第9話 邂逅

 全ての光を奪う白の一極。


 圧倒する光に微睡みを破られ、同時に、世界を揺らがす振動とともに闇へ回帰した。

 終始、色も音もなく。

 安寧なる揺らぎの中で分散して拡散して。

 やがて。静寂なる宙空へ。

 全ての光を呑む、闇そのものに。

 一粒の命の、果てである。



 やはり、強い。

 発光とともに飛翔すること迅雷じんらいのごとし。

 瞬時に頭蓋を潰し屠ること怒鎚いかづちのごとし。

 勇者は握った『それ』を再び鼻に充てた。

 ・・やはり、強い。

 濃く熟した、柔らかな甘味・・



―― 仮説は、立証された。

 対極する属性の、相乗なんだ。


 ・・迷うことなく。突き進もう。

 必ずや。握り締めてみせる ――



 勇者はひと食い熊マン・イーターの亡骸に近寄り視覚送信スキャンを開始する。微睡みの中で事切れた魔物に宿る七魄は、三魂去りし後、人間たちの営みに取り込まれていく。・・其の実、魔物と人間とは近しく連鎖しているわけだ。

 視覚送信スキャンを終えた勇者は、ひと食い熊マン・イーターの死体に向き直った。

 相克に対峙するとはいえ、このモノが従者の扉を開く契機となってくれたことは確か。勇者はその七魄を祀るように、潰れた顔に黙祷した。

 頭を潰され舌を出したひと食い熊マン・イーターの口が、キラリと光った。


―― おや? ――


 勇者は熊の口に手を突っ込んだ。


 ごりっ


 硬い石のようなもの・・違う。


紅玉ルビーだっ!」


 曇りなく光る真っ赤な貴鉱石。しかも、鶏の卵くらいもある。極上品である。

 おそらくこのひと食い熊マン・イーター、富豪か宝石商でも襲ったのだろう。肉とともに胃袋に収まっていたものが、白金の棍棒プラチナメイスによる強烈な打撃で口元まで吐き出されたというわけだ。勇者にとっては思わぬ僥倖である。再び亡骸に頭を下げると、勇者はポケットに貴鉱石を突っ込んだ。

 そして、従者の元へ馳せゆく。



 ・・・・・・・

 野に在りて咲く花は。

 誰在らずとも可憐に開き。

 自らの香りに羞じらい揺れて。

 溢れる蜜をば花弁の奥へひた隠し・・

 

 深々たる森の中。

 紅に色づき雫をこぼし、それでも健気にかんばせ上げたるその姿。

 周囲を震わす、麗しさ。

 憂いのなかに何かが混じる。諦観などではない。凛とした香気だ。深淵を覗きし者だけが身につけていくもの。・・従者は、歩を進めたのである。


 心奪われし勇者は夢中のままに娘を抱き締めた。柔らかい身体が其の中に収まった。「むうっ」と娘がうめく。

 慌てて力を弛める。

「ごめんっ!あまりにそのっ・・ついっ!」

「ちょっと、・・痛いです・・」

「ごめんっ!」

 聖騎士勇者ホーリーナイト・ブレイブの姿のままに、おろおろして娘から体を離す。

 娘はその腕の裾をぴとっと掴む。そして、俯きながら微かに言った。


「・・す、・・少しだけ優しく・・さっき、みたいに・・お願い・・できますか・・」


 柄にもなく硬直する勇者。ぎこちない動きで殻繰機関ロボットのように、娘をそっと包み抱く。鳥たちの優しい囀ずりが響くなか、やがて静かな嗚咽が生まれた。


 忍びて。啜り上げ。

 熱い吐息と熱い涙。

 こくこくと溢れては、流れゆく。

 枯れることなく漏れ続ける、潤い。

 身体の奥深く。深淵より沸き上がりて。

 身体の穴々から共に濡れゆく。

 根源的な快楽を伴って。

 そう。


 排泄浄化カタルシス


 ・・涙は体液は、溢れ出て楔を押し流す。

 心と身体を、解き放つ。

 力を得れば、安全弁もまた一つ、失う。

 喪失と獲得とは、同義だ。

 ・・第一次解放が、いま、完了した。





 荒れた石畳を南下していくと、オピニクスの石橋が見えた。ゾルドの森の南、ピィピー川に架かる橋だ。

 遥か昔に架けられた橋で、以前はゾルディック橋を凌ぐ、壮麗な姿をしていたらしい。今は、大きいばかりの朽ちかけた橋だ。所々崩れ落ち、蔦と苔とにまみれていた。

 この橋の先にはチピリという小さな町があり、その更に南にはオシリス神殿がある。しかし、オシリス神殿が廃れて以降、この道を歩くものは少ない。故に、オピニクス橋には衛士もいない。

 

