第24話 絡合

 眼は脳の出先機関であり脳の一部である、という見解がある。


 眼は、光を取り込み瞬時これを反射する。もしもその際。取り込まれて反射した光に、何らかの物質やエネルギーが付着することがあったとしたら? それが、観察対象に影響を与えるということは有り得るだろうか?


 脳から染み出す脳内物質や脳内エネルギーは、眼球付近にも滞留している。これが外界より取り込まれた光に付着し、それが反射によって観察対象へと運ばれる。観察対象は、観察者の脳内物質もしくは脳内エネルギーを浴びることになる。そのことが、観察対象に何らかの影響を与え得るのだろうか? という話だ。

 そして。観察対象がまた、眼やそれに類似する器官を有していたら。脳内物質や脳内エネルギー、若しくはこれに類似するものを、光を介し当該器官から放出し得るとしたら。


 双方が。

 脳内物質を投射し合うこととなる。


 それは。『光速』で行われる脳内物質の交換と、蓄積だ。

 ・・瞬時に、膨大に。


 『視線が絡まる』とは、つまりそのような状態をいうのではなかろうか。




 従者が小走りで勇者に向かう。勇者の視線は、いや脳内は、従者の瞳に吸い込まれる。

 光速で、交換される。蓄積する。

 脳が、光速で変容する。



 ・・やや、あってから。

 勇者は従者の装いに気づいた。


 茶系とダークイエローを基調としたワンピース。落ち着きある色合いながら、腰を彩る黄色の帯紐が長く揺れて愛らしい。耳の上を飾るリボンの色と調和している。足には、踵の高い黒革のブーツ。ふわっとした雰囲気をキュッと締めるアクセント。・・見事だ。


「勇者さま!見てっ!素敵でしょ!」

 娘はそう言いながら、スカートをちょっと摘まんで一回転した。ワンピースがふんわりと浮き上がり、花びらのように広がり回る。

 花びらは甘い香りと共に脳内で咲き誇り、刻まれる。色彩と香りに喜ぶ脳は、御褒美ドーパミンを盛大に放出する。

 やがて。刻まれた像は物質らと結合し。近い将来、娘の脳へと回帰することとなる。娘の脳はその像の有用なるを確信し、更なる創造へと励むこととなる。


「・・リンちゃんのセンスは、天才的だ」

 勇者が言うと、いつの間にか娘の後ろにぴとりと立つアストヘアが、ふふっと笑った。

「勇者。ついに私の力を、認めたな?」

「アストヘア。お前なんぞに言ってない」

「勇者さま。これ全て、アストヘア様のコーディネートなんですよっ!」

「なぬっ!」

 溢れるような笑みを湛える娘。その後ろに寄り添い、勇者を嘲笑うかのように口角を上げる麗人。勇者は拳を握り締めた。

 おそらく、ありとあらゆる場面で繰り返されてきた勝負。・・この一敗は、手痛い。


「ふふっ。リン様はお美しく可憐ですから。何をお召しになってもお似合いですわ」

「そんなぁ。アストヘア様、本当に凄いですっ!わたし、尊敬しちゃいますっ!」


 なんだか。娘と麗人とがイチャイチャしているように見える。麗人を見詰める娘の瞳が輝いているように見えてしまう。麗人に娘の視線を強奪されたように思えてしまう。勇者のなかに、昏い怒りが沸き上がってしまう。


―― ・・いけない、いけない。

 僕としたことが。

 アストヘアが男ならば。即刻叩きのめし、めっためったの、ばらんばらんにしてやるところだが。

 女性同士のじゃれあいを見てイライラしちゃうなんて。

 情けない。全くの阿呆だろ・・ ――


 勇者は、大きく長く息を吐いた。

 すると従者が訊ねた。


「あれ?・・勇者様。手に持っているそのお洋服、なんですか?」

 勇者が手にする『セーラー服』に、娘が気づいた。アストヘアが口を出す。

「おい!それは超貴重品なんだぞ!興味本位で触るなよ!」

「仮にも客だぞ。丁重に扱え」

「ふん。リン様がいなければ、お前なんか叩き出してやるところだ」

 アストヘアがそう言うと、後ろで控えていたパコ師匠が静かに言った。

「店主。いけません」

 パコ師匠にたしなめられたアストヘアは、慌てたように言った。

「違うのよ、パコ。この男はいいのよ。だって、昔からの付き合いだし。いつもこんな感じなんだから」

 しかし、パコ師匠は牛乳瓶底眼鏡をついっと上げて、低く強く言った。

「いけません。公私を、混同なさっては」

「・・ご、ごめん、パコ」

 

