第25話 聖器

 愛くるしい顔を赫々あかあかと火照らせて。胸にセーラー服を掻き抱く従者。勇者はその肩に、そっと手を置く。

 娘の肩がぴくんと跳ねた。

 そんな自らの反応に戸惑いを隠せぬ娘は、上気した顔で勇者を見上げる。


 濡れたように光る瞳。

 苦悶を訴えるようにひそめられた眉。

 得体の知れぬ羞恥で染め抜かれた頬。

 安らぎを求めるように、震える唇。

 

 

 保護欲を誘うその表情は、同時に、いやがうえにも勇者の欲情を掻き立てた。

 暴虐なまでの猛々しい力が、勇者の体内を駆け巡る。たおやめなる可憐な花は、ますらおなる嵐を呼び寄せた。


 柔い体を 搾り上げように抱き締めて

 愛らしい唇を 荒々しくもこじ開けて

 どす黒い欲望を 捩じ込んで注ぎたく



 しかし。

 勇者は優しい表情を崩さぬままに、娘の瞳を柔らかく見詰めた。

「アストヘアが試着を勧めてくれましたよ。でもその前にね。パコ師匠からご教授を頂きましょう」

 勇者の後ろにいたアストヘアが、怪訝な顔をして口を挟んだ。

「なんなの?・・って?」

 勇者は、アストヘアの言葉に意を介することもなく続ける。

「パコ師匠。リンちゃんがセーラー服を試着する前に、この服の力を今一度ご教授頂けませんか?・・さあ、リンちゃんからもパコ師匠にお願いして」

「え?・・は、はい、あの、ぱこお師匠様。ご教授、お願い致しますっ」

「・・だから何なの?って!」




「勇者様にはお話しましたが。この『セーラー服』の素材が、我々の理解し得ない物質で組成されていることは、おそらく確かです」

 パコ師匠は、ぽつぽつと話し始めた。

 従者が、首を傾げてパコ師匠に問う。

「私たちの理解し得ない素材とは・・どういうことでしょう?」

 パコ師匠は頷き答える。

「はい。物としての組成の在り方が、この世の法則と異なるのです。・・この世の在り様に、則らない」

 娘の瞳の奥で、何かが光る。

「・・存在しないはずの、物質?」

 娘の言葉を受け、パコ師匠は返す。

「・・そう、言いたくなるほどに・・」



「この世の在り様に則らないモノ。この服以外にも、過去に見出だされたモノが幾つかあると謂われます。所謂、『聖器』です」

「・・セイキ?」

 従者があどけない顔で首を傾げる。勇者は目を輝かせて「リンちゃん!ごめん!聞こえなかった!もう一度言ってみてっ!」などとはしゃいでいる。

 パコ師匠はじろりと勇者を一瞥すると、黒縁眼鏡をついっと押し上げた。

ひじりうつわと書いて、聖器です。従者様がご存じないのも無理ありません。教会学会は聖器の存在を、表向きは黙殺しております。・・もちろん、裏では調査研究に奔走しているのですが」

 パコ師匠の言葉を受けて、勇者は問う。

「教会学会でも全貌を把握しきれていない、というわけか。・・パコ師匠。セーラー服以外に、どんな聖器があるんですか?」

「実在するかどうかは不明です。・・『メネシスの羂索けんさく』『ルペルカリアの神鞭しんべん』『メノーラの法燭ほうしょく』。・・俗称ですが。私が知るのは、その程度です」

「けんさく?」

 聞きなれない言葉に、勇者が首を捻る。パコ師匠も、首を横に振る。

「断片的な記述が文献にみえるばかりで。形や力は解らないことが多く。・・ただ」

「ただ?」

 勇者が問うと、パコ師匠は続けた。

「ただ。・・聖器に関するものとして、古来より次のような言葉が伝わっています。


かたき結びにとき繋ぎ』

『掲げる稲妻いなづま旗と振り』

『滴る灯火ともしびを与え』

『包みあまねいちたらん』・・・」


「・・ふうん。・・まるで、頓智だ」

 勇者の言葉に、皆が頷く。

 パコ師匠は、ついっと眼鏡を上げた。

「『セーラー服』に関する言葉は、『包みあまねいちたらん』だと考えられています」

 従者は、まるで我が子を胸に守るかのようにセーラー服を抱きながら、パコ師匠に尋ねた。

「その、『包みあまねいちたらん』という言葉が、を表しているのですね?」

 従者の言葉にパコ師匠は頷く。

「はい。・・過去に少なくとも三人の方が、セーラー服に見い出されています。三人が遺したとされる伝書が、今に伝わるのです。もっとも、一冊は殆んど散佚さんいつしましたが」

 勇者が尋ねる。

「他の二冊は、今も読めるのですか?」

「はい。オーラル教会学会の、私の研究室に二冊ともあります」

「へ?」

 勇者が怪訝な顔をすると、アストヘアが口を挟んだ。

「パコは天才よ。オーラル教会学会の主任研究員なんだから。週に三日だけ、お店を趣味的に手伝ってくれるの」

「店主、違います。研究が趣味。こちらでのお仕事こそ、我が天職に他なりません」

 パコ師匠は、牛乳瓶底黒縁眼鏡を細い指でぐいっと上げると、薄い胸をつき出すようにして言い放った。アストヘアは「あ、ありがとう」などと頭を下げている。

 パコ師匠はこほんと咳払いをすると、話を戻した。


「二冊とも、異国の古代文字で記されるため解読に時間を要しました。しかも、魔軍に渡ることを恐れた為でしょう、抽象的な記述に終始し、内容が非常に掴みにくいのです。ここ最近、漸く読み解けてきたところです」

