第33話 耽美

 『興奮』。

 すなわち、『スイッチが入る』そのメカニズムが解らない。


 麗しいひとが 柳眉をひそめ

 苦悶の表情を浮かべて

 責め苛まれ

 しどしどに濡れたかんばせを振りながら

 喘ぐように許しを乞う



 何故。そのような姿を、美しいと愛おしいと思ってしまうのだろうか?

 


 ・・羞恥にまみれた身体はなお執拗に虐め抜かれ、隠すことも叶わずさらけ出してしまった痴態に。強く冷たく突き刺さる視線の。


 他人のごとき妖艶なる姿を自認したなら、貫く芯は燃えんばかりに熱く奮えて。



 責めるものが抱く愛慾も。

 受けるものが見出だす赤心も。

 『越えた先にこそ』と、求める憧憬。


 ・・畢竟。

 そこにあるのは、『美』であろう。



 

 そもそも『美』とは。

 生け贄にされる『羊』が『大』きく立派であることを讃える文字だ。

 『優れた生け贄』の、素晴らしさを讃える言葉。ならば。

 『生け贄』とは、なにか?

 ・・『神』への、捧げ物。

 『神』とは特定の人格神を云うのでなく。

 敢えていうなら、『生命を生み出す機構』といったところだろう。つまり。

 『生命を生み出す機構』に捧げられしモノの、より姿こそが『美』であると。


 神の求める姿。

 それが『美』だ。



 ・・何故、神が『それ』を求めるのかは解らない。だが。

 『それ』に『美』が宿る以上。

 『それ』を求めるのが、我々の使命さがだ。





 勇者は、ぼうっとしながらその木馬せめぐを見ていた。いや、魅入られていた。

 黒々とした、硬く重い木材を組み合わせた木馬。濡れるように光っている。その背中は三角に尖っている。いや、よく見るとその先端は丁寧に削られて丸みを帯びる。

 ・・とはいえ。この背を跨ぎ、あの一点で体重を支えることとなったなら・・


 許されぬとは思いつつ。

 どうしても。

 愛おしき、その姿がまず浮かぶ。


 後ろ手に戒められて、白い喉を仰け反らして。上下の荒縄に絞り出された胸の登頂をぎゅっと摘まめば、その痛みに腰は引け、馬の背はますます柔肌に容赦なく食い込み。長い睫毛は苦痛に震え、滂沱の涙は熟れた頬を艶やかに光らせ。


 実際に使わずとも。木馬これが存在するだけで、生贄むすめの姿態が鮮明に映し出されてくる。

 噴き出す甘い汗の匂いすら香しく。

 ・・責められし者がまた、自身の姿をそこに投影したならば。木馬ものを介し、責め手と受け手の脳内は重なろうか。

 ならば。視る者二人にとって熱を帯びしその感覚は、現し世の一部に他ならない。


 木馬よりしろに導かれ、その美に惹かれて。そのくつわを引きその背を跨ぐ二人は、くらき深淵で神の片鱗に触れるのだろうか。



―― でも。やはり。

 リンちゃんにはちょっと、まだまだきびしすぎるよなあ・・

 

 ・・ならば。

 ・・・・・・・・ ――

 


