第10話 可憐

 ゾルドの森の南、オピニクス橋の先にあるチピリは、とても小さな町だ。こじんまりした教会を中心に、宿、食堂、酒場、雑貨屋が肩を寄せ合うよう並んでいる。

 南のオシリス神殿へと向かう巡礼者たちの宿場町として、大いに栄えたのは遥か昔。今はその痕跡すら失われて久しい。行商人や冒険者を相手とする小さな店が残るばかりだ。そんな歴史が関係するのだろうか。この町には刹那を空騒ぐような、底抜けた乾きばかりが転がっている。時折訪れる南風だけが、温もりを含んだ安らぎを運んだ。


 勇者のくしゃみは、ゴホゴホいう咳に変わっていた。従者の赤面は心震わすものだが、勇者の赤ら顔は見苦しいに尽きる。

 貴鉱石が飛び切りの高値で換金できた為、勇者は上半身を新調の服で包んだ。しかし、病魔は既にとり憑いてしまったらしい。

 従者が気遣う中、二人は宿屋へ急いだ。

 ところが。

「勇者様に従者様。誠に、申しわけございません。行商の一行が入ってしまい、屋根裏の小さな部屋しか空きがございませんで・・」

 宿の主人は、大きな体を小さく縮め頭を下げた。案内された三階は、一人用のベッドが辛うじて入るだけの小部屋だった。

 勇者は、頷いた。

「ここで結構です。ゴホ。ただ、庭に僕用のテントを張らして欲しいのですがゴホゴホ」

 宿の主人は「もちろん大丈夫です」と頷いた。しかし、従者が首を振る。

「勇者様は、風邪なんだから」

 従者の言葉に勇者が答える。

「大丈夫。ゴホっ。さっき酒場で貴鉱石を換金した際にね、ママがワインをくれたんだ。それを少し飲んで寝ちゃえば、ゴホゴホっ。風邪なんてね、何とかなるものさゴホっ」

 勇者の言葉に従者が噛みつく。

「そんなのだめ!私がテントで寝ますっ」

「有り得ない!それこそ不用心だ!ゴホ!」

 勇者の言葉に主人も続ける。

「この町、治安はさほど悪くないのですが。しかし、身元の定かでない者が多いのも事実で。従者様のようなご婦人が、庭で休まれるのはお勧めできません。・・このベッド、大きくありませんが。一晩であれば、お二人でも。もちろん、お代はお一人分で結構です」

 主人の言葉に沈黙する二人。ややあって、従者が主人に向かって早口で言った。

「ありがとうございます。勇者が風邪気味なので、あまり無理をさせたくなくて。・・今晩だけ、お言葉に甘えさせて下さい」

 主人はにこやかに頷く。勇者は咳をしながら従者の方を見詰めた。従者は目を逸らしながら、言った。

「・・仕方ないじゃない。勇者様、・・早く治さないと」

「ゴホっ・・・ありがとう・・」



 従者は、洗濯をすると言って部屋から出ていった。勇者は従者の言葉に従い、ベッドに横たわった。

 やはり、久々のベッドは心地よい。

 ・・包まれ、ゆっくりと沈み込む。シーツからは、太陽の匂いがした。熱のせいもあって、すぐ眠りへと落ちていった。



 背中に、温かみを感じた。


 温かい潤いが、優しく背中を往き来する。

 

――・・背中を、拭いてくれている?――


 そして自らがパンツ一枚らしいのを、同時に覚った。

 勇者は、そっと薄目を開けた。


―― リンちゃん?

 ・・リンちゃんがっ!