 勇者と従者は木立に身を隠し、窺う。

 ・・骸骨戦士スケルトンの姿はない。

 勇者は従者の手を取り、ゆっくりと橋を進んでいった。


 四頭立ての馬車が二台並走できるだけの幅がある。しかし、端の方は石が割れ今にも崩れそうである。勇者と従者は手をしっかりと繋ぎながら、橋の真ん中を進んだ。


 勇者は歩きながら、妙なことを従者に囁いては喜んでいる。


 端へ行ってはならない。簡単に崩れるよ。下を流れるピィピー川は激流だから落ちるとかなり厄介だ。運良く溺れずに済んでもね、河には魔物が少なくない。しかも、妙なことに厭らしい魔物が多くてね。太い触手を無数に持つ荒縄蟲ローパー。こいつは獲物を触手でぎちぎちに縛ると、穴という穴に触手を捩じ込み体液を搾り上げては舐め回すんだ。頗る級の変態さ。もっとヤバイのが河童子ガロッパだね。尻子魂を引っこ抜くなんて云いながら、あの手この手で捕囚を虐め抜くんだ。しかも美少女が大好きだと云うのだから質が悪い。万が一リンちゃんが河に落ちてしまったら。河童子ガロッパの大行列になってしまうよ・・


 まったく。この男は何を目論んでいるものやら・・。吊り橋効果か?


 勇者の猥談、いや怪談は一定の効果を生じさせたらしい。怖がる娘のふんわり可愛らしい手のひらに、じんわり滲む甘い汗。その汁気を味わって、にんまり悦ぶこの変態ゆうしゃ。従者は自らの汗に恥じらって、手を離そうとするが許されない。

「ほら危ないんだから。大人しくなさい」

「・・大丈夫ですから、・・放して」

「駄目だよ。放さない」

「お願いっ!ちょっとだけでいいからっ!」

「・・僕、汗ばむリンちゃんが、大好き」

「っ!・・やめてっ」

 勇者の言葉に余計熱した従者は、真っ赤な顔して手をぶるんぶるんと振り回す。勇者はさせるままにさせながら、それでも手は放さない。振り回す力が少し弱まったところで、勇者は静かに言った。

「ねえ頼むから。手を握らせていて欲しい。僕から離れないで、居て欲しいから」

 振り回す従者の力が緩む。

「・・変なこと言うの、・・嫌です」

「悪かった、ごめんなさい。・・リンちゃんの全てが愛おし過ぎて、つい。・・ごめん」

 勇者が謝ると、従者は顔を背けながら呟くように言った。

「一度、手を離して?・・・拭かせて欲しいの・・・・そのあとで、・・また繋げばいいじゃない・・」

 従者の頬は、火照って真っ赤だ。



 生き物は、平常というものを求めたがる。経験則から割り出された戦略か。

 むろん、この世に常なるものなど有りはしない。平均値など、母数を知り得ぬ以上解りっこない。

 だから、その場にあるものを平常だとみたくなる。よく目にするものが平常となり、その場に自らを合わせていくことが平常だと。


 従者にとって、勇者の在る世界が平常か。

 勇者の言動が、勇者そのものが、従者の平常になろうというのか。

 認め難いが。従者は勇者を、受け止めつつあるようだった。



 従者はポケットからハンカチを取り出す。

 勇者はそれを眺めつつ。

 