「さすがにわたくしにも。きついのですよ?」


 甘く爽やかな香りに代えて。もっと濃厚で豪奢な靡香を脳内に展開させた途端、それはリアルに鼻腔を満たした。


 艶やかな黒のサテンのドレス。剥き出しになった肩や腕の白さがまばゆい。チャイナドレスのような切り込みが腰上まで達し、魅惑的な太腿がちらちらと見え隠れする。

 いつの間にか、ウエアヌスが背後にぴたりと立っていた。


「代わりになんて。ひどくなくて?」

「えっ!あいやっ!そのっ!・・本当に申し訳ございませんっ!失礼致しましたっ!」

「もう。仕方のないひとね。・・でも、素直なところが、可愛いのよね」

 艶然と微笑むウエアヌスを前に、あわてふためく勇者はぺこぺこ頭を下げた。

「は、はあ。すみません・・」

「ふふ。・・木馬これ、気になるの?」

「え?ええ。・・実際に使えるのですか?」

 ウエアヌスはじっと勇者を見詰めた。

 全てを見透かし明らかにするような視線。

 普段は感じることのない、奇妙な感覚を味わっていることに勇者は気付いた。他者の視線を借りて、自己の裏の裏までを分析していくような感覚。「もしや、これが羞恥というものかしらん?」なんて思ったら、ウエアヌスが艶やかな唇を動かし始めた。


「なかなか、難しい道具よ。だって、よほど深く繋がっていなければ。・・流石に刺激が強すぎて、通じないから」

「通じない?」

「美の基本は、対話でなくて?・・言葉なんて不自由なものでなく、感覚そのものを伝え合い、互いにその美にふけっていく。強い刺激は、雑音を排除し感性を収斂してくれます。これらの道具は、いわば増幅器ブースターね。でも、増幅され過ぎちゃうと、ケーブルが強靭でなければ断線しちゃうでしょ?」


 美とは。みるものとみられるもの、捧げるものと捧げられるものとが揃って初めて生まれる感性だ。ウエアヌスのいう『対話』とはそのような意味だろう。

 『対話』そのものを『対話から生まれる感性』とともに交歓し、そしてその中にふけることまで含めて『対話』だと、ウエアヌスは言っている。



「もし。・・深く繋がっていたのなら?」

「途轍もない世界がみえてくるのよ・・」

「・・た、試したこと、あるのですか?」

 勇者は生唾を飲み込みながら尋ねた。ウエアヌスは妖艶に笑っている。


「さあ、どうだか?」



 滑車がぎしぎしと鳴る。高く引き上げられた身体の下に、ごとごと不気味な音を立てて木馬が置かれる。まるで罪人のように戒められた身体は為す術もなく残酷ないただきを目指して少しずつ降りていく。屈した脚は太腿で幾重にも縛られ、分け入ってくる頂を避けることもできない。若草茂る花園に鋭い牙が食い込まんと猛る。身体と滑車とを繋ぐロープ。今はぴんと張っているものの、やがて弛みを帯びたならば・・


