「ちょっと
ご婦人のお仕度は、時間を掛けてなされるものだ。まして、あのようなハプニングの後なら尚更に。三、四十分は間違えない。
そして、湯上がりには。『牛乳瓶』に入った飲料水で、喉の渇きを潤すのが吉。内容物以上に『牛乳瓶』であることが重要だったりする。あの呑み口の、分厚いガラスのつるりとした感触が、火照った唇に心地よく。
だが。冷え過ぎた乳製品は、湯上がりには毒である。だから三、四十分、常温に晒しておくといい。良い塩梅となる。
つまり、上策とは。偶然を必然に換え、時を処すのでなく遇することを云う。
娘は、「うーん」と割合真剣に悩んだ末、フルーツ牛乳の瓶をそっと手に取った。
「あっ!蓋、取ってあげる!」
勇者は手に残ったコーヒー牛乳を一旦床に置くと、娘の手から瓶を受け取り、ぷちゅっと蓋を引き剥がした。
「・・ありがとう」
「うん、どうぞ!」
勇者も蓋をぷちゅっと引き剥がすと、腰に手を当てごきゅごきゅ飲み出した。
「・・ぷはぁーっ。・・うまい」
「・・はい、おいしいです・・」
「不思議だよね。普段、コーヒー牛乳なんて飲まないのに、湯上がりだと妙にうまい」
「・・勇者さま、甘いもの苦手なのに、不思議ですね・・」
「うん。でもね、もっと不思議なことがあるんだよ」
「え?」
「・・湯上がりに牛乳瓶を持つと。何故だか反対の手を必ず腰に当てている・・」
「え?・・当てませんよ?」
「うそ?ホントに?ちょっとリンちゃん、飲んでみてよ?」
「えーっ。・・いいですか?飲みますよ?」
娘は勇者の求めに応じ、愛らしい唇に瓶を当てた。そして顔を少しだけ上方に反らし、ゆっくりと嚥下を始めた。
・・白い喉が、こくこくと嚥下にあわせて滑らかに動いた。そこだけが、別の生き物のようだった。渇きを満たされ喜ぶように、こくこくと動いた。何かを誘うような
「・・勇者さま?」
「・・・え?・・ああ!うん、そうだね」
「・・そうだね、じゃありませんよ。ちゃんと見てました?」
「・・食い入るように、ね」
「・・もう。腰に手、当ててないでしょ?」
「本当だ。・・おかしいなあ。腰に手を当てていない」
「勇者様だけですよ。そんな恰好するの」
娘は笑いながら言った。勇者は真顔で首を横に振った。
「まさか。皆この格好だって。・・男だけなのかな?ほら、銭湯でもコーヒー牛乳とか売っているでしょ?みんな同じ格好でごきゅごきゅ飲むんだ。ずいぶん前になるけど、銭湯に行った時のことさ。湯上がりの男達が皆、同じ角度で上向いてね、腰に手を当てごきゅごきゅと飲むんだ、コーヒー牛乳を。あれ、異様だったね」
「ふふ、うそ」
娘は、口に手を当ててころころと笑った。
「よかった」
「え?」
勇者はすっと手を差し伸べた。その自然な動作に導かれるように、娘はその手をそっと勇者の手に置いた。
少し固くて大きな手の上に、白く柔らかい小ぶりな手が乗った。
合わさった。一つになった。
「おなか、すいたね!今日の夕飯は、なんじゃろね?・・・お部屋へ、行こうか?」
「・・・はい」
(つづく)
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