 僕の体を、拭いてくれてるっ! ――


 温かなタオルで背中を拭かれる心地よさ。それが。麗しの従者の手によるものと知ったなら。

 時折、手桶に満たした温水でタオルを洗い絞りながら、従者はうつ伏せとなった勇者の体を丁寧に拭いていく。

 温かいタオルが。優しい従者の手が、背を肩を、首筋、腕を拭き流れる。

 柔らかく温かいタオルの生地が、適度の圧をもって優しく肌を擦る。

 タオルの向こうに。

 従者の愛らしい手を。

 たおやかな、動きを・・

 勇者は、息を殺して感じとる。

 拭かれた箇所は温かく、すぐ気化熱でひんやりし。

 熱のせいで発汗した肌が、拭われた処から清涼になっていく。・・心地よく。


 身体に受ける快感と、心が受ける感動と。


―― 拭いて、くれている。


 服を脱がしてくれて。

 汗でまみれた体を。

 試練。あんなことした後なのに・・

 健気にも。僕を隅々まで・・ ――


 

 その優しさに。

 その献身に。

 勇者は身震いする。感動する。

 そして、興奮する。


 戒めても戒めても、『自分に、特別なる感情を抱いてはおるまいか』と思いたくなる。瞬時打ち消しても、即時に都合のよい解釈が沸き上がってくる。


 そのとき。温かいタオルが勇者の臀部をさっとひと拭きした。


―― つ、つまり・・

 リンちゃん、僕のパンツの中に。

 麗しき手を差し入れてくれた? ――


 ほんのひと拭き、ほんの一瞬。

 だがしかし、下着の中に手を・・。その事実が、身体にびりびりと電撃を走らせる。



 緊急事態発生!緊急事態発生!

 異常反応を感知。

 臨戦態勢へ移行。

 アドレナリン放出。

 血流増強。

 各所にて、最善尽くせ。

 各自、馳せよ!



 勇者の身体が、その存在たちが、勢いよく猛然と動き出す。増強された白血球らは、素早く病魔を駆逐する。そんなものに拘わっている暇はない。

 小さきものたちの躍動と喚声。

 まるで海鳴りのように。

 ごうごうたる流れを、力を生み出して。

 それは収斂し。


 ・・起立した。


 従者はタオルを手桶に入れると、部屋を出ていった。お湯を代えるためか。

 勇者は従者の残り香を吸い込みながら、無上なる心地のなかで夢想する。

 小さきものたちの躍動が喚声が、勇者の脳内暴走を手助けする。



―― ああ、リンちゃんっ!

 女神のようなリンちゃんがっ!

 汗にまみれた僕を清めてくれて。


 ・・今度は、僕が。

 僕が清めたい。

 ああ、リンちゃん。

 僕のこの舌で。今度は僕が。


 つるつるしたリンちゃんの肌を。

 その首筋を。

 染まる耳朶を。

 鎖骨の窪みを。

 ぬくみある脇の下を。

 脇腹に舌を沿わせて。

 唾液で濡らし舐め上げて。

 豊かな胸を舌で押し込み弾かせて。

 麗しき突起を。力強く吸い上げて。


 足の指も一本一本。

 丁寧に、口に含んで。

 指の付け根も丹念に。

 くるぶしから脚の内側を。

 しなやかな筋に沿わせながら。

 舌を広げて、ときに細めて。

 徐々に上へと這い上り。

 甘い蜜を求めて。

 茂みの下を。

 貝を吸い。

 汁を吸い上げて。

 舌を尖らし尖りしものと絡ませて。

 優しくねぶり。

 息を吹き掛け。

 細めた舌を滑る穴へと押し進め。

 じゅるじゅると。

 吸い出して。


 汗拭くどころか汗まみれ。

 恥じらいに身体を搾られ。

 舐め上げても舐め上げても。

 汗とつゆとに濡れそぼり。

 瞳に雫を光らせて。

 熱い吐息をそっと吐き。


 僕の舌は。汗と露とを掻き集め。

 僕の喉は。甘いそれらをごくごくと。

 喉を鳴らし。呑み込んで。

 リンちゃん。

 羞じらい震えて。

 身悶え、啼いて。


 そして、リンちゃんにも。

 同じように、させてみせ・・――



 

