第47話 一会

「ベルグさま、その杯。・・私に、受けさせて下さいませんか?」


 ぱちぱちと、木の爆ぜる音が響く。

 焚き木から、火の粉が蛍のように舞った。

 蛍たちは遥かな高みを求めるよう、プラタナスの天蓋へと向かい、消えた。

 従者の言葉は、場を鎮めた。

 言葉を向けられたベルグも、目を丸くして硬直している。


「り、リン様!な、なにを仰ってっ!」

「り、リンちゃんっ!ちょっと待った!」

「・・従者様!無茶はだめなのです!」

 猛獣にふらふらと近づく少女を眼にしたかのように、アストヘア、勇者、パコの三人は泡を食って立ち上がる。猛獣と目されたベルグも、周囲の気迫に慄き後ずさった。

「お、お嬢さん、いや従者さんよ。・・馬鹿言っちゃいけねえ、女子供の出る幕じゃないんだよ・・」

「ベールーグーっ!!あんたっ!リン様に向かってっ!!往復ビンタよっ!!」

「ベルグさん、女性蔑視、だめ」

「待ってくれっ!姐さん!パコ嬢ちゃんも!ち、違うんだよ!いや、そのな!お、俺は、いや俺が馬鹿だからっ!う、上手いこと言えねえっ!・・だって!・・そうだろ?」

 一気に酔いが覚めたのだろう、ベルグは青ざめた顔つきで目を白黒させている。大きなクマのぬいぐるみが泡食ってキョロキョロしている、そんな感じだ。アストヘアは従者の手前、懸命に笑いを堪えてクマを叱る。

「あんたっ!十日間、禁酒っ!」

「ひゃ!・・ね、姐さん、かんべん・・」「あっ、あのっ」

 従者が懸命に割って入る。沸き立つような場の空気が、すっと下がった。皆が動きを止めて、耳に神経を注ぐ。不器用だが気遣いに溢れた、静音の間。

 従者はその間に戸惑いながらも、瞳に力を入れて懸命に発した。


「皆さん、温かくて。とっても、温かくて。お互いに大切にし合う素敵な仲間なんだって思ったんです。・・・夜道で出逢った、お祭りみたい。そんな風に、みえてしまって・・私、遠目で見ているだけじゃなくて、自分も輪に加わりたいって思ってしまったんです。あの、・・私も仲間にして頂けないでしょうかっ!・・ベルグさんっ!私っ、だめでしょうか・・」


 ベルグは、髭だらけの顔を優しく解いた。垣間見えたその素顔には、少年のような瞳が含羞とともに輝いていた。

「・・ふん、駄目なわけねーだろうが。歓迎するぜ、従者さんよ」

 ベルグが手に持つ杯を従者に渡そうとしたそのとき、シンがすっ飛んできてベルグの手首をスパコンと叩いた。

「痛って!」

「ベルグあにいっ!何やってんだっ!あにいの背中を守る、俺の身にもなってくれよっ!アンタが使った杯を女神様、いや従者様に使わせるなんざ!皆に、どうぞ寝首を搔いてくれって、言って回るようなもんじゃねえか!命が幾つあったって足んねーぜっ!周りだけじゃねえ、後ろからもヤバいぜっ!」

「お、おう?」

「おい、クロウ!洗いたての綺麗な杯、従者様にお持ちしてくれ!」

「心得た」

「チョウホ!食べ易くて胃腸を守るおつまみ数点、頼めるか?」

「シンっ、合点承知でやんす!」

 ベルグが呆然とするなか、隊士達が総出で準備を始めた。アストヘアも勇者も、ただ見守るしかない。

「さ、ベルグの兄貴!新しい杯です!」

「おうライツ、あんがと・・なあ、この杯、デカくなってねえか?」

「気の所為ですよ!」

「従者様。お飲み物は、何をご用意致しましょうか?果実酒、米酒、蒸留酒。ご指示頂ければカクテルも。チョウホ、いけるよな?」

「もちろんでやんすっ!」

「ベルグさんと同じものを、頂けますか?」

「えっ!・・くうっ!女神様っ。い、いえ、従者様。承知、致しましたっ!」

 崇められし者の、どうじ近付こうとするその所作が、寧ろ差異高低を生む。故に尚更、仰ぎ見られていく。神聖とは、そのようにして創られる現象だろう。


 ワルフvsベルグ戦とはまた異なる、異常なまでの熱気が場を包んだ。隊士たちは従者を慮り、小声で互いの無作法を窘めながら、可能な限りお行儀良い声援を従者に届けようと必死だ。従者は困ったように微笑みながら小さく手を振る。またどっと沸き上がる。

