第8話 儀式

 誤謬ごびゅうを恐れずいうならば、変態とは本能に対する最適解への模索だ。


 昆虫は、養分摂取に特化した幼虫体から、生殖機能を有する成体へと変態トランスフォームする。

 人間は形態変化させる代わりに、思考のなかで変態し、それを言語や道具を用いて具現化させる能力を得た。故に、他の生命体とは比較にならない多種多様な変態を可能とし、圧倒的な速度での深化を実現した。

 つまり。人間の人間たる特性は、その驚異的な『変態力』にこそある。


 生命が発する、本能という指令。それを握り手繰りつつ奥底まで降り行かば。

 あるいはその『何たるか』に、対峙することができるのではあるまいか。



 

 勇者はポケットから遠眼鏡を取り出し前方を眺めながら、横にいる従者に言った。

「・・やっぱり。『ひと食い熊マン・イーター』だよ。かなりでかいな。こちらが風下だし、・・二〇〇メートルくらいは離れているから、まだ気付いてなさそうだ。寝ているみたいだし。・・丁度、いいな」

「丁度いい?」

 従者は勇者の言葉に首をかしげた。

 ここは、ゾルドの森を南北に走る石畳の古道だ。北へ向かえば古都アルシアへ、南に向かえばオシリス神殿へと通じる。石畳はひどく荒れているがどこまでも直線なため、見通しはとてもよい。

 勇者は従者に向かって、にっこりと微笑みみながら頷いた。

「丁度いいんですよ、『最初の調教ファースト・レッスン』にね」

「ファーストレッスン?」

 従者は子猫のような顔をした。勇者はごくりと喉を鳴らしつつ、何気ない顔を作った。

「複数の屍食鬼グールに前後を挟まれ、囲まれたとき。憶えてますね?」

「・・えっ」

「あのとき。いつもと違っていました」

「・・・」

「明らかに、濃くてより佳い香りだった」

「・・や、やだ・・」

「大切なことなんだ、リンちゃん。あのとき

屍食鬼グールに挟まれたため、僕は前後を同時に注視するしかなかった。・・どうしても、僕の視界にリンちゃんが入ってしまった」

 嘘だ。前後から屍食鬼グールが来るのをいいことに、勇者は舐めるように娘を注視したのだ。

 しかし、娘にはそれを指摘することすらが恥ずかしい。顔を赤らめ黙っている。

「恥ずかしかった?リンちゃん」

「・・あ、当たり前じゃないっ・・」

 従者の吐き出すような言葉を、勇者は抱き締めんばかりに完爾として受け止めた。

「それだっ!それなんだよ!・・リンちゃんの恥じらいの先にこそ、答えがあるんだっ!僕らはそのとき深淵に向かって一歩くだったんだよ。いつもより一歩、生命の核心に近付いたのさ!だから、リンちゃんの香りは、僕を変革させる力は、いつもより濃厚で、より強力だったんだよ!」

「・・・」

「リンちゃんは僕に観られながら『あれ』を脱いだ。僕に観られながら『あれ』を渡してくれた。・・ごめんね、とっても恥ずかしかったよね。・・でもそれが、いつも以上に僕に力を与えたんだ。いつもよりも強い発光。いつも以上に力が漲っていたんだ」

「・・・」

「リンちゃんの恥じらいは、僕らを深淵へと導くんだ。その深淵のくろき遥かなる最果てには、いったい何が待ち構えるのだろうか。僕にも、解らない。・・でも、少なくとも其所そこは、僕らに更なる力を与えてくれたんだ。物質構成変革クラスチェンジを、より活性化させたんだよ」

 勇者の怒涛なる言葉の波に、従者は泣きそうな顔をしながら翻弄されるばかりだ。

「強くなろう、リンちゃん。・・世界を、救うために・・」

「・・・・・はい・・」



 再び遠眼鏡でひと食い熊マン・イーターの様子を確認した勇者は、遠眼鏡を下ろし従者に向き直って、言った。

「奴はまだこちらに気付いてない。距離も充分だ。・・いいかい、僕の言うとおりにやって欲しい。・・僕の観ている前で『あれ』を脱いで」

「えっ!」

「僕を、信じてみて。確信があるんだ。・・なぜ僕が勇者で、リンちゃんが従者なのか。なぜ僕の物質構成変革クラスチェンジはリンちゃんの香りにより生じるのか。・・僕らの使命。そして生命の意図。ずっと考えてきた。まだ解らないことばかりだけど、一つの入り口が見えてきた。・・その扉を、これから開かせてくれないか」

「・・み、見ている前で・・なんてっ・・」

「リンちゃんの羞じらう姿は、美しい。何にも換えざるほどに。・・その羞じらう女神のごとき美しさが、僕を興奮させる。僕の体内の全細胞が蠢動し、体が熱くなる。それも物質構成変革クラスチェンジ強化の一因かもしれない」