 牛乳瓶底黒縁眼鏡の圧が凄い。颯爽として人を食ったようなところがあるアストヘアが、パコ師匠を前にして小さくなっている。

 パコ師匠、おそるべし。


「あ、あの。この服、貴重品なのですか?」

 従者がおずおずと質問する。やや硬くなった雰囲気をほぐさんと、従者はパコ師匠とアストヘアを交互に見ながら柔らかく尋ねた。

 パコ師匠がこくりと頷く。

「はい。お客様。こちらは『セーラー服』という、大変貴重な服にございます」

 従者は興味津々といった眼差しで、勇者が手にする服を眺めた。勇者は服を従者に渡そうとした。従者は両手と首をぶんぶん振った。

「そ、そんな貴重なもの、触れませんっ」

 するとアストヘアが従者の後ろから首を出し、従者の腕に自分の手を添えた。

「いいのよ、リン様。さあ、お手に取って」

 アストヘアに背後から抱きかかえられたような格好で、娘はおっかなびっくりと『セーラー服』を受け取った。


 娘はアストヘアとともに『セーラー服』を広げて「わあっ・・可愛い・・」などと感嘆の声を上げている。その姿をぽぉっと眺めている勇者に、つつっとパコ師匠が近づき耳打ちした。

「・・まさかとは存じますが。先程のプレゼントのお相手。・・あのお嬢様では、ございませんね?」

「どんぴしゃ、あのお嬢様です」

「差し替えましょう」

「なぜ?」

「まさか・・こんなにも可愛らしい方とは思わずに。もっと、経験豊かなタイプかと」

「これから、経験豊かになっていきます」

「いくらなんでも。・・凄すぎるのを選んでしまった・・お嬢様が不憫です」

「いや。可憐なものは強靭なるもの。刺激を呑み込み、更に輝くことでしょう」

 勇者とパコ師匠とがゴニョゴニョ話していると、娘が後ろから声を掛けてきた。

「何を、お話されているのです?」


 勇者とパコ師匠の肩は、びくっと盛大に跳ね上がった。勇者は操り人形のように口をパクパクさせながら、甲高く答える。

「イヤア、ナンデモナイヨゥ」

 娘が首をかしげる。

 すかさず、パコ師匠が入る。

「いえ。お嬢様。・・勇者様が『セーラー服』のお値段をお聴きになったもので。かなりの高値ではありますが、店主とご相談なさってみては? などとお話しておりました」

 パコ師匠の言葉をアストヘアが引き取る。

「ええ。この服は、当店で最も高い値が付いているのです。・・表向きは」

「表向き?どういうことだ?アストヘア?」

  助かった、とばかりにアストヘアの言葉に飛び付く勇者。するとアストヘアは、勇者に向かって顎をしゃくった。

「勇者、ちょっと来い。・・リン様、ごめんなさいね。パコ、リン様をお願い」

 そう言うと、アストヘアは振り向きもせずすたすたと歩き出した。勇者は悪態を付きながらも、その後を追った。



「おい、アストヘア!なんなんだよ!」

 従者の姿が見えなくなる所まで来て、漸くアストヘアは勇者に向き直った。

「勇者。あの『セーラー服』の表向きの値段だが、・・知りたいか?」

「勿体振るな」

「・・30万ギル」

「はあ?」

 勇者が阿呆面するのも無理はない。30万ギル、ちょっとした家が買える金額だ。

「いくら特殊な服でも、そりゃ無茶だろ?」

「パコの説明を聞いたのね。そう、あの服は特殊よ。・・我がガネーザ家が、代々護ってきた服」

「代々?」

「あれを護るのが当家の定め」

「・・硝子棚ショーウィンドゥなんかに吊るしておいていいのか? いや、そんな凄いものなら、教会学会に託すべきだろ?」

 勇者の問いにアストヘアは首を横に振る。

「元々は、教会学会が保管していた。でも、勇者は勿論、従者でもあの服を使える者は出てこなかった。・・あの服は人を選ぶ。従者であることが、その資格を満たすとは限らない。教会学会は、あの服に認められし者を探すため、全土に探索隊を派遣した。やがて、探索隊の長に全権が委任されることとなった。その末裔が、我が一族よ」

「ふうん。・・なら、悠長に服屋などやってていいのか?」

「服屋を始めたのは七代前。慎重に隠されてきた。木を隠すには森の中とね。しかし、先々代から硝子棚に飾られるようになった。『晒して呼び込め』と。探索隊は未だ健在よ。交易商の姿で、情報収集と発信とを行っている」

「ふん。だから『お洒落の最前線で発信地のルシャノワ』か。該当者を見い出だす為に、各地から人を呼び込む宣伝か。・・だが、魔軍にも眼を付けられるだろ?」

 秘宝ともいえる服だ。魔軍の知るところとなれば、まず狙われる。

「だから、オーラルの店に。オーラル騎士団は大陸でも屈指。町の城壁は王都より高い」

「・・対魔軍で考えるなら、オーラルが最も安全か」


 大陸には現在、三つの王国がある。最南端に位置するのが勇者らの国、オンパルス王国だ。

 オンパルスの北西にはメンヒル王国が、北東にはドルメン王国がある。メンヒルとドルメンの北には広大な『イルミンスルの森』が広がり、その森の北側が魔軍の支配する『北部』だ。メンヒルとドルメンの二国は、イルミンスルの森を越えてくる魔軍に手を焼いている。