「いけませんよ、勇者様」

「はっ!・・ご、ごめんなさい」


―― かくも妖艶なる美女をこの増幅器ブースターで責め上げてしまったなら

 汗と涙と体液とでぐしょぐしょにさせてしまったなら

 苦痛と歓喜と恍惚の叫びを上げさせてしまったなら

 ・・僕の世界は どのように変わってしまうのだろう ――



「私とでは、ないでしょ?」

「・・・、はいっ!」


 勇者の瞳は定まり。

 曇り無き、強き光を取り戻した。





「勇者様のご用事は、他でなくて?」

 ウエアヌスの言葉でハッと思い出す勇者。

 艶々たる眼差しを避けながら、勇者は丹田に力を込めて言った。


「ウエアヌスさん!この前買った媚薬なんですがね!」

「【恋に溺れてショッキング・ピンク】の方ね」

「ええ、そうです。よくご存じで」

「効かなかったのね?」

「いやあ、そのとおりなんですよぉ」

「それで、わたくしをお叱りに来たのね?」

「いやぁそんな、叱るだなんてぇ」


 艶然と微笑むウエアヌスを前に、毅然と物申すのは至難だ。速やかに弱りきってしまった勇者を幼子のように見詰めながら、ウエアヌスは濡れた唇を柔らかく動かした。


「うふふ。でも、清楚なあの可愛い子とは、上手くいっているのでしょう?」

「いやその。嫌われているという感じでは、ないと思うのですが・・・まるで遅々として進まないもので・・」

「それでいいのでは、なくて?」

「はあ。まあ・・」

「慌てては、だめよ」

「はい。了解です」

 ウエアヌスはにこりと笑うと、指で勇者の頬をつつっーと撫でた。今日は、サテンの手袋をしていない。なま指である。

 ほんの僅かな接触が、勇者の世界をぞくぞくと震撼させた。


「もう。勇者様ったらうぶなんだから。妬いてしまいそうだわ・・」


 大抵の人間は、ウエアヌスにかかればうぶになろう。勇者は当初の目的もすっかりと忘れ、女子大生を見上げるわらべのようにどぎまぎしている。

 勇者は、交わされた会話を吟味し冷静を取り戻そうと試みるが、瞬時に粉砕された。

 ウエアヌスが、そのなまで撫でた頬にちゅっとしるしを授けたのである。


「・・・・・・!!!!」


 あまりにも突飛な瞬間は、それが現実なのか夢幻なのか判断がつかなくなる。頬に残る柔らかい感触としっとりとした潤い。何よりそうだと認めたい心持ちこそが、現実という物語を構成していく。


「お詫びのしるし。・・本当はお詫びなんて必要ないのかもしれないけど。勇者様が素敵だから、わたくしからの気持ち」


 ウエアヌスが、口に手を当てて微笑んだ。何ともエロ可愛い。

 勇者の脳髄から【恋に溺れてショッキング・ピンク】のことなど一気に蒸発する。


「あん、だっ、だめよっ」

「はっ!」


 正気を失っていたらしい勇者は、ウエアヌスをがっしりと抱き締めていた。その唇は魔蛸のようにいやらしく伸びうねり、ウェアヌスの唇を奪わんと迫っていた。

「す、すみませんっ!」

「もう。・・ふふっ、気を付けてね」


 勇者はウエアヌスの誘淫力の虜となり、思考力を失いつつある。このままでは淫欲を貪るだけの白痴と成り果てよう。

 ぎゅっと目を閉じ口のなかで算術のようなものを唱え始めた勇者を見て、ぷっとウエアヌスが吹き出した。

「もうっ!なんのおまじない?」

「フェルマーの定理。・・自分を取り戻すときに使えるやつです」

「本当に面白いひとなんだから。・・取り戻せたかしら?」

「・・はい、なんとか」

「【めちゃくちゃにしてクレイジー・レッド】は、まだ使っていないの?」

「あ、そうです、それなんですが。・・しばらく、使う機会がなさそうで」

「あら?」

 色っぽく首を傾げるウェアヌスから目をそらしつつ、勇者はアストヘアの館に滞在することを話した。

「まあ。アストヘアさまとご一緒?」

「アストヘアをご存じなのですか?」

「ええ。『ルシャノワ』で、よくお買い物をさせて頂くので」


―― ああ。

 ウェアヌスさんなら『股割れのオープンショーツ』も穿いてくれるかなあ ――


「ふふ。あの子に穿かせないとね」


―― だから~!読心術やめて~! ――


「他の人が居るときに使うのは、・・勇者さまは嫌なのね?」

「もちろん!嫌ですっ!」


 従者のあられもない姿を自分以外の者が見るかもしれない、そんな状況は到底許容できっこない。勇者は力強く頷いた。

「偉いわぁ。そうよねえ」

「・・考えてみると【めちゃくちゃにしてクレイジー・レッド】って、恐ろしい薬ですよね。要人などに使っちゃったら?」

「もし放置していたら大変なスキャンダルになるでしょうね。でもね、要人には必ず護衛の術士がついているはずよ。彼らは魔法の効力を押さえる『抑制術スプレーション』や、心身を正常化させる『浄化術ピュアハイ』を使えるから」