 従者はチョウホが並べた皿に箸を向け、実に美味しそうに食べていく。そしてすいすいと杯を乾していく。従者のペースがあまりにも速いので、互いに注ぎ合う形とならない。従者の酌人に勇者が買って出た。

「リンちゃん、さすがにペースが速すぎるんじゃない?」

「そうですか?でも、チョウホさんのお料理がとっても美味しくて!不思議なんですが、お酒ととっても合うんです!そのまま食べても凄く美味しいんですが、お酒と合わせるとものすっごく美味しいのっ!・・勇者様も飲んでみますか?」

 従者が手にする杯を向けてきたので、勇者は慌てて手を振った。

「い、今はいいです、寝首搔かれちゃうっ」

「?」


 すいすいと食べ、すいすいと飲む。

 決して粗雑でなく、むしろゆったり優美な所作なのだ。だのに不思議と皿は綺麗になって、空き酒瓶がころころ転がっていく。可愛らしく咲くユリの花が、その根で大海を乾していく。お伽噺のような可笑しさと神秘さ、そして、其処そことなく漂う畏怖。

 いや、対峙するベルグには『其処そことなく』どころではないだろう。まん丸にした目を充血させ、必死に追い縋ろうと杯を乾す。

 先に飲んでいた分など、とっくに飲まれている。酒なら、誰にも負けない。その自信が揺らぐ。この世には隔絶した者が存在する。ばりばりがつがつと呑み喰う相手じゃない。目を奪うような柔らかな仕草で、微笑みながら箸を杯をその唇へ運ぶ。白い喉が揺れる。長い睫毛は伏せられ、ころころと愛らしい感嘆の声を上げる。・・神か。


 ベルグは、息を吐くと姿勢を正した。敵わぬ相手と対峙したとき、ひとの真価が問われるのだと、長年ワルフから教わってきた。

 認め、自らを律して下るか。委ね、その胸元目掛け突っ込むか。

 だが。あまりにも華やかに可憐に見えた。立ちはだかる存在としては、あまりにも異質だった。生き抜いてきた過去に、似た景色は皆無だ。

 ベルグとしては、無意識だったのかも知れない。ベルグ自身は知らない。だが、ベルグが存在する以上、生命として既知なる存在。それが、おそらくベルグの感性を動かした。見出され、引き出された。すなわち、甘えたくなった。

 ベルグは、姿勢を正した行動と繋がる選択には進まずに、逆の行動を採ろうとする自分に驚いた。小娘などと侮った自分を、ひどく恥じた。違う。求め続けた、母の片鱗か。

「・・甘えさせて、頂くぜ・・」

 にやりと笑いぼそりと呟くと、ベルグは立ち上がった。


「シン!一升瓶だっ!ちくしょうめ!敵役なる晴れ姿、散りゆく花火の華を見遣れや!」


 仁王立ちに構えると瓶口に唇を当て、天を仰ぐようにして瓶を掲げる。まるで大地に身を捧げる儀式のように。

 歓声は渦を巻き、一つとなった。創られた気流に乗るように、焚き木の炎が高く濃く赫いた。美にも様々あろうが、間違えなくこれもまた一つの美であった。

 勇者は思わず、呟く。

「・・ベルグさん、やるな。勝負には負けても、宴の主役は掻っ攫った・・」


 仁王立ちした主役は一升瓶を空にすると、そのまま後ろにパタリと倒れた。鯨のようにぴゅーぴゅー噴水を噴き上げ、夜に散った。

(つづく)

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