「・・・」

 従者は赤面し、俯いた。黒光る髪から顔を出した耳は、まるで熟れた果実のように愛らしく、ふるふると恥ずかしがっていた。


「リンちゃんの姿をしっかりと脳裏に焼き付けよう。その上で、『あれ』を吸い込みリンちゃんの香りを僕の体内に取り込もう。隅々まで。・・さあ、『あれ』を渡して下さい」

「・・・」

 従者は俯いている。スカートの上に組み合わさった両手は、僅かに動いていた。

 勇者は、優しく言った。

「・・世界は、僕らを待っている」

「・・・・は、はい・・」


 動いた。ごくゆっくりとだが動き出した。

 

「そうだ、リンちゃん。その調子だよ。・・僕の目の前で、脱ぐんだ」

 わざわざ、その行動を言語化する。羞恥は強くなる。


 恥じらいが、力を生む。本当だろうか。

 従者のなかで疑念が渦巻く。

 ・・だが。勇者の変革が、従者の『あれ』の匂いに起因するのは確かだ。性的欲情と切り離すことは難しい、それは直感的に従者も理解している。・・そして恥じらいが性的欲情を呼び覚ましてしまうことを、従者はなんとなく知っていた。・・頭では、全く理解できないのに。理不尽だとすら思う。恥ずかしいことは嫌なことだと分かっている。でも、身体はそうと捉えていないのか?頭による分類は、身体には通じないのか?

 いや。勇者は、理性と本能とを対比させていた。理性は『恥ずかしいことは忌むべきことだ』と遠ざけようとする。しかし、身体は恥ずかしいことに反応する。

 ・・勇者の言うとおり、恥ずかしいことは本能の求める行為なのだろうか?

 恥じらいを忌む心理とは、本能に逆らう理性の反抗から生じたものか?動物的であることから脱却しようとする、理性の抵抗か?

 従者は混乱する。勇者の言葉が身体に染み込んでいくことに狼狽する。しかし、うまい反論は浮かばない。


 ・・事実、あのとき。屍食鬼グールに囲まれて。恥じらいにまみれながら差し出した『あれ』を、勇者が握り締めたとき。

 瞬時、すべてが真っ白に発光した。

 強烈な光に目をつぶっても。

 青い閃光が。

 白い輝煌きこうが。

 従者の瞼を越えて世界から色を奪った。

 確かに。いつも以上の光だったのだ・・



 時折前方を確認しつつも、勇者はじっくりと従者を見詰めた。遠慮することなく、上から下まで舐めるように・・

 その視線を浴びながら、従者は俯き身体を屈めスカートに手をいれた。


 ・・あろうことか。

 勇者が、更なる注文をつけてきた。


「リンちゃん、僕の顔を見ながら、脱いでくれないか」

「・・っ!そんなっ!」

 思わず声を上げる従者。勇者はちらりと前を確認してから、真っ赤になっている娘を見下ろしながら、静かに言った。

「・・つまり、間違ってはいないわけだね、僕の言葉は」


 娘は、くっと口を一文字に結ぶ。


―― なんでっ・・・わたし、そんな言葉に従わなくてはならないの?・・――


 ところが。その疑問が脳裏を走ったとき、娘の身体が、かっと火照った。



 『従わなくては、ならない』



 何気なく出てきた言葉が娘を狼狽させた。

 娘は知っている。勇者は決して、無理強いはしない。


―― 困ったひとだけど、すっごくエッチだけど。でも勝手なことを、強引に押し付けるひとじゃない。・・なのにわたし、どうして『従う』だなんて・・? ――


 そして娘は、気づいた。

 身体は勇者の言葉に従いつつあることを。

 漸く自分が、それに気づいたことを。


 

 『従わなくては、ならない』



―― 嫌だ、そんなの。・・恥ずかしい。

 ・・でも。どうして。

 どうして身体が。熱くなるの・・ ――



 従うことを強要されることが恥ずかしいのではない。従うことを受容していたことが、恥ずかしいのだ。

 身体は、従うことを欲している?