 勇者が妄想に遊んでいると、階段上る軽やかな音がした。従者が戻ってきた。

 勇者は慌てて目を閉じる。


 コトンと床に手桶を置く音。そして、勇者の脇がぐっと沈む。従者が、ベッドに上がったのだ。

 従者は勇者の肩と腰に手を掛けて。

 よいしょ!と可愛らしい掛け声を上げ力を入れた。仰向けにしようというわけだ。

 そのとき。豊かな胸が勇者の肩に圧されてつぶれた。勇者の心臓は、跳ね上がった。


 ううんっと力む声がまた、勇者を滾らせ奮起させる。懸命にひっくり返そうと励む従者の手が、圧し潰される胸が、勇者の起立を強固にしていく。

 えいっと発せられた声とともに。勇者の身体はごろりと反転した、仰向けになった。



きぃやああああぁぁぁぁーっっ!!!



 絹裂くような娘の絶叫。・・どうした?


 仰向いた勇者。

 天に向かって恥じることなく、起立。

 しかもハミチ・・

 もとい。

 パンツから、はみ出している。

 いや。にょきっと、飛び出している。


 太く。猛々しく。赤黒く。

 血管すら、ごつごつ浮き上がって。

 これぞ。益荒男ぶり。


「ど、どうしたのっ!リンちゃん!」

 魂消えるような叫びに驚き、思わず勇者は声を掛けた。しかし、娘は固まっている。

 両手を顔に当て。しかし当てた手のひらは朝顔アサガオみたいにぱっと開き、指と指との間から可愛らしいお目目めめがパッチリ覗いてる。

 その視線の先を確かめると・・

「たはっ!!」

 慌てて隠す勇者。

「あ、あのっ!ね、熱出たりするとね、せ、生存本能なのかな、こんなことありますっ!わ、わざとじゃないですっ!」

 しかし。勇者の声が届かないのだろうか、指と指との間から、まんまるお目目めめを大きくして。

 娘は、固まっていた。


「リン、ちゃん?」

「・・・」

「リンちゃん?」

「ひゃっっ!?」

「・・大丈夫?」

「ゆ、ゆ、勇者さまっ!・・あ、あの、あの私そのっ!お、お、お体拭こうと思って、お体ひっくり返して、そ、そしたら・・っ!」


 立って、いたのだね。


「ごめんっ!リンちゃんっ!」

 勇者は股間に手を被せながら謝罪する。

 ・・だが。あたふたする娘を見ていたら、なんだか余裕が出てきたみたいで。

 勇者は、一呼吸置くと、そっと言った。


「身体を拭いてくれてありがとう。本当に嬉しいよ。・・


ぴぃっ!!


 妙に、可愛らしい叫びがした。

 ・・従者か?


「ご、ご、ご、ご、ごめんなさぃっっ・・わ、わ、わたたしっ、す、すみませんっっ」


 おこりにでも罹ったように従者は目を見開いてワナワナした。可哀想に、汗だくだ。可愛らしいお口がパクパクする。脳の処理能力を遥かに超える事態らしい。

 

 勇者は、優しく微笑んだ。従者の愛らしさを抱擁するように。

「悪かったごめんね。後は自分でやるから」


 ・・なるほど。ただ責め進むだけでは勿体無い。乙女然とした無垢な反応、眩いばかりの無知なる純潔。・・貴重だ。


 そんな謝罪を述べながら。

 勇者は「ありがとう」と。

 娘の手首をと掴んだ。


ぴぃやあああああああぁぁっっっ!!!


 真っ赤に発汗した娘はつゆとなって弾けそうだ。丸くした目から涙を溢れさせ腰を引く。勇者はすぐ手を離す。


「ご、ご、ご・・ごめんなさい・・ご、ご飯を・・用意、します、から・・っ」


 娘は柔らかな香りを残し、ぱたぱたと階段を下りていった。勇者はそれを吸い込みながら、娘の残像を求めるように目を閉じた。


 

 九重ここのえあかき衣のその奥に

 未踏の白原 耀きて待つ

  

 行く先の果て無き道のその先の

 知らぬがゆえに響け足音


 

 可憐とは。

 あらゆる可能性を秘めたる姿だ。

 如何なる色でも、咲かす蕾だ。


 勇者はじっと、その先を視た。

(つづく)

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