 防壁たる二国の南にあるオンパルス王国、その中央に位置するオーラル。魔軍がここに達するのは、現状なかなか至難だ。しかも、大陸随一の学術都市にして最大の歓楽街であるオーラルは、その財力を背景にオンパルスの王都エゴをも凌ぐ軍事力と城壁とを有している。

 対魔軍で考えるなら、大陸中、最も安全なのがオーラルというわけだ。


「しかし。晒すだけ晒して30万ギルって」

「だからよ。変なコレクターを追い払う手管。この服は売り物ではなく、預かりものだから」

「過去に、選ばれた者はいるのか?」

「ええ、記録があるわ」

「ふうん。・・で、こんなとこに呼び出した用件は?」

「解ってるでしょ。・・一目見て、思った。彼女ほど似合う女の子は、ちょっといない。確信に近い。・・あの服、リン様に託すわ」


 濃紺に、赤もしくは白のスカーフ。厚めの生地は、聖職者の祭服に通ずる厳かな雰囲気すら漂わす。それでいて、形状が醸す清廉さと可憐さ。同時に、隠そうにも隠しきれない艶やかさが溢れ零れて・・


―― 確かに。

 リンちゃん、そのものじゃないか ――


 

 思わずゴクリと唾を呑む勇者。アストヘアの視線を跳ね返すように、瞳に力を込めて問うた。

「・・危険は、ないのだろうな?」

「選ばれなかった者には、ただの服でしかないし。・・選ばれた者は、服に護られる」

「選ばれたかどうか、どう判別する?」

「魔物を前にすれば判る。『混惑魔法テンティーン』が使えるかどうか」

「随分危険な方法だな」

「・・あんたが守るんでしょ、リン様を。出来ないなら、当家の兵を出すわ」

「無用。僕が守る」

「なら、問題ないわね」

「もしリンちゃんが『混惑魔法テンティーン』を使えたら。あの服は、ただでくれるんだな?」

「あげるんじゃないわ、託すの。・・でも、我が一族は長年あの服の一切を司ってきた。だから、サポートは続けさせてもらうわ」

「どういうことだ?」

「『セーラー服』は非常に特殊だから。万全のサポートと、定期的な点検が必要になる。リン様のご体調を確認しながら、生じる力の内容やその威力に応じて用いなければ。パコはあの服の専門家なの。だから、リン様には私とパコが同行するわ」

「パーティに他者は入れない」

「あの服には力がある。強い力は、時に災いを生むわ。専門的知識が欠かせないはずよ」

「やだ」

「・・セーラー服、欲しくないの?」

「欲しい」

「なら、受け入れなさい」

「やだ」

「あんたね」

 

 アストヘアは溜め息をついた。長い付き合いだ。譲れない処はどうしたって馬鹿馬鹿しいくらいに譲ることが出来ない。そんな男だと知ってしまっている。

「・・同行は最初の二週間。後は、月に一回程度、お会いさせて頂く。オーラル滞在の際には、リン様は私の館にお泊り頂く」

「・・一月に一回って。僕らは物見遊山しているわけじゃないぞ」

「魔王退治?心配しないで。我が家の情報網は大陸津々浦々を覆っている。どこでも直ぐに追いつくわ」

「・・二週間は長い。二日にしてくれ」

 視線が、バチバチとぶつかる。

「なら、諦めなさい。残念だわ」

「くそっ・・呑む」

 長い付き合いだ。落し処は、判り合う。

「よし。では、戻るわよ」



 

 アストヘアと勇者が戻ると、娘は『セーラー服』を胸に抱きながらパコ師匠の講釈を聞いていた。




―― あの肢体が。

 あの濃紺に、包まれたなら・・ ――



 窮屈そうな胸が、スカーフを押し上げる。

 折りひだのあるスカートから、恥ずかしげにのぞく白い脚。

 そのスカートの先をぎゅっと摘まんで。少しでも隠せんかと努めたるのは華奢な指。

 困惑気な瞳に宿るのは。

 艶やかに、濡れ光りたる深き色。

 香る黒髪は、さらさらと零れて。

 

 月下の裸体にも劣ることのなき

 妖しいまでの官能美エロス




 視線が、絡まる。

 娘の胸が、とくんと高鳴る。

 注いだままに勇者は告げた。


「リンちゃん。・・着てみよう」


 妙な緊張が娘を包んだ。

 高価だから?違う。・・羞恥だ。


 どうして生じたのか。まるで解らぬ羞恥に身を竦めながらも、娘は健気に「はい」と応えた。同時にかっと、体が火照る。



―― な、なんで・・? ――



 戸惑う娘は濡れ光る瞳でそっと見上げた。

 受ける勇者は、熱く硬く滾った。


 その光は。

 永劫のように、反復し。


 二人の世界を。

 固く契った。

(つづく)

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