 ・・まさか。


 

「さあ。・・こっちを、向いてごらん」

「・・・」

「・・頑張ってみないか、リンちゃん?」


 娘はきっと眉を逆立て勇者を睨むように見上げると、スカートに入れた手を下ろしていった。覗く白い脚が妖しく光る。


 深々たる森。石畳の荒れた古道。

 小鳥たちの囀ずり。

 僅かに漏れる木漏れ日。

 神秘的とすらいえる空気のなかで、その奇妙な儀式は続いた。

 

 その火照った肌は、周囲の空気までもを温め、濃密なものにするようだった。甘い香りが立ち上っていく。

 僅かながらも震えている身体は、勇者の心までを奮わすようだった。

 外界に於いては僅かな時間だ。しかし二人の世界では、濃厚な時が波打つように滞留する。気の遠くなるような、甘く分厚い綿で包まれるような、絡みつくような流れ。

  

 娘は。片足ずつ靴を脱ぎ、バランスを取りながら片足ずつ『あれ』の輪から脚を抜いていく。

 そして。汗に濡れた顔を懸命に上げ、健気にも勇者を見据え手を差し出した。


 娘の手に握られしもの。

 秘密の園の扉を開く鍵。

 生命の躍動を導く秘薬。


 勇者はぐっと脚に力を込めて踏ん張った。顎に力を込めて歯を噛み締めた。

 圧倒的な力量差だ。呑み込まれてしまう前に突き抜けねばならぬ。

 生命の粋たる女人オリジナルに対し、試作特化型プロトタイプが唯一優るのが『突破力』なのだ。突破し撹拌するために、『男』という試作特化型プロトタイプは生み出された。


 勇者は従者を優しく見詰めてから、強い口調で言い放った。

「両手で『それ』を捧げるように持ち、僕に渡して下さい。・・渡しながら、儀式の言葉を述べるのです」

「・・儀式の、言葉・・?」

「『それ』を僕に渡しながら、『勇者様、私の匂いを嗅いでください』、と言うのです」

「!」


 目を見開く従者。


―― ど、どこまで辱しめればっ・・――


 身体の芯が、かっと熱くなる。

 勇者がじっと、冷徹に過ぎるような眼差しで見詰めてくる。

 ・・身体の反応を観察するかのように。


 従者は、羞恥で眩暈を感じながらも、手にした『それ』を捧げるようにした。

 瞬時、『それ』が手にあることで何故だか安堵していることに気づいた。


 ・・そう、手にあれば。たとえ熱し熟して溢れても、もうこれ以上は宿らない・・



「リンちゃん、言って」

 追撃するかのような容赦ない勇者の言葉が従者を襲う。

 嫌だと振り払いたいのに。・・身体にずっしりとした何かがかったみたいに、まるでいうことを聞かない。


―― 従いたいだなんて。思うわけない ――


 従者は。勇者の突き破るような強い視線を、一身に浴びる。

 速い鼓動が、更に速くなる。

 美しい瞳が、じわりと滲む。

 ・・悲しいわけでは、ない。

 ・・理由など、解らない。

 熱いものがこみ上げ。溢れた。


「さあ。・・開いてごらん」

 勇者の言葉が、従者の身体を突き抜けた。


「・・・ゆ、勇者、・・さま・・・」


 娘は言葉を絞り出す。ただ早く、この状況から解放されたいという一心で。勇者は何も言わずに見詰めている。言い切るまでは。解放されない。


「・・わ、・・わたしの・・・」


 朱に染まった肌。

 洗いたての果実のように。

 火照った顔に汗が浮かぶ。

 

 勇者の喉仏がごくりと動く。しかし、その表情は崩れることなく。冷たいくらいの顔つきのまま、娘の前に立ち塞がる。

 そして、先を促すように頷いた。


「に・・おい・・・を・・」



 身体も頭も熱くなり、くらくら廻りながら世界が狭まっていくような。

 自分の声が、自分の頭の中の遠くの方から響くような。


―― 誓いに、従っているだけ。

 ・・匂いなんて嗅いで欲しいわけない。

 こんなの、恥ずかしいだけっ・・

 厭に、決まっているのに。


 ・・わたしの身体、どうして・・――



 勇者はじっと見据える。

 扉が開くのを、待つように。

 娘は狼狽する。

 何かが、来る。

 奥深くに潜むものが、出てくる。


 


「・・か・・」


 『嗅ぐ』。その言葉が娘を縛り苛む。

 その言葉が、娘をぎしぎしと締め上げる。

 身体が硬直する。

 熱くなる。

 ・・言わねば、解放されない。


―― は、早く、終わらせないとっ ――


 何かが、来てしまう。


「・・か・・・かい、で・・ください・・」




 

 勇者は従者の手を取った。

 がっしりとその身体を抱き締めた。

 熱く火照る身体を包み込んだ。

 そして、全てを引き受けることを示さんばかりに、ぎゅうっと強く包容した。

 勇者の匂いが、娘を満たした。


 娘の身体は、ぶるりと震えた。


「よく頑張ってくれたっ!リンちゃんっ!!あとは任せてっ!」


 娘を包む圧迫がふと消える。

 覚束ない感覚の中、なんとかして立つ。

 あのまま包まれていたかった。

 娘が何処かで、ぼんやり感じたとき。



 世界が。白光した。


(つづく)

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