「伝書には、何が書かれていたのですか?」

 勇者の問いにパコ師匠は頷く。牛乳瓶底黒縁眼鏡がずり下がる。パコ師匠は人差し指をピンと伸ばして、眼鏡を押し上げた。

「セーラー服が宿す『力』、・・先史魔法と呼ばれる『混惑魔法テンティーン』などについてです」

地底龍ハイ・ドラゴンすら操り得る魔法。・・でもパコ師匠。混惑魔法テンティーンは、セーラー服が持つ力のごく一部に過ぎないと、先ほどおっしゃっていませんでしたか?」

「はい。・・混惑魔法テンティーンは、この服が持つ力の『表層的なもの』に過ぎないと考えております。・・ただ、この服の『本質的な力』に関して、私の見解は未だ纏まっておりません。なので、それについての明言は控えます」

「え?仮説でいいから教えてくださいよ」

「時期尚早なのです」

「さっきは、話してくれそうでしたよ?」

「口が滑りそうになっただけです」

 そう言うと、パコ師匠は子供のように口を固く結んだ。

 勇者は肩を竦め、了解を示した。

「・・ならば。セーラー服着用に当たっての注意事項など、お話頂けますか?」

 パコ師匠は、こくりと肯首した。



「注意すべき事項は、二つです」

 パコ師匠の分厚い眼鏡がきらりと光る。

 勇者と従者は神妙に頷く。

「一つ目。level が低い段階で混惑魔法テンティーンを用いないこと。混惑魔法テンティーンを使いこなすには、かなりの精神力を要します。しっかりと魔法を制御しないと、いたずらに魔物を興奮させてしまい危険です」

「でもねパコ師匠。アストヘアは、資格の有無を確認するために、まずは魔物に混惑魔法テンティーンを試せ、と言うんですよ」

 勇者がおどけたように言うと、アストヘアが噛みついた。

「だから!私が同行すると言っている!お前にリン様を守る自信がないなら、私が守る!当家の兵も出すっ!」

「店主の策は確かに乱暴です。しかし、私と店主とが同行している間は、まず心配ないでしょう」

「・・パコ師匠とアストヘアが、リンちゃんを守ってくれると?」

「私は『軍略家タクティシャン』、店主は『武闘家ウォーリア』。鉄壁の護衛を約束します」

「な、なにっ!?」

 『軍略家タクティシャン』は『兵法家』の上位職であり用兵の専門家だ。余程の秀才でなければ務まらない。そして『武闘家ウォーリア』は接近戦のスペシャリストであり、要人警護に就く者も多い。


「あの・・パコ師匠は、オーラル教会学会の主任研究員なんですよね?・・つまり、職位は『学者スコラー』じゃないんですか?」

 勇者が問うとパコ師匠はこくりと頷いた。

「それも、あります」

「へ?・・それも?」

 勇者が目を点にしていると、アストヘアが言った。

「だから言ったじゃない。パコは天才なんだって。二重職位デュアル・ウィルデングよ」


 神の祝福を受ける勇者と従者を別として、人々はlevel が50に達しなければ、新たな職位を身に付けることが出来ない。level 上げに勤しむ冒険者達にとっても、level 50は生涯を掛けて届くかどうかの値である。

 分厚い眼鏡のため、外観から年齢を測ることは難しい。とはいえ、パコ師匠はせいぜい二十歳はたちそこそこであろう。

「そ、その若さで『学者スコラー』と『軍略家タクティシャン』の二重職位デュアル・ウィルデング?」

 勇者はあんぐりと口を開いた。従者も尊敬の眼差しでパコ師匠を見詰めている。パコ師匠は何でもない、といった感じで眼鏡をついっと上げた。

「研究を続けていたら、level が上がってしまっただけです。職位を得ると便利なことが多いので、なんとなく取ってみました」

 呆然とする勇者と従者を前にして、アストヘアは溜め息をつきながら言った。

「だからね。・・パコは天才なの」

 脱力したように、勇者は頷いた。


「・・ところで。お前、『商人マーチャント』じゃなかったの?」

「当家の当主は代々『武闘家ウォーリア』と『商人マーチャント』を交互に務める仕来しきたりだ。母は『商人マーチャント』で、祖母が『武闘家ウォーリア』よ」

「そうか。・・仕来たり、変えたら?」

「・・だまれ」

「え?まだ何も言ってないよ?」

「『武闘家ウォーリア』と『商人マーチャント』の二重職位デュアル・ウィルデングにしたら?とか言うつもりだろっ!・・そんな仕来たり、守れるものかっ!」

「ひゃあ、怖い」

「ぶっ飛ばすわよっ!」


「脱線しました」

 こほんとパコ師匠は咳払いをして、場を制した。アストヘアも勇者も大人しく従う。

「注意事項の二つ目。・・こちらが、より重要とされますが」

 パコ師匠はそう言うと、勇者の隣に立つ従者に、顔を向けた。

「より、・・重要なことなのです」

 自分に向けられた言葉であると気づいた娘は、慌てて「はいっ」と返事する。

 パコ師匠は、何かを考えるように上を向いた。黒縁眼鏡がずり下がった。ずり下がったままに、パコ師匠は虚空を見詰めた。

 やがて、ぴんと立てた人差し指でゆっくりと眼鏡を押し上げた。

 牛乳瓶底黒縁眼鏡のレンズが、きらりと目映く光った。


「注意事項の、二つ目」

 パコ師匠は言葉を区切り、そして従者を見詰めたままにゆっくりと言った。


「セーラー服着用の際には、・・素肌に直接纏わねばなりません」

「え?・・素肌?」

 ぽかんとする娘。パコ師匠は、頷く。



「下着を用いず。裸の上に、着るのです」



 静まり返った場のなかで。

 娘の叫びだけが、高く響いた。

(つづく)

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