―― リンちゃん。

 緊張すると、汗一杯かいちゃうタイプだ。

 どこまでも可愛らしい体質だなあ。

 ・・身体中、ぐっしょり汗まみれにさせちゃいたいっ・・ ――


 勇者は涼やかな目元に温かい微笑みを浮かべながら、そんなことを考える。

 途端に、従者が勇者を睨む。

「今、いやらしいこと考えたっ!」

「えっ?い、いや、そんなっ・・」

「じゃあ、何考えてました?」

「えっ?その・・リンちゃん可愛いなあと」

「うそっ!!」

「ほ、本当だよっ・・リンちゃんの可愛らしい姿をね・・」

「どんな姿よっ!」

「・・そ、それは・・・」

「もうっ!!」


 具体的な妄想までは伝わらずとも、渦巻く妄念はお見通し。

 ・・それでも。

 赤い顔をして従者は手を差し出した。

 勇者はハッとした顔で姿勢を正すと、恭しくその手を受け取った。



 勇者が従者の手を取りながら橋の真ん中くらいまで来ると、老人が一人、橋の端に佇んでいた。川に糸を垂らしている。釣りをしているようだ。

 従者は老人を見ると、ぱっと手を離して駆け寄った。

「おじいさまっ!端は危ないですっ」

 従者が声を掛けると、老人が振り向いた。灰色のローブに身を包み、フードを深く被っている。

「あのっ!端の方は崩れるのでは?」

 再び従者が声を掛けると、フードの中の双眸がきらりと光った。しかし同時に好好爺然とした笑いが響いた。

「ふぉっふぉっふぉっ。・・お嬢ちゃん、大丈夫じゃよ。わしは毎日、ここで釣りをしておってなあ。この橋、こう見えて頑丈でな。崩れておるのは、飾り石だけだ」

「あ、そうなのですね?・・ごめんなさい」

 従者は胸を撫で下ろすように息を吐いた。

 勇者は心のなかで、ちぇっと舌打ちする。


―― じいさんめ。

 ・・僕のささやかな悦びを ――


 勇者が心の中で悪態をつくと、まるで見透かしたように老人がじろりと睨む。

 その眼光の鋭いことといったら。グングニルの槍のように、勇者のいじけた心を過たずに突き刺した。ひっと勇者が仰け反るのに被せるように、地響きのような声を発する。

「小僧。・・ふん、そうか。・・まあ、よかろう。・・おい、小僧。袋を、よこせ」

 先程の、従者に対するのとは明らかに違う声音。地底から轟く雷鳴のようだ。

 この老人、只者ではない。勇者も気付いたようだ。雷に打たれたような顔でぴんと背を伸ばし、そして恐々と問う。

「・・袋、ですか・・?」

 老人はフードの奥深くで光る双眸を少し細くすると、凶悪なまでの重低音を響かせた。

「ああ。布バケツを落としてな。ほれ今丁度、大きな魚が掛かったが。袋がなくては、魚を家まで運べん。困っておる」

 老人は、全く困って無さなそうな声音を轟かせた。

 勇者はじりじりと前に出て、従者と老人との間に体を滑り込ませると、脂汗を滲ませながらニッカリ笑った。

「それは災難で、袋は無いですご免なさい、ではご機嫌よう」

「・・待てや」

 従者の手を引き、そそくさ立ち去ろうという作戦は、老人の重低音に破られた。

 体は勇者よりも低くて小さいのに。勇者は老人に見下ろされているような圧を感じた。ずぶずぶと体が地面にめり込みそうだ。

「・・袋は、つくるものだろうが・・おい、小僧。服脱げ」

「ひゃ?」

「ふん、違うわい。贄ならぴちぴちの美少年を貰うじゃろ。・・そちらはアレの、手付きだしな」

 老人はちらりとリンちゃんを見ながら妙なことを呟いた。

「えっ?」

 リンちゃんが首を傾げると、老人は例の好好爺然とした声でリンちゃんに言った。

「ふぉっふぉっふぉっ。・・お嬢ちゃん、こちらの話でな。気にしなくてよいのじゃ」

 そして再び、勇者を見据えての重低音。

「・・おい、さっさと服脱げ。随分草臥れた服じゃが、上手く縛れば袋になるじゃろ」

 なんとも強引だが、勇者は背負袋バックパックを下ろすと服を脱いだ。

 昼間とはいえ、秋も深まり風は冷たい。上半身裸のまま、勇者は畳んだ服を老人に差し出した。ぴゅうと風が吹く。その二の腕に鳥肌が立つ。

 しかし老人は罵倒する。

「たわけ。そのまま渡すものがあるか。首元と袖口を縛れと言っておろうが」

 まるで暴君のような物言い。だが勇者は逆らいもせず、こうべを垂れて唯々諾々と言われるとおりにした。

 頭下げ嵐過ぎるを待つが吉、か。

 老人は勇者の服を指で摘まむと、ふんと鼻を鳴らした。

「まあ、よかろう。これ持ってけ」

 老人は勇者に小箱を放ると、従者に向かって優しく微笑んだ。

「お嬢ちゃん、ありがとなあ」

 従者は老人の勇者との遣り取りを、目を点にして眺めていたが、声を掛けられ夢から覚めたような表情をした。

「あ、はいっ!おじいさまもお気をつけて」

 従者が笑顔を向けると、フードの中の双眸が、きらりと光った。





 へっくしゅんっっ


 勇者が盛大にくしゃみをする。

 やはり上半身裸は寒いらしい。

「大丈夫、ですか?」

「あのじいさん。まるで追い剥ぎだ」

 勇者の言葉に従者はくすりと笑う。

「でも勇者様、お優しいのですね。わたし、やっぱり誤解してました。・・ご免なさい」

「・・え?」

 従者は尊敬するかのような眼差しを勇者に向けていた。・・ゲインロス効果。当初マイナス印象だった者が好印象を見せると、その好印象がひどく強調されるという心理現象。

 どうやら従者は。偏屈なる老人を憐れんだ勇者が、真心尽くして誠心誠意に接したものと、あの遣り取りを捉えたらしい。

 ひとは、自らの心を以て他者を測るもの。

 従者は、哀しみを以て老人を看たらしい。

 どちらにせよ、勇者は運が良い。


 おそらく。潮目が変わった。



 はっくしょんっっ!


 またも、勇者のくしゃみ。

 しかし心なしか。そのくしゃみには歓喜に湧くような明るさがあった。勢いを以て切り開くような強さがあった。

 勇者の咆哮を空高く響かせるようだった。

(つづく)

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