「『媚薬』は、魔法で対処できると」

「もちろん。だって『媚薬』は魔法の合成物ですから」

「そうか。・・『媚薬』の効果を生み出す魔法も、ありますよね?」

「ええ。『誘淫魔法インビテーション』ね」

 ウエアヌスの言葉に勇者はふむふむと頷いた。そして、少し考えてから更に尋ねた。


「・・『誘淫魔法インビテーション』と『混惑魔法テンティーン』って、何が違うんですか?」

「あら、『混惑魔法テンティーン』をご存じなの?すごいわ。・・『混惑魔法テンティーン』は、途轍もなく強力な魔法だと云われているの」

「途轍もなく、強力?」

「ええ。『誘淫魔法インビテーション』は一時的に相手を誘惑し魅了する魔法だけど、『混惑魔法テンティーン』は相手を半永久的に虜にしてしまうこともあるそうよ。・・混乱させ破滅させることも」

「・・こわいですね」

「ええ。今時、『混惑魔法テンティーン』を使える術者なんているのかしら?」

「・・ルシャノアの『水軍式乙型制服セーラー服』をご存じで?」

 勇者の言葉にウエアヌスの瞳が少しだけ大きくなった。


「ああ、それで。もちろん試着もさせて頂いたわ。とっても可愛いから欲しかったんだけど、アストヘアさまに断れちゃった」

「・・『混惑魔法テンティーン』は、使えなかった」

「ええ。・・そっか。清楚なあの可愛い子、とても似合いそうよね」

 ウエアヌスは、少しだけ寂しそうに微笑みながら言った。

「・・まだ、試してはいないのですが。そんな経緯もあって、ウエアヌスの館に暫く滞在することになりそうで」

「そうなのね。アストヘアさま、とても勘が良いから。・・あの子が『セーラー服』に選ばれたら、気を付けてあげてね」

「え?」

「『混惑魔法テンティーン』はとても強力な魔法よ。・・強すぎる力は、使う者にも災いをもたらすといいます」

「・・心します」

「それで?【めちゃくちゃにしてクレイジー・レッド】は私の方で引き取りましょうか?」

「あ。返品は申し訳ないので、しばらく預かってもらえないでしょうか?」

「それは構わないけど」

「チャンスがきたら、また取りに来ます!」

 勇者の言葉にウエアヌスは柔らかく微笑みを返した。


 赤い媚薬をウエアヌスに渡しながら、勇者はさりげなく質問した。

「ところで、『誘淫魔法インビテーション』を習得するのって、難しいですか?」

「特殊魔法だから。『浄化術ピュアハイ』などを魔法院でしっかりと習得してからじゃないと、『誘淫魔法インビテーション』は伝授されないわ」

「難しそうですね」

「少なくとも、2年以上はかかるかしら」

「ウェアヌスさんから伝授戴くのは?」

「誰が受けるの?」

「もちろん僕です!!」

「うふふ。・・殿方には伝授しませんのよ」

「え?・・そうなんですか?」

「『誘淫魔法インビテーション』は女性を守るための術ですから。男性には、決して伝授されません」

「・・・・そう、なんですね・・・」

「ふふ。ごめんなさい」

 分かりやすく落ち込む勇者を見て、ウエアヌスはころころと笑った。



「暫くしたら、また是非お寄りなさい」

 帰り際、頭を下げる勇者にウェアヌスは言った。

「あの可愛い子に似合いそうなものを、なにか探しておきますから」

「・・っ!ありがとうございますっ!!」

「・・・あん、だめよっ」

 いつの間にか、ウェアヌスの腰を強く抱き寄せていた。大慌てで外す。


―― ああ。・・危険すぎる。

このお店に留まっていると、ウェアヌスさんの虜になってしまう。

 ウェアヌスさん、『混惑魔法テンティーン』を常時発動してないか? ――


「してません」

「ごめんなさいっっ!」


 勇者はウエアヌスに深い謝罪と感謝とを告げ出口へ急いだ。暗黒神ブラックホールを畏れる探査艇の乗組員の心持ちで、重い扉を開く。


 外は。

 いつもと変わらぬ正午の風が。やわらかく注ぐ太陽のもと、ゆったりと流れていた。

(つづく)

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